井上靜の気楽な日誌です。気楽にコメントしてください。おたよりも気楽にe-mail:ruhiginoue@excite.co.jpまで


by ruhiginoue

カテゴリ:社会( 997 )

 もともと憲法とは普遍的な理念を謳うものであり、その時々に合わせて憲法の理念を具体化する行政法がある。これは法の常識だ。そして、外国で憲法を修正しているのは行政法にあたる部分である。基本理念を否定するのでは、改憲ではなく革命か政変になる。
 それを池上彰なんかが、外国では時代に合わせて何度も憲法改正をしているのに日本はそのままとデタラメを言い、テレビが垂れ流している。池上彰は原発事故のさいも、プルトニウムは重くて拡散しないので汚染の心配無用とデタラメ発言しながら、朝日新聞に対して誤報を産経新聞に指摘されたのだから読者に謝罪しろとデタラメを書き、その掲載に難色を示されると騒ぎ立てて話題作りに利用したうえ、便乗して騒ぐ週刊文春に説教を垂れてみせた。

 こんな池上彰を連載コラムに起用つづけた朝日新聞は、さらに低劣な三浦瑠麗を登場させて、また読者からヒンシュクを買っている。三浦の毎度おなじみクルクルパー発言は、先日掲載してしまった東京新聞が批判を浴びて慌てて同感しているのではないと釈明したばかりだ。なのに、朝日新聞は前回の大ヒンシュクによりもう載せるなと言われていながらまた載せた。
 これはよほどの圧力があったということだろうか。

 さらに「パーパールリ」こと三浦瑠麗は、ネット党首討論について「外交をテーマにする限りは実績が圧倒的な安倍さんが優勢」と言ってのけた。
 これについては、みんな既に呆れて言っている。三浦瑠麗が絶賛する安倍外交の「実績」はバラマキだ。国費の大損で、その見返りは、もらった国から安倍総理へリップサービスだけ。とくにロシアには手玉に取られて金だけ渡し領土を取られた。
 それでも、国内マスコミ向けバラマキで「ゴチソーサマ」の人たちは、お返しにオベンチャラを言うわけだ。「首相動向」に三浦瑠麗らと会食って書いてあった。批評するなら、馴れ合いや利益供与とみなされる行為をするものではない。そんな常識も持ち合わせていないとは非常識である。

 なんで三浦瑠麗という人は、現実を無視してまで、悪いことはなんでも左派のせいだと言うのか、という疑問が呈されているが、それが商売だから、に尽きる。風俗嬢に対して、お金をもらって性的なサービスを提供するのはなぜかと質問してもしょうがない。これと同じことだ。
 しかし、例えば伊達政宗は、あと30年早く、豊臣秀吉と徳川家康くらいに生まれていればと悔しがったそうだけど、三浦瑠麗も30年くらい生まれるのが遅かったのだ。いくら、地味な研究者ではいたくないからとしても、いまどき曽野綾子や櫻井よし子のようなマスコミ人の猿真似をしても時代遅れである。
 ただ、昔から御用学者というのはいて、マスメディアのお座敷に上がっていた。それが三浦のように露骨な態度となったのは、マスコミとくに朝日新聞の衰退が原因だ。

 今は昔だが、82年に当時の中曽根総理は、自分に不都合な報道や論説に不満をぶちまけて、「新聞が偏向していると学者が言ってきたので同感だ」と発言したが、これに対して朝日新聞の筑紫哲也が署名論説で「政治家が政策の正当性を自信を持って主張できないと学者を動員する」と喝破した。これを朝日新聞は一面に掲載した。
 そんな気骨のある記者がいなくなって、仮にいたとしても毅然とした論説は掲載されなくなり、そこへ三浦が土足で座敷に上がりこむようにしたということだ。
 これだから、朝日新聞は読者から見放され、どんどん売れなくなっているのだ。紙媒体の衰退とかいう以前の問題だ。



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by ruhiginoue | 2017-10-09 21:00 | 社会 | Comments(3)
 先日、『日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?』が出版されたという話題の中で、高校の同級生についても触れた。
 その同級生の父親は、最初に出た『日本一醜い親への手紙』が話題になった当時「こんなことを言う奴は親を誤解してるんだ。ぶん殴ったって親は子供のためを思ってのことだ」と言った。
 このお父さんは、たしかに息子を思って殴っていたが、それは息子が「Fラン大」かそれに近いランクの大学に入ったうえ、真面目に勉強をせず、車を乗り回したり酒を飲んだりと、すべて親の金でやっていたから、ついに我慢できなくなってのことだった。
 こういう家庭では、親でも子でも、苦悩する者のことなど理解できないのだろう、という話だった。
 これに補足して、以下のような事実を紹介する。

