井上靜の気楽な日誌です。気楽にコメントしてください。おたよりも気楽にe-mail:ruhiginoue@excite.co.jpまで


by ruhiginoue

カテゴリ:映画( 205 )

 話題の映画『否定と肯定』(Denial)を観た人たちの多くが、「ホロコースト」否定論者の手法が日本の歴史修正主義者やネトウヨと驚くほど同じであるという感想を述べている。被害者を侮辱し、収容所の扉が右側か左側かなど証言のどうでもいいディテールの記憶違いなどで揚げ足をとり、事実をそのものをなかったものにしようとするからだ。

 この手口は、防衛医大の医療裁判でも同じだった。
 例えば、医師の不手際により患者が高熱を出しているのに、その不手際を認めようとしない医師が直ちに適切な処置をしなかった問題について、防衛医大(国)の代理人は、その熱が何度だったか患者が記憶違いをしているとし、それはどちらにしても高熱であり、医師の不手際と不適切の事実はその後の処置の記録から明らかであるのに、患者の記憶が不正確であると法廷でこき下ろした。
 また、医師の言ったことについて、事実かという質問に対して患者はただそのとおりであると答えたが、その質問のさい防衛医大(国)の代理人は、医師の言い方が乱暴なのでヤクザみたいだと自分の感想を付け加えていて、それはあくまで質問する側の印象であるのに、患者がそれに同意したと牽強付会したうえで、医師がヤクザのような口のききかたをするはずがないと根拠もなく言い(実際には医師が暴言を吐いて問題になることがあるというのに)、この患者は嘘をついていると誹謗したうえ、さらに、たったこれだけを根拠として、患者には虚言癖があると断定し、だから他のこともすべて嘘であり、最初から訴えは全部が虚偽であるから不当な訴訟であると主張した。

 あまりにもバカげているし医学的にも荒唐無稽であるから、防衛医大の他の医師たちもひどすぎると指摘し、このおかげもあって裁判官はその防衛医大(国)の代理人の戯言をいっさい採用しなかった。
 この代理人について、話したら実に失礼な人で大嫌いだと明言した自衛隊の元関係者もいる。
 これは、国と自衛隊に良識があったと言えることだが、なのに東京弁護士会は違った。その嫌らしいことをした代理人が同会に弁護士として加盟しているので庇いだてし、批判する患者の側を営業妨害だと言って中傷したのだった。
 つまり、歴史修正主義者と酷似した手口について国と自衛隊はすべてを容認したのではなかったが、東京弁護士会は積極的に擁護したのである。
 この会にはもともと批判が多かったけれど、話に聞いていたより酷いと実感したのだった。そして同会は何かにつけて組織的に狂信的なほど右翼的である。要注意だ。



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by ruhiginoue | 2017-12-11 16:12 | 映画 | Comments(0)
 映画『スターウォーズ』の制作を引き継いだディズニー社が、さらに新作を作って発表するという話に、映画ファンの間から、もううんざりという声が出ている。飽きたということとともに、もう『スターピース』にして欲しいということだ。現実が無邪気ではいられないのに、映画で楽しんでいられるか。いつまでも戦争が続く感覚に浸っていては、ほんとうの世のなかに平和がこない。
 そういうことだ。

 かなり前から、『スターウォーズ』が大ヒットして映画がつまらなくなったと言われている。
 それについて、『スターウォーズ』に大きな影響を与えた黒澤明監督は、どう思うかとインタビューで問われて「『スターウォーズ』は面白かったけど、それが大ヒットした影響で表面的な刺激の映画ばかりになってしまったからだ」と言っていた。
 もともと、『スターウォーズ』が最初に発送された70年代、「アメリカンニューシネマ」の全盛で暗かったり厭世的だったりして、わざとハッピーエンドを避けていたりもした。
 そして『タクシードライバー』などにみられるようにベトナム戦争の影を引きずっていた。

