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by ruhiginoue

「和歌山の毒入りカレー事件」における没論理

 ワイドショーで見た印象で「このおばさんが絶対に犯人だと思った」などと言う阿呆どもは論外だが、直接証拠がなく状況証拠で有罪にしていいのかという問題がある「和歌山の毒入りカレー殺傷事件」では、一般的にどうも没論理な人が多くて、そこに検察官と裁判官が便乗したか、あるいは、検察官と裁判官も実は論理的思考が出来ないのではないかと疑っている。
 この主婦が真犯人であっても、裁判で有罪にしたやり方が間違っていたら、その間違いが他の人にも及び、誰でも無実なのに犯人にされてしまう。このことに気づくべきだ。
 
 その事件について、おさらいしてみると以下のようになる。
 
 和歌山で、夏祭りに提供されたカレーによる死傷者が出た。集団食中毒ではなく、人為的に混入させないとありえない毒物が原因だった。 問題は、誰による混入かということ。

 そこで近所の主婦が被疑者となった。
 なぜなら彼女は、夫が仕事で同じ種類の毒物を使用していた。
 その夫は、その毒物を悪用して、 自作自演で保険金の騙し取りをし、そのため詐欺罪で刑務所に入った。つまり、夫の毒物に対する姿勢は、その扱いと管理に慎重さと真面目さが欠けていたから、そこから妻が持ち出して入れた可能性は考えられる。

 では、可能性ではなく実際に、その主婦が混入させたと考えられるか。

 彼女は事件の直前、現場に居合わせていた。そのさい独りだった時もある。それを示す目撃証言もある。

 だから彼女は、毒を入手できるうえ現場にもいて、そのような人は他に見つかっていなから犯人だと考えられる。

 しかし「そう考えることが出来る」ということと「そうとしか考えられない」のは違う。

 毒物について。
 これは工業製品だから他にも入手できる人がいる。ただし、緻密に鑑定したところ、同じ種類であるだけでなく、同じ製品であるとの結果だった。
 担当した鑑定者が信用できるのか、などの不信はぬぐえないが、方法的には、それなりに信頼できるものではある。
 だから鑑定がそれなりだとしても、種類的にも製品的にも毒物の同一性が確かだったことをもって直接証拠なき有罪の根拠の一つとするからには「 他の人が入手する可能性は一切ありえない」ということでないといけない。 同じ所で一緒に作られた製品を入手した者は他にいないか。また、いったん被告の家で手に入れられたものが他の人の手に渡っていないか。扱いがずさんな夫だったなら、流出して誰かの手に渡ったこともありえる。

 現場に独りで居合わせた唯一の人物ということについて。
 見たという人はいるけど、防犯カメラに写っていたなど物的証拠ではないので、確実ではない。 目撃の状況からも、これではハッキリとは見えなかったはずであるとか、他の人と見間違えた可能性があるなどと指摘されていて、見たのはほんとうだとしても、あまり正確とは言えないのではないかという疑問がある。
 もちろん、毒を入れていたのを見たというのではない。
 そのうえ、他に立ち入った人が具体的に見当たらないからといって、立ち入った人が居なかったと決めつけることはできないはず。

 つまり、毒物の入手と混入どちらも、怪しさが一定以上だけれど確実ではない。すなわち、状況証拠は存在するが直接証処は存在しない。
 
 ところで、直接証拠がなくても、状況証拠が合わさることで間違いないと言えるなら、それでも良いというのが判例である。それに該当しているから、本件は有罪とすべきという判決だった。

 しかし、そこに問題がある。

 判例の意味は、状況証拠が合わさることで他の可能性が排除できるなら、直接証処が無くても良いということだ。
 これは、連立方程式とか証明問題のように、合わさることで意味が生じるから結論を導き出せるということであって、ただの羅列や集積による強調とは意味が全然違う。(ここを理解できない人が多い。これは、判決を批判している人にも多い。ただ証拠不十分だとかマスコミが騒ぐなどと言うことしか出来ていない人が、かなりいる。)

 さて本件では、
1、他の人が毒を入手することは不可能ではないが困難である。
2、他の人が毒を混入させることは不可能ではないが困難である。
という問題について、 「1と2を合わせれば、他の人では不可能だとの結論になる」と言いうるなら良いが、 そうではなく、単に「他の人である可能性が低下した」ということだ。
 他の人である可能性が排除されたのではなく、疑いを濃くしただけ。 灰色を重ねたら灰色が濃くなったにすぎない。あくまで疑い。

 だから、「疑わしきは被告人の利益に」という大原則に反しているし、 状況証処の評価についての判例にも違反している。判例違反を審議すべき最高裁が、没論理によって判例解釈を誤ったのだ。だから 「冤罪であり被告は潔白だ」とは断言できないが、「判決が間違っている」とは断言できる。

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Commented by sakanoueno-kumo at 2009-04-28 16:49
全くそのとおりだと思います。しかし、死刑か無罪かしかあり得ないこの裁判の納得いく着地点が見当たりません。限りなく黒に近いグレーでも、判決は黒か白しかない。ここに釈然としない思いがあります。
Commented by ruhiginoue at 2009-04-28 19:01
 グレアム=グリーンという作家がいました。91年まで生きていて映画化された『第三の男』は有名です。カトリック教徒でした。
 彼の作品は宗教が直接は出て来ないけれど世界観と人間観に反映していて、自らの主題として「人間の本質は黒と白ではなく、黒と灰色なのだ」と説いてました。
 もともと誰でも灰色で、白なんてありえない幻想。白が無い以上、黒では無いとしか言えないから、灰色を白とみなすしかない。
 そう考えず、黒はもちろん灰色でも許せないと思うのは、白があると思っている人が日本人には多いからでしょう。
 
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by ruhiginoue | 2009-04-28 04:27 | 司法 | Comments(2)