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by ruhiginoue

カテゴリ:映画( 186 )

 病気を苦にしての自殺と思われるキースエマーソンの命日で思い出したが、彼は恐怖映画ファンだと公言し、よく恐怖映画の音楽も作っていて、特に『インフェルノ』の音楽は受賞するなど評価されているけれど、綺麗すぎて作品と合っていないと言う人もいる。
 やはり、ダリオアルジェント監督の映画は、同じプログレ系の音楽でもゴブリンのドロドロした響きが良いとのことだった。

 そのアルジェント作品で特に人気が高いのは『サスペリア』で、これは怖いけれどスタイリッシュであるとして女性にも人気がある。少女漫画に怖い話という分野があり、それと同じだというわけだ。そして少女恐怖漫画雑誌名に「サスペリア」というものまで登場したほどだ。
 そもそもアルジェント監督はマンガ好きを公言していて、色々な作品を読んでいるから日本のマンガもよく読んでいたそうで、『サスペリア』の主役にジェシカハーパーを起用したのは、彼女の顔は目が大きくて日本の少女漫画みたいだからと言っていたと伝えられる。
 
 この『サスペリア』の主人公は、製作会社が輸出を意識してハリウッドスターにという意向だった。それで、主人公はアメリカからヨーロッパにやって来て、イタリア映画だがドイツが舞台でセリフは英語で撮影されている。
 そして、宗教と芸術の関わりは世界中にあるが、舞踊と儀式も関係が深く、中世から続く名門バレエ学校に留学してきた主人公は、そこが魔女の作ったものだと知る、という話である。
 
 そのうえで、その秘密を知ってしまったものたちは口封じに消され、その惨殺される場面が怖い見せ場となっているが、魔力を持っているにしては刃物を持って暗闇から襲ってくるなど、アルジェント監督が得意とする「ジャロー」と呼ばれる犯罪サスペンスと見せ場が同じである。これは、呪いで病気にするなどでは見せ場にならないから仕方ない。
 また、いくつか不可解なことが解決されないで終わるから台本が破綻しているという人の意見がネット上に見受けられるが、現実では何もかも解かることはむしろ少ないのだから、何もかも判明したのではかえって非現実的で作り話だと思ってしまうということで故意にやっているのだ。つまりミケランジェロアントニオーニ監督の真似である。

 それだけでなく、どうも隠された意図があったのではないかという気して、かつて観たときとは解釈が変わってしまった。
 まず、商業主義の要請で主人公をアメリカ人にしているというだけでなく、合理主義と近代科学文明のアメリカから来た主人公が、ヨーロッパの古い伝統を学ぼうとしたけれど対決する図式に気づいた。

 しかも、イタリア映画なのにドイツを舞台にしていて、そこで魔女の手下となっている者たちの中にはルーマニア人の下男とロシア人の家政婦がいる。ルーマニアはドラキュラ伯爵が有名だが、深い森があって妖怪の話が特に豊富な土地柄だから、その程度の意図の設定と言える。
 ところが、ロシア人の家政婦たちは古いロシアの太った女性というステロタイプであり、家政婦たちで話しているときはロシア語で、他では訛った英語を話している。
 そして、最後のほうで主人公は一人だけ取り残され、バレエ学校の他の生徒たちはみんなどこへ行ったのかと主人公から問われてロシア人の家政婦は、ボリショイバレエの公演を見に行ったと言う。主任教師が勉強のためにと行かせたのだが、主人公を独りにして抹殺するつもりだったわけだ。

 ところが、最後の戦いで主人公はたった一人で魔女と対峙して勝つ。そして中世から続いた魔女のバレエ学校は崩壊し炎上する。秘密を知った者たちはみな抹殺されたが、主人公のアメリカ娘は違った。
 このとき、炎上する学校に居なかったので他の生徒たちは難を逃れたが、それは偶然だがボリショイバレエを観劇に出かけていたからだ。これは魔女の召使となっている古いロシアのステロタイプの口から聞いた話であり、この映画の当時の77年はロシア革命で近代化と科学文明を追及し続けたソビエト連邦であり、アメリカのライバルであった。戦争でソ連はドイツをやっつけたし、もともとロシアでバレエは盛んだったが、革命後は国技として力を入れていた。

 そして最後は、魔女とその手下たちが死に中世から続いた学校が爆発炎上し、そこから脱出したアメリカ人の主人公は安堵の笑みを浮かべるが、一瞬のことではなく、ダメ押しのようにまた微笑む。彼女が魔女を退治したのであり、勝利による満面の笑顔であった。

 これだから、『サスペリア』は非常に怖い映画であるのに、観た夜に眠れなくなることがなく、むしろ逆に安心してよく眠れたのだ。
 

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by ruhiginoue | 2017-03-18 14:39 | 映画 | Comments(0)