 あるwebsiteのコラムが、自民党の片山さつき議員は、大手予備校の模擬試験で一番を取り続けたうえで東京大学に入ったと誇っていたけれど、そんなことをまだ自慢している感覚に奇異なものを感じたと述べていた。
 けれど、こんなことをする人は他にもいて、そんな人は、社会人になってからは誇るものがないのだろうかと、よく言われるものだ。そして実際に、学歴は立派だが仕事の実績は伴わない人がいて、そんな人の中に学歴を意味もなく誇る人は目立つ。

 ところが、そんなくだらない自慢ができないからと、家庭の事情で進学できない人を見下す人かいたら、どうか。片山さつき議員も褒められたものではないが、それ以下だろう。
 それをしていたのが、先述の同級生であった。最低レベルの大学に入ったものだから、入試レベルのことで自慢したり見下したりということは不可能であり、そこで、親がいないなどの事情から働きながら夜の大学に通ったり、健康上の問題で通信制の大学で学んだり、という同級生を「やーい、夜間」「二部~w」などと侮辱していた。親の金で遊んでばかりいながら、苦学している者に対して、である。
 ほかにも、クレジットカード使いながら自慢し、学生なんだから親が保証人となって持つことができているのに、あたかも自ら審査を通ったかのような態度で、持っていない同級生たちを見下すなどなど、それはそれはひどいものだった。

 これでは父親が怒ってぶん殴ってしまっても当然だ、と思ったら大間違い。そのお父さんが殴ってしまったのは、あくまで酒のだらしない飲み方などの素行に対して怒ったからであって、社会の弱者を見下して自慰したことに対してではない。それどころか、一緒になって同じことをしたのだった。
 それが、『日本一醜い親への手紙』にあるような子供を虐待する親の問題について、子供が親を誤解していると決めつけたことだった。実際に働きながら学んで、おたくの息子とは大違いの真面目な子もいるとたしなめられても頑として認めない。
 「そりゃ、ぜんぶ親のことを誤解してる奴らだ」と繰り返して「俺なんかなあ、一時はオヤジと口もきかなかったんだぞ。進学しないで家業を継げと言われたからだ。でもなあ、この家業を継いだおかげで今は安泰なんだ。だからオヤジに感謝してるんだ。進学するなと言ってる親はみんな同じ思いなんだ」
 こう、勝手に決めつけて、手前が親から財産を受け継いでいる結構なご身分であるという自覚がなく、手前の勉強しないバカ息子を金次第の低劣な私学に行かせている自覚もない。むしろ、息子を私大でも特に学費が高いところに入れてやって金を出しているとして満足げだ。

 つまり、息子のような自覚した悪意がないだけで、あとは「この親にしてこの子あり」なのだ。おそらく、親の七光りの政治家たちも、これと同じではないかと思う。そう思わせる材料がいっぱい見受けられる。



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by ruhiginoue | 2017-10-06 12:30 | 社会 | Comments(4)
 かつて、山崎雅弘という人は、中国での日本軍による残虐行為について告発は他にもあるのに朝日新聞の本多勝一記者ばかりが歴史修正主義者らに攻撃されていて、それは中国側の言い分を鵜呑みにするから付け込まれるのだと発言した。
 これに対して、本多記者の記事および記事に基づいた著書の内容は、そんな内容とは程遠いと述べた。(当blog2015年12月)
 
 だいたい、中国の日本軍について告発を書いている人は色々いるけれど、その中で特に本多記者の記事を歴史修正主義者らが攻撃目標とするのは、そうすることに最も「インパクト」があるからだろう。
 なぜなら、同記者の知名度と朝日新聞の影響力そして『中国の旅』は朝日文庫の「本多勝一シリーズ」中で、ロングセラーとなった『日本語の作文技術』に次いで二番目のベストセラーであるためだ。
 これらの事実から、歴史修正主義者らが攻撃するさい標的とするのは当然のこと。こんなことは言うまでもないはずだ。

