井上靜の気楽な日誌です。気楽にコメントしてください。おたよりも気楽にe-mail:ruhiginoue@excite.co.jpまで


by ruhiginoue

カテゴリ:雑感( 266 )

 『華麗なる美容外科の恐怖』は、出版社の通常在庫が品切れとなっている。
 まだあるのは古本屋がアマゾンに出品したものだが、これも安いものは無くなって「コレクター」として逆に値段が高くなっているものだけだ。
 そういう高いものを買うよりも、図書館に結構置いてあるから、そちらで読んでいただきたい。

 もともと、この本は値段が安かった。出版社が他のことで非常に儲かっていたので税金対策で経費をいっぱい使おうと大量に発行し、定価を安くして薄利多売としていた。それらが、おかげさまで全部売れてなくなったわけだ。

 ところが、この本を美容外科関係の裁判に資料として提出したいと言ってくる人がいて、すると裁判所に提出する書証としてコピーされたものを見たら表紙の部分に図書館のインデックス用ラベルが写っていて苦笑させられた。
 これには出版社の人も「買えよ」と呆れて言っていたが、美容外科で散財してしまい安い本も買えないような状態の人もいる。
 今は亡きピート・バーンズも、大スターの億万長者だったが美容外科の失敗と復元手術費用がきっかけで破産した。

 あと、危ない美容外科医師の問題について、美容外科はナチが人種差別から発想と実施していたことがあるから、やばい医師には政治性もあるんだという話について、最初は理解できないと言う人もいた。倫理的に問題のある医者はよくいるけれども、政治的なのかと言うのだ。

 しかし今ではこのような疑問を持つ人はほとんどいない。派手な宣伝で売っている美容クリニックのチェーン店の院長が、それを証明してくれたからである。



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昨日は少し遠くまで歩いて温泉に行ったが、すると帰りにキタキツネと会った。


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by ruhiginoue | 2017-08-08 13:40 | 雑感 | Comments(12)

高校の頃の数学教師

今、高校の数学の問題集をやっている。これは参考書や問題集を専門に出版している文英堂という会社のものだ。
この文英堂の参考書と問題集は、今まで買ったことも手に取ったこともなかったが、これを愛用する同級生が中学の同じ組にいたので、書店に並んでるのを見て「これか」と思ったことならある。
そして、今まで買ったことなかったから買ってやってみたんだけど、あまりいいとは思わない。人によって好みがあるんだろうけど。

ただ、その同級生は、一生懸命に勉強してる割には数学の成績だけよくなかった。
だからといって文英堂の参考書と問題集は数学だけダメということではないだろう。自分にも同級生にとっても合ってなかったのかもしれないし、同級生の場合は中学のものだから、高校のは違うかもしれない。

また、入試用のものになると、高校入試の中学生向け問題集や参考書は普通に書店で売っているけれども、大学入試の高校生向けのものはよほど大きな書店でなければ置いてない。そうなるとなおさら比較ができない。

ところで高校の頃、担任の教師が学年主任で数学の担当だった。地方の国立大を出ている比較的年配の人だった。
どうも、その授業を聴いても解らない。
そして生徒会の顧問をしていたのも数学の担当で、まだ若いほうで 、他の地方の国立大学を卒業してる人だった。この人に、担任の先生の数学の授業が解らないのでちょっと教えてくれと頼んだことがある。

それなのに教えてくれなかった。もともと、この人は不親切な人ではあった。
しかし、あの時は不親切だとしか思わなかったけど、今から考えると別に事情もあったんだろうと思う。
これで教えてくれてもだめだったら、何も問題ない。どっちの教え方もダメだったか、教えられる方がダメだった、あるいは馬鹿じゃないけど数学だけはダメだった、いずれかということになる。

ところが、教えてもらって、できてしまったら、もちろん、たまたまその若い生徒会の顧問の数学の教師の教え方が、たまたまこの生徒には向いていたと、いうこともできるけど、そうだとしても、ましてや教え方が良かったということだったら、年配の学年主任の数学の先生の面白がつぶれてしまう。
おそらくそういうことを考えて、教えてくれなかったんだろう。あの生徒会顧問の数学の先生は、生徒会の活動についても顧問としての自己保身ばかり考えていたから。所詮そういう人ってこと。

