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by ruhiginoue

カテゴリ:学術( 102 )

 ホタル生息には水清くなければならない、とは昔から言われていたことで、矢島稔という有名な昆虫の専門家の著書にもある。この人は日本ホタルの会の会長もしている。様々な著書があるなかには松本零士との共著もあり、昆虫を擬人家した楽しいイラストが載っている。ホタルを例の睫毛の長い女性にしていて、人間がゴミばかりにした環境を嘆き、そこでウジ虫やゴキブリが「我々にとっては住み心地が良いのだが」と言っている。
 この本で、矢島稔は「地球は昆虫惑星」と述べている。それだけ圧倒的な数である。
 同じことを述べているのが、ハワード=エヴァンスで、やはり地球は虫の惑星だと言う。彼はホタルの生息についても興味深いエッセイを書いている。

 こういう著書に小学生のころから接してきたので、昆虫にちょっとした関心はあるけど、板橋区の「潰された」昆虫館とその中心的だった昆虫学者「ホタル博士」とは、考え方がかなり異なるように感じる。
 そのひとつが、環境を人工造成という発想で、これは子供が水槽で昆虫を飼うことから大学等の研究室までやっていることではあるが、目的と手段が逆になっているとしか思えない。
 もちろん、当人には言い分があるのだろうが。

 しかし、このことと、板橋区の共産党区議会議員がその博士に訴えられたことは、話が別である。これは、先述したとおり、こちらは法律の問題から区議の誤りを指摘しただけだ。
 すると、その区議は、その博士を擁護する人たちと、こちらを同一視させるよう印象操作した。こうした、裁判について嘘を言触らしてごまかすという卑劣さを、ここでは問題にしているのだ。
 
 この昆虫館の博士については、専門を逸脱して珍奇な説を唱えたと批判されているが、批判している側が気づかないだけで反論する余地もありそうだ。ただ、この博士には、慎重さに欠けるとか、こじつけっぽい話とか、そういう印象はある。
 しかし、これをあげつらっても、彼が起こした裁判の趣旨とは関係なく、むしろ姑息なイメージダウン戦法とみなされるだけだ。争点と直接関係ないのに周辺をあげつらい貶める共産党区議は、自信がないからそんなことをしてるのかもしれない。これは裁判官の心証が悪く、不利になることがよくある。

 なので、もし自分が原告だったら、「仮に私の言ったことに何か異論や間違いがあったとしても、それを裁判の争点と関係ないのにあげつらい、議員の立場を利用して支持者に同調を呼びかけ焚き付けて攻撃するネットリンチはフェアではなく、違法な自力救済であり、少なくとも訴訟中に行うものとして不穏当であり、これは被告に自信がない証左だ」と法廷で主張するだろう。

 もちろん裁判は弁護士とか裁判官とか政治情勢とか、いろいろ影響する勝負事だから「水物」であり、結果はなんともいえない。しかし、まだ裁判が始まったばかりというところで、汚いやり方を共産党議員が執拗にやったという事実は既に確定している。

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by ruhiginoue | 2015-09-08 18:40 | 学術 | Comments(0)
 イタリアの医師チェーザレ=ロンブローゾは、処刑されたり刑務所に入れられたりしている囚人を詳しく調査したところ、共通する身体的特徴がみられるので、犯罪者は産まれ付きの原因があると結論し、有名な「生来犯罪人説」を発表した。
 これは発表と同時に多くの批判がなされた。その身体的特徴を有している者がいるかどうかは、犯罪者とそうではない人たちとで大きな差があるわけでなく、またその特徴とは差別を受けている人種や民族に多くみられるから、失業などが原因で犯罪に手を染める人が比較的多い現実がある。
 つまり、ロンブローゾは医学者として純粋に科学的な見地から研究をしてはいたが、そこから得たデーターだけを見て結論づけてしまうという失敗を仕出かしたうえ、自分の専門に閉じこもり社会的な要素に無知だった、というわけだ。
 だから、すでにロンブローゾの説は否定されたうえ、後に「疑似科学」と評価されている。

