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by ruhiginoue

松田聖子と中森明菜の歌で、嗚呼80年代は良かったなぁ

 すっかり衰退して久しいNHK紅白歌合戦は、なんとか持たせようとしてあの手この手だったが、今回はオオトリが松田聖子で特別ゲストに中森明菜ということらしい。

 衰退しているのは番組だけでなく日本そのものだが、それで松田聖子と中森明菜の歌で「嗚呼80年代は良かったなぁ」と、しみじみ思うしかないということだろう。

 ただ、中森明菜は、松田聖子とは違い、歌手としてやっていた事は、その前の山口百恵が活躍した70年代への懐古だった。80年代に成立した消費社会の象徴は松田聖子だった。
 そして、時のスターではなく、時代を体現したスターとして社会学的にも論じられてきたのは美空ひばりと松田聖子だけであった。
 
 ところで、松田聖子は中森明菜を忌避していると、よく言われる。逆に中森明菜は松田聖子への崇拝の念が強いというのに。この松田聖子の態度は手塚治虫と似ている。
 
 80年に松田聖子が登場したことで、翌81年に日本中の芸能プロが「可愛い女の子はいないか」「歌の上手い女の子はいないか」と言い出し、そのためさらに翌年にはかつてない大量の女性アイドル歌手がデビューした。これが「華の82年組」である。

 そして「82年組」の頂点に立ったのが中森明菜であり、彼女からすると松田聖子は憧れであり目標だが、松田聖子からすると中森明菜は自分に追いつき追い越そうとする忌むべき存在であった。
  
 だから82年組といわれるアイドル歌手の女の子たちにとっての松田聖子は、トキワ荘の漫画家たちにとっての手塚治虫のようなものである。「最も尊敬する人は手塚治虫先生」とか「手塚治虫先生に憧れて漫画家になった」と言いながら後輩たちがヒット作を発表することに対して手塚治虫が神経質になっていた話はよく語られる。水木しげるが手塚治虫を念頭にして書いた短編「一番病」だ。常に一番でなければと気にする病気だが、それを当人は楽しんでいるということだ。

 これと同様なのが松田聖子だが、ただ、80年代というと世界的には、芸能だとマイケルジャクソンとかマドンナとかシルベスタースタローンなど、政治的にはレーガン大統領にサッチャー首相に鄧小平にゴルバチョフ大統領にミッテラン大統領、と分野毎になるが、日本では全ての分野を合わせて最も存在感があったのは松田聖子だった、ということになるのではないだろうか。

 それで、失われた時代を安倍総理では「とりもどす」ことはできないので、せめて思い出に浸ろうとNHKが拝み倒して松田聖子に登場してもらい、ついでに中森明菜も、ということだろう。
 
 だからヒット曲など無用である。ノスタルジーなのだから。ヒットしたというなら神田沙也加のほうがアニメでよほど大ヒットしている。見事に世代交代していて、自分の娘なら本望だろう。

 
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Commented by 次郎くん at 2014-12-29 14:13 x
本当に80年代は「良い時代」でした。特に、日本校内での筆頭存在であるひばりさんも聖子ちゃんも欧米豪への進出は失敗しましたが、中国と東南アジアの現地の「アジアは一つ運動」をしている皆様方がご贔屓になさって下さいましたお蔭で、かつて華夷秩序のもとのあった国々では国民的ヒットを飛ばし日本のサブカルチャー運動の魁となった存在でもありました。これに比較すると沙也加さんの売れ行きは日本国内ではやや受けでしかないですが、21世紀初頭から現在に至るまで映画女優として欧米でも賞をとって高評価された存在ですから「逆境に強い国際実力派」としてもっと高評価されても良いのではないでしょうか。
Commented by 次郎くん at 2014-12-29 16:22 x
次郎としては、沙也加さんのファンでも何でもありません。ファンにならない理由は1980年代後半から当時の太田竜さんのファンであったからです。1991年くらいからトンデモ本の作者となった時に「心」が離れました。もちろん現在も太田龍さんに関しては批判的でありますし「あの人も宮内庁に無意識の舗装作業員として利用されている存在であり、田布施体制がジョジョ第三部の主人公側・太田龍さんはその引き立て役をさせられている自覚のない人」あつかいです。それでも男女の間の異性愛の性欲を減退させる手口を暴露したことだけは、功績として否定できない一部の側面があります。
Commented by 次郎くん at 2014-12-29 18:41 x
主宰者様へ、B層すらしないつまらないミスをして申し訳ありませんでした。沙也加さんの知名度が日本国内と華夷秩序諸国では、ひばりさん・聖子ちゃん・明菜クンに比較した場合に低いのは、勝新太郎風に語れば「JASRACのせいだ~」です。特に1980年代はサブカル系列の歌は、国内の有名どころの観光地はもちろんのこと、海水浴場やスキー場や公民館や役場、近所にある盆踊り大会に使用される公園や花火大会の会場で、普通にそこにあってただで聞けるのが当たり前の空気的存在として流れまくっていたのでした。もちろん華夷秩序諸国にも「日本式微笑み外交の朝貢品」として聴くだけならばただ同然の輸出政策時代のほうが、現在よりも親日派の比率が高かった気が致します。
Commented by ruhiginoue at 2014-12-30 20:20
どうも80年代よかったという人が多いですね。そんなに良かったと思わないんだけど。
Commented by 次郎くん at 2015-01-01 09:53 x
主宰者様、新年早々ですが、恐れ入りましてございます。日本人の場合も思い出補正でございましょう。セブンイレブンや他のコンビニも24時間営業になったとか、通俗音楽の一部の分野は日本では日本版のCDもレコードも入手できなくて仕方なくFEN各送信所から放出される中波放送をラジカセに録音して米語に詳しい人々と交流を深めるしか楽しむ方法しかないというお金に関係なき平等主義が実現されていたとか、毛沢東時代や金日成時代や朴正熙時代を懐かしむ東亜人と、日本人の構造は同じではないでしょうか。生活必需品や福祉問題でも、1980年代は情報強者無党派層にとっては打撃が少なかったです。以前の1966年くらいと1972年と1974年に値上げラッシュが続いてましたので健忘症の日本人にとっては1980年代は良く思い込める時代です。あと1960年代~1970年代にかけての人気サブカルキャラ絶版商品も安価に入手できた時代でもありましたことも美化に拍車をかけております。
Commented by ruhiginoue at 2015-01-01 13:26
早々にどうもです。

さて、60年代と70年代に未解決だったことを、80年代は強引に忘れたふりをしていただけではないかと、思っています。
その象徴が「サプライサイドエコノミクス」を基幹とした「レーガノミクス」でした。
これを真似して失敗したから日本を取り戻すことができず、思い出すだけになって、80年代の人気者を紅白に引っ張り出すのが精一杯だったのでしょう。
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by ruhiginoue | 2014-12-29 09:22 | 芸能 | Comments(6)