井上靜の気楽な日誌です。気楽にコメントしてください。おたよりも気楽にe-mail:ruhiginoue@excite.co.jpまで


by ruhiginoue

カテゴリ:学術( 106 )

 志村けんの「だいじょうぶだぁ」という番組名の由来は、加藤茶と一緒にやっていた番組での風刺コント「新興宗教だいじょうぶだぁ教」だった。悩み事を抱える人に、とにかく大丈夫だと暗示をかけて、これが好評で信者が急増する。
 実際に、「ライフスペース」というカルト団体の事件があった。「グル高橋」と名乗る教祖が、入信すれば不治の病も治ると宣伝し、入信したけど亡くなってしまった人については死んでいないと強弁した上で「これは定説です」と繰り返した記者会見が話題になった。

 これを思い出したのは、原発事故の問題のためだ。事故から一年も経たないうちから「勉強不足で、まさか今だにチェルノブイリでは...なんて、同じように思っている人はいないと思いますが...」と前置きされ、チェルノブイリとは比較にならないくらい軽微なものだから心配いらないという話になり、質問も出来ない、という「放射線勉強会」が、いわき市であったと、それを信用せずに避難した人が言っていた。
 このような話は、「次第にわかってきた」などと言ってるけれども、それよりずっと前の、まだ何もわからないはずの時から、同じことを言われているものだ。
 実際に、いわき市はまだ検査体制も整っていない2011年4月9日に農作物の安全宣言を出している。

 これについて、よく知らないけど元新聞社に勤めていたらしい烏賀陽弘道という人が、著書の要約をツィターに掲載していたので、以下のように引用する。引用なので編集は加えていない。

1)政府や福島県とその系列の学者がよく使うレトリック「低線量・長期被曝の健康への影響は科学的に証明されてない」は「影響がないと科学的に証明されている」とはまったく似て非なるものです。「影響があるとも、ないとも証明されていない」としか言っていません。
2)この混同しやすいレトリックを意図的に使っていること自体が非常に欺瞞的で不誠実なのです。
3)故郷への帰還を願うフクシマの人々にすれば、「低線量・長期被曝の健康への影響は『ない』と科学的に証明されている」と誤解する、あるいは「どっちかわからない場合は、影響はないと科学的に証明されていると解釈したい」というバイアスがかかっています。それを利用している。
4)なにしろ万人単位の住民のうえに放射性物質がランダムにばらまかれたという現実そのものが人類史上3回(イギリスのウインズケール事故を含めると4回)しかないので、実測データはほとんどない。しかも発ガンの潜伏期は30年に及ぶのに、スリーマイル島原発事故は36年前です。結論がない。
5)スリーマイル島原発事故の疫学調査データを一次資料で読むと、がんや心臓疾患の患者数は増えている時期が5年続き、次の5年で減り、次の5年で増えたりする。そして男女、居住地、生活習慣で増減が変化します。それを疫学者は「統計学の定義で全体を貫く関連性は見つからなかった」と結論した。
6)スリーマイル島原発事故に限らず、ほかの低線量長期被曝でも「統計学の定義で全体を貫く関連性」が見つかることはまれです。当然でしょう。全年齢、全時代、男女、全居住区、全生活習慣を貫くような増加があったら、それは「全員が病気になった」ということなのです。
7)ですから「全体を貫くような統計学上の関連性の定義に合致するような事実はなかった」というのは(やや雑駁ですが)「全員が病気にはならなかった」と言っているにすぎません。これはウソではありませんが、数百〜数千ページの一次データを一行で結論づけるには、こうとしか言いようがないのです。
8)こうした「全員が病気にはならなかった」(=被曝と病気の増加は統計学の定義に合致する証拠が見つからなかった)にすぎない結論を、日本政府・福島県とその系列の学者たちはつまみ食いして「低線量・長期被曝と健康被害の関係は科学的に証明されていない」という表現に言い換えています。
9)しかも、日本政府・福島県とその系列学者のいう「低線量・長期被曝の健康への影響は科学的に証明されていない」というレトリックは、万一健康被害が出て訴訟や刑事告発になっても「いやいや、健康被害が『ない』とは言っていません」と言い逃れができるようになっている

