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by ruhiginoue

床屋は11月に空いている

 先日、髪を切りに行った店が、やけに空いていた。
 この店では「タイムサービス」で割引料金をやっていて、その率が良いから、割引の時間にはいつも混雑する。一時間以上も待たされることがある。
 ところが、その時間なのに空いていたのだ。客は何人か来ていたが、数分しか待たなかった。
 
 これについて店の人が言うには、十一月は空く傾向があるそうだ。多くの人が、年末年始を意識し、その時まで持つようにしようとし、また、十二月の後半になってしまっても駆け込み客で混雑するから、それで十一月には少し遅らせて来店しようと考えるということのようだ。

 ということなので、年末年始を意識しないで良い人は、十一月に髪を切るなどすれば店が空いて待たされずに丁寧にやってもらえるだろう。

 ところが、昔うちの父は、年末年始まで持つタイミングで床屋に行っていたから必要がない時に、また床屋へ行けと言うことがあった。身だしなみとは無関係で、いかにも散髪したばかりにしろということだった。
 そんな必要はないと言っても絶対に聞き入れず、どうしても床屋に行って散髪したばかりに見えるような頭にしろと怒気をこめて言うのだった。

 そう言うのは親戚を訪ねることがある時だったが、しかし礼儀のためとか無精な印象がしないようにとか言うのならともかく、小ざっぱりしていてもダメで、散髪したばかりに見えることが肝要なのだ。
 これは見栄を張っていたのだった。頻繁に散髪していることこそ、まともな生活をしている証拠になると思っているのだ。

 これは育ちの貧しさが原因だった。うちの父は子供の頃に親戚や親戚付き合いしている人のところへ行くと、よく、よそ様の家に行くさいはもっと身だしなみに気を使いなさい、みたいなことを言われて散髪代を渡されて近所の床屋に行かされ、つり銭は小遣いにしなさいと言われたとのことだ。
 これは、親には床屋代を浮かせて、子供には小遣いを与えるという意味だった。貧乏だったから、周囲で配慮してくれたのだ。
 
 この時の体験から、親戚らに対して散髪したばかりというのを見せ、うちでは子供にいつもキチンとさせているという演出をしていた。そうすることで見栄を張っているつもりだったのだ。効果がほとんど無い自己満足で、誰も評価してくれない。家族としては実に迷惑なことだったが、それ以上に情けない気持ちだった。可哀想という気がせず、愚かしさに嫌悪感がした。
 しかし、やはり可哀想なことだ。貧しかったから愚かな言動を大真面目に行うようになってしまったのだから。

 そして、散髪なんかで見栄を張ったつもりでいながら、収入の乏しさに加えて酒や風俗で散財したため子供が進学するなんて無理だということになり、学校の教師からも近所の人たちからも呆れられ、または嘲笑され、見かねた親戚が息子を引き取って高校さらに大学と進学させた、なんてことになってしまったけれど、それについては何も恥ずかしいと思っておらず、義務教育は中学までだから何が悪いのだと本気で言っていた。小学校に行ったことがあるというだけだったから、当然といえば当然だった。貧困なうえ不真面目だったわけだが、貧困だったから真面目にやる気も起きなかったらしい。

 これもやはり貧乏が原因で常識が備わらなくなったということだが、同じような話を色々と聞くから、いまどき貧困なんてという人もいるけれど、それはいくら過去の話であっても、二十世紀とか昭和のことであっても、その悪影響は二十一世紀とか平成になっても及ぶということだ。
 つまり、昔のことだから今は違うということにはならず、昔から今までは連結しているのだ。それはさらにこの先へと続いていくだろう。
 


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by ruhiginoue | 2016-11-06 17:27 | 雑感 | Comments(0)