現に、理科の先生に聞いたら、普通に教えてくれた。理科の教師なら、高校までの数学くらい教えられる。
おかげ様で赤点取らずにすみ、感謝して「ありがとうございました」と言ったけど、担当の先生の授業がわかんなくて他の先生に教えてもらったらわかった、なんてことは言わなかった。その程度の配慮くらい高校生でもできる。


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by ruhiginoue | 2017-07-15 13:43 | 雑感 | Comments(2)
 熱い日が続いている。熱中症対策に待避所を作ったと役所が拡声器で呼びかけている。

 また、死者行方不明者が出た大災害で、エアコンのない避難所で熱中症になる人もいるそうだ。消防と警察と共に自衛隊が出動して働いているとき。防衛相は留守で「勉強会」というが時間からすると実は食事会だったのだろう。もちろんそこではエアコンが効いていただろう。

 こんな調子だから、学校でも異常なことがあるのだろう。
 なんと小学生が下校の時に水分補給してはいけないといわれているそうだ。そのため、すごく暑いのに下校途中にお茶が飲めず、帰ってきたら軽い熱中症だったという。
 ここで指導するなら、カフェインのない麦茶か水にして清涼飲料水は論外とか、安全や行儀のために道の脇に寄ってから立ち止まって飲む、などを教えるべきだ。

 かつては、旧軍隊から体育会系に受け継がれた精神論で、根性を鍛えるためと称してわざと苦しめるやり方が横行し、その一つに水を飲ませないことがあった。それで本当に効果があると錯覚している者が多かった。
 また、『戦場にかける橋』で、暑さと渇きのため川の水を飲んでしまい高熱にうなされる場面があったが、東南アジアに行くとその危険があるので勝手に水を飲むなと旧軍は指示していた。最初はその意味があったものだったけど、それが我慢訓練と化し、意味を見失って一人歩きしはじめたようだ。

 あと、部活でよく、水を飲むと疲れると言われて苦しめられるが、これは迷信であることが大学の保健体育の実験によって確認されている。疲れるほど一気に大量に飲むことはなく、むしろ不可能だった。
 だから適度に補給するべきだ。その方が疲れないし、生命が安全である。
 そして気をつけるべきなのは、キンキンに冷えたものを一気に大量に飲むと身体が冷えすぎたり腹下したりする、ということだ。ほんとうは15℃前後が良いらしい。

 灼熱の砂漠でも、水分があれば大丈夫だし、ないと死ぬそうだ。だから暑い日は水分の補給を。




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by ruhiginoue | 2017-07-10 18:01 | 雑感 | Comments(6)
 前に住んでいた所で、毎日のように通る道の途中に共産党の地区の事務所があり、そこで機関紙を売っていた。自販機ではなく勝手に取れるようになっていて料金箱がある。畑の近くで野菜の直販しているみたいだった。
 そこで買って読んでいたが、そこの人から配達しようかと声をかけられることが時々あった。よく通るから配達は無用だと言って断わった。配達してもらうと選挙のときにウザイことになるということもあった。

 あと、新聞を配達ではななくコンビニ店で買うのはポイントカードに貯まるというケチ臭い楽しみがあるからで、ファミリーマートはTポイントカードだが、これはTSUTAYAのカードが同じことになるので使っていて、セブンイレブンだとナナコカードでポイントがたまるうえスイカやパスモと同じだから、よく支払いのとき手が滑って小銭を落としてしまう者としてはありがたい。

 また、コンビニ店で食パンなどを買うことがあり、これはプライベートブランドの中に値は割高ではあるけどトランス脂肪酸の心配があるマーガリンを使用していないというものがあるからだが、この時に一緒に新聞を買っている。

