井上靜の気楽な日誌です。気楽にコメントしてください。おたよりも気楽にe-mail:ruhiginoue@excite.co.jpまで


by ruhiginoue

カテゴリ:学術( 106 )

 「1ふくろに8こ入りのチョコレートが7ふくろと、ふくろに入っていないチョコレートが17こあります。ぜんぶでチョコレートは何こありますか」
 しき 8×7+17=73
 答え 73こ

 これが間違いにされ、不可解に思った母親が小学校の教師に問い合わせたら、「掛け算」をまだ教えていないので不正解にしたという返答だったそうだ。
 これに対してTwitterで怒っている人たちがいた。むしろ「教えていないのに偉いね」くらいのことを言うべきだと。
 この怒りはごもっともだ。その教師のしたことが適切なら、あの「1 から 100 までの数字すべてを足す課題」で、1+2+…99+100=というように児童たち皆がせっせと計算しているのを尻目に「1 + 100 = 101、2 + 99 = 101、 …50 + 51 = 101 なので答えは 101 × 50 = 5050 」と瞬時に回答した小学生時代の大数学者ガウスのしたことは間違いとして学校で否定される。日本の学校教育がお仕着せで才能を潰すものだという、よくある指摘のとおりである。

 ただし、習ったことを解っているか試験するという趣旨に拘るなら、式が間違いで答えは正解とすべきだろう。そうでないと指導にならない。だから不正解にした教師は「まず習ったことを使いなさい」という指導としても不適切である。

 また、この問題文も不適切である。
 この言葉使いでは掛け算と足し算によって合計せよという問題文になるから、それなのに、まだ習ってない掛け算を使用してはダメというのは不適切である。
 そういうダメ出しをしたければ、問題文を「ぜんぶ【たす】と何こになりますか」に、しなければいけない。
 つまり出題した先生の、算数ではなく国語にそもそも難があったということだ。

 これと同じことが、前にもあった。やはりTwitterで問題になったことだが、他の小学校の理科の試験で「じかんがたつと、かげのかたちがかわるのはなぜか」という問題に「地球が回るから」と回答したら不正解で、「太陽が動くから」が正解だという。なぜなら地球の自転はまだ習っていないからで、習ったことにもとづいて回答しなければダメということだった。

 しかし天動説はとっくの大昔に否定されたもので、そんなことを学校の理科でやってはいけない。だから、習ったことを憶えているかに拘るなら「太陽が動くから」ではなく「太陽の位置が変わるから」とすべきで、なぜ太陽の位置が変わるのかというと地球が回るから、だけど、自転はまだ習っていないから答えを書くのに必要ではない、ということになるはずだ。

 これらは、指導の仕方の問題ではなく、算数や理科の問題でもなく、要するに教師の国語の問題なのだ。
 先日、大学生が教科書などの文を読解できないことがあるという問題について、これを大学の先生に言わせると、新入生の英語力がガタ落ちしていて、そもそも国語に問題がありそうだということだが、しかし生徒とか学生の語学力を教諭や教授がとやかく言うよりも、教える側がいい加減な言葉遣いをしているほうを先ず問題にすべきだ。教える側がいいかげんでは教えられる側がちゃんとするはずがない。
 よく、教える側の言葉使いに深刻な誤りがあり、これを教えられる側が指摘すると、「細かいことはいいんだ」とか「理屈を言うな」とか「生意気だ」などと感情的になるものだ。この原因は、何より立場が重要だという日本の「文化」にある。そして、偉い人はいいかげんでも許されてしまうことになる。
 こういうことから改めないと、学問は衰退はしても向上はしない。



