教員の国語に深刻な難があり児童や生徒は迷惑する
2017年 11月 20日
「1ふくろに8こ入りのチョコレートが7ふくろと、ふくろに入っていないチョコレートが17こあります。ぜんぶでチョコレートは何こありますか」
しき 8×7+17=73
答え 73こ
これが間違いにされ、不可解に思った母親が小学校の教師に問い合わせたら、「掛け算」をまだ教えていないので不正解にしたという返答だったそうだ。
これに対してTwitterで怒っている人たちがいた。むしろ「教えていないのに偉いね」くらいのことを言うべきだと。
この怒りはごもっともだ。その教師のしたことが適切なら、あの「1 から 100 までの数字すべてを足す課題」で、1+2+…99+100=というように児童たち皆がせっせと計算しているのを尻目に「1 + 100 = 101、2 + 99 = 101、 …50 + 51 = 101 なので答えは 101 × 50 = 5050 」と瞬時に回答した小学生時代の大数学者ガウスのしたことは間違いとして学校で否定される。日本の学校教育がお仕着せで才能を潰すものだという、よくある指摘のとおりである。
ただし、習ったことを解っているか試験するという趣旨に拘るなら、式が間違いで答えは正解とすべきだろう。そうでないと指導にならない。だから不正解にした教師は「まず習ったことを使いなさい」という指導としても不適切である。
また、この問題文も不適切である。
この言葉使いでは掛け算と足し算によって合計せよという問題文になるから、それなのに、まだ習ってない掛け算を使用してはダメというのは不適切である。
そういうダメ出しをしたければ、問題文を「ぜんぶ【たす】と何こになりますか」に、しなければいけない。
つまり出題した先生の、算数ではなく国語にそもそも難があったということだ。
これと同じことが、前にもあった。やはりTwitterで問題になったことだが、他の小学校の理科の試験で「じかんがたつと、かげのかたちがかわるのはなぜか」という問題に「地球が回るから」と回答したら不正解で、「太陽が動くから」が正解だという。なぜなら地球の自転はまだ習っていないからで、習ったことにもとづいて回答しなければダメということだった。
しかし天動説はとっくの大昔に否定されたもので、そんなことを学校の理科でやってはいけない。だから、習ったことを憶えているかに拘るなら「太陽が動くから」ではなく「太陽の位置が変わるから」とすべきで、なぜ太陽の位置が変わるのかというと地球が回るから、だけど、自転はまだ習っていないから答えを書くのに必要ではない、ということになるはずだ。
これらは、指導の仕方の問題ではなく、算数や理科の問題でもなく、要するに教師の国語の問題なのだ。
先日、大学生が教科書などの文を読解できないことがあるという問題について、これを大学の先生に言わせると、新入生の英語力がガタ落ちしていて、そもそも国語に問題がありそうだということだが、しかし生徒とか学生の語学力を教諭や教授がとやかく言うよりも、教える側がいい加減な言葉遣いをしているほうを先ず問題にすべきだ。教える側がいいかげんでは教えられる側がちゃんとするはずがない。
よく、教える側の言葉使いに深刻な誤りがあり、これを教えられる側が指摘すると、「細かいことはいいんだ」とか「理屈を言うな」とか「生意気だ」などと感情的になるものだ。この原因は、何より立場が重要だという日本の「文化」にある。そして、偉い人はいいかげんでも許されてしまうことになる。
こういうことから改めないと、学問は衰退はしても向上はしない。
by ruhiginoue
| 2017-11-20 15:01
| 学術