 これとソックリなのが、大阪大学の菊池誠教授だ。この人はニセ科学批判に熱心だが、やはり自分の狭い了見から勝手な憶測をして、それを科学的だと強弁している。これは周知のことで、多くの指摘がある。
 その「ツッコマレ」たうちの一つが、「科学的になれば差別はなくなる」というデタラメ発言だ。現実社会で差別の原因は何かという常識を知る者なら、このようヒキコモリーオタク発想はしない。
 あのハンセン病国倍訴訟も、医学の進歩により無用であることが明らかとなっているにもかかわらず隔離政策が続いたので訴訟になり、国の責任を司法も認めた。
 だから、世間知らずの専門バカというべき発想をすると、結局は「ミイラ取りがミイラになる」ように疑似科学に手を染めるのである。

 他にも、こういうヒキコモリーオタク発想をする人が「専門家」と称する人たちには多い。当たり前のことだろうが。
 
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by ruhiginoue | 2015-09-04 22:26 | 学術 | Comments(3)
 かつて野坂昭如のオカルト番組批判に賛同して一緒に抗議していた大槻義彦教授は、すっかりタレント化してテレビのCMにまで出る始末だった。手当たり次第に科学的根拠が無いという決まり文句で、それ自体がギャグの様相を呈していた。
 そもそも、野坂昭如がテレビ番組に怒ったのは、戦争の犠牲になった子供の霊を呼び出して喋らせるという不謹慎な内容だったからだ。実際に「霊能者」宜保愛子がアンネ=フランクの霊を呼び出したとして話した内容がいいかげんで、戦争体験のある者としては誰だって我慢ならなかったからだ。

 これと似たようなことは、幸福の科学の大川隆法が勝手なことをしまっくていて、そこに政治性があって人身攻撃までするから批判されている。そうした反社会性を帯びたものでなければ、死者の霊と話ができるという人の話は面白いし、それだけなら問題ではないと野坂昭如も言っていたように、目くじらを立てなくてもいい場合が多いだろう。

 しかし、大槻教授はタレント化するに従い「片っ端から非科学的」がエスカレートし、まるで差別糾弾が「言葉狩り」に転嫁していくのと酷似していた。
 それとは違い真面目だと謳われていたのが安斎育郎教授であるが、その著書について内容が可笑しいという話を東大でされた体験を前に医療裁判の話で紹介したとおり、自分の守備範囲でないというだけで否定するなど、かなり問題のある言動をしている。
 そして、やはりテレビに出てタレントふうのパフォーマンスもしていたが、なにより「知的資源の無駄遣い」という言葉を使い、先輩風を吹かせるというか権威者ぶるというか、ちょっとした好奇心まで頭ごなしに否定する姿勢に疑問を感じざるを得なかった。わかりきったことだといわれていても一応は疑ってみる姿勢は科学に限らず必要だし、自ら探求したうえで間違いだと判ったのであれば、成果はなくてもその過程に意味があるはずだ。

 さらに左巻健男とか菊池誠といった人たちが騒ぎ始めたが、この人たちについては、ここで改めて言わなくても既に色々な人が色々と言っている。

 そして、何をもってホンモノか、ニセとは何か、という定義も定まっていないのに「ニセ科学」と喚く滑稽な風潮が見受けられるようになった。ここには自分の尺度に合わないことにとりあえず否定の烙印を押しているだけの単純さが目立つ。

 しかし単純であることには意味がある。素人むけに本などを売ろうとするから、これに合せなければならない。
 また、ニセ科学批判本を買わされてしまう人は、もともと科学の本を読まない人だろう。なぜなら、そもそも科学の本を読んで自分の頭で考え何が正しいかと判断するのであれば、ニセ科学批判の本は要らないのだから。
 しかも、もともと科学に疎い人は、その批判が正当であるかの判断ができない。そうなると単純化され煽り説得するようにされたら、鵜呑みにしてしまう。これでは、ニセ科学に騙されるのと構造が一緒である。

