モスクワの買い物で行列は何だったのか
2016年 11月 28日
キューバのカストロもと議長が亡くなった。90歳だったそうで、彼はアメリカが滅びるまでは死なんぞと頑張っていたがトランプが大統領になって夢が叶うと思い逝った、という冗談が言われている。
ところで、キューバは貧しいというのは派手な商品が出回っていないだけで、医療や教育などの充実まで含めて比較すると、特にアメリカがそうだが、貧富の差が大きくて一部の人だけ贅沢している国のほうが生活の点でダメだという指摘がある。
そうなると日本もかなり拙いのだが、自分が恵まれていて努力しないでいい生活している人としては、よい国ということになる。
その最悪の例として、中学のときの学年主任がいた。親から継いだ事業のため働かなくても良い身分だから趣味で教師をしていると公言し、担当の社会科では反共ぶりを発揮して、「ソ連では行列して買い物をする」など、当時の水準としても陳腐な話をしていた。
だから「作りすぎて余らないようにするのが悪いのか」と質問されても答えられず、「庶民が貧しいのは宇宙開発や軍事の予算が多すぎるからではないのか」と、よく言われることを質問されても、「防衛費は多ければ多いほどいいんだ。日本も徴兵制度を復活させるべきなんだ」と頓珍漢な反応だったが、特に呆れるのが「医療や教育が無料であることは良いのではないか」という質問には、「私はうちが金持ちだから関係ない」と。
この程度の教師はよくいるから、今でいう学校リスクの一種なのだろうし、当時はモスクワの行列についてマスコミが政治的意図から宣伝していたので、鵜呑みにしていたり洗脳されている人も少なくなかった。
後に、例えば宮崎駿は「肉なんて本来は行列して買うくらいが健全でしょう。そのほうが地球は綺麗ですよ」と言って、不自然な大量生産が汚染を引き起こしていることの象徴として引き合いにだしていたけど、そういうことが言われるより前の時代ではあった。
もちろん、それよりもっと前から指摘はあった。それが『ノストラダムスの大予言』の映画化にも出てきて、人口の増えすぎで食糧難になるという問題を話し合う国際会議でアフリカの代表が「人口増加というが、世界中の農業で生産されている穀物があれば全人類が飢えることはない。ところが、その穀物を家畜の餌にして食肉に変えるからロスが生じて、鶏だと二割、豚だと五割、牛だと七割が、ロスになる。こうした欧米を中心とした一部の国の贅沢が食糧難の原因である」と発言する。
すると、こういう話をしていると今度は国語の女性の教師が出て来て叱る。「SFなんてくだらない」「古典や名作を」「不安を煽るものではなく、心が豊かになるものを」と言って、「はるはあけぼのようようしろくやりゆく・・・・・」を丸暗記しなさいなどと強要するのだった。これも学校リスクではないか。
しかし、昔から不可解と言われていたのは、モスクワの行列で、そもそも金が無いとか店に商品が無いというなら買い物に行く人がいないはずなのに、なんで行列するのかということだった。
それで、直接見た人たちの証言によると、特売品のようなものが来た時は、みんなが買いに来て混雑し、それが無くなると店の棚がほとんど空になり、それをわざと西側のテレビなどが撮影して悪宣伝に使っていたということと、あの行列は買い物ではなくその会計であったということだ。料金計算してその場で支払をするのではなく会計が別窓口で、そこに一気に客が来るから行列になっていた。
これは日本だとよく病院がそうであるが、このほうが計算しやすくていいのだけど客は二度手間になる。しかしモスクワのスーパーは日本の大学病院と同じで、客の手間を省いてやろうという発想がなかったということだった。
どうであれ、当時から違和感はあったけれど、主観的願望で語る社会科教師のような人と、社会性のない国語教師のような人(理科などにもいるが)がいて、そんな人たちのほうが、洗脳されやすい人を作るには好都合だから権力が重宝がる、という図式なのだろう。
by ruhiginoue
| 2016-11-28 17:37
| 国際