井上靜の気楽な日誌です。気楽にコメントしてください。おたよりも気楽にe-mail:ruhiginoue@excite.co.jpまで


by ruhiginoue

カテゴリ:政治( 664 )

 今日はレインコートを着て出かけたけど、大した雨じゃなかった。台風で大荒れになるという話もあったが、どの辺りの話だったのだろうか。少なくとも自宅の周囲は大した雨でもないからみんな傘さして普通に外を歩いていたし、郵便配達の人もバイクで走り回っていた。そして選挙の投票には来ている人が多かった。投票率が低いというのはどこのことだろうか。

 それで選挙は投票したが、最高裁判事の国民審査は「棄権します」と言ったら「わかりました」との返答。すでに説明したとおり、最高裁判事の国民審査は制度それ自体に反対なのであり、予定していたとおり棄権したということだ。
 これは無記入で投じると信任とみなされるし、抗議のつもりで全員バツつけると言っている人たちがいるけど、抗議は何人という集計はされないから無意味なこと。

 また、衆議院選挙のほうは、選挙という制度自体に反対なのだが、現在の制度では直接民主制が実現されていないので、仕方なく投票した。もしも自分が国会議員で、大統領制であるべきだと考えていても、現在の制度は議院内閣制なのだから首班指名の投票をするしかない、というのと同じことである。
 しかし最高裁判事の国民審査は、別の制度であるべきということではなく制度は無用であるから棄権なのだ。

 とにかく、投票率が低いというが実際に投票に行った人たちは一様に人が来ていると証言していて、自分でもそれを見ている。発表が嘘でなく何かわけがあって実際に低投票率だとしても、これだけマスメディアを駆使するなどして徹底的に無関心へと誘導する世論操作がされていたのだから当然のことで、むしろ、それでもみんなよく投票していたと言うべきだ。



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by ruhiginoue | 2017-10-22 22:00 | 政治 | Comments(4)
 アイドルグループ「AKB48」の「総選挙」と称する人気投票をするためにCDを大量に購入し、添付された投票券を使用したあとCD585枚を山中に不法投棄したとして、廃棄物処理法違反で30代の会社員の男性が書類送検されたそうだ。

 しょせんAKBのCDなんて仮面ライダースナックやビックリマンチョコと同じということだ。オマケのカードやシールを目当てにお菓子を買って食べすに捨ててしまう子供がいて、ちょっとした社会問題になったものだ。
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 それにしても、一人で大量に投票するのでは熱狂的でも金次第なのだから人気を測るものにならない。売る側が喜んでいるだけだ。最初からそれが目当ての商売だったのだろうが。

 こんな商売ではなく議員などの選挙では替え玉投票というのが昔からあって、投票券を金で売ってしまう人もいた。これは売るのも買うのも両方が犯罪であるが、なんと91年に東京都渋谷区で大学の寮に届いた都議会議員選挙の投票券が盗まれた事件では、盗んだ人に犯罪の自覚が無かったので世間が驚いた。

 これは、大学の寮の郵便受けから、その大学の女子学生が、届いている投票券をみんな取ってしまって、これは立候補している保守系の議員の選挙運動をしている人から、持ってきて欲しいと頼まれたら深く考えずに、同じ郵便物が一様に来ているのでダイレクトメールのようなものだと勘違いしていたらしい。
 だから、替え玉投票しようとする選挙運動員もけしからんが、それに頼まれるままに投票券の意味がわからず取ってしまった女子学生も呆れられた。
 そして、普通はバカじゃないかと言われるところだが、その大学とは渋谷区内にある聖心女子大だったので、担当した警察官も「お嬢様だな」と呆れて言ってたそうだ。

 その後、18歳になれば大学生どころか高校生でも投票できるようになって、そうしたら、替え玉なんてことしなくても、親に言われた候補者に投票する人が意外といて、そんな従順な家庭は保守的だから自民党に投票するということになったわけだ。




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by ruhiginoue | 2017-10-20 15:43 | 政治 | Comments(0)
 先に、最高裁判事の国民審査は色々な問題があるので棄権するよう呼びかけたが、そもそも信任するかを多数決によっているのが根本的に誤りなのである。

