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by ruhiginoue

本多勝一に嫉妬するブサヨども 

 憲法記念日は、朝日新聞阪神支局襲撃記者殺傷事件(87年)の日でもある。だからわざわざその日を選んでの犯行は報道機関へのテロと言え、言論報道の自由への挑戦である。
 これにからんで、226事件のさい襲撃されたことを言う人がいるし、当時「朝日」自身も触れていた。
 しかし朝日新聞は、もともと国策メディアだったので反乱軍が襲撃したのだが、それを軍国主義勢力と対立したということにしてカッコつけているだけとも言われる。
 また、朝日が左よりだと批判する人もいるが、そもそもフランス革命の王党派と共和派が、左右に分かれて議席に座ったことに由来する分類など今さら無意味ともいわれるし、政治的な分類をするとしても、それはあくまで相対的だ。相手を左だと言うのは自分が右であるだけで、当然その逆もある。

 だから「朝日」は左だと言う人はだいたい平均より右よりだし、平均より左よりの人たちは「朝日」は右よりだと言う。平均値も変化する。
 そして、保守の中では進歩的つまり右の中の左ということも言えて、例えば自民党の加藤紘一は根っからの保守派だがハト派で、それを右から見ると左になり、そのため右翼に山形の実家が放火されたことがあるから朝日と事情が同じとも言え、彼本人が言っていたが、実は彼は東大を卒業する年に朝日新聞社の入社試験を受けて合格しており、しかし高級官僚の道を選んでそこから自民党の政治家へと進んでおり、「朝日」の入社試験は競争率が高いから、受かったのにもったいないと言われたそうだ。

 また、文芸春秋社には朝日新聞社の入社試験に落ちた奴がいっぱいで、だから悪口ばかりだと笑い話にされているが、実態はともかくも、前に機会あって週刊文春の記者に聞いたら、「そりゃ入れたら朝日のほうがいい。会社の規模が大きいから。それに比べたら政治的左右なんて下らない」と言っていた。確かにそれが現実だろう。
 これがさらにフリーランスとなると落差が激しい。元「読売」の大谷昭宏が言っていたが、「読売」を辞めてフリーとなった本田靖春という有名な元記者の質素な自宅兼仕事場を訪ねたさい、読売に居ればもっと立派なところに住めるが、フリーになれば売れてもこの程度だと忠告されたそうだ。
 それで覚悟を決めて退社したはずの大谷は、出演料が高いテレビに出たがり、その制約に合わせた発言しかしなくなったと、やはり元「読売」のフリー記者に批判された。その元読売フリー記者は、大手マスコミは駄目だと批判し続けていて、それはごもっともなのだが、そのさい朝日新聞の記者だった本多勝一に対して事実をふまえない中傷誹謗ばかりしていて、そこには「スター記者」への嫉妬が強く感じられた。
 例えば、本多が身の安全のため公の場ではカツラをかぶって変装していることについてだ。これは小林よしのりが漫画のネタにするなどして知られている。小林は最初に会ったときは本多だと気づかなかった。小林も私用で出かけるときは髪型を変えているが、よくバレてしまうという。
 これについて、その元読売フリー記者は、あんなのはポーズだと言う。反感を買う危険な発言でも勇気と信念でやっているように見せかけるためだと断言する。しかし、現実に襲われる可能性のある内容を、本多はかなり堂々と書いている。それに加え、顔を知られると仕事や私生活で不便という事情もあると言っていた。
 ところがその元読売記者は、自分だってネトウヨに「2ちゃんねる」で「ブサヨ」と誹謗されたことがあると言う。歌手なら最大の悲劇は殺害されたジョン=レノンだし、ボブ=マーレイも銃撃されたことがある。どちらも政治的な背景を指摘されている。そうではなく、狂信的な行動の被害として、美空ひばりも松田聖子も襲われたことがある。それらに対して無名の歌手が、自分だって場末の酒場で歌っていたら酔客に絡まれたことがある、と言ったら、どうだろうか。

 また、元週刊現代の記者で、自らの不当逮捕の経験から冤罪事件に取り組んで来たという老人が、冤罪と司法の問題をとりあげてくれるように大手新聞社の何人かの記者たちに手紙を書いたところ、当時「朝日」にいた本多勝一記者だけが返信をくれて、関心は持っているが他の仕事に取り組んでいるので期待に添えず申し訳ない、という内容だったそうだ。
 ところが、その後、取り組んでいると言っていたそれらしい記事が見当たらないので、忙しいというのは嘘だったと、元週刊現代記者は非難を言いふらした。しかし、何か事情あって、完成できなかったとか完成しても発表できなかったかもしれないし、あるいは発表されたけど自分が見落としたのかもしれない。それに、そもそも他の記者たちは無視したなかで、唯一、丁寧な返信を、その義務も義理も無いのにくれた人に対し、これはひどすぎると誰でも思うだろう。
 この冤罪問題について、かつて本多記者は朝日在籍時に記事を書いたことがあり、すると、小さな記事だったにもかかわらず、自分の冤罪も取り上げてくれという手紙が殺到して山積みになったとも後に書いている。そして、自分は司法専門の記者ではないから対応は無理だが、ひどい実態であることをみんな知ってほしいとも書いていた。
 そして、こういうことがあるからやはり冤罪専門の雑誌を作ろうという動きが生まれ、経営的採算的に厳しいのは承知で『冤罪FILE』という月刊誌が創刊されたのだが、この中心となっているジャーナリストが、その創刊の献辞で「権力を批判する材料にするのではなく、あくまで真実を進歩的な見地から追求したい」と述べたところ、これにその元週刊現代記者は噛み付いた。それでは我々がこれまで活動してきたことの否定だと言う。
 これについて、『冤罪』の発行をしているそのジャーナリストに後に直接聞いたのだが、執拗に文句をつけるメールを送信されて辟易したと言う。
 ただ、この元週刊現代記者に限らず、今の後期高齢者となっている極左思想の持ち主には、こんな調子の人が少なくないという指摘があり、そうだろうなと思う人は多いはずだ。このような人たちは、報道へのテロよりある意味では有害だろう。

 というわけで、事実の羅列っぽくなってしまったが、今年の憲法記念は言論の自由とジャーナリズムについて、体験も含めて語ってみた。

 

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by ruhiginoue | 2012-05-04 00:16 | 社会