NHK受信料訴訟で最高裁の限界が露呈
2017年 12月 07日
NHK受信料制度が契約自由を侵害する憲法違反であるか否かという問題で、最高裁が15人の裁判官全員を揃えた大法廷で判断するというので注目されたが、これにより最高裁の限界が露呈する結果となった。
すでに、NHKの受信料については問題の指摘がいろいろと出ているので端折り、そのうえで最高裁の判断司法の問題をここで分析してみる。
この裁判で最高裁は、まずNHKが勝手に契約したことにしてしまうことは許されないという判示をしていて、これについてはNHKを批判して運動してきた人たちが注目している。
そして、テレビを設置すれば契約する義務があるということは公共性の観点から合憲であると判断した。これに対して、現実はNHKが公共性などまるで無視しているのに契約を強いているではないかと多くの人が憤っている。
だが、これはあくまでNHKの実態が問題なのであって、制度について法的な問題を最高裁が判断するさいには言及できない部分である。
こうなると、あとはNHKの契約違反をどう問題にするかである。
このNHKとの契約について、過日このblogで紹介したとおり、NHKは契約について勝手に作成したひな形を各役所に送り付けて市民に渡せと権限もないのに命令している。そして、その内容には非常に深刻で重大な不正がある。
この指摘をして、そんなものは使用しないように地元の役所に進言したところ、役所のほうでも聞き入れ、問題のある部分は塗りつぶしてから市民に渡すことにすると返答した。こういうことがあることを前にここで紹介した。
昔、「毒親」に苦しむ少年に無料法律相談してくれた弁護士が、最高裁判事に出世してから制約が多い中で変節せず良識を発揮してくれることがあったので安堵していたが、今回は自分が問題にして役所に言いに行った話を意見してくれたので、少々救われた気がした。
しかし、最高裁の判決がダメであることは変わらない。当事者らも、これでは何のために大法廷に全裁判官を集めたのか、意味がないと批判していた。多数意見が押し通され、これに難があることを見抜いた一部の裁判官ら(学者出身と弁護士出身の女性二人)が、それぞれ意見を付け、その他一人だけ部分的に反対、という具合で、まるで合議になっていない。
これは制度の不備なのか、それとも最高裁が怠慢で判断から逃げてばかりいたため、いざというときに議論することができないのか、どちらかだろう。
また、最高裁は、テレビに公共性がまだあるという前提に立っているが、そんなもの今では通用しないという時代の変化について、まるで認識がないようだ。
しかし、これはメディア論の範疇であるから最高裁は対応できない。できるわけがない。無理なのだ。
ということで、NHKの受信料訴訟は、NHKの抱える問題(これを言ったら際限ない)とは別に、法的見地に絞っても、最高裁にとってしょせん限界なのだ。それが露呈した。
by ruhiginoue
| 2017-12-07 15:48
| 司法