 ところが、77年になり、長らく停止されていた20世紀フォックス社のロゴの音楽(映画音楽の巨匠で同社の音楽部長でもあった作曲家アルフレッドニューマンによるファンファーレ)が復活して威勢よく♪パンパカパーンと鳴り響き、SFなのに「昔、昔、」という説明の字幕とともに映画が始まると、往年の無邪気な勧善懲悪物の活劇は、このとき本格実用化されたドルビーシステムによるサラウンド音響が轟音を蹴立てながら開始されたのだった。

 こうして、SFだからと戦争を堂々と娯楽と化した。例えば爆撃機映画など現実の戦争の悲惨な犠牲者を考えれば絶対に楽しめないということになっていたのだが、娯楽で空想に遊ぶものだからということで、回転式砲座で迎撃機を無邪気にぶっとばすのだ。
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 それから10年経ち、東京国際映画祭で、当時『プラトーン』が大ヒットしていたオリバーストーンが来日し、もう一つの大ヒット映画『トップガン』を戦争美化の軍国主義映画だと批判しながら、『スターウォーズ』もアメリカでは右翼に利用されていると問題にした。
 現実の戦争には政治や経済が絡み、敵にも味方にもそれぞれ言い分があるのに、『スターウォーズ』の銀河帝国とダースベイダーなど、とにかくSFは単純で、絶対悪を倒すのが正義だという図式で、そんなものを観る人々に押し付ける。これが「悪の帝国」を倒すという国策臭さに転じたということだ。

 これだから80年代に入ると映画はダメになったのだと言う指摘があり、そこでウォーレンビューティーは「黒澤明監督の作品のようなものはハリウッド映画には無理になってしまった」と言った。
 これに対しオリバーストーンは、それでも80年代のハリウッド映画は傑作ばかりだと反論していた。80年代の傑作は60年代と70年代の傑作を合わせた数より多いと言う。自分は『プラトーン』を作ったし、ウォーレンビューティーだって『レッズ』を作った。他にも『ブレードランナー』や『ブルーベルベット』などがあった、ということだ。
 そう言われればそうだという映画は色々あった。

 このような経緯なのだから、もう『スターウォーズ』の新作はけっこうである。



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by ruhiginoue | 2017-11-13 16:35 | 映画 | Comments(4)
 アメリカの人気テレビドラマ『トワイライトゾーン』(日本放送では『ミステリーゾーン』後に映画化で『トワイライトゾーン』と原題と同じに)には、幻想的な物語に風刺や社会批判が込められていたが、その中でも特に「暗闇の男」という挿話にはこの傾向が強かった。
 これは翻訳も当時のままで繰り返し放送されている。

 かつて再放送で観たのと同じものが、誰かによって動画サイトに投稿されているので、改めて観た。監督がスチュワート=ローゼンバーグだったとは気づかなかった。
 ただ、一部音声が消えていて、差別的な言葉だったからだろうが、二か所のうち前のほうでは、右翼の青年が街頭でアジ演説して野次られるなどしたあと「あいつらはアカだ」と言っていたはずだ。差別ではないが、政治的だから音声を消したのだろうか。

 ところで、ここでは観た人たちのツッコミがテロップになることは周知のとおりだが、最初、右翼の青年が友達数人と政治結社をつくり街頭演説していて、「国際金融資本が~」と言ったり人種差別発言したり、また今ちょうど百田尚樹が吐いた暴言と同じことまで言っているのだが、ここで「ネトウヨと同じだ」とツッコミがあり、また過激な演説をしても本気で相手にされていないから「まるで外山亘一だ」というテロップ、それが今でいうヘイトスピーチと危機扇動によって次第に支持を集めてくると「石原慎太郎だ」「橋下徹だ」というテロップ、ところが仲間割れになると「維新だ」とツッコミが入るので可笑しい。