 例えばLGBT(性的少数者)の扱いが差別に当たり違憲と判断した最高裁判事がいたら、少数者の権利を認めたことに反感を持つ者は当然ながら多数派である。そうなると、どうしても国民審査で不信任する者は多くなる。しかし、この件に限らず、少数派の人権こそが特に憲法の問題になるものだ。
 なぜかといえば、ほんらい多数の利益とは一部の者が金力や暴力によって権力を欲しいままにしてはならないということであるから、権力を抑制するためにある憲法についての判断も強者に自制を促すものであり、それゆえ少数派が弱者である場合には多数の利益という論理を当てはめてはならず、逆に少数派の利益こそ尊重されなければ、憲法の存在意義が失われてしまう、ということになるからである。

 それなのに、最高裁判事が行った憲法判断についてどう思うかを材料にして、最高裁判事を信任するか否かを、多数決の対象にすること自体が不適切である。
 このような誤った制度は廃止しなければならない。

 また、日本の選挙は投票の秘密が十分に守られていないという問題もある。特に田舎がひどい。立会人が地元の人それも役所員や自治会長などだから無言の威圧になり、見慣れてくると候補者名や政党名の字の特徴と手の動きから投票先がだいたいわかってしまう。これは立会人をしたことがある人が、よく言っていることだ。
 だから、立会人は地元の人ではなく他所の自治体と互いに交換しあうようにしてやるべきだ。なのに、こんな当たり前で簡単なことが実施されていない。つまり投票の自由を守りたくなくて、それが利益になる者たちがいるということだ。「ムサシの集計機が~っ」と疑惑を叫ぶより前に、まず立会人をなるべく遠いところから呼ぶべきだ。

 そして、最高裁判事の国民審査は○×ではない。○と×を書くのでも手の動きが違うから後ろから見ていてもわかってしまうのに、不信任の時だけ×をつけるので、誰か最高裁判事を不信任したことがわかってしまう。これは田舎だと「お上に逆らう非国民」「アカ」であるので、昔から何も書かない人が多い。どう判断してよいかわからないという以前に村社会の威圧がある。

 こういう調子だから、憲法改正の発議で国民投票となったら、どうなるか言うまでもないだろう。



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by ruhiginoue | 2017-10-19 14:58 | 政治 | Comments(4)
 前から何度も繰り返しているが、選挙には「立候補」するものであって「出馬」するものではない。字数が一文字どうしても削りたくて書くことが、たまにあるだけならいいが、いつもだから問題だ。なぜなら、競争に出るという話ばかりで、そうなると政策ではなく政局ばかりとなるからだ。
 そもそも選挙についてマスコミの仕事は、まず政策について知らせたり論じたりするものだ。それをしないで情勢の分析ばかりするから、「出馬」と書くのだ。

 今度の選挙についても同じだ。低投票率の状態で情勢の分析に紙面を大きく割く無意味なことをするより、政策や論戦の報道をして関心を喚起すべきだ。
 しかも、内閣支持率低下にもかかわらず野党の結束が上手くいかなくなって自民党の有利になったという調査結果なのに、与党に「勢い」と、あたかも自民党と公明党が自らの努力で支持を回復したように見出しをつける各大手マスコミの世論調査報道は、選挙中に行うには不適切な世論操作である。

 もちろん、あからさまな意図しての世論操作ではあるだろうが、それ以前に、日本では新聞が政策を論じられないから、政局とか言って世論調査などと意味のない事しかできないのだ。この原因は、言論報道が不自由であることや、報道関係者に政策を論じる能力のある人がいないからだ。

 また、世論調査によると20歳代に自民党支持が多く、これはアベノミクスの恩恵で就職が良かったと言う人がいるためで、だから若者は現実主義だと評価する誤った見解がマスコミに一般的である。
 なんともお粗末な発想である。普通に考えたら簡単に気づくことだが、一時的にたまたま自分に好都合だったことは政策が良いことにはらず、しかも先が続かないのだから今後は自分のためにも支持してはいけない。なのに、それが解ってないのだからバカとでもいうべきところであるが、それを逆に現実的だと評価してしまっている。