 ところが先日、その山崎雅弘を名乗るコメントがblogにあり、この件でe-mailを送ったということだ。実際にメールは来たので返信をした。
 すると、今度はTwitterで山崎雅弘という人のアカウントが、メールを出したら返信が来たという話をして、「冒頭の書き出しは『ご本人かどうかなど確認できないので』。どこまでも無礼な人だと呆れる。」と発信した。
 たしかに、その書き出しではあるが、それは、もし、なりすましを本人だと思い返信しては迷惑をかけるので、それに配慮してまず一般的内容にとどめると告げたまで。それがなぜ「無礼」なのか。

 また私信の内容を勝手に公開することは非常識ではないのか。そういうことを、なりすましがやることも考慮したわけだ。本人がやるとは思わなかったが。
 そして、この山崎雅弘アカウントのツイートに、内容を確認せず、また私信の内容を公然と話している非常識に気づかず、「いいね」している人たちがいた。それらはすべて匿名の無責任アカウントであったが、こういうこともあるから、やってはいけないことなのだが、どうも彼にはわかっていないようだ。

 また、Twitterでは実名と写真付きでさえ偽物があり、先日「永久凍結」されてしまった菅野完アカウントも早速偽物が出現し、ウッカリ騙された人もいたから、要注意である。
 ましてメールは、今問題の前原民進党代表が前に辞任した原因であり自殺者も出ている「偽メール事件」などがある。個人的にも、二年前、なりすましメールの被害に対して訴訟を起こして勝訴し賠償金を払わせたことは、ここで報告したとおり。(東京地裁立川支部)
 そのメールは内容こそもっともらしかったが、一見では判らなくても慎重に調査したら不可解な部分が見つかり、メールを所持している証人として出廷した人は、陳述書面での冷静な文体とは異なり、法廷で奇声を発したり、証言台で提示された書証の写しをひったくって破ったりの異常な態度で、そのさい本人が精神障害者であり手帳を持っていると自認した。そんな証人に、被告は騙されたのだった。

 このようなことがあるから、自分だけでなく相手方へも配慮して、まだ確認が取れないので一般的な範囲にとどまる返事であるとし、その範囲で話の趣旨については返答をしている。
 それを「無礼」とは何事か。例えば「ばか」とか不穏当な言葉があったなら問題にしてもいいが、そうではないのに、山崎雅弘という人は勝手に私信の内容を公然と誹謗したのである。

 また、山崎雅弘という人は、このblogをスクリーンショットで画像添付したうえ、「『彼の著書を読んだら典型的な[司馬史観]だったという指摘があり』とあるが、自分で私の著者を読んで確かめたわけでもないらしい」とtweetしている。
 これを読むと、山崎雅弘という人の著書について評価するさい、ただ「司馬史観」であると評した人の話を紹介したことになるが、実際にblogに書いたことは、そもそも著書への評価ではないのだ。要するに、その著書が保守派と同じだと指摘する人がいて、またTwitterでの発言はいちおう進歩的立場だが、内容的にはそうとは言えない、という話の前振りにすぎない。

 これは、もともと山崎雅弘という人に対して批判的な人たちの多くが指摘していることであり、それを前提としている話だ。
 「『リベラル』側にもそんな安倍晋三を後押ししているとしか思えない人間がいる。想田和弘と山崎雅弘である」
 「本当に『9条が大事』だと思っているのならこんなことを迂闊に書くものではない。安倍晋三への援護射撃以外の何物でもないと私は断定する。しかし、そんな想田和弘に同調するのが山崎雅弘である」
 など、ネット上でいくらでも拾ってこれるほど、山崎雅弘という人は偽リベラルであるという批判があり、そこから、著書に対してもそうだと指摘する人もいて、ただしここで問題とするのはTwitterでの発言である、ということだ。

 なのに、山崎雅弘という人は文句があるにしても自分はそんな(司馬史観)つもりではないと反論すればいいだけなのに、また受け止め方や解釈や評価は人それぞれのはずなのに、書いた自分が思うのと違うのだから読んでないらしいと的外れな反論をする粗雑な言質を展開している。根拠がないけど「らしい」と書いたから良いではないかと抗弁したが認められなかった判例を、彼は知らないのだろうか。