 しかし、今にも通じる普遍性のある風刺であるから、観たことが無い人にはお勧めである。





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by ruhiginoue | 2017-11-07 15:24 | 映画 | Comments(0)
 『ブレードランナー』の続編が二時間四十分を超える長編だそうで、これでは鑑賞は不可能だ。

 ただし長いから退屈とか忍耐とかいう問題ではない。映画の上映時間が長いと感じるのは内容との均衡だ。
 かつて『マルコムX』が公開されたとき存命だった黒澤明は、三時間物なのに長い感じがしないのは内容が詰まっているからだと指摘していて、このことは映画の原作である『マルコムX自伝』を読んでから観た人たちが一様に、省略されすぎていると言ったことから明らかだ。
 だから『ハリーポッター』は、原作を読んだ子供たちが観ることを前提にしているから省略しないで映画化している。このために、長いと耐えられない子供が観るにしてはかなり長尺であり、このほうが子供にウケるのだ。

 そして『ブレードランナー』の続編は、前の作品を観た人たちが、そのあとどうなるかと考えることに対してなるべくきっちり応えようとしているから長くなっていて、だから観客にとっては長ったらしくて退屈とはならないらしい。

 しかし、このところ映画館に行くことが全くない。それは映画館が途中入退場の煩さを気にする観客が多いので指定制にしてくれたのはいいが、途中で気分が悪くなるなどで退場して次の回に観るというわけにはいかなくなったからだ。
 こうなると、上映時間が長い映画はいつも最後まで観ることができない。

 このため、前に東大医学部で教授に相談したことがある。まず自分で医学文献を読んで、だからこういう対策はできないかと訊ねて、しかしそれにはこのような問題があって無理だという答え、という問答の繰り返しとなったことがあり、まったく『ブレードランナー』でロイバッテイとタイレルが問答したような会話だった。

 余談だが、原作の小説では人造人間の寿命が設定されてるのではなく新陳代謝が無いから短命ということになっていて、またロイバッテイはデッカードにあっさりと退治されてしまう。それを映画では死闘にしている。知能はあるが感情は無いというのは、明らかにチャペックの『RURロッスムのユニバーサルロボット』の影響だ。

 そういうことで、体調が悪いから『ブレードランナー』の続編も駄目ということだが、そのため、このところ娯楽の類をまったくしない。
 あと仕事で雑誌の原稿を書いたり取材の電話をかけたりしている間に、ちょうど映画でタイレルが仕事の合間に投資の話をして株だか債権だかを「売れ」とか指示している場面があるが、そんなふうにしていて、このため金はけっこう入ってくるのだが趣味や娯楽に使わないので、また投機に回し、こうなると貯まるばかり。
 しかし、ぜんぜん面白くない。技術の進歩で身体が治るようになった時に期待して、治療費としてため込んでいるのだと思うようしている。


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 原作がうちの書棚にあったのを思い出した。ペーパーバック版である。




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by ruhiginoue | 2017-10-31 13:13 | 映画 | Comments(3)
 脚本家から小説家に転じた豊田有恒が、その著書で、かつて関与していた『宇宙戦艦ヤマト』の製作元締めの西崎義展について色々とほのめかしてることが話題になっている。

 この西崎義展という人には前に告発本が出ていて「狂気」とまで表現されているが、これについては以前から同作品に参加した漫画家の松本零士や脚本家の藤川圭介や作曲家の宮川奏らがさんざん語っていて、それに比べたら豊田有恒の話は控えめである。

 ところで、この西崎義展と豊田有恒の共通点は高校が武蔵であることだ。武蔵は開成と麻布とともに東大進学御三家と昔から呼ばれ、それに加えて関西の灘とか鹿児島のラサールとか一部の地域の猛進学校があるという構造は昔から今まであまり変わっていない。

 まず西崎義展だが、彼は東大を目指して開成を受験して失敗し、これで親と喧嘩になって家出のあと武蔵に入るが、結局は日大芸術学部に入り、エンターテインメントの世界に行く。この当時の日大芸術学部は、勉強しないで趣味ばかりという人が行くところであったと、知り合いの複数の卒業生が言っている。

