コメントの他に、表示されている著書をクリックしてその感想をアマゾンのレビューに投稿してくださることも歓迎です。おたよりはこちらへruhiginoue@excite.co.jp


by ruhiginoue

ビートたけし世代

 前に「ビートたけし庶民の出」という話をしたが、お笑い芸人らのファッショ的体質について先日コメントを頂いたので、もう少し話すことにする。
 笑いは権力に対抗する武器にもなるが、それをしないで強者に媚び弱い者いじめの劣情による笑いをとる者もいる。その代表がビートたけしだが、彼は初期の著書『たけし吠える』で、日本に政治批判の笑いは不要だと述べていた。
 その内容はお粗末すぎて、題名の「吠える」に相応しい。よく石原慎太郎が週刊誌で話題作りを意識して暴言を吐くさいも見出しが「石原慎太郎吠える」となっていたもので、「弱い犬ほどよく吠える」「野犬は唸るが飼い犬は吠える」という格言のとおりだろう。
 さて、そのビートたけしの著書によると、まず、笑いで皮肉るのは政治を直接批判できない独裁者に対してすることで、日本は自由に政治を批判できるから無用で、日本が政治的発言が自由である証拠に、右翼の街宣車が大騒音をまき散らしてもおとがめ無しであり、日本は良い国だという。
 まず、独裁者を笑いのネタにすれば命が危ないし、マスコミに政権与党や官僚から圧力がかかったり、市民が公安警察や自衛隊調査隊(情報隊)から監視されたり逮捕されたり、機動隊の暴力でデモ隊に死者が大勢出ている事実は動かしがたく、暴力団をやとってにわか右翼に仕立てた岸総理ら政治家の偽装愛国運動だから傍若無人にふるまえていることは言うまでもない。
 つまり、たけしの言うことは三重に間違っているし、それは権力にこびる醜いものだ。ただ、たけしはフライデー事件のあとに右翼の街宣車からさんざん嫌がらせされて迷惑したそうだが、それは自由な日本の証だから受忍したようで、おかげで自分は大嫌いな島田紳助とは違うと言うことができたのだろう。
 あと、ビートたけしの政治的自由というのは、主張の内容ではなく、自己満足で他人様に無用な迷惑をかけることだ、という発想が見受けられる。
 実際、彼が明治大学の学生だった当時、学生運動が盛んで関わりはもったものの醒めていたと彼はよく語っているが、彼がゲバ棒をもってキャンバスを歩いていたという目撃談があり、当時の明大は「ブント」の拠点で、これは左翼運動と称してはいるが、実質はあの早大レイプサークルとして話題になった「スーパーフリー」と同じようなものだったと、当時の大学生や大学教員らは証言するし、他の党派も大同小異だった。
 そんな中にいた彼は、手段ではなく目的としての暴力が楽しかったのではないか。それが彼の自作自演映画に反映しているのではないか。
 そして、これは当時の学生運動全体に共通していて、目的のための手段により結果として騒動となり他人に迷惑がかかってしまったのではなく、傍若無人な振る舞いでことさら騒動を起こし他人が迷惑がるのを悦楽とする倒錯したものであった。
 だから、天安門事件について、学生運動を弾圧したという批判が事件当時に比して減っているのは、もちろん中国の経済発展もあるが、それとともに現在、日本の学生運動世代が醜い老害を及ぼしていてるためで、その世代は若い頃から無茶苦茶な者が多く、ビートたけし個人だけの問題ではないということだ。

人気ブログランキングへ1日1クリック投票をお願いします
[PR]
by ruhiginoue | 2012-04-06 20:15 | 芸能 | Comments(0)