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by ruhiginoue

イスラム法は正しく、問題は解釈

 イランで、三十歳の男性が、結婚を申し込み断られた腹いせに、女性の顔に硫酸をかけ失明させる事件を起こし、これに対して首都テヘランの刑事裁判所は、同害報復法を適用し、女性が男性の目に硫酸をたらして失明させる判決を言い渡した。
 しかし、この刑は確定していたが執行が延期され、これは国際人権擁護団体などからの非難を考慮した可能性がある。
 この刑はまさに「目には目を」で、イスラム法の同害報復刑に基づいているが、ハンムラビ法典から旧訳・新訳ともに聖書にも同趣旨の記述があるから、ある意味では普遍的である。
 ただし、これは感情にまかせた無制限な復讐や報復をやめさせるための制限である。理不尽なことを先にやった奴に対しては、怒りと憎しみのあまり、やられたことを何倍にも仕返したくなるのが人情だが、それでは社会の秩序が保てなくなる。そこで、やられたことに仕返ししても良いが、やられたこと以上にやっては駄目だ、ということだ。
 つまり、報いは相当でなければならず、これについては予め規定しておき従うべき、という趣旨だから、近代法の応報刑とか罪刑法定主義の基であり、時代が変わっても発想は同じなのだ。
 ただ、その具体化の点で、時代の変化により見直すべきこともある。その一つとして、身体刑が否定されている。加害者から被害者へ目を移植する手術をするなら損害賠償にもなるけれど、加害者を失明させたところで、被害者の視力が回復しないのが現実だ。
 だから、相当の応報という意味での例え話として「目には目を」は相変わらず正しいが、実際に目つぶしするとの意味に解釈するべきではなくなった。なぜなら、解決にならず合理的ではないことに、これまでの歴史から気づいたからだ。
 もしも、将来は医学が進歩して、角膜だけでなく、眼を誰から誰にでも移植手術できるようになれば、また変わるかもしれないが、それは今のところ不可能だろう。となると、被害を少しでも埋められる他の方法により、できるだけ同等の報いを受けさせるしかない。他人を失明させたなら、自らも失明させられるべきだけど、それをしないのだから、目が見える分、余計に働かせ、稼いだ金を被害者に支払って償いをさせる、などの解決をはかるしかない。
 そういうわけで、イランのやり方は時代遅れだと批判されているのであるから、国際人権擁護団体は、イスラム法の否定をしているのではなく、その解釈を合理的に変えるべきという提案をしているのだ。

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Commented by nakatsu at 2011-05-17 12:05 x
是非には触れませんけど、死刑制度がある国は基本的発想が「目には目を」のままだと思います。
皆で石を投げつけるか、執行官がボタンを押すかの違いくらいで。
Commented by ruhiginoue at 2011-05-17 18:06
 得られるものが無いのに、解決したかのような錯覚をするわけですからね。
Commented by paradeisapfel at 2011-05-17 21:34
実際には金銭で償われることが多いそうですね。
応報刑が認められるのは対等の身分のみというハンムラビ法典を思うと、昔は身分によっては気持ちもはれなかったことでしょう。
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by ruhiginoue | 2011-05-16 07:48 | 司法 | Comments(3)