 また豊田有恒は、中学・高校・大学と武蔵を出ていて、武蔵大学とその付属ということであるが、よく私立大学の付属高校には、受験校として有名で生徒のほとんどが他の大学に行くというところがあり、その代表格なのが武蔵であるから、武蔵高校から武蔵大学に進学する人は数年に一人くらいしかおらず、そんな人は武蔵の落ちこぼれと言われる。
 しかし豊田有恒は東大に現役合格していた。ところが当時は東京大学理科3類すなわち医学部が無く「進学振り分け制度」があって、東大に入学したあとで希望する学部の入試があり、これで受からなければ退学だった。だから、知り合いの東大医学部教授だった人は、もしも運よく受かっていなければ医者になっていなかったと言っていた。
 その制度がまだあった時代なので、豊田有恒は、病院を経営する親から家業を継げと言われたため、せっかく受かった東大をあきらめ慶応大の医学部に入らされた。そして嫌々のことだったから成績不振で卒業できなかった。そして武蔵大学の経済学部に入りなおして卒業する、というように、ずいぶんと遠回りでもったいないことをしている。

 このように、エリートコースを目指したが進学で失敗したのでエンターテインメントの世界に行って成功を目指して、成功したらひけらかしてコンプレックスを指摘される、ということなのだろう。




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by ruhiginoue | 2017-10-18 15:49 | 映画 | Comments(3)
 「この前、北朝鮮からミサイルが発射された時に、北海道の上空でゴーッって音が響き渡ったらしい」

 という女性の愚かなツイートを真に受けた人たちがいる一方で、デタラメを言うなという人たちもいた。そんな音はしていないし、冗談にしても、ありえないことだから真に受けるほうもバカだという指摘がされていた。上空のミサイルは音が空気を伝わってくるようなところにない。政府がプロバガンダに利用して危機を煽っているから、もっと低く飛んでいるかのように勘違いさせられたとしても無知すぎる。

 しかし、宇宙空間は空気が無いから音は伝わらないけど、『スターウォーズ』や『宇宙戦艦ヤマト』などのSF映画では宇宙で轟音がしてるから、勘違いする人もいるのかもしれない。宇宙空間が出てくるSF映画で音がしないのは『2001年宇宙の旅』くらいじゃなかった。あれはヘルメットの中で自分の呼吸の音ばかりが響いている描写だった。
 ただ、子供だって宇宙で音がするわけないとわかっているから、実際に音がしているのではなく効果音であると解釈してきたはずだ。非現実の映像を盛り上げるために効果音を入れているのだ。

 これでわかった。なんで最近の映画がつまらないのか。違和感がひどいからだ。CGの進歩でリアルな映像が好きなだけ作れるようになったのだから、音で煽る必要はなく、もう効果音も音楽も無用になったのだ。それなのに、昔と同じ表現をしていて不自然なのだ。
 昔、『キングコング対ゴジラ』で、大タコが出てキングコングと闘う場面があったけど、ここでタコはキングコングとゴジラのように着ぐるみとはいかないから、ほんとうの生きているタコをセットの中に入れるなどして相対的に大きく見せていたが、このためタコのニュルニュルした感じがリアルだった。
 そこへ音楽はタコのニュルニュルした動きに合わせてグリッサンドを多用したものになっていたが、作曲した伊福部昭は、本物のタコを使って撮影すると聞いたときは、なら音楽は無用ではないかと監督に言ったそうだ。怪獣は本物ではないから音楽で煽る必要があるけど、本物なら無用だろうということだ。

