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by ruhiginoue

大「魔」神の意味を無視したリメイク

 あの『大魔神』(66)が、現代を舞台にした連続テレビドラマになるそうだ。それを報じる記事はオリジナルについて「戦国時代を舞台に、巨大な武神像がにらみをきかせながら動きだし、悪人を懲らしめる物語」という説明をしていて、これはシリーズ三作へと進むにつれてこども向けに変化した内容のことだ。
 そして、テレビ化の高寺重徳プロデューサーは「旧作は正しく生きる者は報いられるべきという物語。“人を信じ人を愛する心”を今の時代の人々に共有して貰えれば」と話しているそうだから、こども向けでリメイクするということだ。
 『大魔神』は、「魔」が付くように、正義の味方の善なる神ではない。畏敬の存在である。だから、一作『大魔神』では、武家の騒動が話の発端だが、そんな程度が低い人間のもめごとなどに神様は関知せず、神を祀った像のある聖地に土足で踏み込むようにしたことで、はじめて魔神が怒りとともに動き出す。
 それが二作目『大魔神怒る』では、争う武家の善玉と悪玉が明確になり、善玉を魔神が助けて悪玉を倒すようになり、さらに三作目『大魔神逆襲』では、民衆が強制労働させられ心配する子供たちが話の中心で、子供に同情した神が権力者を倒す。
 つまり、シリーズ化により、怖いはずの主人公が怖くない正義の味方となり、さらに子供のヒーローと化すわけで、『ゴジラ』『ガメラ』のシリーズと同じであった。
 また、大魔神と製作や出演が共通する『鯨神』という映画もあり、これは官能小説に転向する前の宇野鴻一朗の芥川賞作品が原作だが、封建時代の日本で、漁場を蹂躙する巨大な鯨を、西洋人の宣教師は悪魔の化身だと言うが、日本人は神として崇め恐れながら闘い同化する。そして大魔神と同様に音楽は伊福部昭で、宗教色が強く、しかし一神教とは違う民族主義的な土俗的礼賛の響きが支配していた。これは大魔神の一作目やゴジラなど初期の怪獣映画に共通していた。
 なのに、恐ろしいけれど神だった者たちは、子供のヒーローとなるか、悪役であっても「有事」となってしまった。
 こうして深みが失われ、技術は進歩してもドラマは薄っぺらいものとなってしまった、と指摘され続けて久しいが、製作する側の人たちは気にしてないようだ。

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by ruhiginoue | 2010-02-14 14:52 | 映画 | Comments(0)