鈴木清順監督死去

 鈴木清順監督が93歳で死去したとのこと。

 その難解な作風に怒った映画会社の重役が独断で解雇したため問題になったことがあり、そういうことがあったためか、鈴木清順監督は円谷プロの作品にも関与していた。俳優としての出演もよくしていたが、その中で円谷英二にふんしたこともあった。
 円谷プロの作品には、政治的も含めて色々な事情から干された人が関与したものが少なくなく、このため前衛的だったり社会派だったりと深みがあって面白かったものだ。
 その中に『怪奇劇場アンバランス』があり、これに鈴木清順監督は参加していたが、そのさい別の挿話を担当した山際永三監督は、その市川森一脚本で唐十郎が主演し子供時代は名子役の高野浩之という話が、他の人から難解だと言われていたうえ鈴木清順監督にまで解らないと言われてしまい困ったそうだ。

 監督だけど俳優もする人としてジョンヒューストンとかフランソワトリフォーがいるけれど、鈴木清順監督はよく他の監督の作品に俳優として出演していた。そして逆にというか鈴木清順監督の作品『夢二』には悪役で長谷川和彦監督が出ていた。武久夢二に扮する沢田研二とは『太陽を盗んだ男』では監督と主演だったが、それが共演者になったのだった。
 その前には『ツゴイネルワイゼン』が話題だったが、こうした前衛芸術的な作品の前には日活で活劇を主に撮っていて、また『肉体の門』『河内カルメン』『けんかえれじい』は名高く、アニメでは『ルパン三世』に関与していた。

 『けんかえれじい』のヒロイン役は後に大橋巨泉と結婚したことで話題となったが、彼の死について医師の対応に問題があったことを語っていたことは、先に述べた通りである。

 この『けんかえれじい』には原作にも脚本にも無い脚色がしてあり、特に印象的だったのは北一輝と遭遇して主人公が影響される場面だった。喧嘩ばかりして放校された主人公は、転校先の校長がバンカラ型だったから理解されたりもする。
 このように主人公は政治に関心があるわけではないけど心情右翼というところで、公開当時は学生運動が盛んで、大学生から熱烈な支持があったという。
 ここで鈴木清順監督は、喧嘩だろうと学生運動だろうと若くて元気なんだから当たり前という姿勢で描いていた。
 ところが、弟のNHKアナウンサー鈴木健二は、著書で学生運動を批判しつづけ、それは、まじめに勉強しないでケシカランという単純なものだった。

 こんなに兄弟で違うのは意外だが、鈴木健二の大ベストセラー『気くばりのすすめ』がテレビで取り上げられたとき、かつて鈴木健二は、職場の後輩と暴力団組長の愛人が恋に落ちたとき、追って来たヤクザたちを相手に懸命な説得をして分かってもらったという武勇伝を語り、その再現ドラマ(鈴木健二の役はケンちゃんに引っかけて宮脇康之、組長は所ジョージ)が放送され、自慢話にスタジオ内は辟易ぎみだったがケチはつけられないので我慢していたが、そのときゲストで出演していた鈴木清順監督は、司会者から「お兄さん、どうですか。弟さん偉いですよね」と言われると恍けた調子で「親分が良くて、良かったですねえ」と言ったものだからスタジオ内が爆笑となった。
 
 そんな、色々なことを思い出した。


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by ruhiginoue | 2017-02-24 15:08 | 映画 | Comments(0)

『沈黙』と三浦朱門の死

 映画化で話題になっている『沈黙』の原作者である遠藤周作はキリスト教徒で、その縁から三浦朱門と親しくしており、信仰だけでなく政治的にも一緒になって右翼同人誌を発行してたりする人だったので実際に右曲がりの言動があったけれど、映画化と作者は違うことがある。

 この映画のマーチンスコセッシ監督は前に『最後の誘惑』という映画を撮っていて、デビッドボウイがピラト総督の役で最後に出て来るなど異色の出演者で話題となったが、それと同時に、福音書に基づいた話なのに勝手な脚色がされているという宗教界からの批判があった。
 そして今度の『沈黙』も独特な解釈だという指摘がある。スコセッシ監督は自身がカトリック教徒だとし、だから『最後の誘惑』の脚色も善意だと言っていた。

 なので、また映画化と原作者とで違うということが言えるが、ただ、遠藤周作は三浦朱門と親しかったけれど、そんなに露骨な発言は無かった。三浦朱門は文化庁長官として民間入閣した在任中に、女性を強姦する体力がない男性は失格だと雑誌上で説いたため、下品な表現と女性蔑視の発想が問題になったが、この他にも、外国の危険な所に自衛隊を派遣して自衛官の身に何かあったら改憲のために利用する犠牲にしようと発言するなど、政治性より人間性を疑われる発言が目立った。

