井上靜の気楽な日誌です。気楽にコメントしてください。おたよりも気楽にe-mail:ruhiginoue@excite.co.jpまで


by ruhiginoue

カテゴリ:文学( 49 )

 今日の新聞各紙を買って読んだところ、国会の強行採決について最も力がこもっていたのは東京新聞だったが、毎日新聞は一面の見出しなど厳しい調子ではあるが公明党についてさりげなく擁護していて、やはり前から言われているとおり創価学会との癒着の噂は本当なのではないかと思わせた。

 ところで朝日新聞の投書欄にはトップに作家の赤川次郎さんの投書が載っていた。共謀罪などを批判し「安倍さん、あなたが『改憲』を口にするのは100年早い」という厳しい言葉で結ばれていた。
 この投書の冒頭は、ウィーンフィルがナチに迎合したことを反省した話を引き合いに出していたが、政治の話をするさい大ファンのクラシック音楽の話題を用いるのは相変わらずである。

 もともと政治の話を真正面から語りたがらない赤川さんだが、主に推理小説を書いているので、社会の歪みが現象となって浮かぶ犯罪を題材とするなら、社会に批判的な視点が無いと書けないと述べていたことがある。
 そして今の時世は、かつて読んだ赤川作品『プロメテウスの乙女』が予言だったかのようである。

 これについて出版社の紹介によると「日本は急速に右傾化の方向を辿り始めた。武器輸出解禁、秘密警察によるスパイ狩、徴兵制の準備等、声なき声は圧殺され、軍国主義一色となった。さらに時の総理滝の肝入りで、国を愛するうら若き乙女の軍団が組織され、庶民に対する弾圧粛清は厳しいものとなった。戒厳令下、反対勢力は、体内に爆弾を埋めた3人の女性テロリストを滝首相の許へ派遣するが……。来るべき時代の恐怖を描く、近未来サスペンス小説の傑作」ということだ。

 そうした警告をちりばめながら、あくまで物語の本旨は、主人公の若い女性が恵まれた家庭の出身であった縁で弾圧する側に当然のように身を置いていたものの、なぜか最後に反体制側に寝返り自爆テロを実行しようとする動機の不明確な破滅である。
 これは他の赤川作品にも形を変えて様々なバリエーションとなり反復して描かれる。

 この作品の中で、国葬で葬送行進曲を演奏させられる指揮者が「ベートーヴェンは、こんな男のために作曲したのではない」と言って指揮棒をへし折り拒否し、権力に歯向かって逮捕の直前に自殺する挿話があり、これについては、芸人とくに音楽家がこんな蛮勇を発揮するわけがなく、逆にもっとも積極的に権力に迎合するはずだという指摘も、よくみかけた。
 こうした音楽界の体質を告発する赤川作品は無いと思うが(それとも知らないだけで存在しただろうか。あるなら教えてほしい)おそらく今日の投書のように日本以外の国では日本よりマシだったという話を赤川さんはしたかったのもしれない。

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 かつて読んだときは上記と違う表紙で、改定されたらしい。



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by ruhiginoue | 2017-06-15 20:36 | 文学 | Comments(9)
 『キャリー』の映画化をテレビで観て、のちに小説を読んだら、小説のほうがよかった。これはキングの小説では毎度のことで、ただし『ファイアースターター』ほどひどい映画化ではなかった。実はリメイクされた『キャリー』は未見である。
 この『キャリー』という小説はスチーブンキングの出世作だが、この小説では主人公の母親が宗教にはまって狂信的だったため娘が抑圧されていることに特徴があった。こうした狂信的な母親はキングの他の小説にも描かれるが、特に『キャリー』は話の核になっている。
 そうした『キャリー』が他人事ではなかったという人は珍しくない。それだけ自分の信仰を子供に強要する親がいるということだろう。その程度には差があるけれど、うちの母親は特にひどいほうだろうと思う。

