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by ruhiginoue

子供ではなく学校の責任ではないかと言われるが・・・

 校庭から飛び出したサッカーボールのためバイクが転倒し、乗っていた人が死ぬ事故があった。遺族は、ボールを蹴った少年の親に責任があると裁判に訴え、それが認められたが、最高裁は親の責任は無制限ではないという判断によって否定した。
 
 これについて、故意にぶつけようとしたならともかく、ただ校庭でサッカーをしていた少年が悪いとは言えないから、したがってその親が責任を負う必要はないだろし、責任は、道路にボールが飛び出す事を予測できる場所にゴール・ポストを設置したうえ、その後も移設するなりネットを張るなどの措置を講じなかった学校にあるはずだ、という指摘も出ている。
 
 なのに、どうして少年の親が訴えられ、十年も裁判をしなければならなかったのか。事故の被害者の遺族は、弁護士に相談たうえで、学校の責任を追及しても裁判で認められにくいという判断だったようだ。
 これは、過去の裁判からすると、そう考える人もいるだろうと思われる。

 これで思い出すのは、「隣人訴訟」(1977年~1983年)事件である。三重県鈴鹿市で、会社員方で預かっていた近所の人の子供が溜め池に落ちて水死するという事故が発生した。 亡くなった子供の両親はこの会社員、国、県、市などを相手取って損害賠償請求をおこす。
 この訴訟の判決は、柵も作らず危険を放置した役所の責任を認めず、子供から目を離した隣人の責任だけ認めて賠償命令というものだった。
 そして、これがマスコミで騒がれ、世間は、行政に甘く一般人に厳しい判決という結果を問題にするのではなく、まず訴えた親を、近所の人を責めて裁判にするとはケシカランと非難、のちに近所の人を、他人の子供を死なせておいて責任をとらず裁判で言い訳とはケシカランと非難、嫌がらせが相次ぎ、控訴されていた段階だったが、双方から取り下げてしまった。
 これに法務省は、不特定多数の他人が干渉するのは裁判を受ける権利の観点から由々しきことだという異例の声明を発し、社会学的見地からは、日本人の法的意識の低さを指摘された。

 ところが、司法は相変わらず行政に甘く、学校の設備の問題から事故があったりイジメで自殺があったりしても、予見できなかったなどとして責任を認めない。
 こういうことばかりなので、学校を訴えてもダメだから、子供の親を訴えよう、という発想も、自然に出てくるのではないか。つまり原因を作ったのは司法ではないか。

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Commented by L at 2015-04-14 22:45 x
 こんばんは。
 昔、小沢が”グランドキャニオンには柵がない。自己責任の自由の国だから。日本ではどこでも柵があり、事故があれば管理責任が追求される。これでは独創性が生まれない”位のことをほざいていました。
 当時、「ホントかよ?」と思っていましたが、昔からちっともそうじゃないですね。
 まあ、さらに前なら「ケガと弁当は自分持ち」でしたし、気楽に子供を預かったり、山とか連れて行ったのでしょうが。(これも本多勝一さんが指摘したような余りにも無責任な人が目立って廃れていくわけですが)
 
Commented by ruhiginoue at 2015-04-15 15:09
登山で、「急に天候が変わり、予想できない事態だった」という弁解をする引率者がいて、山は天候が急変するもの。そんな常識を知らないでは済まされない、というように、責任にはそれぞれ水準があるわけです。
「お上」は責任が大きいはずなのに、司法は甘すぎで、弁護士の不祥事にも、です。
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by ruhiginoue | 2015-04-13 13:51 | 司法 | Comments(2)