コメントの他に、表示されている著書をクリックしてその感想をアマゾンのレビューに投稿してくださることも歓迎です。おたよりはこちらへruhiginoue@excite.co.jp


by ruhiginoue

戦争プロパガンダ映画『ビルマの竪琴』

 伊福部昭の存命中、世田谷区尾山台にある伊福部邸前を通りかかった。当時は自分も世田谷に住んでいた。玄関先には、駐車違反しないようという訪問者むけの注意書きがあり、庭にゴジラの人形。

 
f0133526_3592693.jpg


 そして共産党製の有事法制反対のポスターが塀に貼ってあった。おそらく目立つ場所だから頼まれたただけだろうが、反感なら断ったはず。それに戦争を知る世代で、その発言もあった。もしも緊急事態条項を主張するプロパガンダムービーだと指摘されている『シン ゴジラ』を観たら、どう思っただろうか。

 一方、反戦映画のようで実は戦争プロパガンダムービーもある。典型的なのは『ビルマの竪琴』だ。最初の映画化では伊福部昭が音楽で、『きけ わだつみのこえ』と『ゴジラ』の祈りと同じモチーフが使用されている。
 これは原作に欠陥があり、再映画化で隊長役の石坂浩二が「東南アジアでは仏教が盛んで僧侶の戒律が厳しく娯楽は一切禁止で歌うことすら不可だから楽器を持っている坊さんが居るわけがない」と指摘していた。そういう考証以前に、戦争で最前線に行ったのに合唱ばかりしている兵隊というのが非現実的で緊迫感がなく、これのどこが反戦映画かと可笑しく感じたものだ。

 記録映画『ゆきゆきて神軍』では、同じく東南アジア戦線の話だが、軍歌の練習と称して空腹なのに歌わせるのは拷問同然だという場面があり、この陰険な上官は戦後に元軍医から「あいつまだ生きていたのか。とっくに殺されていると思っていた」と言われ、それくらい恨まれていた。

 やはり東南アジア戦線の話に、大岡正昇の小説『野火』があり、『ビルマの竪琴』と同じ監督・脚本(市川崑と和田夏十の夫婦)でモノクロ映画化されていたが、これはガッカリの仕上がりで、ずっと後の世代によるカラーのリメイクのほうが良かったと言われる。

 そして『ビルマの竪琴』は同じ監督が同じ脚本を使ってセルフリメイクと言っていたけれど、実は旧作では日本軍が東南アジアの人たちから敵視されていたのに新作では友好的に改変されていた。監督は、ルビーの出てくる場面がモノクロでは色を表現できないのでカラーにしたかったと言っていたが、和田夏十の死後に再映画したら、見事に政治的な改変がされていた。

 これは製作がフジテレビなので、フジサンケイの圧力だろうと公開当時言われていたし、当時はフジサンケイがグループを挙げて応援していた中曽根総理大臣が靖国神社公式参拝を強行していたから、戦没者追悼と兵士水島を重ねる意図ではなかっかのか。
 また、そもそも原作者の竹山道夫はドイツ文学者でゲーテやニーチェの翻訳をしていたが、米軍原子力空母の日本寄港を支持するなど政治的発言をし、『ビルマの竪琴』の作者がなぜと驚いた人もいたが、逆にあんな小説を書いている人だからというべきだった。

 しかし、昔は戦争の悲劇を涙ながらに語りはしても、その原因の追及する発想が乏しく、それでただのメロドラマが反戦映画だということになっていたのだ。


人気ブログランキングへ1日1クリック投票をお願いします
[PR]
名前
URL
画像認証
削除用パスワード
by ruhiginoue | 2016-08-09 15:09 | 映画 | Comments(0)