 この母親が一時はまっていた宗教団体の開祖が、数年前に死去したとネットで知った。そして次男坊が後を継いだが、先代からの側近が出て行ってしまうなど団体の運営は難航していると聞く。しかし開祖は生前、後継者は長男と長女だと言っていて、この二人はその人柄から好かれていた。なのにどうして次男なのか。この次男はそう人望があるわけではないのに。
 そうしたら、教団が隠蔽していた事実が発覚した。開祖より前に、長男と長女が相次いで死去していた。それも、まず長女が病死し、続いて長男が交通事故死ということで、年齢からしてどちらも早死にであった。
 この教団では、病気や事故などの災いはすべて悪い霊の仕業だから、それを取り除き寄せ付けないというのが教義のすべてだった。しかし、癌も治るなどと説いて十万円もの講習料を取りながら治らないという苦情があり、詐欺ではないかと批判が出ていた。そこへ、中心となっていた後継者が開祖より先に早死にしたのだから、脱会する人が次々と出た。当然だろう。

 この団体の機関誌や開祖の著書は母親が持っているものを詳しく読んだが、語り口は上手いので信者が集まるのは理解できた。しかし程度と品位の低さが感じられた。
 その一例を挙げる。

 「人を呪わば穴二つ」という諺があるけど、この開祖の解釈とは、人を呪って危害を加えて殺害も可能だが、対象のほうが霊的に強いと撥ね返されてしまい自滅につながるというものだった。
 そして彼は子供のころ、親が兄弟ばかり可愛がり自分はのけ者だったという体験を語り、美味しいものを自分だけ食べさせてもらえなかったことで憎しみの念を向けたところ、親兄弟は腹痛に見舞われたから痛快だったとし、子供だと思っていても念力が強ければ大人も負けると説いた。ただし、それで自分が強いと思っても、もっと強い者もいるから呪ってはいけないと戒めていた。

 しかし、こうした類の宗教の基になる「心霊」の代表的な教えは「シルバーパーチ」と呼ばれるアメリカ先住民の口を借りたとする正体不明の霊魂の言葉であるが、これも呪いや憎しみは神の摂理に反していると定義し、呪ったり憎んだりしてはならないと説いて、それをやってしまうと自らに災いが起きると戒めてはいるものの、その理由が異なる。
 それによると、悪い人とか嫌な奴がいて、それを呪ったりすれば念とか霊の力によって倒せるなら、なにも苦労はない。そして、人の悪口を言うと自らの品性を貶め、そういうことで面白がる人しか寄って来なくなるのと同じように、呪ったりしていると自らの霊の格が下がり高級霊を遠ざけて低級霊ばかり近寄ってくる。そうなると当然、自分の身に災いが降りかかる、ということだ。

 この両者を比較してみれば、シルバーパーチが語った言葉は崇高だし、霊とか宗教とか一切信じない人にとっても好感が持てるものだけれど、当団体の開祖の話は抑圧された子供にとっては痛快のようであるが、小さくても強いかもしれないから注意しろとか、自分より強いかもしれないから気を付けろとか、ようするに不良かヤンキーの発想と態度だ。

 こういうことを感じたので、そんな品の悪い宗教団体を信じるのは愚かで、共感している人は下品な感性の持ち主だと思ったのだった。


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by ruhiginoue | 2017-05-16 18:14 | 文学 | Comments(6)
 情勢が緊張しているにしては、連休で海外に観光に出かける日本人の多くが韓国だという。森友とか昭恵夫人とかの問題から話題を逸らそうとする政府のプロバガンダを信じていない人が相当に多いということだ。

 しかし、真に受けているのか、もともと関心のあった人がこれを機会にということか、核シェルターがよく売れしているという。
 これを販売する会社の社長が雑誌のインタビューに答えて言うところによると、年間販売実績はせいぜい5、6件なのに、4月だけで8件も売れ、留守番電話に100件以上の問い合わせがあったそうだ。客層も激変しており、これまでは富裕層や雑誌『ムー』の愛読者(笑)などが中心だったのに、今回はあらゆる年齢と職業の人から問い合わせがあり、55年間の核シェルター販売で初めてのことだと言う。

 この家庭用の核シェルターが販売され出した年代、万一の場合に備えることは必要だという意見もあったし、防ぐ努力をすべきなのに前提にして対策するなんて間違ってるという意見もあった。
 当時、少年ジャンプ連載の人気漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』では、主人公の上司が核シェルターを購入しようとしてそこから一騒動となる話があった。ここで主人公は両さんらしい辛辣なことを言う。「自分だけ助かろうって発想が部長らしいぜ」