 以上、引用。

 これについては、自分の医療過誤の被害および訴訟の体験からから実感している。専門家が大丈夫だと言っても、それはあくまで彼らの尺度や都合である。後から問題が起きて、それにより前に言ったことの間違いがわかっても、あの当時の科学(医学)の水準では正しいと思われていた。だから我々に責任は無い。そう開き直るのだ。
 これはまさに、万能の言い逃れ術である。だから、逆にと言うか、専門家と称する人が間違いないと言えば言うほど危ないのだ。それがその時点で[は]確かであればあるほど、後から責任逃れしやすいのだから。
 それをわかっていて、わざと言うのが「専門家」である。そうやって合法的に人を傷つけたり見下したりすることで倒錯した優越感に浸る者が、大学などで「先生」と呼ばれている人には、非常に多い。

 比べてみるといい。
 烏賀陽弘道 被曝の影響など、これまでなかった話なのでわからないから、大事をとって子供や妊婦は避難し、何もなければめでたし、でいいんだ。
 菊地誠 被爆の被害なんてあるわけないのに、被害が出て欲しい人いるんだよ、被害なんてないほうがいいのに。
 以上は大意で、また、どちらも普段の言動に好感を持てない人だが、それでもどちらが健全な発想であるか。

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by ruhiginoue | 2015-08-21 15:16 | 学術 | Comments(0)
 文部科学大臣の「歴史や哲学等の人文科学等の学部は社会的要請が低いから組織廃止やもっと社会に役立つ分野へ転換せよ」という通知で思い出した。
 アカデミー賞をさらって話題だったスピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』に、こんな場面がある。ナチが強制収容所でユダヤ人を強制労働させるにあたり役に立つかを分類し、役立たずとされた人が「私は歴史と哲学の教師なのに」と怒り嘆く。
 つまり、安部内閣の発想はナチの強制収容所と同じということだ。

 また『シンドラーのリスト』には、理科系だから役に立つと自ら売り込んで殺されたユダヤ人女性も描かれていた。大学で建築を専攻したから役立つけれど、収容所長としては、自分より勉強ができる奴が憎かったわけだ。
 お坊ちゃん私大卒の大臣たちが、国立出を憎み、既に独立行政法人となっているはずなのに、学部廃止や日の丸と君が代をやれと指図するのと同じ僻みだ。

 同じ題材が含まれるパクラ監督の映画『ソフィーの選択』では、ソフィーの父と夫が学者で、ナチを批判したから殺されたと嘘を言っていた。実はユダヤ人嫌いでナチを熱烈支持していた。しかしインテリというだけで、いずれ邪魔になるかもしれないと、殺されたのだった。
 
 この映画を最初に見た時、ナチが理不尽なことをしているうちに極端なことまでしたとしか思わなかった。
 しかし、ちょうど、安倍内閣が強行採決した法案は、御用学者と呼ばれている人にまで、国会に呼んで意見を訊いたら憲法違反だと指摘されてしまったし、そんな法案を無理に成立させようとするので、これまで改憲論者として有名だった慶応の名誉教授も激怒し、自民党を猛烈に批判している。
 だから、知識がある者は、それまで好都合でも場合によっては不都合になるので、最初から邪魔にするということが、今ではよくわかる。

 上記の映画だが、どちらも音楽が印象的だった。『シンドラー』はジョン ウイリアムズがアカデミー賞で、バイオリンソロがイツァーク パールマンだった。
 『ソフィー』はマービン ハムリッシュ。
 どちらも映画音楽の名作曲家。
 
