また中国が日本と同じ人権侵害をしたが・・・
2012年 04月 03日
4月2日、中国・河南省項城市が展開する春季取締まり促進キャンペーンで51人の犯罪被疑者を拘束したが、彼らを縛り上げ首に縄をかけた上、公衆の面前を引き回して見せしめにしたことが「人権侵害ではないか」と問題視されているそうだ。
同省のある弁護士は「市公安当局の今回の行為は不当だ」とし、被疑者を公衆の面前でさらし者にしたり、市内を引き回したりすることは容疑者の人権を侵害していると指摘。裁判所が判決を下すまで、被疑者の人権は守られなければならないとしている。
この弁護士の指摘は言うまでも無い常識だが、日本では警察の意向を受けてテレビが協力している。
そして問題になったから、手錠をかけたところだけボカシを入れるようになった。しかしそんなことをするのは馬鹿げている。連行される場面を映す意味などまず無いのだから。伝えるべき正当な関心事は、どんな事件があって、どうしてその人が疑われたか、ということなのだから。
それに、手錠をかける意味があるのは、暴力をふるう恐れがあるか、逃げ出しそうであるか、なんらかの拘束する必要性がある場合で、そうではないのに手錠をかけるのは、まだ罪人だと決まっても無い被疑者を貶める目的である。その証拠に、有名人が逮捕されると、拘束されて連行される場面を、積極的にカメラの前に曝す。
これは封建時代よりたちが悪い。江戸時代の引き回しだって、有罪となり刑場に送られるさいのもので、マスメディアなんて無いから、たまたま出くわした人たちの目にしか触れない。
ところが、この手錠ボカシすら要らないとテレビで言った人がいる。晒し者は人権侵害だから手錠だけ隠しても駄目だという意味ではない。「犯罪者に人権は要らない」からだそうだ。これは人気長寿番組『笑点』で、桂歌丸が番組開始最初の出演者挨拶で言ったことだ。それからしばらくしてから、彼は司会者に昇進する。
もともとお笑いには、権力に楯突くものと擦り寄るものと両極端二種類あるが、『笑点』は後者ということだ。ただし、初代司会者の立川談志や、その真似をしているビートたけしとは、すこし違いがある。
まず桂歌丸は自衛隊を皮肉るなど何かと平和志向の笑いがあったし、また前の司会者の三遊亭円楽も冒頭の司会者談話で宇都宮徳馬議員の著書『軍拡無用』を持ちながら「この宇都宮徳馬先生の『軍拡無用』を読んで、私はたいへんな感銘を受けました」と言い、特定の現役政治家の応援として問題になりかねないことまでしていた。
しかし、その一方で円楽は石原慎太郎の支持母体の宗教団体・霊友会の広告に出て「私は子供を殴りますよ。そうやって躾けるのが当然です」と言い、石原と完全一致していたし、体格が良い彼は普段から、ちょっと自分と違う意見を言った息子を生意気だからぶん殴ったと自慢していた。これは弱いものいじめをしたのがどうしても許せないから殴ってしまったというのとは逆である。
つまり、普段から平和とか言っている者が、実は自分より弱いものには権力者として振舞うことが、よくあるということだ。
これについては、前に美輪明宏が、長崎の被爆者だから反戦歌をよく歌い、左翼雑誌の『金曜日』にも登場するが、核武装以外では石原慎太郎と意見が一致しているようで、子供が逆らったら殺すべきだと『徹子の部屋』出演時にオカマ言葉で執拗に繰り返していたことと共通している。
この美輪が声優として出演しているアニメの監督・宮崎駿は、戦後の平和主義者・民主主義者に如何わしい人たちが大勢いると言って「『平和憲法を守れ、と声高に叫んでいながら、うちへ帰れば家族に対して暴力親父なのがいるでしょう、社会党左派の連中なんかに」と指摘していたことがある。
これは「自分は平和を愛する偉い人だ」と信じてはいるが、しかし権力と戦う勇気はないので、その憂さ晴らしに自分より弱い立場の者にむかって「偉い俺様に従え」と言っているから、こうなるのだろう。これだから、抵抗勢力が無い日本の権力としては、人権侵害やりたい放題なのである。
