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by ruhiginoue

読書量は費用と冊数ではない

 本を買う費用と冊数が少ないと「読書離れ」と決めてしまうことがよくあるが、これは中見の問題を考えていない。
 テレビやインターネットなど他の媒体(メデァ)に目が向くといっても、それは速報性とか一過性など情報の性質によって、便利な方へ移行しただけのこと。
 対して本はじっくり読んだり繰り返し読むものだから、情報収集に忙しいとテレビやネットの割合が増えてその分は読書量が減って当然で、これは読書がつまらないとか嫌いというのとは違う。
 また、同じくらい読んでも、古本屋や図書館を利用するなら費用は違ってくるし、年齢が上がって読む本の冊数が減っても、字がビッシリと詰まっている本を読むことが増えた、とか、読みながら頭の中で咀嚼や反芻が必要な難解な本と向き合うことが増えた、ということだってある。何年もかけて読み終わる本だってある。
 これは自分の場合、「管弦楽法」音楽之友社刊・伊福部昭著がそうだ。広辞苑くらいの大きさで、分厚さは上下巻合せると広辞苑を超える。そして中味がビッシリである。しかもそれを数行読むたびに考え込むから、たいへん時間がかかる。もっとも、これがスラスラと読めてしまう人もいるから、人と分野によって、取っ付きやすさとか予備知識とか理解力の差があるということだろう。
 ところで、同級生に自称読書家がいて、彼はたしかに大量の冊数を読破するが、すべてミステリー小説である。
 例えばその中の赤川次郎の小説など描写が大雑把で文章に改行がやけに多いから字数は少なく、数時間で一気に読める。売れる訳だ。それでも一冊読んだことになる。赤川次郎が悪いのではなく、それがスタイルだし、テンポが早いことはいい。またテーマなど共感するところは多い。
 ただ、彼は周囲の人たちに対して、「おまえは読む冊数や蔵書が少ない。もっと本を読め」と言っては優越感に浸っているから問題なのだ。赤川次郎が言っていたけれど、ミステリーとは犯罪が題材で、犯罪とは社会の歪みによるものだから社会性は不可欠だ。ところがミステリーにしか興味がない自称読書家先生は、社会問題を扱ったノンフィクションの類いは全く読まず社会に無関心である。そんな調子だから、小説に社会性のある部分があっても、軽く読み飛ばしている。だからさらに読み終わるのが早くなる。それでいて読書家を自称して得意になるから、みんな内心で馬鹿にしている。
 つまり、どのくらい読書したかは、時間と内容も重要で、費用と冊数で単純に量れるものではないのだ。
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Commented at 2008-09-04 22:33
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by ruhiginoue | 2008-09-04 22:23 | 経済 | Comments(1)