 フィリップKディックの短編小説『フォスター、お前死んでいるところだぞ』では核シェルターを通じて軍拡を暗い調子で風刺しているが、これは作者が大統領の発言「国民がシェルターを政府にあてがわれるのではなく自前でないといけなければ、もっと自らの安全に気を配るようになるだろう」に激怒し、政府は人の命を金に換算して考えるのだと主張するために書いたということだ。
 この小説は、だいたい以下のような話だ。

 マイク・フォスターは、学校で級友に嘲笑されながら言われた。
 「先生、こいつの親父はアンチ(反軍拡主義者)なんです。哨戒機の分担金も払ってないから学校のシェルター使えないんですよ。だから学校にいる時に空襲があったら死んじまうんです」
 「こいつの親父の家具屋、潰れかけなんです。だから公共シェルターもに入れないんです」

 マイクの下校する途中、空には哨戒機が飛び、通学路には「公共シェルター使用料50セント」の看板が。店のショールームには 「最新モデル核シェルター入荷」 「分割払応相談」などの売り口上が表示されている。

 マイクは夕食の席で、シェルターを買ってと頼んでみるが、父は取り合わない。
 「また新型か。うまい商売だ。核シェルターは贅沢品ではない、今や必需品。買わなきゃ皆殺しってわけだ」
 これは、財政縮小、経費削減が叫ばれ、防衛を国民ひとりひとりに委ねる案が出されたためだ。国民は他人のもの国が用意したものは粗末にするが、自腹を切って手に入れたものは大事にする。だから政府は、哨戒機を飛ばすために賛同者から収入の30%を徴収し、公共シェルターを有料にしたのだった。

 その翌日の授業は、フォスターの苦手な、空襲のさいに有害物質を吸い込まずにシェルターまで走れるよう息を止めて全力疾走する訓練だ。
 「フォスター、真面目にやれ!本当ならお前、死んでるとこだぞ!」と体育教師が怒鳴る。  

 しかし帰宅すると、業者が庭にシェルターを設置していた。
 「マイク、これはお前のために買ったんだ。分割払いがあって助かった」
 また、父は哨戒機の分担金を払ったので、マイクは学校のシェルターを使えるようになった。
 うれしくてマイクは寝る前の数時間を庭のシェルターで過ごすようになった。

 しかし、ある日マイクが帰宅するとシェルターは無くなっていた。彼の父の店がいよいよ赤字になり、オプションを買うどころか月賦も払えなくなり返品したのだった。
 「でも哨戒機の分担金ぐらい払えるから、お前は学校のシェルターを使える」
 そう父は言ったが、マイクは落胆した。

 シェルターの販売店はクリスマスセールで賑わっている。マイクは店員の目を盗んでショールームに展示してあるシェルターに入ったが、すぐ店員につまみ出され罵倒された。
 「公共シェルターがあるだろう。月賦も払えんくせに」

 マイクがクリスマスで賑わう街を彷徨っていると暗くなってきて、けばけばしいネオンサインが目立つようになった。
 「神の祝福を。公共シェルター、入場料50セント」




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by ruhiginoue | 2017-04-28 17:49 | 文学 | Comments(4)
 八十年代に週刊文春が騒ぎ立てたことから始まった「ロス疑惑」のせいで渦中の人となった三浦和義氏は、芸能人の家系であったことから本人も芸能人っぽく、それで週刊誌とワイドショーに大騒ぎされた。小さいころは子役として映画に出演していたが、その作品はすべて水ノ江タキ子が関係するものだった。彼女が言うには、甥の三浦和義の方から興味をもって出たいと言ったらしいが、どうも芸能が性に合わないと感じて途中で嫌になってしまったと三浦氏は言っていた。

 また、水ノ江タキ子は、映画会社のオーディションに落ちてしまった石原裕次郎を売り出すのに協力したそうで、そのため三浦氏は子供のころ、デビュー前の石原裕次郎に遊んでもらったことがあり、またその兄の石原慎太郎が運転する車に乗ったこともあり、信号無視しまくるなど凄い運転だったと言っていた。

 その石原慎太郎は都知事時代の責任逃れで醜態をさらしていて、「ロス疑惑」をモデルにした映画『三浦和義事件』で主人公を演じた高知東生は引退したのち覚醒剤使用で執行猶予付き有罪判決を受け、三浦氏はアメリカで拘束されたのち自殺したとされたが、あちらのやり方で暗殺されたのではないかと今も言われている。