 こうなってしまうのは、日本に文化的な土壌がないからで、伝統的な貧困である。それを差し引いても、日本の大手マスコミは破滅的というか絶望的である。



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by ruhiginoue | 2017-10-14 14:10 | 政治 | Comments(5)
 また近所で共産党の市議会議員の女性が選挙演説していて、毎度の語りの下手糞さでイライラさせられる。
 特に、「憲法九条」と「安倍内閣」や「消費税10パーセント」などが同じ調子なうえ、語尾が聞き取りにくいから、それが良いことなのか悪いことなのか不明だ、という点。
 こうなるのは、言わなくてもわかるだろうという内心が表れてしまっているからだ。そんなこと言われなくてもわかっているというような話であろうことは簡単に想像できるが、投票ならしてやるから煩いので黙っていて欲しいし、わかっていない人にわかってもらいたいなら、わかるように話すべきだ。

 これは人の話の受け売りだが、「最近、北朝鮮情勢を見れば、安保法制は正しかった」みたいな話が聞こえてくるけど、安保法の前後で何がどう違って良くなったのか訊ねると誰も具体的に答えられず、つまりわかってないで言ってるのはあくまで印象であって、その印象とは操作されているわけだし、しかも見方を変えれば安保法制自体が挑発だった。
 また、「今回は自民党入れる。北朝鮮が恐いから」と言う人が少なからずいて、これに対し「むしろ北朝鮮情勢を悪化させているのではないか」と諭しても、「野党は何もやらない。それよりかは何かするだけマシ」と。そうしたいい加減なことで自民を支持する人は多いだろう。
 これらはマスメディア特にテレビ特にNHKの「功績」だ。

 しかし、あえて言えば共産党が悪い。あの市議の女性に演説させているからだ。
 だいたい、安倍内閣は不祥事を隠すために危機を煽りながら誤った対応をして日本を危険にさらしてしていると批判されているのに、その共産党の女性市議会議員は「北朝鮮の暴挙は許せません」「憲法9条を守ります」などとチグハグなことを連呼していた。「嗚呼、ダメだこりゃ」と思った。

 こんな話し方ばかりの人でないことは知っているが、同様または似たような人は少なくない。地元では組織力で票割りしているから当選しているが、国政はもっと幅広く呼び掛けないといけない。だから街宣車で走り回っている。なのに、これでは逆効果の悪宣伝だ。
 しかも、手前の選挙なら手前が落選するから勝手にしろだが、党およびその候補がいるし「野党共闘」が課題となっていて、共産党と組んでは駄目だと言っている連中がいるときに、これでは反共連中にとって格好の口実になるか、そこまでではないにしても悪宣伝を跳ね返せなくなる。
 だから、どうかこの女性市議および同じように語りのダメな人には国政選挙の演説はさせないで欲しい。



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by ruhiginoue | 2017-10-12 21:13 | 政治 | Comments(7)
 これは特に強調しておくべきなので、しつこく強調しておかねばなるまい。

 今度の選挙で野党の候補者たちが安保法制など憲法問題にこだわっていることに対し、そうした問題を起こしてばかりいる安倍内閣に反対している人が、しかし、そんなことで有権者は投票してくれないとか、投票してほしければ生活に密着して寄り添う政策を説くべきだという、的外れな意見を述べていた。
 
 なにより今回の選挙は、国民の生活について争点であっても、だから景気対策というようなことではない。国民の生活が安倍内閣の暴政によって脅かされていることが問題になっていて、だから憲法によって立つ平和や人権が重要なのだ、ということだ。
 そして、安保法制について語るのは野党が一致していることを訴えるのに必要だからである。こだわるのは仕方ないし、むしろ当然のことだ。特に立憲民主党にとっては結党の根幹である。

 そのうえで、生活に寄った政策なら、共産党が健康保険の重圧に苦しむ庶民の問題を中心に訴えていて、これはほんとうに切実だが、しかし議会で提携している社民党と自由党は全体的に社会政策が新自由主義的で、社会保障の分野で公的責任を重視する共産党とは相容れない。
 だから憲法問題しか一致しないのだ。

 また、生活に寄った政策ということで投票されているのは公明党である。下層の庶民は、法治国家・立憲主義・基本的人権なんてサッパリ解らないうえ、とにかく微々たるものでもオコボレでも何でもいいから、政策ではなく直接施しをしてもらいたいのだ。
 こういう現実に即した主張をしなければ選挙運動を誤るが、今のところ野党は誤っていないから、これでいいのだ。