これをまず自覚し、そして改めないといけない。
同省のある弁護士は「市公安当局の今回の行為は不当だ」とし、被疑者を公衆の面前でさらし者にしたり、市内を引き回したりすることは容疑者の人権を侵害していると指摘。裁判所が判決を下すまで、被疑者の人権は守られなければならないとしている。
この弁護士の指摘は言うまでも無い常識だが、日本では警察の意向を受けてテレビが協力している。
そして問題になったから、手錠をかけたところだけボカシを入れるようになった。しかしそんなことをするのは馬鹿げている。連行される場面を映す意味などまず無いのだから。伝えるべき正当な関心事は、どんな事件があって、どうしてその人が疑われたか、ということなのだから。
それに、手錠をかける意味があるのは、暴力をふるう恐れがあるか、逃げ出しそうであるか、なんらかの拘束する必要性がある場合で、そうではないのに手錠をかけるのは、まだ罪人だと決まっても無い被疑者を貶める目的である。その証拠に、有名人が逮捕されると、拘束されて連行される場面を、積極的にカメラの前に曝す。
これは封建時代よりたちが悪い。江戸時代の引き回しだって、有罪となり刑場に送られるさいのもので、マスメディアなんて無いから、たまたま出くわした人たちの目にしか触れない。
ところが、この手錠ボカシすら要らないとテレビで言った人がいる。晒し者は人権侵害だから手錠だけ隠しても駄目だという意味ではない。「犯罪者に人権は要らない」からだそうだ。これは人気長寿番組『笑点』で、桂歌丸が番組開始最初の出演者挨拶で言ったことだ。それからしばらくしてから、彼は司会者に昇進する。
もともとお笑いには、権力に楯突くものと擦り寄るものと両極端二種類あるが、『笑点』は後者ということだ。ただし、初代司会者の立川談志や、その真似をしているビートたけしとは、すこし違いがある。
まず桂歌丸は自衛隊を皮肉るなど何かと平和志向の笑いがあったし、また前の司会者の三遊亭円楽も冒頭の司会者談話で宇都宮徳馬議員の著書『軍拡無用』を持ちながら「この宇都宮徳馬先生の『軍拡無用』を読んで、私はたいへんな感銘を受けました」と言い、特定の現役政治家の応援として問題になりかねないことまでしていた。
しかし、その一方で円楽は石原慎太郎の支持母体の宗教団体・霊友会の広告に出て「私は子供を殴りますよ。そうやって躾けるのが当然です」と言い、石原と完全一致していたし、体格が良い彼は普段から、ちょっと自分と違う意見を言った息子を生意気だからぶん殴ったと自慢していた。これは弱いものいじめをしたのがどうしても許せないから殴ってしまったというのとは逆である。
つまり、普段から平和とか言っている者が、実は自分より弱いものには権力者として振舞うことが、よくあるということだ。
これについては、前に美輪明宏が、長崎の被爆者だから反戦歌をよく歌い、左翼雑誌の『金曜日』にも登場するが、核武装以外では石原慎太郎と意見が一致しているようで、子供が逆らったら殺すべきだと『徹子の部屋』出演時にオカマ言葉で執拗に繰り返していたことと共通している。
この美輪が声優として出演しているアニメの監督・宮崎駿は、戦後の平和主義者・民主主義者に如何わしい人たちが大勢いると言って「『平和憲法を守れ、と声高に叫んでいながら、うちへ帰れば家族に対して暴力親父なのがいるでしょう、社会党左派の連中なんかに」と指摘していたことがある。
これは「自分は平和を愛する偉い人だ」と信じてはいるが、しかし権力と戦う勇気はないので、その憂さ晴らしに自分より弱い立場の者にむかって「偉い俺様に従え」と言っているから、こうなるのだろう。これだから、抵抗勢力が無い日本の権力としては、人権侵害やりたい放題なのである。
これをまず自覚し、そして改めないといけない。
by ruhiginoue
| 2012-04-03 21:45
| 国際