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 そういえば、高校生のとき、自宅に配達の朝日新聞と読売新聞のほかに、なぜか近所に販売店が無かった毎日新聞および東京新聞などの地方紙を学校の図書館で読んでいたが、さらに腹が減ってコンビニ店で食べ物を買うとついでに日刊ゲンダイも買っていた。政治では自民党を、野球では巨人を、こき下ろして悪口の言いたい放題だから「これ面白いよ」と同級生に推奨していた。
 ただ、日刊ゲンダイにはスポーツ紙と同じように風俗の記事などが載っているので、先生から「学校に持ってきて読むな」と言われたものだった。



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by ruhiginoue | 2017-06-16 19:06 | 雑感 | Comments(4)
 道徳の教科書で愛国心の高揚にパン屋の話は不適切とか検定で文句を言われたが、なんでこんなケチをつけるのか。
 戦前、黒澤明は内務省の検閲で、誕生日の場面にケーキが出てくることを「外国の習慣だ」とケチをつけられ、怒ってわざとケーキではなく「誕生日を祝ったらいけないんですか」と言ったら、その誘導に引っかかった役人が「ああ、誕生祝いなんてくだらん」と言ったから、すかさず「天長節(天皇誕生日)はくだらんのですね」と言い返し、役人が慌てたそうだ。
 そして、権力の頂点にいるより下っ端のほうが異常なことをすると、黒澤明は指摘していた。これは、木っ端役人が自分の持つ権限を最大に振り回すから無茶苦茶なことになるということだろう。

 だいたい、アメリカが余った小麦を買えと日本に言ってきたことからできた会社のトラックが走り回り、そのコンテナには金髪の白人の子がパンをほおばってる絵が付いていて、また給食をパンにして米を余らせたりしてきた、そんな日本政府が今さらパンしかも街のパン屋を侮辱するというのが醜い。

 そして、愛国主義を標榜しているからというだけで国有地を「もってけドロボウ」式のバーゲンセールしながら、アメリカからはもっとすごい金額で欠陥機オスプレイを購入してやる日本政府。
 そんなもの自衛隊が要らないと言っているのだから、予算はもっと有効に使うべきなのに、アメリカも要らなくなったから日本にバーゲンセールではなく、開発費用を回収するため日本に割高どころかバカにしているという値段で売りつけ、これに従う日本政府。

 つまり、悔しいけどアメリカ政府に何も言えないので、教科書につまらない文句を言ったりアナクロ幼稚園を応援したりして、自己満足それも自慰行為を子供たちに押し付ける、というだけのことなのだろう。
 だから、アメリカと北朝鮮が対立して今にもミサイル攻撃されそうだと大騒ぎしながら、原発は再稼動することにして、その次の日は総理が芸能人たちを招いて楽しそうにお花見しているという平和ボケぶり。

 それに、パンに文句があるなら、和食をアピールする広報に出演したときの安倍総理の破滅的な食し方とくに箸の持ち方の成って無さが問題だ。箸をとってボールペンでやるように回して持ち替えるなど、無精とかズボラ持ちとか言われ叱られたものだ。
 こんなことを、総理大臣が日の丸の横で和食を紹介しながらやらかしたのだ。

 こうなったら道徳の教科書に「箸の持ち方」を始めとした作法も載せて厳しく躾け、安倍総理のようにならないようにしないといけない。

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by ruhiginoue | 2017-04-16 07:43 | 雑感 | Comments(19)
 Twitterで『中一コース』という雑誌の話をしている人がいて思い出した。これは学研が発行していた中学生むけ雑誌で、ライバルは旺文社の『中一時代』だった。もちろん二年生むけと三年生むけもある。
 どちらもテレビCМを流すなど派手な宣伝していて、必ず人気アイドルが出ていた。『時代』が山口百恵なら『コース』は桜田淳子ということがあったし、大人気だったピンクレディーと松田聖子は両方だったのではないか。
 これを年間予約すると、安物の万年筆などオマケがついてきた。小学六年生のところにはダイレクトメールが両方から必ず来たが、今では個人情報の問題で事情が違うのだろうか。とにかく、昭和の時代は一世風靡したということで、ネットで検索したら色々と思い出を語っている人たちがいた。

 これらの雑誌を配達している書店もあり、年間購読している同級生も多かったが、うちは貧乏だったので中二のとき年に五冊だけ買った。つまり中間テストと期末テストの対策が付いている号を、一学期と二学期にそれぞれ二冊、三学期は期末だけなので一冊、合計に年で五冊というわけだ。

