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by ruhiginoue

客観報道の嘘と表現の問題

 例えばミャンマーの件。
 駐在していた日本の大使が、アウンサンスーチー女史はアメリカの傀儡に過ぎずオルブライト長官の指示をいちいち受けていて、会ったら人柄も最悪で、持ち上げてしまうことは誤りだと述べたところ、軍事政権寄りだと朝日新聞に非難されてしまったと発言していた。

 そして朝日新聞も含めて大手メディアは、スーチー女史を「ミャンマーの民主化運動の指導者」と呼んでいるが、これは肩入れした評価的な表現である。客観的で正確な表現をすれば、スーチー女史は「ミャンマーの反体制活動家」のちに「野党の代表者」となるはずだ。

 これを朝日新聞の記事や記者のツイッターアカウントで指摘しても無視である。NHKも同様であった。この点も拙書『朝日新聞の逆襲』で詳述したとおり。 

 まったく客観的な報道は不可能であり、なんらかの主張があって当然であるが、そのことと、適切な言葉の表現を用いなければならないこととは、別問題である。
 スーチー女史を評価しているということで、自分の言葉として言うなら構わない。ベトナム戦争について、「アメリカの傀儡政権」と言っても「共産ゲリラ(べトコン)」と言っても、そう主張して言う分にはいいが、中立を装って報道する中では「南ベトナム政府」「解放民族戦線」と言わなければならない。

 つまり、事実を述べている中に評価的な表現を混ぜ込むことは不適切であるのだが、こういうことは昔まさにベトナム戦争の報道でマスコミが反省していたことのはずなのに、そういうことも知らない人が、今の朝日新聞でもNHKでもその他でも、幅をきかせているのだろう。


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Commented by keitan020211 at 2016-05-09 18:16
報道には客観と中立だけではなく、当事者の意向や主張を曲げずに伝えることも重要です。
 当人が言ってはいないことを勝手に翻訳してはいけません。
 それをどう思うかや受け止めるかは受け手の任意です。

 それに即して考えると、スー・チー氏を民主化運動の指導者と伝えることは当事者である当人の意向に即するので不適切とはいえません。
 違うと思うならば別の所で批判をするなり他の呼び方を用いればよいことです。
 また、評価を保留して当事者の主張に当面は任せるということも場合によっては考えられます。

 「適切な言葉」を求めることが「適切な見方」を圧しつけることにつながることもあります。
 即ち、形から縛ってゆくことです。それを存分に活用していたのがナチスです。

 よってその批判に賛同することはできません。
Commented by ruhiginoue at 2016-05-09 21:04
あくまで当人の意思や願望であることなら、そう明示して言うべきで、客観的に伝えるなかで言うものではありません。
また、それなら全てに対して言うべきで、例えば「朝鮮民主主義人民共和国の偉大なる将軍様」とも言うべきなのに、マスコミはそうしません。
これもベトナム戦争の当時指摘されました。両方とも「米傀儡政府軍」「ベトコン」と呼称するならともかく、「ベトコン」だけだからアメリカ贔屓になり、そう主張するなら自由だけど客観的とか不偏不党とか中立と言いながらやるから、とくにNHKがそうだったから、批判されたのです。
また、ナチスのしたことは、強者が弱者を抑圧するのを正当化するための意味づけだったから、それに対する批判は、むしろ今ここでした批判と同趣旨です。
Commented by keitan020211 at 2016-05-11 12:02
解説付で示すことは一つの方法ですが、
日本の報道等がバーニー・サンダース氏を「自称民主社会主義者」と呼んでいるのは
本当に自称に過ぎないと思料されるけれども、言葉の体裁として、礼儀として、感じの悪い報じ方であると思いませんか?
 多分井上さんも大体こんな感じを想い浮かべているかと思いますが、「アメリカ大統領予備選挙の民主党の指名候補 バーニー・サンダース氏は…」……「サンダース候補はアメリカにおいては馴染みの薄い、民主社会主義を標榜して主に若者の支持を広く集めています。」が妥当でしょう。何なら、「主に若者の」の処に「若者の人気に過ぎない」という含みを込めることもできるのです。「アメリカにおいては馴染みの薄い」でも「じゃあ駄目でしょう。」という印象を出すことができます。

 スー・チー氏に関しても、肩書を初めから付けて言わずにただ、「ミャンマーのアウン・サン・スー・チー氏は…」と云って報ずればよいかと思います、もう肩書の付く地位になるらしいですが。或いは「市民運動家」ですか。
Commented by ruhiginoue at 2016-05-11 23:55
事実を伝える部分と、論評や解説は分離しなければいけません。
新聞でも、記事とは分けて「解説」と表記しています。
一般的に固定した評価であっても、あくまで評価として表現しなければいけません。
例えばヒットラーが「独裁者」なのは固定しているけどあくまで評価であり、肩書はあくまで「ドイツの政治家」「ナチス党政権の初代総統」です。
この点では報道だけでなく「広辞苑」も、報道どころか辞書なのに、しばしば不適切な記述をしています。しかも「岩波茂雄」について事実だけでなく賛辞まで書いています。だから私は広辞苑はダメ辞書と評価しています。
まして、現在進行形の対立がある場合、片方の側だけ評価的表現をすることにはより不適切です。
それを記事の文中で評価的な表現をすることは、どちら記事の信用性を損ない、それに気づかない人に対する印象操作となります。
by ruhiginoue | 2016-05-09 17:31 | 国際 | Comments(4)