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by ruhiginoue | 2017-10-11 18:04 | 政治 | Comments(3)
 選挙と同時に最高裁判事の国民審査がある。ここで、政権への異議申し立ての意味で全員を不信任しようと言う人たちがいる。時代遅れも甚だしい。

 この審査でただ全員にバツを付けるのは、審査の方法に対して問題提起する意味であった。最高裁判事を信任するか否かを国民が直接審査する「民主的」制度を標榜しているが、何によって判断するのかはっきりしない。これではやる意味がない。
 そのうえ、辞めさせたい判事の名前にバツを付けるだけで、解らなくてバツを付けなかったら信任したことになってしまう。このやり方が問題になったので、判断できないので留保したければ投票用紙を投票箱に入れず返すことになった。

 こうした経緯から、いつも最高裁判事たちは何の緊張感もなく信任されているので、それに一石を投じるような意味で、あえて全員にバツを付けて抗議の意識を示そうということだった。

 しかし、すでにこのblogで具体例をあげながら説明したとおり、最高裁判事の中にも良識派がいて、政権の横暴と闘っている人がいる。それに対して他と一緒にバツを付けるべきではない。
 また、裁判所は全国各地にあるが最高裁は一つしかないので、全国の裁判所から上告が一点集中し、それら膨大な案件のすべてを最高裁判事が判断することは不可能であり、このため最高裁判事に上げるか否かをふるいにかけている。
 その下調べに、最高裁判所には最高裁判事ではない裁判官が大勢いて、まず形式的に上告に当たらないものを撥ねるのだが、ここで恣意的だったり悪意だったり工作があったりして、それでも最高裁判事の名義で決定されたことになってしまう。
 このため、この最高裁判事だったら話を聞いてくれそうなのに無下にされていることがあり、これに怒って「バツをつけよう」と息巻いてしまっている人もいる。

 こういうことが今では問題になっているのだから、とにかく全員にバツをつけて抗議の意思を示そうというのは時代遅れということである。
 それに、そもそも最高裁判事で悪いことをする人は、その見返りにサッサと「天下り」をしているものだ。なのに、辞めさせるべき裁判官がとっくに逃げているところで、さあ辞めさせたいか審査しましょう、というのだから制度は破綻している。

 しかも、最高裁判事の国民審査で全員不信任なら判事選定の仕方がそもそも悪いことになるはずだが、しかし審査はあくまで個々の判事に対するものであるから、選定に対する抗議のつもりで全員を不信任にしたところで抗議にはならない。

 したがって、棄権をするべきである。選挙は投票して審査だけ棄権すると投票所で言い、用紙の返却を。





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by ruhiginoue | 2017-10-07 16:16 | 政治 | Comments(5)
 童謡「どんぐりころころ」の替え歌「前原ころころ」が唄われているそうだ。「♪小池にハマってさあ大変」と。

 しかし小池百合子率いる「希望の党」は失速している。
 これは小池百合子が図に乗って調子づいて早く口を滑らせたから陰謀がバレて躓いてしまったからだが、ほんとうは安倍を見限って次の傀儡独裁政権を樹立させようとする工作であり、あのスノーデン氏にもぜひ意見を訊いてみたい背後関係があるのではないか。

 どうであれ、「希望の党」については、先日、歌手の松山千春が「小池百合子の野望の党」だと言ってこき下ろしたが、週刊新潮は政局の記事の見出しに「小池百合子の希望・横暴・票泥棒」と見出しにしており、その騙しの手口がいかに悪辣であるかという批判が巻き起こっている。
 それで、党のシンボルカラーが緑なのでカップめんになぞらえ「緑のタヌキ」と皮肉られているわけだ。

 ところで、「同じ穴のムジナ」という悪い喩え方がある。ムジナと呼ばれるアナグマとタヌキは外見が似ていて、同じ巣穴を共同使用し、どちらもキツネのように化けて人を騙すといわれているので、違うようでいて同類であるということだ。
 そういうことでは、前原と小池はまさに「同じ穴のムジナ」である。

 そして、希望の党の公式ホームページとTwitterアカウントが出来て公開されたばかりだが、それで見たら小池百合子が緑色の服を着ていて、なぜか後ろ姿の背景画像である。その動画もある。歩いている後ろ姿を捉えた映像だ。
 これが不気味という反応がある。なんで後ろ姿なのか。
 もしかすると、緑のタヌキともいわれる代表者が振り返って
 「こんな顔かい」
と言うと、ノッペラボウなのではないか。小泉八雲ことラフカディオハーンの『怪談』の「ムジナ」みたいに。
 だから怖くて動画が見られないという人もいる。

