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by ruhiginoue

大島渚とマーチン゠スコセッシの落差

 大島渚監督の死去に山田洋次監督は、同世代の監督が亡くなって寂しいと談話していたが、大島監督がセンセーショナリズムによって脚光を浴びている一方、同じ松竹で山田監督は地味にデビューし、次第に人気監督となったという経緯だった。
 この二人は政治的には対立していた。山田は作品に直接政治性を込めることはしないが、個人的にはよく選挙で共産党を非党員の立場から応援し、大島は逆に映画で直接政治的主張をし、そのさい新左翼の立場から共産党をこき下ろしてきた。
 そうした大島の代表作なのが『日本の夜と霧』だった。この映画の主な主張とは、安保闘争が上手く行かないのは大衆から支持を得られないからで、そうなってしまった原因は、全学連の過激派が暴力をふるったことより、陰険な共産党員がいるせいだ、というものだ。
 この脚本を書いた石堂淑郎は、後に大島と決別宣言してからTVで主に子供むけのドラマを書いていたが、その演出をいくつも手がけ、いわゆるコラボを何度もしていた山際永三監督は、大島の作品で『戦場のメリークリスマス』は良かったが、『日本の夜と霧』はいただけないと言っていた。
 この山際監督は、かつて新東宝で映画を撮っていたが、そのさいの労働運動で共産党系労組の態度に頭に来ることがあり、それから何十年も怒りがおさまらず、そのうえ共産党員の映画批評家・山田和夫から共産党の機関誌『前衛』誌上で「トロツキイストの山際永三」と書かれたため、共産党には怒り骨髄である。
 しかし、『日本の夜と霧』のように、悪い共産党員を描いても、そんなのはどんな組織にも必ず居るのだから、批判にならない。本当に批判するなら、むしろ一生懸命に活動している無名の善良な共産党員の姿を描くことだ、と言っていた。
 たしかに、その方が共産党にとって手厳しいだろう。組織の末端にいる党員たちがこんなに頑張っているのに、上層部の連中は何をやっているのか、という話になるのだから。
 ところで、大島は自分で監修と編纂をした日本映画史のTV番組で、山田洋次監督の人気作の数々を一切無視したうえ、自分の作品は複数紹介しているから、不公正だと批判された。先出の山田和夫など、この大島の態度を厳しく追及していた。
 それで思い出すのは、アメリカン・ニューシネマで代表的なマーチン゠スコセッシ監督がアメリカ映画史を語ったTV番組だ。これは翻訳されて日本でもNHKが放送していたが、スコセッシは60年代までのアメリカ映画について多様な作品を紹介しながら延々と語り続けると突然、自分の話はここまでだと言い出した。
 なぜなら、70年代になったその時から彼は、自身が映画界に入って作品を発表するようになったので、自分も当事者の一人となってしまったから、ということだった。もちろん色々と語りたい作品はたくさんあるが、他の人たちの作品を客観的に語ることは出来なくなったのだから、語るべきではないと言う。
 スコセッシと大島は、同世代で、過去の映画に異を唱える新しい作風で注目されたことでも共通しているし、自身がタレントのように目立っていたことまで一緒だが、人物の大きさという点では大違いだった、ということだろう。 
 
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by ruhiginoue | 2013-01-24 19:02 | 映画 | Comments(0)