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by ruhiginoue

8.15と神道と血脈

八月十五日に、靖国神社の問題をツイートしたら、特に以下の部分に反響が多かった。 

 國學院大学神道学科の先生が、靖国神社は戦死者が祟らないよう怨念を鎮めるのが本来の宗旨だから、英雄と祀り戦争を美化し政治的に利用することは靖国の神に対する冒涜だと指摘する論文を書いたら、神社本庁が大学に圧力をかけた。「学問の自由は尊重すべきだが国家護持運動の妨げは駄目」と、矛盾もいいところの無茶苦茶だった。
 神社本庁に屈した國學院大学当局は、クレームをはねつけずに遺憾の意を表明してしまい、「建学の精神」を政治で歪めた。これのどこが「国の基を極むる処」(校歌)なのか、これでは曲学院大学だ、と批判されたのだった。
 「学問の自由は尊重すべきであるが」と言うなら、政治的な意図からの介入や干渉こそ駄目なのだけど、その矛盾が理解できない人たちがいる。文句があるなら、反論する論文を書いて発表するべきなのに、そうではなく、学者が勤務する大学にクレームというのが不当だ。
 この、靖国神社の論文で神社本庁から不当な弾圧を受けた國學院大学の先生は、当時は助教授(今では准教授というらしい)だったが、後に教授になれたので、圧力に屈した大学にも五分の魂と言われた。

 湯島天神だって、昇進試験で出世しようとしたら藤原一族の陰謀で島流しにされた菅原道真の死後に自然災害が起きたので祟りではないかと心配し、学問の神様と祭りあげ、おだてて供養した。それがなぜか受験祈願の場になって、お札やお守りから必勝鉛筆まで販売してる。それで受かれば塾はいらない。
 お岩大明神も、恨みを慰めるため。なのに、もしも政治的に利用したら。たとえば社民党の女性たちが、男社会の抑圧と闘う女性の神様と祭り上げて拝んだら、それこそ祟りがあるだろう。

 そして、個人的な話もした。
 この問題にレポートで触れたためか、大学の一般教養で、神道概説だけ評価Bだった。他は全部Aだったのだが。
 しかし、神道系で保守的な國學院大学にも進歩的な教授はいる。その同じ先生に習った先輩の女性で、卒業後に神社の巫女を経て共産党に入り今では市議という人がいる。宗教大学を出て宗教家になりかけたけど、今では共産党の政治家だから「スターリンと同じですね」と言ったら、彼女はムッとしていた。
 その大学の先輩の共産党女性市議は、皮肉を言われてムッとしただけマシで、この話に、同じ議会の社民党の女性市議は「え?スターリンって宗教家?」と言った。共産党も無知は多いが、社民党には敵わない。スターリンはもともと神学校を出て聖職者になるつもりで、悪名高いスターリン主義の粛清は、宗教裁判や異端諮問を政治組織運営に持ち込んだ、ということを、知らない人は多いが。

 問題となった論文では、人間がそう易々と神になれるわけがなく、なれるとしたら、それなりの資質を持った血脈とか血統の人だけである、と説いていた。

 そのツイートをしてる時、FM放送で伊福部昭の曲を放送していた。行方不明楽譜発見で復活した「プロメテの火」は貴重な演奏機会。「日本の太鼓」は聴きなれた「ジャコモコジャンゴ」と違った楽器の構成なので少々違和感が。この曲は所々ストラビンスキーの「ぺトルーシュカ」に似ている。
 作曲家・伊福部昭を祭った「伊福部神社」をご子息が私的にやっているけど、これこそ神になる血統だろう。なんといっても伊福部家は、大己貴命(大国主)を宗祖する因幡の古代豪族で、武内宿禰を祭る因幡國一の宮・宇部神社の神官を明治維新に至るまで代々務めてきた。昭の代で67代。
 代々神官を伊勢の地で勤めていたのに、明治時代に北海道へ渡ったのは、国家神道政策でスポイルされたから。先祖代々の神官が、東京中央から派遣された官僚に取って代わられたりしたため。それで雅楽に背を向けて、アイヌなど近代日本に蹂躙された民族を取り上げた。

 伊福部昭の民族的音楽が印象的な映画「鯨神」は、官能小説に転じる前の宇能鴻一郎の芥川賞作品が原作で、漁場を荒らす大鯨を西洋人宣教師は「悪魔」と呼ぶが、日本人の猟師たちは「鯨神」と呼んで闘い、勝利して殺し、重症を負った漁師は死ぬ前に「これから俺が鯨神になる」と言う。独特な宗教観だ。
 もともと日本の神は怖い存在。死者を怖がる習慣は世界中にある。ただ日本では怖いから神だと言う。しかし外来宗教思想の影響で、神は正義の味方になった。神社の神様も外国かぶれしている。「大魔神」も最初は神の領域を侵した人を罰しただけなのに、続編では悪い権力者を退治する正義の味方になった。

 ツイートの反応は、確かに日本の神は怨みに基づいている、靖国神社は、国(政府)が死なせた戦死者が後々国(政府)を祟らないように祭っているものだ、自ら殺めた者をカミとして祭るのは国譲り以降のヤマト人国家の慣習、この国ではタテマエを否定するのは罪、政治的に神道は歪められている、宮司は靖国神社を私物化、それで昭和天皇も参拝しなくなった、など、など。

 そんな中で、厳しく批判しても、そこに母校と神道への意識と拘りがわかり、興味深い、という人もいた。まさに血筋で、逃れられないものだ、と。
 そうかも知れない。困ったことに、特に母親は熱心すぎた。それで、スチーブン・キングの小説をよく読んだ。他人事ではない気がしたから。「キャリー」とか。


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Commented by ケーキイーター at 2013-08-23 20:51 x
お師匠さんの文読んでからポロローンと思い付けたんだけど。靖国に参拝に行った大臣さん達の理由。「俺が悪かった~。俺の前で化けて出て来るのは止めてくれ~」なーんて。きっと身に覚えがあるんだ。
納涼。夏の妄想。私やっぱり勉強不足かな。
Commented by ruhiginoue at 2013-08-23 21:56
 実際そうかも。戦犯合祀は、政治的な配慮から慎重になっていたけど、やはり祟りが怖かったから。
 安倍総理の祖父のように、敵国に寝返ることで戦犯から総理へとなった人などは、処刑された戦犯たちが、俺たちに責任を被せてお前は逃げたな、と呪ってくることを恐れたと考えられます。
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by ruhiginoue | 2013-08-23 16:34 | 雑感 | Comments(2)