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by ruhiginoue | 2015-07-16 23:16 | 学術 | Comments(3)
 『患者よがんとたたかうな』『がんは切れば治るのか』など、近藤誠医師の本は何冊か読んでいる。彼が勤務する慶応大学には、慶応病院で会った医師もいるし、他の大学病院で会った後に慶応に転勤した医師もいるし、まったく個人的な知り合いの医師もいて、その評価は色々と聞いている。

 あの、今は亡きマイケル=クライトンは、ハーバード大の医学部に在学中に医学を扱ったミステリーを書いたら売れたうえ受賞もしたが、大学で先生や先輩から色々と言われるのを避けるために英国在住の架空の医師が著者だということにしていた。渡辺淳一も色々と言われているが、本を書いて売れると、マスコミ向け一般大衆受けのを狙っているということで、大学では目の敵にされることがあるようだ。

 これは他の学部でもあり、例えば筒井康隆が『文学部唯野教授』という小説で、文学部の教授が小説を書いて受賞したら、それを妬んだ同僚から敵意むき出しにされる様子を笑い話っぽくネタにしている。

 ところで近藤医師の著書は、抗がん剤の問題とか手術の問題とか、一理あるかなと思ったが、自分が専門の放射線治療を推奨するんで我田引水と感じた。もともと放射線治療にもいろいろ問題があり、だからもちろん広瀬隆など、かなり批判していた。
 しかし、それより、最近では近藤誠が曽野綾子と対談というから、いかりや長介じゃないが「駄目だこりゃ」と思った。

 がん治療への医師からの告発に対し、医療の否定だという医師からの反論、どっちもどっちというところで、まるで「ゾウは、どんな動物か」「もちろん、鼻が長い動物だ」「何を言っているんだ、身体が大きい動物だ」「いや、牙が生えている動物だ」というのと同じくらいの視点バラバラである。

 こうした議論の虚しさは、これからますます、多くの国民にとって医療が無意味となっていくことにある。どっちにしても、治療には金がかかる。そして、多くの国民は金がなくて無縁なものになる。株価を操作するため年金をつぎ込んだりTPPで金持ち有利にしたりでは、庶民は重い病気になったら観念するしかない。
 つまり、政治の前に医者は無力ということだ。だから、せっかく医者になったのに、政治家になっちゃう人がいるのだ。せっかくピアノがうまいのに、なんで指揮者になっちゃのかな、というのと同じことだ。


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by ruhiginoue | 2015-07-10 20:56 | 学術 | Comments(0)
 教育学で「学校適応過剰」というのがある。「不登校」など学校に適応できない者がよく問題になるが、それとは逆に、学校にしか居場所が無い人のことだ。
 そして、不登校などとは違って問題になりにくいが、それによってむしろ深刻な問題になる。学校から出られないし、社会に出ても、学校の中の型にはめた物の見方しかできなくなる。
 
 これには色々な具体例があるけれど、その一つに、人を「文系」と「理系」で区別したがる者のことが挙げられる。
 そもそも文系と理系なんてことは、学校で分類された科目の選択でしかない。しかも、得意かどうかで選択するとも限らない。なのに、それに基づいて能力から人格まで解るという人がいるれど、それは血液型性格判断とほとんど変わらない荒唐無稽さだ。
 
 そして、ここからどんどん変なことになる。例えば、文系は情熱的な人がいると言われたりするが、それは文学部で小説とか演劇が好きな人に目立つというだけで、あくまで一部だろう。
 また、理系の大学に通うか出たかの人たちが、文系は暇で不勉強と見下し、そういうツイートも見かける。これも、一部を見ているだけだ。まず時間拘束で計るのが不適切だし、それ以上に、学費が高いとか働きながら勉強するのが困難で理系進学を断念する人も大勢いる。
 ここで特に悪質なことは、本人の責任でない親の所得格差で恵まれた人が、そうでない人を見下すことだ。とても恥ずかしいことなのだが、それに気づかない人が少なくないのだろう。