 これをやると確かに成績が上がった。中一のときは試験対策が付いていることを知らなかったので買ったことがなかった。二年生のときに同級生に知らされて買った。不確かな記憶だが『コース』の方だったと思う。この試験対策のため一年に比較して成績がかなり上がったから、教師から「よく頑張ている」と褒められたが、教材のため要領が良くなっただけだ。

 ところが、三年生になって、同級生から『進研ゼミ』をやらないかと持ち掛けられた。誰かを紹介するとオマケが付くからだった。このとき親戚からもらったお年玉をためていて、この金額が「オビに短しタスキに長し」だったところ購読料と同じくらいなので、やることにした。 
 そうしたら、こちらの試験対策がもっとよくできていて、同じくらいの時間と手間の勉強をしただけでもっと成績が上がった。
 それで思い知った。学校の成績なんで金次第だと。

 そして成績が上位に食い込んでいくと、やはり面白くなってきた。しかし両親が怒り始めた。「勉強しろと口やかましく言いはしたが、進学しろとは言ってない」「勉強しろというのは『中一コース』のレベルにしろということだ。『進研ゼミ』だと受験校に入りさらに大学というレベルになってしまいそうだからダメだ」というわけだ。

 その三学期に、『進研ゼミ』発行元の福武書店(当時。現ベネッセ)から電話がかかってきて、どこの高校に入ったかという結果報告の葉書か封書が送られてこないので、どうなったのかという問い合わせだった。
 このとき、見るに見かねた親戚に引き取られていたので、親元に居なかった。親は電話の問い合わせに対して高校名を言い、また報告は用紙が同封されているのに気づかなかったのだろうと答えたらしい。『進研ゼミ』の冊子が送られてくると開封する前に親が捨てたという真実は言うわけなかった。

 こうして、高校さらに大学と進学はしたが、その間は親戚のもとにいて、姓も合わせて名乗っていた。だから、戸籍名を知らない人とか、親戚を親だと思っていた人とか、勘違いしている人たちが結構いる。




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by ruhiginoue | 2017-03-27 18:23 | 雑感 | Comments(7)

読書は必要なことなのか

 朝日新聞に掲載された大学生の投書に、読書はしなければならないことなのかという疑問を呈するものがあった。大学生の一日の読書時間がゼロという人も多いことを受けてのことだ。

 ここでいう「読書」とは、趣味ですることの意味らしい。なぜなら、この投書は、読書は楽しいとか教養になるとか良いこともあるが、大学での勉強やアルバイトなどから得られることの方が有意義だと思われるとしたうえで、読書とはあくまで趣味の範疇ではないかという疑問を提示しているので、そうなると必然的に、勉強とか知識を得るのために必要性があって本を読むのとは別に楽しみで行う読書という意味になるからだ。

 これで思い出したのが、評論家の立花隆がその著書で述べていたことだ。彼は、「本を読む」のと「本に当たる」のは違うと説き、じっくり最初から最後まで読むのに対し、調べもので必要なことだけ探してその部分に当たる、という作業があるとしている。

 そういう点では、学校の勉強とか学校以外の試験などのためにすることは「本を読む」というより「本に当たる」というほうが近いはずだ。教科書でも参考書でも全部の内容を得ようとするものではあるが、だからといって最初から最後まで丹念に読んでいては効率が悪すぎる。試験前に「ヤマをかける」ように効率よくするようでいて実は怠けているということではなく、完璧に中身をものにするためには、端から端までやるよりむしろ要点を探し出してそこから繋いでいったり拡大していったりしたほうが良いという意味だ。
 もちろん、ここで欠落が無いようにすべてのページを細かくチェックはするが、順序どおり読むのではないから、栞を挟むことはせず、付箋を貼りまくる。
 こうした勉強とか調べものとは別に違った意味で楽しく読書することは、やはり趣味だろう。そして、これは不必要と考える人もいて当然だ。