 ところで、「ロス疑惑」の当時、あれではまるで筒井康隆の小説『俺に関する噂』だといわれた。一般人が突然マスメディアから私生活を面白おかしく騒ぎ立てられ見世物にされてしまうという話で、ずっと後のジムキャリー主演の映画『トゥルーマンショー』に先駆けたような内容だった。
 この話について三浦氏と直接話す機会があったのだが、あの当時、筒井康隆からモデルにした小説を書きたいという打診を受けたと言っていた。そして、自分はよいが家族とくに子供に影響しないように配慮するなら承諾する、という条件を提示したのだが、すると筒井氏はそれについて自信が無いようだったと三浦氏は言う。そして小説化の話は実現しなかった。

 こうしたことが過去にあったので、後に短編小説が教科書に使用され病気についての記述で患者団体から苦情が寄せられたさいの筒井氏の対応のまずさに、筒井氏は自分が書いて発表したものに対する社会の反応はどうなるのかという問題について考えることが苦手なのだろうと思った、と三浦氏は言っていた。

 そして、三浦氏の言っていたとおりではないかという騒動が、また起きた。今度はTwitterで、問題になってすぐに削除したとのこと。
 


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by ruhiginoue | 2017-04-07 20:23 | 文学 | Comments(7)
 人間の細胞を含むブタの胎児作製に成功し、いずれは移植用の臓器作りへと向かうとの報道だが、これにHGウェルズの『ドクターモローの島』を連想した人もいるんじゃないか。
 これで思い出したが、今もまだ売っているか確認していないけど翻訳のブルーバックスに『SFはどこまで実現するか』があり、かつて読んだものだった。

 ところで、あの「リカちゃん」が50周年を迎えるという。リカちゃんは誕生した時11歳という設定だったから61歳になるはずだが歳はとらない。
 このリカちゃんはアメリカのバービーちゃんの影響を受けて作られたものだが、バービー人形のヒットに基づくPKディックのSF小説『パーキーパットの日』では、核戦争後のシェルターで生き残った人たちにとって唯一の楽しみになっている。そして最後は妊娠までする。

 さらにPKデックといえば、『火星のタイムスリップ』が特に傑作だが、ここでは火星で水を独占する権力者が描かれている。
 そして現実では「貧乏人は水を飲むな」といわんばかりの水道民営化を推進するIMFが、次のターゲットを日本に絞っていると警鐘が鳴っている。そうなると『火星のタイムスリップ』みたいになるだろう。

 しかし笑えるSFふうの発言もある。こんなものを『産経』は受け売りするより根拠を提示すべきだ。
 それは地方の金融機関が主催する櫻井よしこ講演会が改憲の訴えをし、なぜなら「中国は自国だけの宇宙ステーションを建設し、月にも基地を作る計画が現実化している」「中国には核搭載ミサイル隠す“地下の万里の長城”がある」からというもの。

 「美少女だったら熱狂の度は高まるでしょうな。大衆は王子様お姫様が大好きだ。童話でも、王子様お姫は善良で、悪いのは大臣なのが相場だ」
 というセリフが『銀河英雄伝説』(小説とアニメなどでは若干言い回しが異なる)に出てくるが、たしかに大臣は今の現実でも悪いし、「佳子さま外でのご公務『一段とお美しくなられた』と歓喜の声」という報道もある。
 また、極右宗教と軍事産業と癒着する政治家というのも、ついに現実かSFに追いついたようだ。そんな稲田朋美防衛相は、ダテメガネをかけていることは周知だか、さらに奥を見るとマスカラが凄い。これは、顔がのっぺりしているのを気にしている人が、よくやるらしい。

 さらに、レイア姫役キャリーフィッシャー急死により『スター・ウォーズ/エピソード9』にレイアはCGIで登場かと言われたが、これは遺族との交渉が進んでいるという噂が浮上したからだ。
 これは後に製作会社は否定したそうだが、『ローグ・ワン』でも亡くなったピーターカッシングをVFXで登場させていたからだ。
 この調子では、RAハインラインの『月は無慈悲な夜の女王』に登場するコンピュータが作った革命指導者が現れるのも時間の問題か。『宇宙戦艦ヤマト』の石黒昇らが作ったSFアニメ『メガゾーン23』ではコンピューターの作った人気アイドル歌手がスタジオアルタの大画面から日の丸を背景に軍隊に志願を呼びかけて若者たちが釣られるけれど、そんなことしなくても現実のアイドルたちがもうやってる。