 また、セットとか特撮とか作り物の中で俳優が演技していても、どちらも現実ではないと思っているから違和感がないけれど、CGで本物そっくりに映像が作られた中に俳優がいると、無名の俳優なら問題ないが、スターとか有名な俳優が出ていると、そこで嘘だと感じてしまう。
 そうなっているのに、相変わらず効果音や音楽で煽ったりスターが出たりと、時代遅れになった方法で映画が作られている。もう俳優も、ほんらいの在り方である舞台にスターがいるべきだ。舞台なら映画とちがって外国人の役を演じたりしていても、もともと例えばシェークスピア劇に出ているのはローレンスオリビエであってハムレットではないと観客はわかっていて、古代ギリシャからドラマとは別人を演じて人間と物事の本質を理解するものだから、むしろ違うとわかっているものなのだ。だから「役者」というのだ。

 もし機会があったら映画を作ってみたいと思うけど、その場合、スターはもちろん有名な俳優はいっさい出さないし、出来れば姿も声も合成し、アニメ以上に完全な作り物として、非現実的な効果音と音楽は一切入れないだろう。




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by ruhiginoue | 2017-09-18 21:51 | 映画 | Comments(3)
 黒澤明『蝦蟇の油-自伝のようなもの』より

 大正十二年九月一日

 この日は、中学二年の私には、気の重い日だった。
 何故なら、夏休みが終わった翌日で、普通の学生なら、みんな、やれやれまた学校が始まるのかと、うんざりする、二学期の始業式の日だったからだ。
 その始業式を終えて、私は上の姉に頼まれていた洋書を買いに京橋の丸善へ廻った。
 ところが丸善はまだ店を開いていない。
 これには、私はますますうんざりして、午後また出直そうと家へ帰った。
 この丸善の建物は、その二時間後には、無残に崩壊し、その残骸の写真は、関東大震災の恐ろしい一例として世界の注目を集めることになる。
 私は丸善が店を開いていたら、どうなっていたか、と考えざるを得ない。
 二時間の余裕があったのだから、姉に頼まれた洋書を捜すための時間を見込んでも、丸善の建物につぶされていたとは思えないが、東京の中心を焼き尽くした大火にとりまかれ、どうなっていたかわからない。
 後略


 闇と人間

 前略 
 しかし、恐怖すべきは、恐怖にかられた人間の、常軌を逸した行動である。
 下町の火事の火が消え、どの家にも手持ちの蝋燭がなくなり、夜が文字通りの闇の世界になると、その闇に脅えた人たちは、恐ろしいデマゴーグの俘虜となり、まさに暗闇の鉄砲、向こう見ずな行動に出る。
 経験の無い人には、人間にとって真の闇というものが、どれほど恐ろしいものか、想像もつくまいが、その恐怖は人間の正気を奪う。
 どっちを見ても何も見えない頼りなさは、人間を心の底からうろたえさせるのだ。
 文字通り、疑心暗鬼を生ずる状態にさせるのだ。
 関東大震の時に起こった、朝鮮人虐殺事件は、この闇に脅えた人間を巧みに利用したデマゴーグの仕業である。
 私は、髭を生やした男が、あっちだ、いやこっちだと指差して走る後を、大人の集団が血相を変えて、雪崩のように右往左往するのをこの目で見た。
 焼け出された親類を捜しに上野へ行った時、父が、ただ長い髭を生やしているからというだけで、朝鮮人だろうと棒を持った人達に取り囲まれた。
 私はドキドキして一緒だった兄を見た。
 兄はニヤニヤしている。
 その時、
 「馬鹿者!!」
 と、父が大喝一声した。
 そして、取り巻いた連中は、コソコソ散って行った。
 町内の家から一人ずつ夜番が出ることになったが、兄は鼻の先で笑って、出ようとしない。
 仕方ないから、私が木刀を持って出て行ったら、やっと猫が通れるほどの下水の鉄管の傍へ連れていかれて、立たされた。
 ここから朝鮮人が忍び込むかも知れない、と云うのである。
 もっと馬鹿馬鹿しい話がある。
 町内の、ある家の井戸水を飲んではいけないと云うのだ。
 何故なら、その井戸の外の塀に、白墨で書いた変な記号があるが、あれは朝鮮人が井戸へ毒を入れたという目印だと云うのである。
 私は惘れ返った。
 何をかくそう、その変な記号というのは、私が書いた落書きだったからである。
 私は、こういう大人達を見て、人間というものについて、首をひねらないわけにはいかなかった。

