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by ruhiginoue

『あばれはっちゃく』のネオリアリズモ

 前にもときどき言及しているが、映画の話と司法問題の話で出てくる山際永三監督は、冤罪事件の救済などで活動する一方で舞台演劇の演出をしているが、その前にはテレビで子供向けのドラマを演出していた。そのさらに前は映画を撮っていた。
 そして、子役を演出するのが得意だと言われるけれど、もとは映画でかなり前衛的な表現を駆使していた。それを改めて認識することができた。
 それは往年の人気ドラマ『あばれはっちゃく』だった。有線で放送していたのを録画していた人がいて、それを観た。子供むけの作品であるし、しかも、同監督は円谷プロの作品も手がけていたが、そうしたSFとは違い、あまり奇抜なことはできない作品だ。
 ところが独特な演出が随所にある。例えば、主人公の少年と最も仲が良い同級生の親は八百屋を経営していて、市場に仕入れに行くのに主人公が同行する場面があるのだが、ここでは子役らを実際の市場に連れて行って、その活気に溢れた場に紛れ込ませるようにして撮ることで、異様なほど生々しい雰囲気を醸し出している。
 これは、デシーカ監督の『自転車泥棒』やロッセリーニ監督の『無防備都市』などイタリアの「ネオリアリズモ映画」がやっていたことだ。もともとネオリアリズモは、ファシズムへの抵抗として生まれた芸術だから、冤罪など人権問題に熱心な監督が、子供むけのドラマとはいっても、そこで庶民の生活を描くのだから、当然といえば当然なのだろう。
 そして『あばれはっちゃく』の主人公は、騒動ばかり起こす問題児ではあるけど、失いがちな活力がみなぎっているわけだから、それを親も教師も、どんなに叱りはしても、暴力で押さえつけたりはしなかった。そうした一貫した精神性があって映像表現と演出とも絡み合っていた。
 
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by ruhiginoue | 2013-02-07 18:50 | 映画 | Comments(0)