客観報道の嘘と表現の問題
2016年 05月 09日
例えばミャンマーの件。
駐在していた日本の大使が、アウンサンスーチー女史はアメリカの傀儡に過ぎずオルブライト長官の指示をいちいち受けていて、会ったら人柄も最悪で、持ち上げてしまうことは誤りだと述べたところ、軍事政権寄りだと朝日新聞に非難されてしまったと発言していた。
そして朝日新聞も含めて大手メディアは、スーチー女史を「ミャンマーの民主化運動の指導者」と呼んでいるが、これは肩入れした評価的な表現である。客観的で正確な表現をすれば、スーチー女史は「ミャンマーの反体制活動家」のちに「野党の代表者」となるはずだ。
これを朝日新聞の記事や記者のツイッターアカウントで指摘しても無視である。NHKも同様であった。この点も拙書『朝日新聞の逆襲』で詳述したとおり。
まったく客観的な報道は不可能であり、なんらかの主張があって当然であるが、そのことと、適切な言葉の表現を用いなければならないこととは、別問題である。
スーチー女史を評価しているということで、自分の言葉として言うなら構わない。ベトナム戦争について、「アメリカの傀儡政権」と言っても「共産ゲリラ(べトコン)」と言っても、そう主張して言う分にはいいが、中立を装って報道する中では「南ベトナム政府」「解放民族戦線」と言わなければならない。
つまり、事実を述べている中に評価的な表現を混ぜ込むことは不適切であるのだが、こういうことは昔まさにベトナム戦争の報道でマスコミが反省していたことのはずなのに、そういうことも知らない人が、今の朝日新聞でもNHKでもその他でも、幅をきかせているのだろう。
1日1クリック投票をお願いします
駐在していた日本の大使が、アウンサンスーチー女史はアメリカの傀儡に過ぎずオルブライト長官の指示をいちいち受けていて、会ったら人柄も最悪で、持ち上げてしまうことは誤りだと述べたところ、軍事政権寄りだと朝日新聞に非難されてしまったと発言していた。
そして朝日新聞も含めて大手メディアは、スーチー女史を「ミャンマーの民主化運動の指導者」と呼んでいるが、これは肩入れした評価的な表現である。客観的で正確な表現をすれば、スーチー女史は「ミャンマーの反体制活動家」のちに「野党の代表者」となるはずだ。
これを朝日新聞の記事や記者のツイッターアカウントで指摘しても無視である。NHKも同様であった。この点も拙書『朝日新聞の逆襲』で詳述したとおり。
まったく客観的な報道は不可能であり、なんらかの主張があって当然であるが、そのことと、適切な言葉の表現を用いなければならないこととは、別問題である。
スーチー女史を評価しているということで、自分の言葉として言うなら構わない。ベトナム戦争について、「アメリカの傀儡政権」と言っても「共産ゲリラ(べトコン)」と言っても、そう主張して言う分にはいいが、中立を装って報道する中では「南ベトナム政府」「解放民族戦線」と言わなければならない。
つまり、事実を述べている中に評価的な表現を混ぜ込むことは不適切であるのだが、こういうことは昔まさにベトナム戦争の報道でマスコミが反省していたことのはずなのに、そういうことも知らない人が、今の朝日新聞でもNHKでもその他でも、幅をきかせているのだろう。
1日1クリック投票をお願いします
by ruhiginoue
| 2016-05-09 17:31
| 国際