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by ruhiginoue

人遠き慮りなければ必ず近き憂ひあり

 「ものごとを損得で考えてはいけない」と、得意になって説く人がいるものだ。そういう人は、だいたい薄っぺらい。本当に大切なことこそ軽々しく言うものではないのに、それを解っていないからだ。
それに、そう言う自分はどうなのか。そもそも、一切の損得勘定をしないで社会生活を営むことは、ほとんど不可能だろう。それがまた軽々しさと薄っぺらさを感じさせる。

 ただ、幸いというべきか、そういう人には社会で一人しか出くわさなかった。インチキな商品を売りつけるセールスレディで、新人の二十二歳というから大学新卒かと思ったら高卒で、四年の紆余曲折があって変な所に就職してしまったらしい。
 で、よく、投資話だと「確実に儲かります」とか、「お得です」「損はさせません」などと言って問題になるが、そうならないように、「ものごとは損得ではない」と言うのだ。それが変だと気付いていないから「痛い」人だった。「商品」は丁重にお断りしたが、そう穏やかに言うのに忍耐が要った。それくらい不愉快だった。

 それより前に、高校の担任の教師が同じことを何度も言う人だったので、これを思い出してしまったことが、不愉快の原因だったかもしれない。そうでなければ、ただの駄目営業でしかなかったのだから。
 もちろん、学校と社会生活とでは異なる。そこで教師が説くことは、世俗の現実ではなく徳育に限っての空々しいものだったということで、事情が違う。それでも、担任教師の説くことは、薄っぺらだった。もともと、実質の伴わない言葉だけが虚しく踊っているような人だったと、同級生が指摘していたし、ほかの同級生の評価だと、人はいいけど頭がよくないということで、それは責められないためかえって被害が大きいから困るということだった。

 実際いろいろと困る先生だった。担任というだけでなく、担当の教科が古典だからだ。「ものごとは損得ではない」というのも色々あって、お金などわかりやすい損得とは違うものがむしろほんとうに大切なのだという意味にも解釈できるし、目先の損得だけで判断すると将来の結果は逆になるということも言える。「人無遠慮必有近憂」ということでもあろう。こういう方向に発展していく前提を欠いているから、古文と漢文の授業の内容に深みがない。
 それで、この担任の先生との会話は、せいぜい、遅刻しそうになり教室に駆け込んで照れ隠しに「春眠暁を覚えず、というやつでして」「一瞬の光陰軽んずべからず、だぞ」という他愛のない会話くらいだった。

 こういう話をして、自分の行った高校が駄目だったと言ったら、近所の同級生で他の高校に行った人が「うちの高校もそうだったよ。どこもそうじゃないの、教師なんて」だった。



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by ruhiginoue | 2015-11-03 00:24 | 雑感 | Comments(0)