 あと、本の内容にもよるだろう。かつてリクルートを創業した江副という人が「小説なんて読まない」と言っていたそうで、趣味で非実用的な読書などしないということだろう。
 そんな彼について作家の小田実は、「江副という人は東大生だったときに新聞部にいて広告取りしていた中で事業のヒントを得たそうだが、あの当時の東大で新聞部に入る奴は左翼だ。そう相場が決まっていた。ワシは今でこそ左翼だと言われるが、東大生のときはノンポリに近かった。少なくとも江副よりは左翼ではなかったはずだ」と言っていた。
 これについての話となると色々と語れるから、それは別の機会にするとして、読書にも「趣味と実益」というものがあるということを、まず確認してから議論しないといけないだろう。

 


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by ruhiginoue | 2017-03-12 20:15 | 雑感 | Comments(4)

 役員に昇りつめる人たちを観察すると、みんな食事で米粒一つ残さず箸の先だけを使って上品に食べていたそうだ。これは求人案内企業の社員による証言である。

 もともと、米に限らず食べたあとの食器に食べカスが汚らしいのは下品とされていて、これは見た目の印象だけで多くの人が感じることだろう。ただし、そういう感覚を持ち合わせていない人もいる。


 また、米は主食であるため、米粒を残さず大事に食べるということが、食事作法として広く認知されているはずだ米粒については禅宗が云云している。

 この云云を「伝伝」と間違えた人は食事作法についても評価が良くないが、何を食べるにしても箸の使い方が下手なのは下品とされていて、これは『美味しんぼ』でも海原先生が息子を叱っていた。

 

 さらに、米粒を箸でかき集めるのはケチ臭いとか貧乏ったらしいとか卑しいとかの感じだと言う人がいて、しかし食べてる過程で米粒がはぐれているのがそもそもダメで、だから最後の一口の時点で茶碗に米粒が残っていてはいけないとされる。


 あと、残さないことに囚われてかき集めると音がして耳障りであるから、小さいころから箸を使う練習をし、だんだん上手になっていけば音が立たないし汚らしい残し方にもならない。きれいに食べれば片付けのときも不快ではないし、食器洗いも楽になる。だからといって猫のように皿を舐めてはいけないが。

 

 この他、作ってる人に失礼だから米粒を残すなと教わったという人、米粒一つでも残したら目を抉られると戒められたという人も少なくないだろう。

 もちろん外国では作法も異なるし、お招きにあずかった場合もまた異なる。例えば、ごちそうさまのさい、たくさん頂いたことに感謝する意思表示としてわざと食べ残す作法が中国などにある。


 これらの食事作法を「教育型」「宗教型」「機能型」「文化型」と名付けて分類する方法もあるけれど、どれであれ上品な食べ方をする人は、家庭での躾がしっかりしているので他のことでもちゃんと教育されているとか、下品な人よりは確実に好感をもたれるとか、そういうことで出世などに影響もするということなのだろう。


 ところで、うちは「宗教型」だった。

 うちの母親は生家が水田地帯で稲荷神社があったから、一粒でも食べ残すと神様からの御恵を冒涜した罰として目が潰れると食事のたびに戒めら(脅さ)れた。

 しかも、小さいころ丼物を食べきれなければ載せたものを全く食べずに飯だけは残すなと母親に厳命され、そうしないと「オメメがつぶれますよ!」と凄まじい形相で言われた。

 だから、まだ食が細いときは鰻も天婦羅もトンカツも全く食べられなかった。汁が染みた飯を食いながら具を見て悲しい思いをしていた。なぜ最初から小分けしないのか不可解に思われるが、そうやって極端なことにより米を残すなと強調する一種の狂信性だった。


 これは、うちの母親が『キャリー』のママ型だったことによっていて、だから他のことでも同様だったから辛かったのだが、そうでなくても日本では収穫された米は神なのだ。だから御神体として祭る神社が各地にあるし、天皇は毎年必ず田植えをして見せる。『七人の侍』だって米ために戦った。

 そして昔から、米所の生産地から消費地に行くと、米も金で買ったものだから所有者に権利があり食べ残したり捨てたりするのも勝手だという発想に直面し、これに仰天する人が大勢いたのだった。