 もちろん、正しい知識と判断は必要だけど、ことさらニセ科学と騒ぎ、あなたは騙されると脅すようにして本を売りつけるは一種のコンプレックス商法だ。科学的な間違いを話す人を擁護してもいけないが、無知の劣等感を植え付けてそこにつけ込み丸め込む手口にひっかかり買わされるのでは、バカにされながらカモにされるということだ。
 つまり、ニセ科学批判の本は、もともと知識や判断力がある人にとっては無用であり、逆の人にとってはむしろ有害であるとさえ言えるものだ。


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by ruhiginoue | 2015-09-01 20:27 | 学術 | Comments(2)
 『火垂るの墓』の原作者である野坂昭如は、テレビ局の企画で今は亡き「霊能力者」宜保愛子が「アンネの日記」を霊視するという番組に激怒して抗議したことがある。死者の霊と話ができる人というだけなら面白いと思ったが、興味本位で戦争の悲劇それも子供の犠牲者を興味本位な見せ物のネタするなんてとんでもない、と。
 この宜保愛子という人は、もともと塾の教師で、英語が担当だったそうだ。そのうえ会話も堪能で、あの「超能力者」ユリ=ゲラーとも英語で直接話していたといわれる。
 この一方で、家族を亡くして悲しんでいる人の相談に乗り、塩と線香で供養する簡単で安価な方法を用い、多くの人を慰め励ましたから「愛の霊能者」と言われた。
 ところが、これにテレビ局が眼をつけて見せ物にした。そして、最初は相談料といっても数千円の謝礼だけ受け取っていた人だったのに、高額な報酬を渡されテレビ局の言いなりになったらしい。そういうことで批判されていた。
 
 もっと前から、心霊現象のトリックを暴露してきたのは、手錠抜け箱抜けで引田天功らに大いに影響を与えた奇術師のハリー=フーディーニだった。自分もトリックを駆使して見せ物にしているが、あくまで人を楽しませるためにやるならともかく、家族を亡くして悲しんでいる人の気持ちにつけ込むなんて許せないということだった。
 これと同じことを、「サラリーマン超能力者」と謳う高塚光という半ばタレントも言っていた。宜保愛子は人の心を暗くしていると言う趣旨だった。しかし、彼女は最初は逆だった。テレビ局に乗せられて変わってしまったと言われている。

 また、高塚光は、身体の具合が良くない人を超能力で良くすると称し、この「技」を実施したことで相手が良くなったと感謝しても報償は取らず、早くやめて本業のサラリーマンに戻りたいと言っていた。
 ところが、テレビ局の企画に乗ってトリックをしていたという批判もある。あのMr.マリックという奇術師に師事したともいわれていて、ユリ=ゲラーはMr.マリックと同じ師匠に付いていたという話だ。これは後藤民夫氏の著書で日本テレビ批判のさい、オカルト番組好きの日テレという中で言及されていた。宜保愛子もおもに日本テレビが利用していた。
 
 もともと高塚光の治療とは暗示をかける催眠術だったといわれているが、それを超能力と言うだけならシャレとして許されるだろう。それがテレビに利用されていたら変なことになったということであるし、これは宜保愛子も同様で、ただ『アンネの日記』のようにシャレにならないことに及んでは社会問題になるだろう。

 つまり、ある許容範囲を超えてしまうと問題となり、そのさいマスコミが商売に利用すると、歯止めが利かなくなるということだ。
 この点は、逆にというか批判している側にも同じことが言える。よくテレビでは、超能力などを散々とりあげておいて、それがトリックであるとバレたら、今度はカラクリを暴くという番組を作ってまたネタにする。そして、最初からこれを商売にする人たちが目立ち始める。