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by ruhiginoue | 2017-11-20 15:01 | 学術 | Comments(6)
 韓国で14歳の女子が大学に合格したそうだ。韓国南東部の釜山にある霊山大学の法学科に、2018年度新入生の随時選考(日本の推薦入試に該当する試験。高校の内申点や面接、論述などの方式で進められる)に合格したという。
 同じ年齢の子は中学3年生で来年は高校に入学するが、その女子はすでに小卒認定試験と中卒認定試験に合格していて、2017年に入って高卒認定試験に受かり大学入試に応募する資格を得て、ついに大学に合格した。
 このイ・ジヨンさんは小学2年生の夏休みからホームスクール(自宅学習)をはじめた。彼女の母親は「ジヨンが幼い頃に英才教育の対象者として判定を受けるほど、非常に賢い面があった。従来の、学校という閉ざされた枠よりは、自由に学習できるホームスクールを選んだ」と明かした。
 また「近所にはホームスクールの家庭があまりなく、生徒間での交流ができなくて残念でした。ジヨンが、10歳の弟の面倒を見て、家で勉強をしていたのが一番大変そうで、それが偉いと感じた部分」とも。
 イ・ジヨンさんは「弟と携帯電話の使用をめぐってたびたび喧嘩した。それを協約書で解決した」「その時から、周囲の法的紛争に関心を持つようになった」と言い、それで法学科を選択したそうだ。
 彼女は、大学に通って一番やりたいことを訊かれると「思う存分、図書館で本を読みたい」と語った。家庭環境のため、読みたい本をすべて読めなかったという。そして大学の総長と面談した後、すぐ図書館に向かってプラトン『国家論』を借りた。学校側は、彼女があまりにも本が好きなので、入学前の図書の貸し出しを特別に承諾したという。
 このように、特別に熱心で優秀だったということだが、親が自由に意欲と才能を伸ばすべきだと考えた結果でもあり、また家庭の事情から大変でもあったというわけだ。

 ここで日本の反応は、学校や職場などでみんなと一緒でなければいけないという同調圧力に悩んだり、過度にみんなとつながろうとして疲弊したり、という問題が指摘されている。
 もともと、繋がることが奨励され、ひとりで過ごす人は「ぼっち」「非リア」などという言葉とともに、否定的なイメージで語られる風潮も指摘される。
 これが問題として語られるということは、それだけ日本も洗練されてきて変わったということだ。一昔前には無下に否定されただけだったから。

 かつて登校拒否の中学生が父親の理解により自宅で勉強し続けて司法試験に合格した、ということがあり、この報道に刺激されて自分も学校で教師や同級生に邪魔されず勉強したいと親に言ったことがあった。同級生も良くなかったが、それ以上に学校の教師たちがひどすぎた。
 しかし、そういうことは羽仁進(映画監督)の娘みたいに親が文化人で祖父母もインテリ(羽仁五郎と羽仁説子)の家庭なら、家庭の環境が良くて世間からも一種の異端として認められるからできるが、そうでないと勉強する環境がなくて不可能なうえ近所の目もある。うちのような下流家庭では到底無理だと母親に言われてしまい、泣く泣く諦めた思い出がある。




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by ruhiginoue | 2017-11-16 15:58 | 学術 | Comments(4)

高校生物は用語が多すぎ

 高校の生物の教科書で扱われる用語が2千語を超えており、日本史のような暗記科目であるという誤解を生んでいるとして、日本学術会議の分科会が、学習すべき用語を512語に絞るよう提言をまとめて発表した。

 この報道に「やはり」と思ったのは、ちょうど高校の生物の問題集(数研出版・新課程Lightノート生物)を買ってやっていたからだ。「ちょうど」といっても今年の前半のことになるが、用語の丸暗記ばかり多くて驚いた。なんと用語チェック一覧表まで付いていた。これが単調な作業でつまらなかった。読んで考えても理解できないということはなく、ひたすら暗記するものになっている。
 かつては、こんなではなかったはず。
 
 そう感じていたところ、同分科会によると、生物は扱われる用語が多く、生徒から知識の詰め込み科目だと受け止められ、大学で生命科学を志望する高校生も大学入試の選択科目で生物を敬遠しがちという報道である。
 そして、生命の設計図であるDNAが二重らせん構造である説明は求めつつ、構造を発見した研究者ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックの名は重要語から外したそうだ。当たり前だろう。これは生物学ではなく科学史に分類されることだ。

 このようにして他にも、枝葉の部分で必要不可欠ではないものを整理するという。
 そして改善されるのは結構なことだが、すでにやり終えた問題集で覚えたことは無駄ということになる。なぜなら、これは一般教養としてではなく高校の科目として内容を知ろうするのが目的だったからだ。



