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by ruhiginoue

マスコミを権力という愚か者

 かつて本多勝一氏が、朝日新聞の記者だった当時にこんな指摘をしていた。
 よくマスコミのことを、司法・立法・行政に次ぐ「第4権力」と言う人がいるけれど、それは、大手の報道機関に居る者が思い上がって言っているだけで、現実には権力など持っておらず、常に権力に対して弱いものだ。そう著書で述べていた。
 そのとおりで、大手の報道機関には、あくまで影響力があるということでしかない。権力とは、法律や判決など文書に記述した言葉を、実行し従わせるため強制力を用い、時には物理的な実力行使までゆるされているものだ。これと報道は違い、記事の内容を力ずくで実現することはできない。
 そして、報道自らは権力をもたず、市民とか大衆の側から権力を監査する立場である。そうでありながら、権力に屈したり、その手先に成り下がって弱いもの虐めをすることがよくあるから、問題なのだ。
 ところが、マスコミを批判している側の人たちが、それをわかっていない。大事な問題なので、知り合いだがはっきり言うと、80年代に週刊誌やワイドショーで騒がれた三浦和義氏や、それをきっかけに報道の人権侵害を批判する運動を始めた映画監督・山際永三氏は、「第4権力」と言い続けてきた。その間違いを指摘しても頑として認めなかった。
 なぜか。その話をきくと、要するに、社会悪イコール権力という定義だからだ。そもそも社会悪とは主観的な評価でしかないのだが、彼らは自分が認定すれば社会悪なのだ。そして、権力が社会悪と化すのではなく、権力とは悪いものであるから、社会悪とは権力なのだ、というように本末転倒しているのである。公権力の定義とか、権力と影響力の違いには関心がない。そして自らの価値観と判断によって社会悪と定義したものに対し「権力だー」「権力だー」と叫んで非難して、それが正しいと信じているのである。
 つまり、70年代の学生運動のノリなのである。それが歳をとっても変わっていないのだ。70年代の感覚は、80年代に既に嘲笑されていたのだが、なのに80年代どころか90年代になっても2000年代になっても変わらない。
 これは考えが古くなったということではなく、その70年代当時でも間違いであることが明白であった。だから、それでも信じ込んでいる人たちに、その間違いを改めさせることはほぼ不可能である。そして、こうようにはっきり言うと老人特有のブチキレ方をされるだけだから、指摘しないで受け流している、という人ばかりである。自分もそうしてきたが、たまにははっきり言ったほうがいいだろうと思い、今日はここに書いた。
 

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by ruhiginoue | 2013-09-29 12:43 | 社会 | Comments(0)