 もっと前、ガメラと戦う悪役怪獣の名前を一般公募し、選ばれたものを考えた子供に賞金と賞品が贈られたとマスコミは報じたけれど、それは宣伝のためのヤラセで、それらしい子を連れて来て演じさせただけだったと後から監督が告白した。昔の怪獣映画ですらこれだから、戦争プロパガンダではやって当たり前。
 そして「イラク兵の暴虐」を訴えたクウエート人少女という捏造を根拠にアメリカは戦争を仕掛けた。だから「アレッポのバナちゃん」も、その背景を色々と指摘されているのだ。

 もう一つ、『スターウォーズ』とは違い現実になりそうなのは、銀河帝国を打倒しようと「話し合った」者たちは共謀罪により全員が逮捕、という事態だ。
 これには世論調査で賛成意見が多いとマスコミは報じている。「悪いことをするために話し合うのを取り締まる法律を作ることに賛成ですか」というような質問の仕方をされたら、無関心な人のほとんどは「賛成」と答える。マスコミの世論調査なんて、そんなもんである。

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by ruhiginoue | 2017-01-29 14:48 | 文学 | Comments(7)

地震と猫と雪

 11月としては半世紀以上ぶりに雪となったが、まだ「♪雪ダルマ作ろー」というほど積もってはいない。積もったら人参を買ってくることにしよう。

 このところ暖かかったので、夜に布団をかけて寝ていたら大汗かいて目が覚めたことがあったけど、今日は予報のとおり急に気温低下した。屋外ではけっこう寒いようだが、なぜか軒下に鳩たちが寄って来る。雪のために食べ物が見つからず、それで、前にこぼした穀物を軒下に、鳥が食べればいいと思って置いておいたから、それを見つけたのだろうか。

 このような気候だと、寒いのが苦手な猫たちは色々な対応をしているらしいが、『夏への扉』を探す猫もいるけれど、手っ取り早くどこかに潜り込む方が多いようだ。昨日はブラッドベリの話題だったが、日本ではSF小説の人気投票をすると、『夏への扉』『火星年代記』『アルジャーノンに花束を』が必ず上位になる。そして、これらはSFなのだろうかと疑問に思う。

 ところで、雪の描写といえば『闇の左手』の踏破の描写がすごかったが、北海道に住んでいる人によると、北海道の冬は猫が凍死しているのを見ることが珍しくないそうだ。暑いときに猫のいるところが涼しいと昔から言われているが、寒さには弱い。
 今年は暖かすぎるので「冬への扉」を探して北海道に行ったが、函館でまず「あ、涼しい」と思った。そして帰りには青森でジメジメした感じがして、東京でもっとジメジメしていて体調が悪くなった。だからまた本当に北海道に行こうかと考えたが、冬は観光客が少なくて空いていて、特に高い山のない北部はスキーやスノボの客がおらず流氷見物の客ばかりだから空いているけれど、寒さは覚悟したほうがいいと宗谷に住んでいる人に言われた。

 そして地震があったけれど、猫を飼っている人たちによると、地震の前も最中も寝ていたそうだ。動物の中には地震を予知するものがいるけど、猫は海の時化は気づくことがあると漁村の人が言っていたが、地震には無関心のようだ。 
 
 そもそも猫には災害の予知が無用で、なぜなら逃げ方が上手だからだ。したがって自然災害のとき猫の後に付いていくとまず助かると昔から言われているが、狭いところをすり抜けたり高い所に飛び上がったりできる猫の後に人間が付いていくことはほぼ不可能だとも昔から言われている。

 余談だが、22日、名古屋市の路上で下半身を露出したとして、愛知県警は県警外事課の30代の男性警部補を公然わいせつの疑いで書類送検したと発表した。その警部補は「(下半身を)しまい忘れた」と話しているという。猫の舌じゃあるまいし。



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by ruhiginoue | 2016-11-24 17:52 | 文学 | Comments(2)
 あることをきっかけに中学の同級生のことを思い出した。彼がブラッドベリの小説『華氏451度』を読んだという話をしていた時、その筋を追っているだけで物語についてほとんどわかっていないのではないかと思ったものだった。
 そして、彼はどんな小説を読んでも理解できないでいて、ただ暇をつぶしているだけであることが、その話から判った。それでも楽しいのなら良いかもしれないが。

