指導的立場に嫌味や皮肉は相応しくない
2016年 10月 18日
よく言われることだが、体育会系の指導者が「やる気がない奴は帰れ」は本気ではなく、その証拠に、本当に帰ると指導者はブチきれるものだ。
いっぽう文化系などの指導者が「やる気のない人は帰ってほしい」と言うのは、まず本気であり、その証拠に「こちらも迷惑だし、そっちも無駄でしょう」という意味のことを続けて言うものだ。
ではなぜ、よく体育会系の人にみられるように、本気でないことを言う人がいるのか。これは相手から謝罪を引き出そうとしているからで、このため、しばしばそこから鬱陶しいやりとりに発展してしまう。
この典型で、そこから深刻な事態になったことが、防衛大で体育の授業中にあった。これは何年も前のことだが、報道もされたので記憶している人もいるだろう。それはプールで水泳の授業をしている時のことだった。
「やる気がないなら帰っていいぞ」と教官が言ったので、ある学生が「じゃ帰ります」と更衣室に向かった。これを教官が追いかけた。
「本当に帰るな」
「嫌み言うことないでしょう」
という喧嘩になり、感情的になった教官が学生を殴ってしまい、これにブチ切れた学生がやり返してしまった。
これで教官は顔の骨にひびが入るか陥没するかの大けがをしてしまった。屈強な防衛大の学生の力が強かったのか、打ちどころが悪かったのか、両方かもしれないが、このあと学生は自主退学したそうだ。
そして新聞の記事になり、見出しは「防衛大で教官に学生が反撃」
これは防衛大でのことだから「反撃」という見出しになったが、先生が先制攻撃してしまったし、生徒が正当防衛ということではなく過剰な報復をしてしまったのだから、どちらにとっても恥ずかしいことだ。
これについて、上意下達で服従するのが当然だという者が必ずいる。これはどこに問題があるかをわかっていないからだ。
そんなこと言うまでもなく、もともと、ある枠組みの中では指導者に従って当たり前だ。法的には「特別権力関係」というが、指導する立場の者であれば、その権限があるのだから厳しく評価したり命令したりしてもいいし、それに納得できるかどうかとは別に、まずは指導される者が甘んじなければならないものだ。
ただ、人の上に立って指導する者に嫌味や皮肉は相応しくない。軽い気持ちで使用する常套句としても、本気ではない分いやらしくなる。だから「もっと気合を入れてやれ」と言うべきところで「やる気がないなら帰ってもいい」なんて言うべきではないということだ。
これは、指導を上手にやらないといけない、指導者には威厳と品位が必要だ、というだけの問題でない。よく、わざと人に不快な思いをさせて、それを我慢させることで自分の立場の優位さに酔う自己満足をする人がいる。これは指導的立場にありながら不真面目なのだ。
だから、逆に、嫌味や皮肉を上から下に向かって言う人こそ、やる気がないなら去るべきではないか、ということになるのだ。
by ruhiginoue
| 2016-10-18 21:45
| 雑感