 そこへ、今、不良内閣がつけ込んでいる。デタラメでもいいから政府のすることを正当化させようとして、御用学者を動員することは昔からあったことだけど、それすらできない安倍内閣は、ついに学問そのものを否定するようになったというわけで、まさに 「焚書坑儒」だ。

 しかし、政治のお粗末に気づくのは人文系だけではない。フィールズ賞を受けた数学者の広中平祐氏は、時の中曽根首相から教育改革について意見を求められたら、こう言った。
 「スペインに優れた学者が少ないのは、フランコ独裁政権時代に閣僚たちが内政に意見できないので教育に口出ししたからだ」


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by ruhiginoue | 2015-06-27 06:24 | 学術 | Comments(2)
 人文系学部の廃止論について、そんなこというなら國學院大学の神道文化学部いらんということになれば、この宗教を利用したがっている体制側の人たちは困るのではないかという疑問が出ている。

 もっとも、神道学なんていらんと思ってるのは当の國學院大学ではないか。渋谷の丘の大学構内で、神社の隣にノッポビルなんか建てたりしてるんだから。かつて、看板の文学部に神道学科があったのだが、それが再編で神道文化学部と独立したが、それと同時に、むしろないがしろにしているのかとすら思える奇妙さである。

 そもそも、伝統的信仰や文化たる神道と、明治に作られた政治イデオロギーの神道とは大きく違い、これをたまに國學院の専門家が指摘することがあるから、邪魔に思う人が権力の側に確実にいる。
 この代表的な例として、神道学者の助教授(当時)が、靖国神社が英霊を祭っているというのは宗教の趣旨から間違いだと指摘したことに対し、神社庁が政治的意図から圧力をかけ、論文が撤回された「三橋助教授騒動」があった。

 かつて慶応法学部の小林節名誉教授が改憲論を説いているのを聞き、これならわざわざ条文を変えなくてもいいじゃないかと思った。専門家としての細かい拘りだったのだろう。
 そうしたら、彼は突然『赤旗』に出て当時の小泉首相を批判した。さらに最近では、集会に飛び入りして安倍総理に怒りをぶちまける演説をしている。
 これは、自民党の改憲論や、解釈の変更で勝手な法案を出すなどのやり方が、あまりにも無茶苦茶なので頭に来てしまったということだろう。
 
 これと同じように、滅茶苦茶をやりたがっている人たちにとっては、右派でも専門家ゆえ邪魔というわけだろう。歴史をみても、例えばナチスは、自らを熱烈に支持しているインテリたちを、インテリだから面倒なことを言いかねないと弾圧した。
 
 この調子では、安倍総理が、成蹊大より偏差値の高い大学は潰せと言い出しそうである。
 
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by ruhiginoue | 2015-06-20 18:35 | 学術 | Comments(2)

文系学部無用論について

 文系学部は私大だけで良いと言い出した人たちは、文学など趣味でやるものだというわけのようだ。そう言いたくなるのもわかる文学部の人はいるが、そのことでもって総てを語られても困るだろう。
 
 子供の頃、大学とは白衣を着て顕微鏡のぞいたりするところだと思っていたから、小学校の時に担任の教師が、大学の授業とは先生が黒板に書いたことを学生がノートに書き写すものだという話をした時は驚いた。
 それなら本を読めばよいから、わざわざ通学する意味がないと思った。そして大学に入ったら、やはり黒板を写す授業があった。しかしそんな授業はむしろ少数派だった。

 たしかに本なんて、自宅か通学時の電車の中でも読める。大学に来たら、せっかく同じ勉強するためにみんなで一カ所に集まったのだから、本は前の授業で配ったレジュメと併せて既に読んだことを前提にディベートしよう、という授業のほうが多かった。
 それに文系の学部は、もちろんお坊チャマお嬢チャマの嗜みや教養もやるが、悪ガキどもが喧嘩の仕方を覚えるところでもある、という先生が多かった。

