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by ruhiginoue

野坂昭如が神社に参拝をやめたわけ

 戦争は、怖いとか悲惨とかいわれる現実があるので、それが戦争を起こさないでいる。
 それを逆手にとって、「抑止力」と称し、戦争の準備をしているのに、戦争をしないためなのだと、軍備が正当化されることもある。
 では、「はだしのゲン」が駄目だという連中は、核抑止力をなくしたいのか、と皮肉のひとつも言いたくなる。
 これは、かつて80年代に、丸木美術館の「原爆の図」の写真を掲載した教科書が、検定で「悲惨すぎる」と不可になったのと、よく似ているが、原爆の恐ろしさを知らなければ、抑止力にならない。
 これは逆に言うこともできる。前から指摘されてきたことだが、核兵器の恐ろしさを訴えることが、それによって核兵器の恐怖による大国の支配に利用され、これに対抗して、小国が密かに開発する危険が指摘されてきた。
 ひとつだけではなく、他にも皮肉を言いたい。
 自体験から戦争物を書いた小説家で、『俘虜』『野火』『レイテ戦記』などで知られる大岡昇平は、戦争が起きないように、戦没者たちに化けて出て欲しいと発言したことがあり、また、『火垂るの墓』『戦争童話』の野坂昭如は、戦死者は膨大だから、どんなに供養してもある程度は化けて出るはずなのに、全く出ないから、霊は存在しないと確信し、神社に参拝しなくなったと書いていた。
 だから、戦没者の追悼などせず、平和のために、戦争で死んだ人たちは供養しないで、化けて出てもらったほうが良いのではないか。

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Commented by りくにす at 2013-08-21 22:58 x
たしかに、死者の霊が実在するなら世の中もうちょっとましになる気がします。でも死者は何も教えてくれません。我々はご先祖様や先人たちに顔向けできるように努力することができるだけです。
今読んでいる小倉紀蔵の『歴史認識を乗り越える』(講談社現代新書・2005年)の146ページに「魂は政治的である」と書いてあるのを発見。小倉氏は儒教の研究者ですが、そもそも儒教は祭祀から始まっているものです。だから化けて出てきてくれないのか。
話変わってGoogleが広島原爆資料館の資料を電子化・公開するというニュースがありました。思わず「Googleに任せて大丈夫か?」とつぶやいてしまいました。
Commented by ruhiginoue at 2013-08-22 18:07
 それで思い出したけど、戦前、共産党に入ったため特高警察に逮捕された女性が、殴られたので「いっそ殺せ。化けて出てやるから」と言ったところ、警官がひるんで、おかげでなんとか無事に釈放され、戦後も活動した、という人がいたそうです。
 唯物史観のはずの共産党に入った人が、そう言って、それに特高がひるんだのだから、それだけ根強かったわけです。
 原爆について、加害国の企業だと、なんとなく不安ですね。
Commented by 白田川 一 at 2013-08-31 14:35 x
  日共にしても創価にしても、戦前あるいは戦後間もない時期までは割と純粋な性格の団体だったのが、団塊左翼による内部支配によってかつての薩長の如く跋扈(ばっこ)し、不純・不埒極まりない左翼組織に成り下がってしまったようなものだ。自浄作用も期待できずに腐敗していくのであれば、いっそのこと、陸自による武力制裁で滅んでしまった方が日本の今後のためである。
by ruhiginoue | 2013-08-20 13:48 | 雑感 | Comments(3)