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by ruhiginoue

愛川欽也の戦争体験は学童疎開

 俳優で声優で司会者の愛川欽也は、病気療養中だったが、先日80歳で亡くなったと公表された。

 愛川欽也は小さい頃に親とともに東京から埼玉に転居し、埼玉県立浦和高校に入学する。ここは受験校としてたいへん有名で、毎年のように卒業生を東大などへ送り込んでいる。
 愛川欽也も、入学した当初は進学希望で、東京大学法学部に進んで将来は弁護士になるつもりだったが、演劇に夢中になって俳優志望と変わり、高校をやめて俳優座に入ったと言っていた。

 愛川欽也は、これを靖国神社に送っていた。
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 愛川欽也は、野坂昭如が「戦後闇市派」と自称していることについて、自分の場合は「学童疎開派」だと言っていた。
 だから愛川欽也は、学童疎開の体験を通じて戦争と平和を語っていた。

 彼が学童疎開した時に、彼の母親がお菓子を作って送ってくれた。原料の砂糖は、戦時中の物資統制で配給は無かったのだが、一部の特権的な人には入手可能であった。その人から、彼の母親は着物と引き換えで手に入れた。
 つまり、非常時で日本国民が一丸となり我慢して戦ってる、と言うのは嘘だったと、この時に判ったと言っていた。

 また、愛川欽也は学童疎開体験を『徹子の部屋』で話したこともあった。
 親は疎開している子供に差し入れを送るさい、没収されないように他のものに混ぜて偽装して送った。だから、みつからないよう寝る前に布団をかぶって食べたと言っていた。

 この時、黒柳徹子は自分の体験を話した。親の仕送りを没収するのは、子供たちで不平等になってはいけない、ということだった。それなら、物を公平に子供たちに配分するべきだ。ところが、そうではなく、教師が食べてしまった。親が子供のために、物資が不足している中で苦労して手に入れて送ったものなのに。
 戦争中で教師もひもじく、こっそり食べてしまったというのでも褒められたものじゃないけれど、それどころか堂々と自分たちの特権だと悦に入りながら人の見てる前で食べた。こういうことが疎開先の各地で目撃され、そこから教師の威信が失墜した、と黒柳徹子は愛川欽也に話していた。

 この時、愛川欽也が話した事は、後に彼が本にも書いていた。戦争について政治学や歴史学など色々なことを言う人がいるけれど、その遂行のために子供をこんな辛いめに遭わせるのが戦争なんだから、どんなに立派な大義名分も全部虚しいでしょう、と。10代の頃に読んだけど、まさに「なるほど」だった。

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by ruhiginoue | 2015-04-21 19:35 | 芸能 | Comments(0)