 それはともかく、後に自分でも『華氏451度』を読んだのだが、その前にトリフォー監督の映画化を観ていて、少々違った印象だった。
 この物語は、読書が禁止されている世界が舞台で、主人公は焚書の仕事をしていたが、たまたま本の面白さを知って密かに読書するようになる。これについて、原作だと言論弾圧という印象であったが、映画化では読書が他人の考えに惑わされて自分を見失うものだという禁止の理由に説得力を持たせているような印象だった。

 この読書に否定的な印象は原作からの他律的なもので、映画化で強まったけれど監督がとくに意図したというほどではないような感じもする。つまりもともと原作にあったことだ。
 それに、ブラッドベリの小説でもう一つ有名なのが『火星年代記』だが、ここでは最後に主人公が自ら書物を燃やしてしまう。「わたしは、いま、生き方を燃やしているのだ」と。
 これは核戦争で破滅した地球から火星に逃れ、地球と決別する決意をしたから、地球から持ち込んだ本を燃やしてしまい、続いて地球の地図も火に投げ込む。

 あの、ショーペンハウエルの警告「読書とは他人に考えてもらうこと」を連想するが、それとも少し違い、『華氏451度』では「大事なのは人間の考えたことで、それを忘れないように書いておくのだ。本はただの紙だ」という趣旨の言葉が出てくる。
 それで、考えたことについてどうなのか、ということになり、権力が読ませないように燃やすこともあれば、自分で読まないように燃やすこともある。

 そんな感じがした。しかし、あの同級生のように暇つぶしで充分楽しいという人もいる。




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by ruhiginoue | 2016-11-23 16:11 | 文学 | Comments(2)
 今年の二月は二十九日がある。この日に生まれた人は誕生日が四年に一度しかない。
 今また映画化の『セーラー服と機関銃』などで知られるベストセラー作家の赤川次郎も、そうだ。このことはところどころで話題にされていて、当人も四十歳のとき「やっと十歳になった」と書いていたりと、自ら話題にすることがあった。

 赤川次郎の作品は数が多く、そのうちごく少数を読んだだけだが、その内容には好感や共感をもっている。
 これに対して、くだらないと言う仕事がらみの人がいて、これはもう昔のことなのに今でも時々思い出しては腹が立ってくることがある。
 と言っても赤川次郎の小説をこき下ろしたことではない。赤川次郎の小説なんてくだらないというので、そんなにたくさん読んではいないが読んだ作品はどれも良かったけど、いったいどこが駄目なのかと問うた。
 しかし、具体的な指摘はなかった。それで、自分は赤川次郎の小説を面白いと思うし、込められている作者の主張にも共感できると言ったうえで、それがない作品がたくさんあるのだから、そんな作品のほうが深みがなくて、自分に言わせればよほどくだらいと思うと言った。

 すると、そいつはこう言った。
 「お前の言う事は批判じゃねえか。いいか、俺が趣味のオートバイで運転がうまいかどうかなんて他人に言われる筋合いがないのと同じなんだよ」
 どうも言葉遣いが変なのだが、口から出まかせで罵倒するならよくて、具体的に褒めたうえでそうでないものは褒められないというのは「批判」だからダメだという奇妙な意味にしかない。
 もっとも、その人はただ場当たり的に貶したりしているだけという感じだった。それで不快感を覚えた人から反論されると、面倒くさいと感じるのだろう。これ以外の話題でも同様で、頭にくることばかりだったから、そのとき受けた感じは正しいと思う。

 ただ、その当時はいろいろと大変で、仕事も対人関係も選んでいるゆとりがなかった。後から少しだけ精神的にも経済的にも余裕ができると、この程度のささやかな余裕があの時にあれば、あんな嫌な奴とは関わらなくても良かったはずだと思い、悔しい気持ちにもなる。

 それで、少しだけどゆとりはあるから、思い出して不愉快になったら赤川次郎の小説を読むことにしていた。
 そして思うことは、あの時は、ただ、「そんなこと言わないで読んでみてくださいよ、面白いから」と言えばよかったということだ。これだとおっとりした感じだが、そう見られても良いのだ。それで良いと思えるのは、気持ちに余裕があるからだ。

 