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by ruhiginoue | 2017-09-30 19:52 | 学術 | Comments(0)
 日本の都道府県の中で、最も多くの都道府県と境目が接しているのはどこか。
 この答えは長野県で、よく見ると少し埼玉県にまで接している。

 ところが、問題文の書き方が不適切で、単に「最も多くの都道府県と接しているのはどこか」という試験問題を出した学校があり、それで「海」と回答があった。それで正解だが、ちゃんと出題意図を捉えなさいということで不正解だったそうだ。

 地理の問題だからということなのかもしれないけれど、それと同じことでは「石炭を石油にする方法」という問題に対して「石炭を売って石油を買う」という回答があって、経済ではなく理科の問題だから不正解だが、本当は問題文にちゃんと「石炭から石油を抽出する方法」と書かなければいけなかった。

 これは、いい加減な出題をしておいて、今年の流行語大賞候補の「忖度」を求めると言うことだ。

 こういうことがよく小学校や中学校でも高校でも大学でもあるが、大学院の入学試験では、些細な誤りで大きな違いになることがもっと深刻なこととしてあり、そうした誤りを教授が問題文に書いてしまって、大学院ともなれば受験する方も詳しいから突っ込まれてしまう。
 それをわかってるから、よく大学院の入学試験では、回答だけではなく問題文も回収するのである。

 そうした大学院のことを考えると、小学・中学の先生の間違いなんか、かわいいものである。

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北海道の山道を歩いていたら、何か視線を感じたので、そちらに目を向けたらキタキツネだった。


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by ruhiginoue | 2017-08-18 11:11 | 学術 | Comments(3)
 大学で専攻したなどによって、そのことについて自分は詳しい、というのではなく、自分のやったことが属する分野を持ち上げて、だから自分は頭がイイとか、そうじゃない人はバカとか、そんな奇妙な信念というか確信というかを持って誇る人がいる。

 これが大きくマスコミで取り上げられたのは、70年代の後半に起きた「芸大汚職事件」のさい問題になった音楽学部で、マスコミのインタビューに対し学生が「ボクたちのように音楽をやっているものはアンタらと違ってバカじゃないんだ」と言う姿がテレビで放送されたことだろう。
 これは一時的に話題だっただけで、しばらくすると忘れられたが、一体何を考えてるんだろうと呆れられたものだ。

 これを、ずっと後になってから、真似したわけではないだろうが、よく理系の人が同じことを言うようになった。大学では時間的拘束が長いので、だからたくさん勉強しているのだと、つい言いたくなるという事情もあるんだろう。

 この属性に依存した空虚な自尊心は、自分のやっていることが最高だというオタク趣味の一種であるか、あるいは自分のやったことそれ自体には自信がなくて自分がやっていることが入る枠に誇りを見出そうとする「社会の落伍者の愛国」のようなものだろう。

 しかし、誇るならあくまでも自分がやったことの実質的内容であって、やったことが入っている枠組みではない。あたりまえだが、自称愛国者と同じように、安易だから縋り付くのだろう。

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今日の日が暮れる。

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by ruhiginoue | 2017-08-02 17:25 | 学術 | Comments(0)
数学の話を前にしたけれど、その続き。

天体に「イトカワ」と名前がついている「ロケット博士」の糸川英夫という工学者がいた。
その糸川博士が言うには、学校でやる科目を好きか嫌いかなんていうのは、ほんとに好きかどうかではないし、得意か不得意かという話になるわけはないそうだ。

なぜなら、それはあくまで学校でやる分野として分けられているものであり、基礎中の基礎しかやってないからだ。そして本当に自分にとって好きか得意かは、大学で何を専攻するか、さらに大学院に行くか、ぐらいになって初めてわかってくるものだそうだ。

それはもっともだ。では、なぜ好きな教科と嫌いな教科ができるのか。
これについて糸川博士が言うには、教科の内容それ自体ではなく他のことが影響していて、特に担当の先生の好き嫌いが関わっているとのことだ。

実際に糸川博士は、数学が自分にとって仕事に関わるから熱心にやってきたし、また数学自体が好きなんだけれども、ところが高校までは嫌いな教科だったそうだ。なぜなら担当の先生が嫌いだったから。なぜ嫌いかと言うと実に嫌な奴だったから。

