高い本の一つに音楽の理論書
2018年 02月 24日
読み終わった本はすぐに捨ててしまうが、それでも一万円を超える定価の本は捨てにくい。
そんな一つが『管弦楽法』(伊福部昭 著・音楽之友社・上巻13500円、下巻9500円)である。
これを読んで、CDが付いていて欲しいと思ったものだ。辞書とか六法全書とか軽くて引きやすくするためにCD化しているものがあるけれど、それに加えて音楽の理論書は音が出てくれたら遥かに解りやすい。
さらに楽譜作成ソフトと一体化してしてくれたら申し分ない。
ところが、自分で考えたものを形にするというのではなく、考えることもAIがすでにやってくれている。もう今の段階でゲームの音楽くらいなら十分に使えるものが作られていて、すぎやまこういち作なんかより独創的ですらあるから、この技術がさらに進歩すれば、もう商業的な作曲家は要らなくなるだろう。
これはAI製ゲーム音楽の一例である。
ただ、ゲームに音楽が必要不可欠かという疑問もある。効果音がほんとうに充実していれば、音楽が必要ないくらいだろう。
また、最近の映画がどうも不自然なのは、映像表現技術の進歩によって、かつてのように音楽で雰囲気を煽って補助しなくても良くなっているのに、古い感覚で音楽を入れるなど余計なことをしているからだ。
たしか実相寺昭雄だったと思うが、その特撮映画をよく監督していた演出家は「コンピューターのゴジラなんて見たくない」と言っていたけれど、今ではそうなってしまっている。それで音楽が映像の邪魔をしている。
かつて、ゴジラの映画で最もヒットした『キングコング対ゴジラ』で、大タコが出てくる場面にグリッサンドでニュルニュルした感じを表現する音楽が流れていたけれど、このとき作曲した伊福部昭は、特撮の円谷英二が本物の生きたタコをセットに入れたりして大きく見せると言うので、本物のタコなら音楽が要らないじゃないかとも思ったそうだ。
あとは言うまでもないだろう。
by ruhiginoue
| 2018-02-24 15:32
| 音楽