 以下は、前にここで続けて書いていたけれど、長くなったうえまとまりがなくなってしまったため、やはり次の回に分けて掲載するので、そちらを参照いただきたい。


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by ruhiginoue | 2015-08-31 19:01 | 学術 | Comments(7)
 どっかの知事が、数学のサイン・コサイン・タンジェントなんて女性は使わないと言ってしまい、批判をうけて撤回ないし謝罪のようなことを言っていた。

 ただ、昔は、男なら使うが女は使わない世界があった。軍艦に乗っていた人が、必要だったから軍の講習で覚えたと言っていた。戦艦が主砲を発射して敵艦に命中させるには、弾の射程距離と敵艦との距離から砲塔の角度を決めるので、三角関数は必要だった。
 また、建築現場に山や池など障害物があって直接測れない場合に、他の場所を測ってそこから計算することができ、力仕事は男性が主にやるとしても、測量や計算なら女性がすることもある。

 こういうふうに、意義を説かれてやると、興味がわいて取っ付き易く覚え易い。それがないから、だいたいの学校の授業は無味乾燥でつまらないものになるのだろう。
 それに対し、軍艦に乗っていた爺様の話は、敵艦を攻撃する話をスリリングに話しながら、また宇宙戦艦ヤマトの主砲は砲弾と違って光線が一直線に飛んで行くのだから砲塔が動く必要はないとか、面白く話しながら数学の話も教わったので、学校と違って容易に覚えられた。数学の教師ではない人のほうが教え方が上手かった。

 あと、知事の発言を女性差別だと言って批判する人たちがいるけど、性別よりも問題なのは習う意義を知らない人が多いことだ。これは、自分で使わなくても、使っている連中に騙されないように知っておいたほうがいい、という意義がある。むしろこちらのほうが大事かもしれない。


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by ruhiginoue | 2015-08-31 18:01 | 学術 | Comments(8)
 『きけ わだつみのこえ』を読むと、今の安倍政権が学問に介入しているのは、戦時中とソックリであることがわかる。しかも、歴史や哲学は役立たずだから廃止しろとは、『シンドラーのリスト』に出て来る強制収容所の話とまったく同じだ。

 そんなとき、商売でくだらないコメントを時勢に迎合して吐く人が、また言っていた。
 「人文知は、趣味として生き残ればいい」東浩紀さん:朝日新聞デジタル
 この東浩紀と言う人の不見識はこれに限ったことじゃなくて、全体的にこの人はおかしい。

 大体、学問か趣味か、どこで線引きするのだろう。自分のことを思い出すと、高校の理科は、特に地学なんか、SFや恐竜の話を読みまくっていたため、小学校の頃から知っていることばかりで、全く授業聞いてなくても教科書を読まなくても試験はほとんど満点だった。

 そもそも理科系こそ趣味だろう。大学や大学院でやっている内容を知ったら、ガキの頃に夢中になっていた『学研の科学』とか『子供の科学』の延長だったので呆気にとられた。
 ただ、こうした雑誌に掲載されている広告の高価な商品に、手が出る人と出ない人とで差がつく。今は昔とちがって天体望遠鏡や顕微鏡もだいぶ安くなったけれど、大学に行ってまでやらないのは、理科系は金がかかるからか、他にやりたいこと、やらなければならないこと、があるかの、どっちかだろう。


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by ruhiginoue | 2015-08-21 15:56 | 学術 | Comments(7)
 志村けんの「だいじょうぶだぁ」という番組名の由来は、加藤茶と一緒にやっていた番組での風刺コント「新興宗教だいじょうぶだぁ教」だった。悩み事を抱える人に、とにかく大丈夫だと暗示をかけて、これが好評で信者が急増する。
 実際に、「ライフスペース」というカルト団体の事件があった。「グル高橋」と名乗る教祖が、入信すれば不治の病も治ると宣伝し、入信したけど亡くなってしまった人については死んでいないと強弁した上で「これは定説です」と繰り返した記者会見が話題になった。