よく解るように教えるんじゃなく、「どうだ
難しいだろう。できないだろう」と言ってニタニタ笑ってる陰険な人だったそうだ。
こういう先生、時々いる。誰だって、自分が出くわした先生の中に、何人か居た記憶がないだろうか。

だから、学校の教科に苦手意識なんてものを持ってはいけないということだ。



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by ruhiginoue | 2017-07-22 18:32 | 学術 | Comments(0)
 独占!巨泉さん家族の怒り「あの医者、あの薬に殺された」~無念の死。最後は寝たきりに

 これは週刊現代のサイトに掲載されている同誌の過去記事の見出しであり、本文は下のリンク先を参照のこと。
 「独占!」という見出しだが、実は同様の記事を他誌も同時期に掲載していた。
 これもすでに紹介したとおりで、医師が防衛医大に勤務していた当時、不正な手術が裁判になり、学会だけでなく防衛医大内の医師たちからも批判が出て、防衛医大を運営する国は敗訴したうえ控訴もしなかったという異例の顛末であった。
 この医師の「前科」について取材を受け、コメントしたこともすでに紹介したとおりである。(大橋巨泉氏のモルヒネ投与医師はニキビ治療専門家だった│NEWSポストセブン

 これらの記事についてTwitterで紹介したところ、これを利用してあの左巻健男という大学教授が中傷していると、いろいろな人たちから知らされた。左巻健男という人は、自分が批判されたことがある相手に、その批判された問題とは関係のない別のことに対して、ブロックなどしながら@を消してアカウントを曝して陰口するのが常套手段のようだが、また同じことをしている。そんなことをしても、大勢の人たちが見ているのだからすぐ判るし、大人がガキっぽいことしてると思われるだけだ。 

 ところで上記の記事の話題に便乗して、左巻健男という人はTwitterでこう書いたのだ。
 「この医師を前科者と言えるなら、名誉毀損で裁判で負けて賠償金を取られたことがあるruhiginoue氏も前科者だけどなあ。」
 これもすでに紹介したとおり、名誉棄損裁判で勝訴して賠償金を取ったが、取られてはいない。また、取られた者が2ちゃんねるで仕返しと嫌がらせのつもりでいろいろと書いていて、そのため送信元の情報開示請求で同掲示板を経営している会社の登記簿謄本を東南アジアから取り寄せたという話と、これがそうだと画像の掲載をしているから、記憶している人もいるだろう。

 前にも言及したことだが、左巻健男という人は他の人に対しても「大阪のナマポ」と実名が判る形で中傷していた。これもやはり、もともとは2ちゃんねる掲示板の中傷だった。これを左巻健男という人は自分のブログで受け売りしていた。そして問題になってから伏字にして「屁を放って尻すぼめる」という諺のとおりであった。
 このように差別をするから、大学教授ともあろう者がと当たり前の批判したところ、その仕返しに2ちゃんねるネタをまた、というわけだ。

 さて、上記でいう「前科者」とは、もちろん刑事事件のことではないし、過去を無意味にあげつらうのでもなく、その医師が同じ問題をまた起こしたという意味である。これは話の流れから判ることだ。それを別問題とこじつけ事実に反することまで書いた左巻健男という人の無見識とやり方の卑劣さに呆れるしかない。

 そもそも問題の医師の過去は、国の機関に勤務する公務員が公務として行ったことに関する事実であり、しかも人命に直接的に関わることだから公益性があるけれど、名誉毀損は私的な事実にすぎない。
 だから、まず問題の次元が違うことを並列や比較するのは不適切であり、また私的事実を安易に公然化すれば、嘘ならもちろん仮に本当であっても、名誉毀損となり、個人情報の問題にもなる。
 この二点が左巻健男という人の認識から欠如している。これでも東京六大学の二か所で教鞭を執る教授なのか。やり方が陰湿なのは性格だからということかもしれないが、学問的見識まで疑わしくなる的外れは何故なのだろうか。的外れを江戸時代からの俗語でスカタンというが、これにより左巻健男という人は迷惑行為を繰り返すので反社会性を帯び、個人の問題では済まなくなっている。

 


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by ruhiginoue | 2017-05-15 17:42 | 学術 | Comments(4)

