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by ruhiginoue

死後の世界と風習とオカマ仕草

 このあいだ、仕事がらみの人の葬式があった。葬式などで死者に手向けるものを扱うさいは仕草を反対にする風習がある。これは北海道アイヌにもあって、死後の世界では昼夜などすべてがあの世とこの世とで反対になっているから、ということだ。

 そのため、例えばヤカンは注ぎ口から水を入れる。このため中身が沸騰していて蓋を取ると火傷の恐れがある場合は注ぎ口から水をつぎ足すということに対して、風習から忌む人がいる一方でそれは不合理であると否定する人がいる。

 この風習は、ヤカンに関しては、いわゆる笛吹ケトルといわれるヤカンの普及により、広い注ぎ口から注水することが当たり前になったこともあり、火傷や落として熱湯が飛散する事故を防止するほうが優先ということになって久しい。
 それでも最初は、笛吹ケトルがテレビで宣伝されると、注ぎ口から反対に注水する場面に、とんでもないことだという年配者からの猛反発があって、八十年代の前半に新聞の投書欄をにぎわせたこともある。

 そうして風習がとうに廃れたあと、まだこだわる人もいて、例えばヤーサンは修羅場を生きているという意識からシキタリにはうるさい。
 それで、前に話題にとりあげたことがあるオカマ系の知人が、バイト先で大変なことになってしまった。彼は、お冷を注ぐさい並べたタンブラーに端から注いでいたけれど、反対側の端に手を移動させず逆手にして注いだ。他意はなく、ただ彼のオカマ仕草だったが、これを見ていた客のヤーサンは、そうして注いだお冷を出されたので激怒したのだった。死ねという皮肉の意味になるということだからだ。

 この話をのちに共通の知人に聞いたときは笑いそうになったけど、巻き込まれた同僚は、謝ってもらうために上役を呼びに行く羽目になるなど大迷惑だったと怒っていたので、笑うわけにはいかなかった。
 それにしても、そうした風習が合理化で廃れる一方まだ生きている社会があるということに、色々と考えさせられた話であった。


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by ruhiginoue | 2016-04-09 17:27 | 雑感