 岩波書店 P97~P106



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by ruhiginoue | 2017-09-01 20:51 | 映画 | Comments(0)
 矢口洪一元最高裁長官は「22歳で裁判官になれるって、やはりおかしい。大学出て司法研修所に1年行っただけで,世間のことがわかるわけがない」と発言し、40歳以上の社会経験のある人から裁判官を選ぶべきであると主張しているが、そんなことが最高裁長官までやってようやくわかったことなのかという疑問というか呆れというかの声があり、また、外国の例を見ると弁護士として働いた経験のある人が裁判官になるのだが、日本では裁判官もキャリア制度で、辞めてから弁護士になる「法曹逆一元化」だから、世間知らずの裁判官が荒唐無稽な事実認定をするなどの問題を、とっくに指摘されてきた。
 それに、裁判官は専門知識があればよいから、一般常識は裁判員が受け持ち、これを拡充するべきという意見もある。専門知識があればいいわけではないが、社会経験があればいいわけでもなく、例えば大阪では校長先生を社会経験のある人から登用させたら滅茶苦茶になり、しょせん「維新」の連中が関わっていたからだという批判がいっぱいである。

 そういえば、映画『評決』に描かれる裁判で、主人公の弁護士に反感をもつ裁判官が不公正な訴訟指揮をするけれど、この裁判官は「私だって弁護士の経験がある」と言う。これに主人公が「それは腐敗した連中相手の交渉役じゃないか。今も相変わらずだ」と詰め寄るけど、これに日本では輪をかけようになるだろう。法曹一元化をしたところで、辞め判・辞め検に代わって、政治家や大企業の顧問弁護士から転じた裁判官が幅を利かせるようになることは火を見るより明らかだ。

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 ところで、この映画『評決』は、少年時代に新宿の映画館で観たが、この当時よく一緒に映画を観に行った同級生は、興味が無いと言った。彼は、その前の時期に公開された洋画で話題になった『黄昏』『レッズ』『炎のランナー』などのアカデミー賞作品にもまったく興味がなく、当時の公開で観に行ったのは『ET』『遊星からの物体X』『ランボー』などで、アクションとSFの他はアニメしか観ない人だった。「だからお前はガキなんだ。彼女もできないんだ」と声に出さずに呟いたが、大人になっても同じだったから、趣味の問題だったのだろう。
 しかしこの当時、まさか将来自分で医療裁判をやるとは想像もできなかった。SFが現実になることより想像できなかった。

 ただ、『評決』を観た当時、結末に呆気に取られて理解できなかった。『12人の怒れる男』をテレビで見て面白かったので、同じ監督が陪審員をテーマにした映画を撮ったということで興味をもって観ることにした。ところが、『12人』で陪審員たちは、被告人の人種がマイノリティである偏見を排し証拠と証言について論理的に検証して無罪の評決をする過程がスリリングだったのに、『評決』では決定的な証言を裁判官が否定したのに対し陪審員たちは原告の訴えを相当と認めるので、呆気にとられたのだった。

 これと同じ印象をもった人は日本には多かったようだ。あのときポールニューマンふんする弁護士は、最終弁論で陪審員たちに「あなたたちが法であり、正義を実行する稀な機会です」と訴えるだけだから、まるで、情調に訴えたから逆転勝ちしたと誤解してしまいそうだ。実際にそう思ってしまった人たちが大勢いて、ネット上にもそういう意見がいっぱいある。