 これを思い出したのは、原発事故の問題のためだ。事故から一年も経たないうちから「勉強不足で、まさか今だにチェルノブイリでは...なんて、同じように思っている人はいないと思いますが...」と前置きされ、チェルノブイリとは比較にならないくらい軽微なものだから心配いらないという話になり、質問も出来ない、という「放射線勉強会」が、いわき市であったと、それを信用せずに避難した人が言っていた。
 このような話は、「次第にわかってきた」などと言ってるけれども、それよりずっと前の、まだ何もわからないはずの時から、同じことを言われているものだ。
 実際に、いわき市はまだ検査体制も整っていない2011年4月9日に農作物の安全宣言を出している。

 これについて、よく知らないけど元新聞社に勤めていたらしい烏賀陽弘道という人が、著書の要約をツィターに掲載していたので、以下のように引用する。引用なので編集は加えていない。

1)政府や福島県とその系列の学者がよく使うレトリック「低線量・長期被曝の健康への影響は科学的に証明されてない」は「影響がないと科学的に証明されている」とはまったく似て非なるものです。「影響があるとも、ないとも証明されていない」としか言っていません。
2)この混同しやすいレトリックを意図的に使っていること自体が非常に欺瞞的で不誠実なのです。
3)故郷への帰還を願うフクシマの人々にすれば、「低線量・長期被曝の健康への影響は『ない』と科学的に証明されている」と誤解する、あるいは「どっちかわからない場合は、影響はないと科学的に証明されていると解釈したい」というバイアスがかかっています。それを利用している。
4)なにしろ万人単位の住民のうえに放射性物質がランダムにばらまかれたという現実そのものが人類史上3回(イギリスのウインズケール事故を含めると4回)しかないので、実測データはほとんどない。しかも発ガンの潜伏期は30年に及ぶのに、スリーマイル島原発事故は36年前です。結論がない。
5)スリーマイル島原発事故の疫学調査データを一次資料で読むと、がんや心臓疾患の患者数は増えている時期が5年続き、次の5年で減り、次の5年で増えたりする。そして男女、居住地、生活習慣で増減が変化します。それを疫学者は「統計学の定義で全体を貫く関連性は見つからなかった」と結論した。
6)スリーマイル島原発事故に限らず、ほかの低線量長期被曝でも「統計学の定義で全体を貫く関連性」が見つかることはまれです。当然でしょう。全年齢、全時代、男女、全居住区、全生活習慣を貫くような増加があったら、それは「全員が病気になった」ということなのです。
7)ですから「全体を貫くような統計学上の関連性の定義に合致するような事実はなかった」というのは(やや雑駁ですが)「全員が病気にはならなかった」と言っているにすぎません。これはウソではありませんが、数百〜数千ページの一次データを一行で結論づけるには、こうとしか言いようがないのです。
8)こうした「全員が病気にはならなかった」(=被曝と病気の増加は統計学の定義に合致する証拠が見つからなかった)にすぎない結論を、日本政府・福島県とその系列の学者たちはつまみ食いして「低線量・長期被曝と健康被害の関係は科学的に証明されていない」という表現に言い換えています。
9)しかも、日本政府・福島県とその系列学者のいう「低線量・長期被曝の健康への影響は科学的に証明されていない」というレトリックは、万一健康被害が出て訴訟や刑事告発になっても「いやいや、健康被害が『ない』とは言っていません」と言い逃れができるようになっている

 以上、引用。

 これについては、自分の医療過誤の被害および訴訟の体験からから実感している。専門家が大丈夫だと言っても、それはあくまで彼らの尺度や都合である。後から問題が起きて、それにより前に言ったことの間違いがわかっても、あの当時の科学(医学)の水準では正しいと思われていた。だから我々に責任は無い。そう開き直るのだ。
 これはまさに、万能の言い逃れ術である。だから、逆にと言うか、専門家と称する人が間違いないと言えば言うほど危ないのだ。それがその時点で[は]確かであればあるほど、後から責任逃れしやすいのだから。
 それをわかっていて、わざと言うのが「専門家」である。そうやって合法的に人を傷つけたり見下したりすることで倒錯した優越感に浸る者が、大学などで「先生」と呼ばれている人には、非常に多い。