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 北海道の稲荷神社。狩猟民族のアイヌに稲作を強要した歴史があるけれど、この問題は別の機会に。



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by ruhiginoue | 2017-02-16 12:56 | 雑感 | Comments(3)
 かつて朝日新聞編集委員本多勝一記者が、書いてもいないことを書いたかのようにして非難されたうえ訂正を求めても拒絶されたため、その記事を掲載した月刊誌を発行する出版社を名誉毀損で訴えたという裁判があり、これについて拙書『朝日新聞の逆襲』(第三書館)の中で言及している。
 この裁判の判決は、曲解に基づいた批判であっても元の文が引用されているので読者には判るということで名誉毀損が成立しないということだった。
 それでいいのかという問題は別にして、この非難を雑誌で書いた人は裁判で勝ったとはしゃぐ本を出版しているのだが、これが弱小の出版社から出ていて、原因となった月刊誌を発行しているのは老舗の大手なのに、なんでこれほど落差の激しいところから出すしかなかったのだろうかということを、すこし皮肉もこめて書いたのだった。

 その後『朝日新聞の逆襲』に対する書評の形で、その問題の本を宣伝するかのようなことをネット上で書く人がいて、その本を発行した某出版社の関係者ではないかという疑いを指摘されたのだが、書評は自由にしてくれればよいので、これについては詮索するつもりはない。
 ただ、その宣伝臭い話は「この本を井上靜は読んでいないのではないか。読めば考えが変わる」というような、これではたしかに宣伝臭いと言われても仕方ない内容なのだが、しかしその本については、かつて裁判を本多勝一側から応援して毎回のように傍聴していた人と一緒に、その出版社の人に対して糾弾したことがあるので、もしも忘れているならまた思い出させてやっても良いと考えている。

 ところが、そもそも宣伝臭い話が実際にどうかは別にして、その某出版社の人からは全く別の件で一方的に「顔も見たくない」と宣言されている。
 なぜかというと、当方が原告である例の裁判のことが原因である。前に「脅迫メール」の話などを既にここで報告した。それは、くりかえしになるが以下のような話である。
 とんでもない男がいて、彼はネットで嘘を言触らしたり、暴力事件を立て続けに起こして何度も逮捕や裁判沙汰となったり、そのうえ、複数の女性に対してストーカーや脅迫や嫌がらせを執拗に行ったことで警察の監視対象となっている。
 その男から当方もネットで事実無根の中傷誹謗をされたため、数多い被害者の一人として何件もの訴訟を起こし、その結果は賠償金を取るなどして完勝だった。

 この裁判の中で、その男は預かっていた金を着服とか横領とか言われることをしたという話が出てきたのだが、この金とは、上記の某出版社へ渡すようにある人から託されたもので、これをその出版社の側では受け取っていないということから、その男が横領(着服)したという疑いがもたれたのだった。
 あの当時、この男は生活に困窮していて、電気代を滞納しつづけて止められたりするほどだった。そんな中で彼は、懇意の人が働いている某出版社が資金難に陥っているという話をして、それなら援助しようと言ってくれた人がいたということだった。

 この件について、その男は最初だけ「井上靜による捏造だ」と被告席から喚いていたが、後になったら、そうした疑いをもたれたことは事実であると裁判に提出した書面で認めたのだった。
 また某出版社の人も、受け取ってもいない金を受け取ったように言う人がいて迷惑したため、なんでこんなことを言う人がいるのかと思ったら、原因は問題のその男に預けたと言っている人の話があったからで、しかも具体的に五十万円という金額が出ており、この話をしていた人たちには嘘をつく動機が無いから、これではあの男が疑われて当然だと思ったそうだ。

 しかし、この話が裁判に出て来たことは必然的であるのに、裁判の中に会社名が出てしまったことが同社員としては嫌だそうで、では会社名が出て具体的に何が困るのか、会社名が出たのは誰のせいでどういう形と経緯だったのか、などが本来は問題になるはずだが、とにかく嫌な感じになってしまったから、もうこの件に関わった人たちとは縁を切りたいし、思い出したくないから顔も見たくないということらしい。

