夜学を出た担任教師に小中連続で酷い目に遭わされた
2015年 10月 29日
先日死去した金八先生のモデル三上満さんは東京大学卒だった。ドラマでは、金八先生を演じる武田鉄矢が中退した大学を卒業した設定にしていたが。満を「みつる」ではなく「まん」と読んで「みかまんさん」と呼ばれていたそうで、これがドラマでは「きんぱっつぁん」ということになったらしい。
このように、生徒から親しまれている下町の名物教師が東大出である現実は何も不思議ではないが、ドラマとなると不似合な印象となるのだろう。ドラマだと、東大出はガリ勉とかエリート臭いとかのステロタイプとして描かれることが多いから。
この一方で、働きながら夜学を出たとか昔は不良だったのが立ち直ったとか、苦労人をステロタイプとしてドラマは描きがちだ。「桜中学B組シリーズ」で川谷拓三が演じる貫八先生や、西田敏行主演の映画『学校』などがある。
これも現実から乖離していることは、「ヤンキー先公」がとんだ食わせもんで「夜回り先生」に批判されていることなどからはっきりしている。
また自分の体験でも、小学校と中学校と連続して担任教師は夜学を出た人だったが、ほんとうにひどい目に遭わされた。女性と男性、文系と理系、という違いはあるが他は同じだった。これについて同級生も指摘していた。苦労知らずで思いやりに欠ける人がいるけれど、苦労しているから思いやりがある人とは限らない。気持ちに余裕がなかったり、ひねくれたりひがんだりしている人は、むしろ苦労知らずよりタチが悪い。
そういう根性の問題もあるだろう。あと、田舎から出てきて働きながら夜学を出たという教師は、そうまでするほど学問に関心が強いというのではなく、そうやって教職というエライ立場に就けたといい気になっていたものだ。
だから、子供がただ学校の勉強をするだけならよいが、学問的関心や知的好奇心というものを持つと憎悪の対象となり、何かと迫害するし、そこで過去の鬱憤を晴らそうと子供を虐めて悦に入る。悪いことをしていないのに生意気だと難癖をつけて執拗に殴り、最初は興奮して憎悪に目を濡らしてしていたけれど、子供が顔を晴らしたり鼻血を出したり、生徒によってはニキビがつぶれて中身が流れ出たりすると、それを見て薄ら笑いを浮かべ、さらに痛さや口惜しさで涙を流したりという状態になると、もう恍惚とした様子だった。
これらの教師たちは、共通して、しばらくしたら退職している。学校を去っただけでなく、教職を辞めてしまった。そのうち思い通りにならなくなってしまったら、悩んで、どうしようかと考え努力や工夫をするのではなく、行き詰まったのであっさりやめてしまった。もともと安易に職業を選んでいたということだろう。
こういう現実があるのだから、ドラマみたいなステロタイプは否定しておかないと見誤って大変なことになる。
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このように、生徒から親しまれている下町の名物教師が東大出である現実は何も不思議ではないが、ドラマとなると不似合な印象となるのだろう。ドラマだと、東大出はガリ勉とかエリート臭いとかのステロタイプとして描かれることが多いから。
この一方で、働きながら夜学を出たとか昔は不良だったのが立ち直ったとか、苦労人をステロタイプとしてドラマは描きがちだ。「桜中学B組シリーズ」で川谷拓三が演じる貫八先生や、西田敏行主演の映画『学校』などがある。
これも現実から乖離していることは、「ヤンキー先公」がとんだ食わせもんで「夜回り先生」に批判されていることなどからはっきりしている。
また自分の体験でも、小学校と中学校と連続して担任教師は夜学を出た人だったが、ほんとうにひどい目に遭わされた。女性と男性、文系と理系、という違いはあるが他は同じだった。これについて同級生も指摘していた。苦労知らずで思いやりに欠ける人がいるけれど、苦労しているから思いやりがある人とは限らない。気持ちに余裕がなかったり、ひねくれたりひがんだりしている人は、むしろ苦労知らずよりタチが悪い。
そういう根性の問題もあるだろう。あと、田舎から出てきて働きながら夜学を出たという教師は、そうまでするほど学問に関心が強いというのではなく、そうやって教職というエライ立場に就けたといい気になっていたものだ。
だから、子供がただ学校の勉強をするだけならよいが、学問的関心や知的好奇心というものを持つと憎悪の対象となり、何かと迫害するし、そこで過去の鬱憤を晴らそうと子供を虐めて悦に入る。悪いことをしていないのに生意気だと難癖をつけて執拗に殴り、最初は興奮して憎悪に目を濡らしてしていたけれど、子供が顔を晴らしたり鼻血を出したり、生徒によってはニキビがつぶれて中身が流れ出たりすると、それを見て薄ら笑いを浮かべ、さらに痛さや口惜しさで涙を流したりという状態になると、もう恍惚とした様子だった。
これらの教師たちは、共通して、しばらくしたら退職している。学校を去っただけでなく、教職を辞めてしまった。そのうち思い通りにならなくなってしまったら、悩んで、どうしようかと考え努力や工夫をするのではなく、行き詰まったのであっさりやめてしまった。もともと安易に職業を選んでいたということだろう。
こういう現実があるのだから、ドラマみたいなステロタイプは否定しておかないと見誤って大変なことになる。
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by ruhiginoue
| 2015-10-29 00:09
| 社会