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by ruhiginoue

曽根幸明の死去と音楽教育

 先日、作曲家の曽根幸明が亡くなったとの報道があった。病気治療などのため一線を退いたものの、晩年まで創作活動を続けていたという。彼は芸名で歌手と俳優をしていたが、後に本名で歌の作曲家に転じ、1960ー70年代に活躍し、勝新太郎の「座頭市子守唄」や森進一の「銀座の女」、藤圭子などの「夢は夜ひらく」などがヒットして代表作といわれる。
 また1980年代にかけて歌番組の審査員などでテレビ番組にも登場し、明るく親しみやすいキャラクターで人気だった。

 かつて曽根幸明が病に倒れた時、見舞った川内康範が「何でもいいから作曲しろ」と叱咤激励し、それで曽根がやっと動く片手で書いた曲に川内は詩を付けて、森進一に『おふくろさん』の歌詞を引用し「彼の傘になってくれ」と唄うよう依頼したが、森は他人のために働くなんてと笑ったから、これに川内は怒ってしまい後の騒動の一因になったと言われる。 ところで、曽根幸明は『題名のない音楽会』にも出たことがあり、ここで音大入試などの「聴音」をやってみたが、それまでやったことが無いので全然できなかった。彼はプロの作曲家で音符の読み書きは出来るし、売れっ子のヒットメーカーであるが。


 これは、司会の黛敏郎が「先ずアーの音をあげます」とピアノでAを鳴らしたが、その意味からして「ソルフェージュ」をやってないから知らない様子だった。隣で一緒にやった小学生の女の子は習っていたのでスラスラと書いていた。

 これは音感と言っても聴き取りのやり方を憶えないとできないというだけこと。このとき黛敏郎も、音楽の才能とは関係がないと指摘していた。黛敏郎は学校に行ったから必要でやったし、ヨーロッパ留学のとき試験があって一緒に作曲家の矢代昭雄と受けたと言っていた。東京芸大では改築前の奏楽堂で試験をやっていたらしく、三枝成彰はここで受けたと言っていた。

 あくまで学校のためで、歌謡曲を作る人だけでなく交響曲やオペラなど大規模な作曲をしている人でも、まったく「音感教育」などやっていない人はいくらでもいる。


 この音を聴き取って書く作業は、珠算をやっている人が算盤の映像を頭に浮かべて暗算するように、楽器を長くやっていると鍵盤と音を記憶しているから聴けばどの音か判断できるようになるし、学校で習うならコールユーブンゲンという合唱教則本で憶えるのが普通だが、あと便利な道具があって、かつてはカセットテープだったが「ドミソのドとミの間にレがあって」と説明して憶える教材もあった。

 もちろん、今はパソコンやネットのおかげでもっとよい教材があるだろう。


 ただ、曽根幸明は無用だったのでやっていないし、できないと苦笑していればよかったのは彼の人柄とかキャラクターとかいうものだろう。同じでも小室哲哉などは知りもしないで勝手な注文をするとか言われていたのだから。

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by ruhiginoue | 2017-04-25 17:14 | 音楽 | Comments(0)