 比べてみるといい。
 烏賀陽弘道 被曝の影響など、これまでなかった話なのでわからないから、大事をとって子供や妊婦は避難し、何もなければめでたし、でいいんだ。
 菊地誠 被爆の被害なんてあるわけないのに、被害が出て欲しい人いるんだよ、被害なんてないほうがいいのに。
 以上は大意で、また、どちらも普段の言動に好感を持てない人だが、それでもどちらが健全な発想であるか。

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by ruhiginoue | 2015-08-21 15:16 | 学術 | Comments(0)
 文部科学大臣の「歴史や哲学等の人文科学等の学部は社会的要請が低いから組織廃止やもっと社会に役立つ分野へ転換せよ」という通知で思い出した。
 アカデミー賞をさらって話題だったスピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』に、こんな場面がある。ナチが強制収容所でユダヤ人を強制労働させるにあたり役に立つかを分類し、役立たずとされた人が「私は歴史と哲学の教師なのに」と怒り嘆く。
 つまり、安部内閣の発想はナチの強制収容所と同じということだ。

 また『シンドラーのリスト』には、理科系だから役に立つと自ら売り込んで殺されたユダヤ人女性も描かれていた。大学で建築を専攻したから役立つけれど、収容所長としては、自分より勉強ができる奴が憎かったわけだ。
 お坊ちゃん私大卒の大臣たちが、国立出を憎み、既に独立行政法人となっているはずなのに、学部廃止や日の丸と君が代をやれと指図するのと同じ僻みだ。

 同じ題材が含まれるパクラ監督の映画『ソフィーの選択』では、ソフィーの父と夫が学者で、ナチを批判したから殺されたと嘘を言っていた。実はユダヤ人嫌いでナチを熱烈支持していた。しかしインテリというだけで、いずれ邪魔になるかもしれないと、殺されたのだった。
 
 この映画を最初に見た時、ナチが理不尽なことをしているうちに極端なことまでしたとしか思わなかった。
 しかし、ちょうど、安倍内閣が強行採決した法案は、御用学者と呼ばれている人にまで、国会に呼んで意見を訊いたら憲法違反だと指摘されてしまったし、そんな法案を無理に成立させようとするので、これまで改憲論者として有名だった慶応の名誉教授も激怒し、自民党を猛烈に批判している。
 だから、知識がある者は、それまで好都合でも場合によっては不都合になるので、最初から邪魔にするということが、今ではよくわかる。

 上記の映画だが、どちらも音楽が印象的だった。『シンドラー』はジョン ウイリアムズがアカデミー賞で、バイオリンソロがイツァーク パールマンだった。
 『ソフィー』はマービン ハムリッシュ。
 どちらも映画音楽の名作曲家。
 
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by ruhiginoue | 2015-07-16 23:16 | 学術 | Comments(3)
 『患者よがんとたたかうな』『がんは切れば治るのか』など、近藤誠医師の本は何冊か読んでいる。彼が勤務する慶応大学には、慶応病院で会った医師もいるし、他の大学病院で会った後に慶応に転勤した医師もいるし、まったく個人的な知り合いの医師もいて、その評価は色々と聞いている。

 あの、今は亡きマイケル=クライトンは、ハーバード大の医学部に在学中に医学を扱ったミステリーを書いたら売れたうえ受賞もしたが、大学で先生や先輩から色々と言われるのを避けるために英国在住の架空の医師が著者だということにしていた。渡辺淳一も色々と言われているが、本を書いて売れると、マスコミ向け一般大衆受けのを狙っているということで、大学では目の敵にされることがあるようだ。