 ちなみに、「司馬史観」と言ったのは知人で、もちろんその人の独自の解釈であるが、持っている本の当該部分を見せてもらって読んだところ、その評価に賛成ではないが、にもかかわらずそう言われても仕方ないと思われる部分があり、なぜならそのように直接の記述をしてはいなくても、この著者は根がそういう発想に対して親和性があるからだろうと感じたのだ。だから紹介したまでであり、繰り返すが書評をしているのではない。

 ということで、たいへん問題なのだが、しかし、今ちょうど山崎雅弘という人が注目されているのは別件のこの発言である。

 「今回の小池新党騒動で一番意外な感じがするのは、小沢一郎氏が全面的にこの流れに同調していること。一部では『小沢氏が仕掛け人』との説もある。小沢一郎氏と自由党の政治的路線は、日本国憲法の理念に一番近いと思っていたが、大きな勘違いだったのかもしれない」

 この認識に対して「すっげぇなぁ…」と呆れている人もいる。
 小沢一郎が自民党幹事長だった湾岸戦争時に自衛隊派遣を主張したり、旧自由党時代に改憲試案で現行憲法が無効だと主張したりしたことを、山崎雅弘という人は知らないのだろうか。
 この二十余年、小沢一郎の何を見てきたのだろう。民意を反映せず議員たちが政局に明け暮れる主因である小選挙区制と政党助成金を作り、保守二大政党樹立がライフワークの小沢が日本国憲法の理念に一番近いはずがない。ちゃんと歴史を知れば正に今この状況こそ小沢一郎の本懐だろうに。
 憲法前文が、日本は戦争を起こしてしまったことへの反省をふまえて平和に貢献し国際社会における名誉ある地位を得たいと謳うのを、そのために海外派兵するのだとトンデモ屁理屈をこいた政治勢力の中心的人物が小沢一郎ではないか。それが憲法の理念に近いと言う人は、手前もそういう考えなのだろう。

 このような趣旨の指摘と批判が巻き起こっている。こうして、山崎雅弘という人が偽リベラルの軍国主義路線同調者だと以前から言われてきたことに、また補強する発言が飛び出したというわけだ。
 こうなると、山崎雅弘という人の本多勝一記者への中傷誹謗も、歴史修正主義を批判するとみせかけた婉曲な歴史修正主義への後押しだと考えれば、一貫性があって納得できるというものである。
 だから、それを問題にされたら図星だったので焦り、反論ではなく中傷誹謗で応じたということではないかと考えたりもする。もちろん、当人にその意識が無い可能性も否定できないが、いずれにせよ山崎雅弘という人が非常識で汚いやり方をした事実は変わらない。




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by ruhiginoue | 2017-10-01 14:32 | 社会 | Comments(2)
 『日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?』が出版された。

 『そんな彼なら捨てちゃえば』という邦題のハリウッド映画があって、親がヘビースモーカーゆえ早死にした彼女から忠告されても禁煙できず愛想尽かされて捨てられる男の挿話がある。
 その彼女を演じているのはジェニファー コネリーで、タバコなんかより迷わずジェニファーを選ぶと思うのだが、それは自分がタバコなんて嫌いだからか、それともジェニファーは好みのタイプだからか。

 ところで、あの高須力弥氏のツイートを読むと、彼にもこのテーマで一冊書いてほしいと感じる。

 この『日本一醜い親への手紙』という題は『日本一美しい…』が話題になったことに対するアンチテーゼで、親に虐待を受けた体験などが体験者自身たちによって赤裸々にづられている。その新しいシリーズというわけだ。

 その第一弾と近い時期に『母親は首に巻き付く蛇』という本が話題になった。心身を病む子供がクレヨンで描いた自画像に蛇が巻き付いていて、これは何かと問うたら描いた子は「蛇」ではなく「お母さん」と答えたことからきている。
 こうした親の抑圧に苦しむ人の話題がテレビで取り上げられて、その本の著者も出演していたのをたまたま見ていた。
 そこで司会役の山本コータローは「楳図かずおさんの漫画で『呪いの蛇女』というのがあったけど」と言ったのだが、ここで同席していた安部譲二は、親の虐待の後遺症で成人してからも体調が悪いという人のインタビュー録画に「へッ、大人になってもまだ治らないなんて、だらしねえ野郎だなあ」と言いウッ、シャッ、シャッ、シャッという感じに声を出して嘲り笑った。場の雰囲気が一気に悪くなってしまった。