戦争の後遺症

 先日の日経新聞に「昔の漫画でよく登場したカミナリおやじはPTSDを発症した復員兵だったのではなかったか?」という記事が載っていて、たしかに20代で戦争に取られて30年後の漫画が盛んになる1970年代に50代になるということで辻褄は合うとの指摘があった。

 そういえばサザエさんの夫マスオさんは復員兵だという説がある。
 よく、妻の実家に同居している人として引き合いに出されるマスオさんは、夫婦で住んでいた借家の塀を壊して薪にしようとしたから大家と喧嘩になり、それで妻の実家に同居という経緯だった。
 そして、中国など戦地で日本兵は、地元住民の家や家具を壊して薪にしていた。雨の中での行軍で濡れてしまうと、地元の民家に押し入り銃をつきつけて家や家具を壊し薪にして焚火をし、そうやって服と身体を乾かす。
 とくに中国人は家具を大事にするが、それを運びだして中国人が泣き叫んで懇願しても無視し、抵抗すれば容赦なく殺した。
 こういうことをしてきたので平気になってしまい、帰国してからもマスオさんのようなことをする人たちがいた。だから原作のマスオさんは世代的にそうなので復員兵だったと言われる。
 
 また、戦後まもなくの食糧難のとき、食べ物を分けてくれる農家を紹介するなどと言って女性を騙して誘い、強姦のうえ殺害する事件を連続して起こし死刑になった小平義男も復員兵だった。
 その小平義男は、警察の取り調べに「兵士として中国に行って、強姦殺人をなんどかやってきた。それが日本の軍隊では当たり前だったが、自分は日本に帰ってきたのにやってしまった」と自白した。

 うちの親戚にも、軍人恩給をもらっている人がいたが、中国戦線から帰ってきてから性格が変わってしまったと親族から言われていた。
 そして、わが映画ソフトコレクションを暇つぶしに観ていたうちの母親は、そのうち『ゆきゆきて神軍』を観てから「これは爺さんに見せられない。見せたら気が狂うわ」と言ったのだった。

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by ruhiginoue | 2017-04-19 16:15 | 学術 | Comments(2)
 小学校低学年の当時、もっとも嫌いな科目は算数と音楽だった。なぜなら記号が苦手だったからだ。なんでこんな書き方をわざわざするのかと不可解だったことが原因だ。意義がわからなければ受け容れにくいものだ。
 これを学校の教師に質問しても、とにかく授業でやることだという返答しかなかった。たまたま教師のめぐりあわせが悪かったのかと思ったら、他の学校に行っていた人に訊くと、同じようなものだったそうで、どこも大体そうではないかと言われた。そうでない例外的な教師に出会った人は少数の幸運な人なのだろう。

 また、小学校の理科で地球も太陽もそのほかの星も宇宙にあるという話なので、では「宇宙はどこにあるのか」という質問をしたら「無限」だという教師の答えだった。
 そんな答えでは何も学校で教師に教わる必要がない。SFアニメでも観ればいい。最初に「無限に広がる大宇宙」とナレーションがあったりする。
 
 さらに、高校の数学で、担当の教師に質問していると「おまえは大学に行って数学を専門にしたりフィールズ賞を獲ったりしたいのか?今度の試験で赤点にならなければいいんじゃないのか」と言われたが、これでは単位を取るためだけで面白くない。
 
 ところが、アイザック=アジモフの本を読むと、宇宙がどこまで続くかは解らないと書いていた。それは、大陸の真ん中にいても人間の大きさならその先に行って海があるなどを知ることも可能だが、蟻だったら無理だ、というのと同じで、宇宙に比して人間の大きさでは無理ということだ。
 これなら納得だった。少なくとも学校の理科の教師よりは、ちゃんとした説明だった。

 そして音楽の記号も、伊福部昭の本を読むと、これは楽譜に記載するためだと書いてあった。わざわざ記号にしたり外国語まで使用するが、そうやって共通の表現を決めて使用すれば、他人に伝えることが容易で正確になり、外国人でも解かる。これは録音が無かった時代にはもっと重要だった。
 これなら納得だ。ただ授業で習うのだから憶えなさいという教師より、ちゃんとした説明だ。