 そして、『怪談』では、突然明かりが消えて真っ暗闇になるのだが、希望の党のために日本は失望どころか絶望となるだろう。
 
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by ruhiginoue | 2017-10-05 15:44 | 政治 | Comments(4)
 小池百合子を「ババア」「婆」と言う人たちがいて、それを差別だと批判する人たちもいるが、その言葉と内容は不明確だったり不適切だったりしているので、それについて指摘しよう。

 まず、小池百合子都知事を「ババア」と言っている人たちは、だいたい反感を持っている人である。好意があったらババアとは言わないのが普通だ。
 ただ、『男はつらいよ』の寅さんは、よくケンカする実の母のことは「ババア」と言うが、他の人には言わないし、毒蝮三太夫はロケで年配の女性に「ババア」とか「きたねえババア」と言うが、天真爛漫な笑みを浮かべて無邪気な口調で言うから、毒舌を売りにした冗談であり、それが芸風であるから、視聴者からヒンシュクを買うことがなく、言われた当人も笑っている。また、彼は腕に自信を持っている寿司職人に「あんたの握った寿司ってホントに美味いの?」なんて平気で言ったりする。つまり、侮辱するのではなく挑発しているのだから、相手が否定することを前提に含めている。
 こういうことは例外で、だいたいは、ほんとに反感を持つ相手に否定的な意味で「ババア」と言うものだ。

 では、なぜ否定的意味で「ババア」と言うのか。これ以外の言葉でも、まず事実か否かの問題があり、事実でなければ、それを言うことが問題になる場合もあるが、事実であるなら、意味が無いのにことさら言うのが良くない場合と、言ってもいいが表現に侮辱的または差別的な意味がこもっているので良くない場合とがある。
 そして「ババア」とは高齢の女性を指す言葉だが、小池百合子都知事に関して言うと、まず女性であることは事実(もしも事実で無かったら大変な騒ぎになるだろうが、それはまた別問題である)であり、年齢的に(どの程度かはともかく)高齢に分類されることも事実だろう。
 そうなると、小池百合子都知事を指して「ババア」と言うことが問題になるのは、それを言う意味がどうあるのかということだ。高齢なのに地位に就いていることが問題なら普通は「老害」と言うものだ。なのに女性を対象にした言葉の「ババア」を使用するなら、男性の「ジジイ」「爺」はどうなのか。

 この件では過去に石原慎太郎都知事が「ババア」の言葉を使用して、歳をとっても男性は子供を作れるが女性は作れないので生きている意味がないうえ社会に迷惑であるという趣旨の発言をして批判され訴訟にもなった。特定の人に対する侮辱ではないので民事裁判の対象ではないから慰謝料などは認めないが、多くの女性を不愉快にさせる発言だった、という判決であった。

 このように性差別である場合もあるが、今の小池百合子都知事が「ババア」と言われている件では、性差別として言われていることかどうかは不明確である。あと、都知事選挙に立候補したことがある東郷健発行人(ゲイ雑誌の)は、年配になってから自分のことを「ババア」と言っていたが、これは自己主張であろう。

 とにかく、寅さんや毒蝮三太夫のことも併せてみると、「ばあさん」「じいさん」ではなく「ババア「ジジイ」は言葉自体に悪い印象もあるが、実際に悪い意味になるかどうかが状況や文脈などによる言い方に影響される。

 その点は、前に江川紹子という神奈川新聞の元記者が、「オバサン」「ババア」と言われたことが、わかりやすいだろう。
 かつて(95年)テレビに出ていたとき唐突に号泣したことについてハッタリとかパフォーマンスとかの類ではないかと疑われたさい、当時の女子高生たちから「嘘泣きオバサン」と揶揄されたが、これは「女の子なら泣けばなんとかなる」というのは高校生くらいでもすでに潔くない態度なのに、それをいい年した大人がやっているという意味であった。
 その後も、さらに年齢を重ねてからTwitterでよく語尾を「~だにゃ」と書き、猫のアイコンを付けているから冗談のつもりなのだろうが、更にいい歳になったのに子供っぽいことをしていて、しかも気楽な話題でやっているだけなら「お寒い」で済むが、人権侵害になる発言でもやっていた不謹慎なので、このおふざけの内容が女性っぽくて年齢不相応だから「だにゃババア」と批判の意味で言われたのだった。