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by ruhiginoue | 2016-02-29 16:00 | 文学 | Comments(2)
 高校でやる漢文に出てくる「此木以不材得終其天年」は、書き下し文にすると「この木不材なるを以て其の天年を終ふるを得たり」で、現代語訳すると「この木は材木にならないので寿命を全うすることができる」となる。

 続いて、鳴く鳥と鳴かない鳥とでは、どちらかを殺すとしたら鳴かない鳥の方だと説くが、これを聞いた人は、役に立つものと役立たずと、いったいどっちを生かすべきなんだという疑問を呈する。そういう話だ。

 これについてはいろいろな解釈とか説があるけれど、高校の授業に出てきた時、「真っ直ぐでない木は材木にならないけれど、そのおかげで伐られずにすむ。だから人間も、素直であることは良いことのように言われているけれど、実は命とりになるぞ」という戒めだろうと思った。従順でないため就職できなくても過労死しないし、軍隊でも戦死しない。
 なるほどなあと感心していた。

 ところが、教師から怒られてしまった。そんな斜めから見るような発想をしてはいけないと言う。しかし、そうでなければ哲学として語る意味がないし、読んで解釈する面白さがなくなってしまう。
 これは一例で、そんな面白くないどころか面白さを抑圧される授業だから、退屈を通り越して苦痛だった。それなら、とにかく返り点と置き字と再読文字というように受験に特化してくれたほうがまだいいのだが、それはしないで薄く表面の字面をなぞる話を、訓話めいた調子で説かれてしまう。

 それでも、授業がつまらないだけなら我慢すればいいが、この教師は担任でもあり、生き方についてまで、言いなりの流されっぱなしであれという考えを押しつけられるから、これだけでもノイローゼになりそうだった。

 しかし、同じ組だった同級生はこう言う。
 「あの先生には感謝しなければいけないんだ。そうしたご指導があったお陰様で、今こうして可もなく不可もなく平凡で幸せな人生を送っているのだから」
 「人生いろいろ」ってことだろう。

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by ruhiginoue | 2015-12-02 17:52 | 文学 | Comments(10)
 SEALDsの関係者にいやがらせと脅迫があいつぎ、ついに殺害予告まであったそうだ。
 こうなるように煽ってきたマスコミの代表格は週刊新潮だが、この雑誌のゴロツキ同然のやり方は昔からのことで、ベトナム反戦や原発反対でも同じ手口だった。運動に関与している一般人の私生活まで暴露しながらいやがらせをし、権力の迫害を正当化したり無法者の暴力を誘発しようとしたり、という誌面と扇情的な広告の見出しである。

 これを朝日新聞の本多勝一記者が問題にしていた。文芸春秋と大江健三郎の件よりも前からだった。こんな週刊誌を出している出版社と平気でつきあっていられる小説家が、よく戦争反対などと言っていられるものだ。商売が気になって言いたいことも言えないのか、それとも反戦平和なんて口先だけなのか。

 その一人が井上ひさし。彼は新潮社と懇意だった。週刊金曜日を辞めたのは、親しい大江健三郎を批判されたからだという証言があり、これは確認できないことだが、もしもそうなら、井上ひさしは大江健三郎のことで自分もいたたまれなくなったのではないか。

 とにかく、文春と新潮に媚びる反戦作家が多すぎる。
 そして今も、SEALDs脅迫について批判している「リベラル」な物書きのツイートでは、「新潮社は好きだし、週刊新潮にだって知り合いがいて、良い人も」という虚しい言葉が躍っている。商売を気にしていることミエミエだ。

 そんな新潮社と断交したのは、灰谷健次郎くらいだろう。彼は、新潮社の雑誌が少年事件のたびに法を無視して実名報道することに対し、児童文学者として抗議したのだった。これに対し、「灰谷は児童文学者だから子供は純粋で悪いことをしないと思っているのだろう」と中傷する者がいて、灰谷は反論していた。
 「そんなことを言う人は、ぼくの書いたものをまったく読んだことがないのだろう。なぜなら、ぼくの作品では、子供の邪悪さが描かれている。子供は純粋なので、大人から良いものも悪いものも受け入れてしまう。だから、大人は子供に対して大変な責任がある。そういうことが常に主題になっている」
 という趣旨であった。
 
 しかし、ここまで毅然とした対応をできる人は稀だ。

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by ruhiginoue | 2015-09-29 14:47 | 文学 | Comments(3)