 この話について、『日本一醜い親への手紙』の企画編集をした今一生氏は「ヤクザになって居直れるなら楽でいいけど、そんなことしたくないから苦悩するのであって、それがヤクザにはわからない」と指摘していた。まったく、その通りだ。

 わからない人といえば他にも、高校の同級生の父親がそうだった。
 最初に出た『日本一醜い親への手紙』が話題になった当時、その同級生の父親は「こんなことを言う奴は親を誤解してるんだ。ぶん殴ったって親は子供のためを思ってのことだ」と言った。
 このお父さんは、たしかに息子を思って殴っていたが、それは息子が真面目にやらず親の金で「Fラン大」かそれに近いランクの大学に入ったうえ車を乗り回したり酒を飲んだりしていたから、ついに我慢できなくなってのことだった。
 こういう家庭では、親でも子でも、苦悩する者のことなど理解できないのだろう。



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by ruhiginoue | 2017-09-27 15:58 | 社会 | Comments(0)
 よく言われることだが、例のノイホイこと菅野完のツイートに何か問題があって、その結果「凍結」されたとしても、それ以上に問題の差別発言を連発してる連中(百田某や高須某)が凍結されず、それ以上に、匿名で無責任に「詩織さん」を侮辱する卑劣漢どもを放置するTwitter社は、何を考えているのか。

 そうした疑問に対して、考えられることがいくつかある。組織的に大量の「通報」をしたとか、政治的または経済的に圧力をかけるとか、そういう推測はすでに出ているし、あと金を積んで裁判所に命令させることも可能だ。緊急の仮処分として相手方に反論させずに裁判所から命令させるのだ。これには担保として大金を積まねばならないから普通そう簡単にはできないが、金などあって使うことが惜しくない人(勢力)にとっては簡単なこと。金持ちのためだけに作られた問題のある制度である。

 また、菅野完氏のツイートは、野党が臨時国会冒頭に内閣不信任案を提出すれば、与党は否決しないわけにいかず、否決なのに解散ともいかない、という指摘をしていて、この直後に突然の「永久凍結」となったのだから、これが関係して何か裏であったとみる向きもある。

 これで思い出すのは自分が医療裁判をしていた当時のことだ。当時はインターネットがすでに定着していたが、まだTwitterやblogは無かったのでhomepageや掲示板が主流だった。
 ここで医療裁判の原因となった手術の無惨な証拠写真を掲載したところ、各地で驚きの反応があった。受け売りもされていた。それらの一部が、そのwebsite利用主に通告なく削除された。
 これはwebsiteの運営と管理をする会社が「通告」を受けて削除したものだ。その「通告」とは、こちとら防衛医大だ自衛隊だ国家権力だ、という趣旨のことをほのめかしてただけで削除しろと言ってないから、あくまでサイト管理者がやったことだという話だった。
 これは言論や報道に対する圧力だと批判されると、あくまで運営する会社の自主的な判断である、というのが向こう側の居直り方であったし、もちろんその会社は、どう判断しようと当方の勝手であり、私企業のすることに公益性の問題は無いとのこと。

 こういうことが現実にあったのだから、菅野完氏の件も推して知るべしである。
 しかし、先日の安倍総理や麻生副総理の発言、この口と舌こそ、国益のために「永久凍結」するべきだろう。

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by ruhiginoue | 2017-09-24 18:45 | 社会 | Comments(1)
 沖縄のチビチリガマが損壊された事件は、前と同様に右翼の仕業かと思われたが、犯人として逮捕されたのは四人の少年で、犯行を自白したうえ、チビチリガマの意義を知らずに「悪ふざけ」でやったと言っていると沖縄県警は発表した。

 これについて、犯行の内容から政治的背景が無いとは信じがたいと言う人もいるし、地元の少年は学校で習っているのだからチビチリガマの意義を知らないはずが無いとの指摘もされている。
 そうなると、浅沼社会党委員長刺殺事件や中央公論社嶋中社長宅襲撃殺傷事件のように、右翼が政治的背景によって起こした事件だが、少年をそそのかして実行犯にした事件を思い起こさせる。

 この一方で、社会の底辺に身を置く未成年者のことを考えれば、政治的背景がありそうな事件ではあっても実は政治的背景などない「悪ふざけ」であることは、いくらでも考えられるという指摘もある。
 なのに、社会の上澄みにいる人たちとしか交流が無い人には、社会の底辺に身を置く未成年者たちの無知と粗暴さが理解できないとも言う。