 しかし、情調に訴えて勝てるなら、『12人』を否定することになる。この被告人はマイノリティだが、これで思い出す米映画は『アラバマ物語』である。グレゴリーペックがアカデミー賞の熱演をした弁護士は、人種差別がもっとも強い時期の南部で、周囲の偏見にも関わらず黒人の被告人を熱心に弁護するが、白人ばかりの陪審員たちは有罪にしてしまう。法廷ではどう見てみても彼の勝ちだったし、白人女性が暴行を受けて負傷したのは父親のDVとしか考えられないのだが。しかも、それを傍聴人たちの前で暴かれて恥をさらした父親から主人公は逆恨みされてしまう。

 このように、『評決』の陪審員たちは証拠と論より情緒に流されたのだろうか。もちろん違う。
 よく映画を観ていると、裁判官が証言を排除しろと言ったのは、証人が証言を裏付ける物的証拠としてカルテのコピーを取っていたが、コピーは改ざんできるので証拠採用しなかった判例があるからだった。
 これに主人公は異議を申し立てて例外を求める。裁判官は異議を考慮するとしか言わず事実上の無視なのだが、これに陪審員が合わせないといけないのではない。また、物的証拠がなくても証言が内容的に周囲の客観的事実と符合していれば信用できるし、そもそもどうしてコピーを取っていたのかというと、その証言をした看護師は事故があった時に担当医の圧力でカルテの改ざんをさせられ、後から問題になるかもしれないと思ったからで、なにも無いのにコピーを取っておこうとするわけがない。
 しかも、専門的見地からは、そのような事故がなんの原因もなく起きるとは考えられず、そうなると、予想外の出来事だったという弁解は責任逃れのために言っているとしか思えなかった、という前提がある。
 さらに、看護師の女性の名を聴いた途端に、被告席の医師らは驚き一瞬狼狽していたし、その看護師は証言しながら、職を追われたことを涙ぐんで話した。これらの様子を陪審員たちは目撃している。これに対して、いくら判例を盾にして証言を排除しようとしても、無駄であろう。
 だから主人公の補佐をしている先輩の弁護士は「証言の効果は変わらないよ」と言うのだ。

 これらをちゃんと見て意味を理解できていないと、情緒に訴えたようにしか感じないだろう。
 そして特に肝要なのは、陪審員とは何かということだ。あの裁判官の横暴な態度と個人的感情に基づく偏向した訴訟指揮ぶりは、陪審員たちが直接目撃していて、それに反感も覚えているだろう。だから、官僚の独裁にならないよう市民がチェックするために陪審員がいるということである以上、裁判官の指示を無視して反対の判断をすることは当然である。
 この認識を日本では多くの人がもっていない。陪審員制度が無くなって久しく、今は裁判員制度があるけれど、これも陪審員と違って裁判官を補佐するものでしかない。このため、映画『評決』をちゃんと理解できない日本人が大勢いるのだ。



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by ruhiginoue | 2017-06-25 16:25 | 映画 | Comments(1)
 おそらく官邸の陰謀だろうといわれている前川元次官を貶める記事のため、読売新聞に「まるで三流週刊誌のような内容だ」という苦情が寄せられ、怒って購読を中止するという長年の読者までいるということが報じられている。

 ところで、先日は新聞の盛んな英国の事情について触れたが、そのさい読売新聞は英国だとデイリーテレグラフ紙に該当すると述べた。同紙は英国の一般紙でもっとも発行部数が多く、他の一般紙でクオリティペーパー(高級紙)として分類されているザ・タイムズとガーディアンの両紙に比べると娯楽性がやや強く、日本で言うところの三面記事を重視し、論説は保守的だから選挙で保守党に投票する読者が多い、ということだ。

 ここに掲載している画像は英国のアニメ映画『風が吹くとき』(原作は82年、映画は86年の発表)の冒頭の場面だが、実写動画からはじまり、それについて報じる新聞を主人公のジムが読んでいる場面へとつなげて本篇であるアニメになる。
 ここでデビッドボウイの主題歌が流れている。『スノーマン』のアニメ化でデビッドボウイがナレーションを担当しているが、原作者が同じである。