 こういうのは感情的水準としか思えず、無責任ではないかとも思うが、それくらい問題の男に困らせられ気分を悪くさせられたということだ。
 その男について、精神病ということで生活保護を受けさせるよう手続きを世話してやったと言う人がいて、また、それ以外では生きられない状態であるから、今では実際にそうなのだろうと周囲で言われている。
 ただ、それでおとなしくしていてくれればいいが、これまで病状が悪化するたびに狂暴化してきたうえ現在進行形のようだから、あの男を知る人たちは「死んでくれたら…」と大真面目に言っていた。


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by ruhiginoue | 2017-02-07 20:17 | 雑感 | Comments(0)

脅迫メール問題と対応

 先日、「脅迫メールが来た」および「脅迫メールが来た 続」という話題をとりあげたが、そのメール送り主の名義人は他にも脅迫メールを送っており、その中には女性に対するストーカー行為も含まれている、ということを説明した。

 このところ、ストーカーのあげく暴力をふるったという事件が報道され、そこには殺人まで含まれているのだから深刻であるが、ここで誤った対応が指摘され、とくに刺激してしまったことが決定的に良くなかったという事例が目立つ。
 これはストーカーだから、相手に対する好意の感情が極端に歪んでしまっており、だから刺激しては余計に面倒なことになるということだが、そうした好意の感情だけでなく、甘えの感情が敵意に変化することもあり、その場合、今では執拗に嫌がらせをしているけれど、少し前は世話になっていて恩を受けていたということが珍しくない。

 その中には、冗談かと思うような滑稽な発想によるものがあり、例えばお金に困っているので貸して欲しいと懇願するので貸してやったところ、困っている人に貸してやれる余裕があるのが妬ましいと言って憎み始める、というような具合だ。
 この典型なのが例の問題になっている男で、病気なのに薬代が無いと泣き落としをして金を借りておいて、そのあと、例えばある会社の社長にそう言って拝み倒すようにして借金をし、他のところでは「社長が先払いするからぜひにと仕事を依頼してきたので仕方ないから受けてやった」と言いふらす。

 これでは社長も不愉快になって当然だが、すると「言いふらすのをやめて欲しければ仕事を寄こせ」と言い出すのだ。
 実際に、金を返せなさそうだから仕事してもらうことにして簡単な作業を回してやったことがあるそうだけれど、その仕上がりの質が悪くて修正にかえって手間がかかってしまったのだが、それは大目に見てやり、しかしもう仕事を回すことはしなかったのだ。
 それを、かえって手間がかかってしまった仕事の結果なのに、その男は自分がやったと思い込む。全体が全く違うのだから修正されているのが判るはずなのに、良いほうが自分のやったことだと勝手に思ってしまう。

 そして、この社長の会社に勤めている人にまで暴力をふるい負傷させた。この裁判の記録を読んだが、突然顔が変わり奇声を発すると異様な表情でウオオオオッと叫びながら突進すると執拗な暴行を加えたということだった。
 この現場は飲食店で、このとき他の客たちは驚き、女性の客たちから悲鳴が上がった。店でたまたま出くわしたけれど初対面だったから最初は気づかなかったが、会話の中で社員だと知るといきなり、ということだった。つまりその社員には何の恨みもなく、知りもしなかったのに、だった。

 このあと、その男は被害者にも店にも謝罪せず、ネット上で同社を中傷する。訴えられたら非を認めながら慰謝料や治療費を値切る。この最中に、先に説明したとおり当方に対してもネット上で中傷誹謗の嫌がらせをして訴えられているし、さらに女性に対してのストーカーと嫌がらせというように、罪に罪を重ねている。

 このような現実があるので、うかつに同情や親切心をかけては自分が危険であるし、刺激すれば周囲にとっても迷惑どころでは済まないことになってしまう。無反応であれば発散もできないので病気の悪化が加速するだろうが、それで彼がどうなろうと罪のない人たちに危害を加え続けることが止まってくれるかもしれない方を期待するしかないのだ。
 
 


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by ruhiginoue | 2017-01-31 16:33 | 雑感 | Comments(0)