 大昔から、日本は「つれづれなるままに」とか「はるはあけぼの」なんて呑気に言っているけれど、中国は「論語」「孫子兵法」だ。こういう現実を知らなければ、日本が国際社会で生き延びることができない。
 文学でもそうなのだから、法学、政治、経済などは、なおさらだ。文系の一般教養に理数系の科目が必須となっているのは、公害問題などで御用学者を粉砕したり、医療裁判で医学部教授らを論駁する必要があるからだ。

 また、地方の国立大の先生たちが講師としてやって来るのは、交通費と手間暇を考えたら赤字なのだが、色々な大学で持論を説いたり、東大の権力諂いどもの実力が大したことないという現実を私大生に教えたり、そういうことをするために回っているということだった。

 これだから、文系学部を排したいという人たちがいるのではないか。

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by ruhiginoue | 2015-06-19 12:20 | 学術 | Comments(2)
 これはアメリカの例だが、腎臓移植手術の同意について問題になり訴訟になったところ、専門家は、過去の例から手術の成功率は極めて高く、手術の失敗は5%にも満たないから、他の手術に比較して極めて安全であると結論し、これを裁判所は採用した。
 しかし、移植手術ができるのは移植に適した者すなわち体質が似ている者ということであり、そうなると提供した者も同じ病気にかかる率が高い。つまり、この心配は、移植に適しているほど高くなる。
 つまり、手術の成功率の数値それ自体は正確でも、それだけで安全性を判断することはできない。この指摘を後からされるまで気づかなかったことを、裁判所は批判されたのだった。

 このように、専門家が数値を持ち出しても、その数値自体が正確かという問題が先ずあり、次に、その数値を以て判断して良いのかという問題になる。

 これと同様なのが、先日また墜落したオスプレイ機の件だ。乗組員が死亡してばかりで「未亡人製造機」と皮肉られていたが、事故率は他の航空機より低いので安全だと言う人たちがいる。
 しかし、その事故率とは、飛行距離あたりの事故率であった。航空機は機種により運用が異なるので、これで安全性を判断することはできない。速度や場所など飛行条件が異なるし、航空機は離着陸のさい危険が多いのだから、その点では一度の飛行距離が長いほど事故率は少なくなる。特にオスプレイは、長距離用として開発された機種であり、またヘリコプターとも飛行機ともつかない操縦のやりにくさから離着陸で事故を起こしている。だから、基地周辺から心配されるのだ。
 
 というように、分野は違っても、数値に丸め込まれないように注意が必要だ。

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by ruhiginoue | 2015-05-21 21:30 | 学術 | Comments(5)
 どうも人の顔を覚えるのが苦手なほうで、いま売れっ子の女優・有村架純のことを見たことはあるのに知らなかったのは、すっかり長澤まさみだと思い込んでいたからだった。見比べると違うと判るのだが。

 それはともかく、その有村主演の『ビリギャル』は、最低の成績だった女子高生が努力して有名私大に合格という実話に基づいていると謳われてきたが、この美談はウソだと指摘されている。
 実は、有名進学校で、事情がありビリになったことがあるというだけだから、どん底から上昇したわけではないという。

 それを言ったら、もっと酷いのは「医学者」の野口英世だろう。彼は勉強で努力した人の代表格として、戦前は修身の教科書に、戦後も偉人伝に登場したけれど、医師で作家の渡辺淳一が『遠き落日』で暴いたように、その美談はウソばかりだった。野口英世は極めて不真面目かつ低能だった。
 このことは、当時を知る関係者が証言しているし、ノーベル賞候補も含めた全ての研究が間違いだった事実もある。
 
 それに、国も野口英世をちっとも偉いと思ってないから、千円札にしただけだった。彼が本当に優秀なら、家が貧しくて大学に行けなかったことを由々しきこととして、学費無料化など対策を講じているはずだ。
 だいたい、勉強に限らず、努力と成功の美談は作り話か、後からのこじつけというのが相場だ。真に受けては愚かである。