 とにかく、学校で習うことも納得できないから親しめないということが多いし、苦手というのも個人的な体験からの偏見だったりする。
 もちろん、全体的に勉強が好きでない人なら、特にめんどくさいと感じる科目に嫌悪感を抱くということもある。
 例えば、曽野綾子が数学の特に難しくないものを、学校に無用だ自分も必要じゃなかったとかギャーギャー言っていたが、ただ手前が苦手だっただけという情けない話だろう。
 それと同じで、百田尚樹も漢文と中国の悪口とこじつけて学校の授業からなくせと喚いているが、ただ学校で苦手だっただけだろう。
 勉強ができなくて小説家になった人が、できる人の邪魔をしてはいけない。

 それに、小説で食えるならそれで満足していればいい。先日、歌手の宇多田ヒカルがタクシーに乗っているとき発声のウォーミングアップをしていたら、彼女だと気づかない運転手に歌手志望かと言われたことが話題だったが、アイザック=アジモフはタクシーに乗っているとき「運転手しながら小説を書いている。SF作家になりたい」と言われ「SFはやめときな。食っていけないよ」と忠告したら「でもアイザック=アジモフは食ってますぜ」と言われたそうだ。

 あと、フィールズ賞数学者の広中平祐は、八十年代に時の中曾根総理から教育改革について意見を求められたら「スペインに優秀な学者が少ないのは、フランコ政権時代に大臣や官僚たちが内政にも外交にも口を出せないので教育に口出したからだ」と凄い皮肉のようなことを言っていた。
 たしかに、独裁政治は教育に干渉するものだが、これは同時に、教育にしか口出せなくなるということでもある。

 そのうえ、独裁政権が有名人を利用したら、その人実は勉強の苦手な人で、なのに教育に口出しということになるから、とても困ったことになるのだ。
 



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by ruhiginoue | 2017-04-09 20:51 | 学術 | Comments(6)

文系の顔と理系の顔

 大学で文系の人は丸顔で理系の人は面長だと言っている人たちがいる。そんな印象があるれど統計をとったわけではなく、おそらく理系の人は頬がこけているからで、顔の形が違うのではないだろうとか、頬がこけているように感じるのも錯覚で、太っている人もよくいるから、神経質そうな顔つきによる印象だろうとか、いろいろな指摘がある。

 また、女性が男性に対して、イケメンは文系の方に多く、理系はオタクっぽい、という偏見をもっている人もいるが、これは文系に比べて理系にはオシャレしない人が多く、なぜなら実験などで服が汚れるからだと言う指摘がある。ちょうど芸術系で、音楽学部はオシャレする人が多いけど美術学部は汚れてもいい恰好をしているというのと同じことのようだ。
 
 このように、他の事情による印象が大きく影響していると言える。

 かつて83年だったと思うが、NHKのトーク番組『YOU』で、文系と理系というテーマだったことがある。その当時は不明だが、この直後は司会が糸井重里になっていた。
 この番組の中で「文系の顔と理系の顔」ということで大学生たちの顔を比較していたが、文系は良く言えば優しそう悪く言えばオットリという人相で、理系は良く言えばキリッと利発そう悪く言えば冷たそうという人相だということだった。
 これもサンプルが少なすぎて比較にならなかったが、ことさら極端な例を挙げていて笑い話にしており、つまり真面目なものではなかったのだろう。

 ここでSF作家の小松左京がゲストに出ていた。外国語を専攻した立場から科学を題材にした小説を書いているということで話をしていた。
 また、このとき彼が原作と製作をしていたSF映画『さよならジュピター』の話をして、その場面も一部紹介されていた。走りだったCGを本格的に使用したりと凝っていたが大赤字を出してしまったという映画だ。『日本沈没』のようなヒットを期待して引き受けて災難となった東宝は、続けて久しぶりにゴジラの新作を同じ監督で作り、これで取り戻したということだった。だからおそらく製作年度から83年の放送だったと推測している。

 しかし番組が面白くなかったのでテレビを消してしまったのだが、なのに同級生が興味深々で観たと言っていたから不可解だった。おそらく、学部と人相とか言っていて真面目な番組ではないと思った否かの違いだろう。
 やはり顔なんて関係ないはずだ。



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by ruhiginoue | 2017-02-26 16:11 | 学術 | Comments(2)