 この指摘について、あの事件が実際にどうなのかは不明だが、言わんとすることは体験から理解できる。
 高校の時、文化祭を統括するスタッフをしたことがあるのだが、このときPTA会報に某役員が「この学校の文化祭は趣味と模擬店ばかりで、これのどこが文化なのか」とこき下ろすことを書いていたから、ではシリアスな企画もしてやろうということになり、その一つとして「郷土の歴史に関わる戦争と平和」というテーマの展示をした。
 ところが、それを準備中に定時制の生徒に壊された。もちろんこちらは頭にきて追及したが、するとその定時制の生徒たちは開き直り「アカのやることだ」と言って逆に誹謗して暴力を正当化した。
 これに学校の事務員が言った。「ほんとうは全日制に僻んでやったんだよ。政治なんてわからない不良が右翼団体に入るのと同じさ」

 それと同じことなら、沖縄のチビチリガマ損壊には少年の行為として共通点があると言える。
 また、沖縄は失業がもっとも多いところだと昔から言われていて、未成年者たちが働かざるを得ないけど、就職難で他に仕事がないから、そこに付け込んで職場での暴力が横行し、それで我慢してしまい増々ひどくなる悪循環だという。
 そこから構造的に無知と粗暴が未成年者たちに備わってしまうという地元の人の話も聞いた。



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by ruhiginoue | 2017-09-20 15:20 | 社会 | Comments(0)
 先日、Twitterの差別発言の問題について、差別はだいたい匿名の無責任なアカウントだから、顕名であればいちおう責任をもった発言と見做すことができるという指摘をした。

 ところが、実名と顔写真と連絡先の携帯電話番号と住所まで掲載していた菅野完氏のアカウントが永久凍結された。
 ちょうど、あの籠池氏が逮捕され、国会を開かないでいた総理が選挙と言い出し疑惑隠しと批判され、なら不信任案で対抗すべしとツイートした途端、籠池氏と一緒に騒いで安倍内閣批判していた菅野完氏のアカウント永久凍結という次第。
 これでは、実際にどうかは別だが、陰謀だと騒がれても仕方ない。

 これにより、基になった菅野完氏の発言が消失してしまったので、それに対して述べた話の意味がよくわからなくなってしまったから、説明しておこう。

 先日、菅野完氏は、大学の先生など自分が給料をもらっている身であると講演料を要らないと言うが、これはフリーランスの者としては迷惑だという話をしていた。
 しかし、講演を要らないと言う大学の先生は、給料もらってるから金をもらわなくても大丈夫なのではなく、自説を広めたいからだ。
 それだけでなく、本業である講義でさえ、あちこちの大学を駆けずり回って講義して、新幹線に乗ったりするから給料もらっても交通費に消え、手間暇を考慮したら赤字ということもよくあるが、それでも自分の話を一人でも多くの人に聴いてもらいたいのだ。

 例えば法学部で教える知り合いは、自分が弁護士になっても人権派弁護士が一人増えるだけだから、それよりも大勢の学生の中から人権派弁護士が何人も産まれて欲しいと願い、儲からないのに一所懸命に講義してる、と言っている。大学の仕事でそうだから、市民運動から報酬を受取らなくても当然だ。

 こうした心意気を、「スト破り」の一種であるかのように非難して欲しくないものだ。


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by ruhiginoue | 2017-09-19 20:47 | 社会 | Comments(4)

「文春砲」もはや弾切れ

 民進党叩きを始めた週刊文春について、久々にほんらいの文春らしく権力のイヌ記事に回帰したと言う声があがっている。
 それにしても前原誠司民進党代表と北朝鮮美女“親密写真”を入手したというからどんなものかと思ったら18年前の記念撮影だったので、ついに「文春砲」も弾切れということか。

 どうであれ、たまにヒットで「文春砲」と呼ばれたところで「三つ子の魂百」までというわけで、かつてリクルート疑獄で自民党が苦戦したら、疑獄で問題の金額とは桁違いの合法献金のうちパチンコ屋からの献金がちょっと旧社会党にあったからと北朝鮮の手先と騒いで差別意識丸出しで自民党に媚びた当時より更に安直だから笑ってしまう。