 そうなると、小池百合子都知事の場合、稲田朋美もと防衛相と同様に、少女漫画か美少女アニメのような仮装をしてみせることがあったから、いい歳してなにやっいるのかということで「コスプレババア」と言うのは、意味が通る。もう二十代になっても、まだ三十代になっても、稀には四十代になっても「ロリータファッション」をしている人だっているから、五十でも六十でもやって何が悪いという反論もあろう。ただ「歳をとったら引退と決まっている分野ではない」という反論はあっても、反感を表明することが年齢差別や性差別ということではない。あくまで言葉遣いが乱暴とか下品ということだ。

 ところが、小池百合子都知事について、その歳甲斐もないふるまいとは関係ないことで「ババア」ということが問題なのだから、他のことに対して表明した反感を別の問題にも持ち込んで不適切ということだ。それが結論である。



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by ruhiginoue | 2017-10-04 15:49 | 政治 | Comments(6)
 「リベラル」という言葉がトレンドのようになっているが、ここで日本社会の底の浅さが露呈している。リベラルとは左翼的のことだと言っている人がいたり、リベラルとはいい難いものごとについて言っていたりするからだ。

 もともと「リベラル」は「自由」のことだが、自由には個人の自由とか責任を伴った自由とか色々な意味合いがある。そして、枠にはめられていない自由という意味で言われることが多いフリーダムと、既成の枠から解放されるという意味で言われるリバティとの微妙な違いについて、そもそも日本人にはそうした自由についての発想が伝統的に存在しないから、使い分けができないという指摘もある。
 そういう背景があるため、リベラルとは社会の枠組みに従わないものだから左翼だという短絡的な発想も湧いて出るのだろう。

 また、リベラルと言うと理屈っぽいと受け止める人が日本には多い。理路整然と話すだけでリベラルと思われる。もと官房長官の枝野氏はその典型だろう。あの人は非常に保守的で、社民党の議員に言わせると右派だが、日本の保守派にありがちなナアナアで済ませ理屈は要らないと言う田舎臭い発言をしない。それでリベラルだと思われるのだ。

 あと、林家彦六も、よく共産党に判官びいきしてると公言していたが、それはイデオロギーに共感してるからではなく共産党が書生っぽいから好感をもっていると言っていた。彼は若いころから学があって理屈っぽいため、落語家たちの間で「インテリ」と言われていたが、これは褒めていたのではなく皮肉だった。
 それで、理屈は要らないというのを笑いに転化できのだろう。「なぜ餅にカビが生えるのでしょうか」「早く食わねえからだ」と。

 こうした日本では、その内容とは無関係に、学があることは理屈っぽいことにされ、田舎ではアカ呼ばわりされる。だから、昔から日本は田舎政治で、自民党はその象徴と言われたものだ。

 しかし、どんな分野でも、外国語に適切な訳語をあてることで発展してきたもので、「リベラル」の場合も、かつてその努力はされていた。「自由」を、金儲けの自由という意味で捉えると経済活動の規制をしない政策になるが、そういうのとは違う既成の枠や概念から解放されるものという意味での「自由」を「リベラル」とするなら「進歩的」と訳していたものだ。

 だから今の「リベラル」は、小沢一郎の自由党ではなく、かつて80年代、新自由クラブ解党後に自民党へ戻ることを潔しなかった田川誠一代表が作った都市型の保守政党「進歩党」が該当する。
 その進歩党は、自民党と変わらない政策を掲げながら随所に違いを見せて、経済を重視しながら汚職を無くすとか、アメリカとは友好的にするが言いなりになって軍拡しない努力も可能な限りするとか、なにより日本の政党としては初めて脱原発と再生可能エネルギーへの転換を公約にしていた。
 その点で田川氏は早すぎた。今だって理解していない日本人が多いのだから。
 しかし、あれから時代の方が追いつこうともしているので、もしかしたら枝野氏あたりが一定の成果を挙げるかもしれない。

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by ruhiginoue | 2017-10-02 16:49 | 政治 | Comments(4)