 さて、『風が吹くとき』でジムが読んでいるのがザ・タイムズで、右隣にはデイリーテレグラフがあり、左隣にはファイナンシャルタイムズがある。ファイナンシャルタイムズはその名の通り経済紙で、英語で発行している新聞としては世界一の部数だが、英国以外での発行が多い。
 そして英国で発行部数が最も多いのはザ・サンで、これは大衆紙とかゴシップ紙とか言われていて、品の悪いい記事を売りにしているから日本では東スポのようなものだが、下ネタなど男性むけ記事が多いので、芸能やスキャンダルを好む女性は他の大衆紙を読んだりもする。

 この映画『風が吹くとき』で、ジムは硬い記事を熱心だが少し背伸びしたような感じで読んでいる。彼は労働階級である。この話は同じ作者の他の続編というかスピンオフ作品というかの内容で、前の話でジムは刑務所に入ったことがあり、妻に見送られながら護送されていく最後のほうがむしろ悲しい。

 この妻ヒルダは、後の会話でゴシップ紙しか読まないと言っている。だから夫のほうが少し博識であることが話す内容からわかる。
 それにしても、ラジオで戦争になりそうだと報じられているのを聴くとヒルダは「またドイツが攻めてくるんですか」と言う。「今度はロシアだよ」とジムが言うと「スターリンさんは感じの良い人だけど。お鬚が」という調子だ。

 そして、核攻撃で汚染が浸透してくると、田舎暮らしの二人は、お上が指示したとおりの荒唐無稽な対策をとり、政府を信じたまま衰弱して死んでゆく。
 この最後を今の日本は笑っていられない。北朝鮮がミサイル発射実験をしたら、標的となる米軍基地の近くでもないところで、従順な田舎の人たちは、雷対策と同じようにしゃがんだり伏せたりして頭を抱えることを、指図されたまま唯々諾々と従ってやっていた。

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by ruhiginoue | 2017-06-22 15:57 | 映画 | Comments(0)
 『ポチの告白』という、警察の腐敗を告発した映画があった。裁判になる場面があり、裁判官の役であの宮崎学がカメオ出演していて、警察から脅しの電話がかかる。風俗店に行ったことがないかという。警察では防犯カメラを押さえることができるから暴露して報復することをほのめかす。 
 
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 今、読売新聞が呆れられている出会い系バー通いの記事も、そのつもりだったのだろうが、失敗に終わった。 

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 出会い系バーといえば、実話に基づいた映画『ミスターグッドバーを探して』があったのを、久しぶりに思い出した。

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 ところが、『タクシードライバー』で売春宿に客として行きながら家出少女に説教していた運転手が、そのあとギャング相手に銃撃戦を展開するけれど、あの前川氏も出会い系バーに行って若い女性の相談相手になっていたわけで、そして安倍内閣を相手に大立ち回りを演じてマスコミに騒がれている。
 モヒカン刈りで証人喚問に出ていくことはないとしても、事実の弾薬は大量に所持しているだろう。

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 ところで、また思い出したのが「♪人間だったら友達だけど、ロボットだからロボダッチ」というCМソング。そのとき、マエダッチさんは高校生か大学生になったかくらいだったから、プラモデルをもってはいなくても聞いたことくらいはありそうだが、東大に入る当時だからたくさん勉強していてテレビなんて見てないかもしれない。
 マエダッチと呼ぶ女性の世代ではまったく知らないだろう。

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 そういえば過日、親戚の子供がもっているロボットに「ゾイドだね」と言ってしまい「トランスフォーマーだよ」と訂正されたことがある。その子供たちが大人になって映画になったのを観ているわけだ。


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by ruhiginoue | 2017-06-12 16:09 | 映画 | Comments(0)