 もともと、文芸春秋とはそういう会社である。
 かつて田中角栄を金脈問題で追い詰め失脚させたと得意になっていたけど、それで自民党が追い詰められ野党が勢いづいた途端に田中擁護論に方針転換。立花隆は怒ったけれど、結局は古巣と妥協して仲直り。どんなにカッコつけても結局は権力に擦り寄る。菊池寛の時代から変わってないのだ。

 また、トランペット奏者の日野皓正がガキの悪ふざけにブチ切れひっぱたいただけなのに教育的体罰と言い訳している件で教育評論家の尾木ママは、日本には体罰容認が歴史の中に無く、今も法律で禁止されていて、容認している外国も規定が厳格で、これに違反したら暴行罪になるから、日本で体罰をすることは根拠のない無法であるという指摘をし、これを文春に書いたそうだ。
 ただし、日本の二千年の歴史で体罰禁止は戦後の数十年だけと嘘をつき暴行死事件を起こし刑務所に入れられまでした戸塚宏を、刑事事件になっても必死で擁護し続けたのが文春であった。

 ところが、安倍政権を週刊文春が批判したくらいで文芸春秋社が左傾化したとネトウヨが妄言を吐くだけでなく、同社の体質を身をもって知る文春の元社員まで同じようなことを言う者がいるけど、文春にあるのは商業主義だけ。安倍政権だろうと民進党だろうと芸能人だろうと、売れそうなネタがあれば飛び付くだけのこと。
 これは当の文春が認めている。同社の『文春砲』という本によれば、社会正義や不正追及といったジャーナリズムの使命など関心がなく、政治問題のスクープも芸能人の不倫を暴くのも同列のエンターテイメントである。

 やはり昔から一貫している。文芸春秋社は、田中金脈追及もあくまで好奇心があったからだと表明していたけれど、ではなぜ自民党全体にはその好奇心がないのか、それでいてなぜ日本共産党には好奇心があるのか、他にも、天皇、原発、自衛隊、などには、なぜ好奇心がないのか、と昔から指摘されいた。
 
 つまり、商売になるウケることをやり、ウケるから商売として権力を批判するけど、もともと権力に媚びるほうが商売に有利だから、媚びたほうが商売になりそうな時は、当然そうするのだ。
 この体質について拙書『朝日新聞の逆襲』でページを割いていたのだから、それが昔のことになってしまっては困る。だから文芸春秋社が変わっていないことを示してくれて良かった。




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by ruhiginoue | 2017-09-16 14:50 | 社会 | Comments(0)
 先日、ツイッター社が差別表現を伴う投稿を放置しているとして、東京都内にある同社日本法人が入るオフィスビル前で市民らの抗議行動があった。
 その建物前の歩道に、民族差別や性差別を煽る投稿を印刷した紙を敷き詰め、ビルに向かって「差別ツイート野放しやめて」「ヘイトツイートは表現の自由にあたらない」などと書かれたポスターを掲げた。

 ここで、差別も言論の自由だと言っている人たちがいるけれど、そんなのは論外である。ただ、差別の冤罪も現実にあり、ひどい場合は差別を批判したことが差別になると糾弾されてしまう。これは主観的な判断によって見解の相違を攻撃するものであり、しばしば起きることだ。

 では、客観的に判断することが可能だろうか。これは困難だ。
 そして、テレビがやっていた「差別用語削除」のようにマニュアルと照らして差別用語を機械的に削除してしまうことにつながる。
 その最悪の例は、NHKが政見放送に差別用語があると勝手に音声を消してしまった事件だ。その政見放送の中で候補者が話した中に差別用語があったけれど、差別するどころか逆に、こんな差別をなくそうと言う主張だった。
 これで候補者が怒って裁判になり、判決で公職選挙法違反であるとNHKの非が認められたのに、控訴審では「ヒラメ判事」が実質政府広報放送局に忖度し、差別を未然に防止するため正当だという逆転判決で、みんな唖然とした。意味を考えない上辺だけの「言葉狩り」を司法が追認してしまった。
 こんなことがあるから、差別の法規制には危険もある。

 しかし、それとは違う客観的な判断基準がある。先ず実名や顕名か匿名かを問題にするべきだ。これは客観的である。
 そして実名や顕名なら、例の高須院長のように商売に影響するなど非難を浴びるリスクを(どこまで認識しているかは別として)承知の上だと見做せはするから、いちおう言い分があるとの前提になり、だから削除せず批判や糾弾をする。
 これに対して匿名の場合(実際に差別は圧倒的に匿名)は、最初から無責任ということだから、それで差別を書いたら無条件に削除、反論や弁解をしたいなら顕名で責任をもつ。
 と、いうようにすべきだ。
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by ruhiginoue | 2017-09-13 16:16 | 社会 | Comments(0)
 世田谷区の保坂区長は、日野皓正の暴力沙汰に対する甘い対応を批判されている。
 彼は暴力を容認しているわけではないが、この一件で音楽教室が続けられなくなっては残念なことになると表明したからだ。

