『戦場ジャーナリスト』なんて曾野綾子と同じ
2015年 02月 23日
大手マスコミ記者は、いつも「報道の自由」と言いながら記者クラブで垂れ流しばかりであるのと同じことで、大手マスコミから元大手までも含むフリーランスの「戦場ジャーナリスト」たちは、「我々のパスポートを取り上げるなー、我々が国民の知る権利をまもってやっているんだぞー」と言いながら、その「報道」とは「NATO軍記者クラブ」でもあるのかよ、と言いたくなるものばかり。
そう言えば、医療過誤を自分の売名に利用して医療被害者と医療従事者の両方から嫌われている「自称医療ジャーナリスト」の伊藤隼也だって、B級グラビアアイドルやAV女優の写真集を撮っていたカメラマンだったけれど、「フォトジャーナリスト」としてチェチェン紛争などを命がけで取材をしてきたことがあると自画自賛していた。こういう実態があるから、「戦場ジャーナリスト」が本物かどうか信用できないのだ。
そもそも、金と暇があれば、誰でも現場には行ける。また、その金がどこから出るかによって、見に行くものと行かないもの、見るものと見ないもの、などが決まってしまう、という問題もある。だから行ったこと自体ではなく、そこでどんな取材をしてどんな結論なのか、が重要だ。行って来たはずなのに変だと批判されたことに対し、行って来たという反論は成り立たない。
これについて、わかりやすい例がある。
八六年のことだが、古森義久という右曲がりすぎて毎日新聞から産経新聞に転職した記者が、曽野綾子に怒り右翼月刊誌『正論』で批判していた。
曽野は古森に、自分の言ったことへ否定的な解釈をされたら「国語力を疑う」と書いた手紙を送りつけたそうだ。そういう不愉快を古森は紹介しながら、現地へ行ったことがあってもわからないことはあるし、その逆もあると指摘した。
そして古森は、自分はソ連に行ったことが無いけれど、他に判断する材料があるから、それに基づいて書くことができるし、実際に書いたこともあると述べていた。
こんなことを古森が曽野に言ったのには、ちゃんとわけがある。
曾野は物見遊山のように外国旅行へ行くのが好きで、その話をよくしているのだが、そのさい、自分は行ったからわかるんだ、という物言いをするからだ。
それにしてはわかっていないという批判を、他のことでも曽野はよく受ける。
例えば、曾野綾子が難民キャンプに行ったときの話を週刊誌に書いたら、同様に行っていたアグネス=チャンから批判された。曽野綾子は難民たちの態度が悪いと言うけれど、そんな感じを受けなかったとアグネス=チャンは言う。そして、難民を乞食として見下すようにしたから反感を持たれたのではないか、と。
これは現場で直接見たのではないし、その場に居合わせたとしても主観的な解釈しかできないので、確実なことを言うのは元々不可能だが、ただ、曾野綾子は自分を特権階級とか上流階級とでも思っているようにして庶民を見下すことを書き、そのさい「乞食」とか「妾」などの表現を好んで使用するから、アグネス=チャンの指摘は正しい可能性がある。
また、曾野綾子が産経新聞に書いて国際的な問題になった、外国から労働者を受入れて人種別に住み分けるべきというコラムの件。
人種隔離政策の肯定であると南アフリカ共和国などから産経新聞に抗議があった他、海外の有力メディアからも批判的に取り上げられた。
これについても、南アフリカ共和国に何度も行っているからわかるというのが曾野綾子の言い分だった。
先の古森義久という記者は、最初の頃は話題になる記事を発表していたが、次第にその見識を疑われることが増えて来た人ではある。しかし、曾野綾子を批判したさいに説いた物の見方については、もっともだろう。そして、これは「戦場ジャーナリスト」たちにもあてはまる。
この人たちの「悪しき現場主義」は。要するに曾野綾子がよく批判されていることと同じなのだ。
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そう言えば、医療過誤を自分の売名に利用して医療被害者と医療従事者の両方から嫌われている「自称医療ジャーナリスト」の伊藤隼也だって、B級グラビアアイドルやAV女優の写真集を撮っていたカメラマンだったけれど、「フォトジャーナリスト」としてチェチェン紛争などを命がけで取材をしてきたことがあると自画自賛していた。こういう実態があるから、「戦場ジャーナリスト」が本物かどうか信用できないのだ。
そもそも、金と暇があれば、誰でも現場には行ける。また、その金がどこから出るかによって、見に行くものと行かないもの、見るものと見ないもの、などが決まってしまう、という問題もある。だから行ったこと自体ではなく、そこでどんな取材をしてどんな結論なのか、が重要だ。行って来たはずなのに変だと批判されたことに対し、行って来たという反論は成り立たない。
これについて、わかりやすい例がある。
八六年のことだが、古森義久という右曲がりすぎて毎日新聞から産経新聞に転職した記者が、曽野綾子に怒り右翼月刊誌『正論』で批判していた。
曽野は古森に、自分の言ったことへ否定的な解釈をされたら「国語力を疑う」と書いた手紙を送りつけたそうだ。そういう不愉快を古森は紹介しながら、現地へ行ったことがあってもわからないことはあるし、その逆もあると指摘した。
そして古森は、自分はソ連に行ったことが無いけれど、他に判断する材料があるから、それに基づいて書くことができるし、実際に書いたこともあると述べていた。
こんなことを古森が曽野に言ったのには、ちゃんとわけがある。
曾野は物見遊山のように外国旅行へ行くのが好きで、その話をよくしているのだが、そのさい、自分は行ったからわかるんだ、という物言いをするからだ。
それにしてはわかっていないという批判を、他のことでも曽野はよく受ける。
例えば、曾野綾子が難民キャンプに行ったときの話を週刊誌に書いたら、同様に行っていたアグネス=チャンから批判された。曽野綾子は難民たちの態度が悪いと言うけれど、そんな感じを受けなかったとアグネス=チャンは言う。そして、難民を乞食として見下すようにしたから反感を持たれたのではないか、と。
これは現場で直接見たのではないし、その場に居合わせたとしても主観的な解釈しかできないので、確実なことを言うのは元々不可能だが、ただ、曾野綾子は自分を特権階級とか上流階級とでも思っているようにして庶民を見下すことを書き、そのさい「乞食」とか「妾」などの表現を好んで使用するから、アグネス=チャンの指摘は正しい可能性がある。
また、曾野綾子が産経新聞に書いて国際的な問題になった、外国から労働者を受入れて人種別に住み分けるべきというコラムの件。
人種隔離政策の肯定であると南アフリカ共和国などから産経新聞に抗議があった他、海外の有力メディアからも批判的に取り上げられた。
これについても、南アフリカ共和国に何度も行っているからわかるというのが曾野綾子の言い分だった。
先の古森義久という記者は、最初の頃は話題になる記事を発表していたが、次第にその見識を疑われることが増えて来た人ではある。しかし、曾野綾子を批判したさいに説いた物の見方については、もっともだろう。そして、これは「戦場ジャーナリスト」たちにもあてはまる。
この人たちの「悪しき現場主義」は。要するに曾野綾子がよく批判されていることと同じなのだ。
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by ruhiginoue
| 2015-02-23 06:11
| 国際