 これは他の学部でもあり、例えば筒井康隆が『文学部唯野教授』という小説で、文学部の教授が小説を書いて受賞したら、それを妬んだ同僚から敵意むき出しにされる様子を笑い話っぽくネタにしている。

 ところで近藤医師の著書は、抗がん剤の問題とか手術の問題とか、一理あるかなと思ったが、自分が専門の放射線治療を推奨するんで我田引水と感じた。もともと放射線治療にもいろいろ問題があり、だからもちろん広瀬隆など、かなり批判していた。
 しかし、それより、最近では近藤誠が曽野綾子と対談というから、いかりや長介じゃないが「駄目だこりゃ」と思った。

 がん治療への医師からの告発に対し、医療の否定だという医師からの反論、どっちもどっちというところで、まるで「ゾウは、どんな動物か」「もちろん、鼻が長い動物だ」「何を言っているんだ、身体が大きい動物だ」「いや、牙が生えている動物だ」というのと同じくらいの視点バラバラである。

 こうした議論の虚しさは、これからますます、多くの国民にとって医療が無意味となっていくことにある。どっちにしても、治療には金がかかる。そして、多くの国民は金がなくて無縁なものになる。株価を操作するため年金をつぎ込んだりTPPで金持ち有利にしたりでは、庶民は重い病気になったら観念するしかない。
 つまり、政治の前に医者は無力ということだ。だから、せっかく医者になったのに、政治家になっちゃう人がいるのだ。せっかくピアノがうまいのに、なんで指揮者になっちゃのかな、というのと同じことだ。


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by ruhiginoue | 2015-07-10 20:56 | 学術 | Comments(0)
 教育学で「学校適応過剰」というのがある。「不登校」など学校に適応できない者がよく問題になるが、それとは逆に、学校にしか居場所が無い人のことだ。
 そして、不登校などとは違って問題になりにくいが、それによってむしろ深刻な問題になる。学校から出られないし、社会に出ても、学校の中の型にはめた物の見方しかできなくなる。
 
 これには色々な具体例があるけれど、その一つに、人を「文系」と「理系」で区別したがる者のことが挙げられる。
 そもそも文系と理系なんてことは、学校で分類された科目の選択でしかない。しかも、得意かどうかで選択するとも限らない。なのに、それに基づいて能力から人格まで解るという人がいるれど、それは血液型性格判断とほとんど変わらない荒唐無稽さだ。
 
 そして、ここからどんどん変なことになる。例えば、文系は情熱的な人がいると言われたりするが、それは文学部で小説とか演劇が好きな人に目立つというだけで、あくまで一部だろう。
 また、理系の大学に通うか出たかの人たちが、文系は暇で不勉強と見下し、そういうツイートも見かける。これも、一部を見ているだけだ。まず時間拘束で計るのが不適切だし、それ以上に、学費が高いとか働きながら勉強するのが困難で理系進学を断念する人も大勢いる。
 ここで特に悪質なことは、本人の責任でない親の所得格差で恵まれた人が、そうでない人を見下すことだ。とても恥ずかしいことなのだが、それに気づかない人が少なくないのだろう。

 そこへ、今、不良内閣がつけ込んでいる。デタラメでもいいから政府のすることを正当化させようとして、御用学者を動員することは昔からあったことだけど、それすらできない安倍内閣は、ついに学問そのものを否定するようになったというわけで、まさに 「焚書坑儒」だ。

 しかし、政治のお粗末に気づくのは人文系だけではない。フィールズ賞を受けた数学者の広中平祐氏は、時の中曽根首相から教育改革について意見を求められたら、こう言った。
 「スペインに優れた学者が少ないのは、フランコ独裁政権時代に閣僚たちが内政に意見できないので教育に口出ししたからだ」


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by ruhiginoue | 2015-06-27 06:24 | 学術 | Comments(2)