 もともと彼は教育問題のジャーナリストであった。
 そうなるきっかけは、七十年代、彼が中学生のときに教師と対立し内申書に悪意ある記述をされ高校に進学できず通信教育を受けることになったことだ。

 そして、これは教育を受ける権利の侵害であり、また原因となった中学での問題行動とは彼が学生運動のまねごとをしたことだったから、思想信条の自由を侵害することでもあるとして、彼は訴訟を起こした。
 これは「内申書裁判」とマスコミで話題になった。

 この訴訟の結果は敗訴だったが、客観的事実だったから内申書に書いても良いという判決理由であったため、ただでさえ内申書が脅しとなって教師の生徒に対する暴力やセクハラ(当時は無かった言葉で、まだ猥褻行為などと言われていた)が横行しているのに、ことさら悪い評価を内申書に記述して、事実に基づいているから合憲合法と裁判所がお墨付きを与えては、ますますひどくなるという批判が起きた。
 もちろん、教師の側からは歓迎の声があり、そういう意見ばかり新聞が掲載していた。
 そうしたことがあり、その渦中の人だった過去を持つ同区長が、中学生に対する指導者の暴力より音楽教室の存続を気にしたため、当然ながら批判が起きたのだった。

 これで思い出すのが、世田谷区と目と鼻の先どころか隣あわせくらいの場所にある国士舘大学での暴力事件にたいする西原総長の厳しい対応だ。
 もともと国士舘大学は右翼大学とか暴力大学とかいわれていて、八十年代前半には関係者の間で対立から殺人事件に発展した。
 このままでは大学の存続が危うく、「バンカラ」と気取って正当化してはいられないとし、西原総長を招いたのだった。
 この西原総長は、その前に早稲田大学の総長であり、学費値上げ問題で学生が騒いだのに対して強行な対応をしたが、当時の早稲田大生は勇猛で知られ特に左翼学生は元気がよく、それでも同総長はまったく強気の姿勢を崩さなかった。これを買われたのだった。

 そして国士舘大学の西原総長は大胆な改革を断行した。
 このうち象徴的なのが国士舘大付属高校の制服変更だった。そこの学生は在日朝鮮人学校の生徒との対立で暴力沙汰となることで悪名高かった(映画『パッチギ』に描かれているようなこと)が、その長ラン詰襟で「押忍」と言って凄んでいる学生の印象を払拭するため、制服をブレザーにしてしまった。それから国士舘高校の生徒は、いかにも私学のお坊ちゃんお嬢ちゃん、という制服で通学している。

 そんな中で、剣道部で暴力事件があった。
 これまで体育系でも特に武道系では、また特に国士舘や拓殖では、シゴキ事件など暴力は普通のことで、処分があっても直接の関係者だけだった。
 ところが、このとき国士舘大は廃部にしてしまった。これには、剣道がしたくて推薦入学した学生など大慌てで、だから退学した者もいると聞く。
 これくらいでないと、暴力は無くならない。特に教育の場では絶対にあってはならないことだ。その認識が明確だったから、毅然とした態度がとれたのだ。

 ところが現世田谷区長は、自分が中学生だった当時に大学と高校で盛んだった「全共闘」の真似をして、学校行事の文化祭はブルジョワ的だから粉砕せよと叫びゲバ棒を持って乱入するなどした。
 これに対する怒りの声が「内申書裁判」のさい現役教師から寄せられて「内申書に記載して何が悪い」という投書が新聞に掲載されていた。
 だから、内申書には問題が大ありではあるが、教育権と思想信条の自由の部分では、それをいくら問題にしても、教育の場に暴力を持ちこんでおいて甘えるなと言われて共感してもらえなかったのだ。

 その総括と反省が、保坂区長には無かったらしい。
 だから、教育の場で暴力があっても毅然とした対応ができなかったのだろう。

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by ruhiginoue | 2017-09-04 16:38 | 社会 | Comments(2)