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by ruhiginoue | 2015-05-04 18:18 | 学術 | Comments(0)
 先日、知人がメーデーについてツィターで苦言を吐いたところ「愛国」「日の丸」「靖国」の好きな連中のどこか琴線に触れたらしく、それだけでフォローしてきたそうだ。だから、「止めとけ」「TLよく見ろよ」と。
 これと似たような感じで、こちらも前に朝日新聞を批判したら慌て者のネトウヨにフォローされた。けれどもよく読めば、朝日新聞なんて全然リベラルじゃない、とこき下ろしてる。だから、「お前らの期待には全然外れてるぞ」ということがあった。
 これについて、狂信者というのは「何が書いてあるか」ではなく「どの単語が含まれているか」で反応するから、という指摘があった。そのとおりだろう。

 ただ、初期のネトウヨは、ひきこもりオタクみたいな落ちこぼればかりだったが、後から現れたネトウヨには、その低い発言水準から信じられない高学歴もいる。
 これはなぜかと不思議がられたが、要するに、ネトウヨの政治談義が、その低水準ゆえ大学の履修でいう「楽勝科目」と化したからだ。
 そして要領のいい高学歴者は、適当に政治談義できるネタとして選択したまで。そういう人に接したことがあり、判った。
 これについて、大学で教えているという人が、「頭の痛い問題」だと言う。彼としては、自分の講義を「楽勝科目」にするつもりはないのだけど、学生がそのように考えて提出してくるレポートを弾いてこなかったことから、そのつもりはなくても実質的にそういう科目になってしまっているかもしれない、と言う。
 
 たしかに、厳密性を発揮して重箱の隅をつついたり、人それぞれの評価があって良いものを無下に否定したり、そういうのは学問として如何なものかと思われるが、そこから変な要領の良さを発揮してしまい、程度が低下するということも現実としてある。
 だから、悩ましいものである。
 
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by ruhiginoue | 2015-05-03 12:42 | 学術 | Comments(2)
 先日、FMでブラームスの『大学祝典序曲』を放送していたが、これは旺文社の「大学受験ラジオ講座」が始まる時に流れるらしい。このラジオ講座を聞いたことがないが。
 これで勉強して東大に入った人もいるそうだが、これで勉強した高校の同級生は全然ダメで、結局は予備校に通い始めた。だからラジオ講座の印象が悪くなってしまった。

 さて、先月に知り合いの記者から、記事を書いた号をもらった『フライデー』誌には「ミス東大 藤澤季美歌」や、AからEまで5ランクに分けたうちに入らない不人気で定員割ればかりの「Fラン大学」の記事があった。

 けど、コレは何の冗談だろうか。
 東京大学の伊東乾准教授は、自分が応援している鈴木寛が落選して山本太郎が当選したことについて、鈴木の知性がわからない大衆は間違いをした、山本太郎は芸能界入りして高校を中退しているから学問はそこで終わりだ、などとツイートして批判されたが、その一環としてこう書いた。

‏ 「普段言わないことだけれどあえて書けば、鈴木寛氏は灘ー東大法、僕の場合は武蔵ー東大理、幼馴染で様々な分野で教授をやってる友人が大量に居り、一旦事が起きたら基礎的な内容からしっかり再確認して間違いのない体制で事に対処する人的ネットワークがあるので、極めて細心に問題毎に対処している訳で」

 これは作文としても少々奇妙な表現だが、内容が気恥ずかしいにもほどがある。どうやら当人は真面目なのだろうが、読んでこっちが赤面しそうだ。
 この伊東乾という人は、あと菊池誠や高田純らもそうだが、学位やら学歴や受験が、こうも自我を肥大させるのかという標本としてホルマリン漬けにしておく価値ならあるかもしれない。


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by ruhiginoue | 2015-05-01 09:04 | 学術 | Comments(2)