相変わらず駄目な伊藤隼也
2014年 01月 31日
既に述べたとおり、今回の都知事選で、生活者の目線でなく雲の上の脱原発を金科玉条にしている人たちの気取りと驕りがハッキリした。これは大いなる収穫だった。
かつてその団体が集会を開いたとき、伊藤氏の自宅である中野区のマンションの集会所が使用され、そこに行ったことがある。ずいぶんと立派で高額なところだ。彼が持っていた車の鍵はBMWだったはずだ。なるほど大手のテレビや雑誌で活躍する人らしい。
これだから、石原・猪瀬の都政で停滞した公営住宅建設を復活させるという、社民・共産が支持する候補の政策には無関心でいられるだろう。そして、とにかく脱原発というハイソでカッコイイ発想に惹かれるのだろう。彼はツイートした。都知事選で脱原発候補一本化し、右傾化を阻止すべきなのに、実現しないのは社民党および共産党の責任である、と。
そんな人たちの一人が、元写真家でジャーナリストという伊藤隼也だ。これは芸名・筆名であり、姓は戸籍のままだが名は違う。彼は、自分の父親が大学病院の過誤により死亡したと主張して訴訟を起こした経験から、医療問題に熱心になったと言う。
ただし裁判は敗訴し、なぜか控訴しなかった。
この途中、昔から今までずっと活動し続けている「医療過誤原告の会」に入っていたが、そこは老人のたまり場になっていると批判して離脱し、周囲の人たちと「メディオ」という団体を結成した。
ところが、このメディオという団体は陰険な雰囲気で、会員に意地の悪い人が多くて嫌だからと、加入したもののすぐ脱退してしまったという話を、医療被害者たちから色々と聞いている。そして後に活動を停止した。
ここで伊藤氏のしていた活動は、医療訴訟をシステム化しようというもので、そのための会社まで作ろうというものだった。
このため、医療の被害者団体が、クレーマー集団とか医療総会屋などと、一部の心無い医師から中傷されるきっかけの一つとなっていた。
これにより、真に悲惨な被害者たちは大変な不利益となった。不良医療の被害者が、言いがかりで金をせびっていると逆非難される風潮ができた原因のうち、特に大きなものは伊藤隼也の活動である。
したがって、彼は医療問題を悪化させたA級戦犯と言っても良い。
しかし、このおかげで伊藤氏個人は、それまでフォトジャーナリストを自称するも実態はB級グラビアアイドルやAV女優を撮影するカメラマンだったのに、医療問題に詳しいジャーナリスとして売り出し、大手マスコミと商売をしている。
かつてその団体が集会を開いたとき、伊藤氏の自宅である中野区のマンションの集会所が使用され、そこに行ったことがある。ずいぶんと立派で高額なところだ。彼が持っていた車の鍵はBMWだったはずだ。なるほど大手のテレビや雑誌で活躍する人らしい。
これだから、石原・猪瀬の都政で停滞した公営住宅建設を復活させるという、社民・共産が支持する候補の政策には無関心でいられるだろう。そして、とにかく脱原発というハイソでカッコイイ発想に惹かれるのだろう。彼はツイートした。都知事選で脱原発候補一本化し、右傾化を阻止すべきなのに、実現しないのは社民党および共産党の責任である、と。
さて、ほんとうにそういえるだろうか。最初、社民党の党首は野党統一候補が望ましいと言っていた。そして市民団体などが、話題になっている脱原発で一致する候補に一本化できないかと各候補に問いかけた。
しかし、政策の大きな違いから無理だということで、宇都宮と細川の両方から断られた。このため、社民党は政策で賛同できる宇都宮支持を決めたとのことだ。このことは、近所の知り合いの社民党議員に確認しても、そのとおりだという説明だった。
つまり伊藤氏は、その提案を受けた候補者たち皆が断った事実を無視しているのだ。意見は色々あっていいが、少なくとも「ジャーナリスト」を名乗っている人が、事実を無視したうえで名指し非難してはいけない。これでは為にする批判でしかない。
また、社民党と共産党としては、貧乏人や障害者を切捨てる政策を掲げた人に、脱原発だけで野合はできないと判断したのだ。
ところが、右傾化を憂いて見せたり原発を批判して見せたりしながら、右派マスコミの最たるフジテレビや週刊文春から仕事をもらい高級マンションに住み高級外車に乗る伊藤氏とって、それは非難の対象なのである。
そもそも、どうして伊藤氏個人の考えに、社民党でも共産党でもその他の政党でも、合わせなければならないのか。それぞれの考え方で方針を決定して活動しているのである。それなのに、自分の願望を叶える責任が他所様の政党にあると勝手に思い込むような発想をしているのだから、思い上りも甚だしい。
このような思い上りが、マスコミで知られている有名人たちに多く見受けられる。そして今回の都知事選挙に見事な反映をしているのである。
だから伊藤隼也だけの問題ではないのだが、しかし、やはり昔だけでなく今も彼は駄目だったな、という認識を深めたのだった。
by ruhiginoue
| 2014-01-31 19:30
| 社会