 こうした三浦朱門の発言は夫婦お揃いだということは周知のとおりで、しかし曾野綾子のほうは人種隔離政策推進発言で国際的に顰蹙を買うなど、妻のほうが夫よりやや凶悪さのスケールが大きかった。
 これについては、それよりずっと前から指摘があり、例えば筒井康隆の『文学部唯野教授』(岩波書店)で、三浦朱門は小説が売れなくなり、曽野綾子が売れているから妻のおかげで知名度を保っているという意味の記述をされていた。
 そして死んだらやはり「作家」「妻は曽野綾子」と新聞の見出しになった。

 三浦朱門は認知症で介護が大変だったらしい。だから曾野綾子が「老人は適当な時に死ぬ義務がある」と書いて、これは暴言だという批判とともに、あれは自分が夫のために苦労しているという意味ではないかと指摘されていた。
 そうかもしれない。だから、やっと解放されたということで安堵し悦んでいるのではないか。そうでないと、もしも他人に対してあんな心無い言葉を吐いたとしたら、それこそ人非人である。よほど苦労して、つい言ってしまっったと善解しておくべきかしれない。



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by ruhiginoue | 2017-02-05 17:10 | 映画 | Comments(8)
 先月のことになるが、出版関係の新年会に列席したら、知り合いの雑誌社長から新しく入った女性の記者を紹介された。若い新人ということで、契約記者だが正社員ではなく、社員として正規に登用されることを目指していると言う。

 こうした女性の雑誌記者は、どこの雑誌でもしばらくしたらいなくなってしまうことが多いというのが経験則である。それだけ正規の身にまで昇格するのは狭き門ということだ。
 
 この時、あの映画『プラダを着た悪魔』のことが話題に出た。やりての女性編集長にはモデルがいるけれど、ふんしているメリルストリープに迫力も魅力もなかった。
 また、語り部役のアンハサウェイもいまいちだった。キャットウーマンはカッコよかったが出産のあと太ってしまったというのはともかく、女性むけ雑誌で新人が苦労しているという姿を演じきれていなかった。
 あれでは女性誌のやり手編集長の下でしごかれる新人女性編集者というより、大女優の付き人をしている女優志望という芸能内幕もの例えば日本の映画なら少し前に亡くなった夏樹静子原作の『Wの悲劇』みたいな感じである。
 そんな話になった。

 ところで、いまちょうど大手マスコミが提灯記事を金で売買していたことが発覚して問題になっているが、もともと提灯記事かどうかの判断基準は存在しないので金銭授受の有無が問題になる。
 これについて、かつて美容外科の提灯記事という問題を書いた(注)さい、内容的に実質は広告なのに記事の形となっているものが多い女性雑誌に問い合わせたところ、そこの女性の副編集長は、金銭授受をきっぱりと否定していた。
 ただし、美容外科とかエステは直接の金銭が報酬とは限らず、女性の編集者でも記者でも、提灯記事の見返りは無料で何かやってもらったりするから、例えばノースリーブでバンザイして見せろという話になるのだ。

 この話をしたら、その新人の女性記者は、雑誌に正規登用してもらえるかという問題とともに、儲かっている女性雑誌で働いている人たちの一部のように魂を売ることになるのかどうかという、二重の意味で先行きを心配していた。

 (注)『華麗なる美容外科の恐怖』に収録の雑誌記事のこと。



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by ruhiginoue | 2017-02-01 16:05 | 映画 | Comments(0)
 米ハリウッドの人気俳優たちが、「私は生き抜く」と歌う動画がネットに掲載され、トランプ次期米大統領に対する抵抗のメッセージだと話題になっている(正確には、一部のマスコミが騒いでいる )が、ハリウッド映画が面白くなくなったと映画ファンから言われて久しく、もう生きなくて結構というほどだ。
 そして「赤狩り」を告発した広瀬隆の著書『億万長者はハリウッドを殺す』は、トランプ大統領の出現によって別の意味で現実になりそうだ。

 ところで、トランプ大統領就任に合わせたアンチのデモ行進が企画され、東京と大阪でもアメリカ民主党日本支部の後押しで開催されると報じられているが、有名芸能人を指して「セレブ」たちが参加すると謳っているけど、そういうものに対する反発がトランプ現象を生んだという自覚はないのだろうか。
 だいたい、昨年のアメリカ大統領選では、マドンナらがヒラリークリントンを応援する姿が大きく報じられたが、逆効果だったとしか思えない。こうしたマスコミの姿勢にも、トンデモと言われるトランプを勝たせた一因があるはずだが、その自覚がないようで、だからメリルストリープの中身が無い発言を大したものであるかのように伝えている。

 そして日本でも、普段は進歩的な姿勢で見識を発揮している芸能人が、トランプを批判するメリルストリープに便乗している。なぜかと疑問を呈する人たちもいるが、それはおそらく解っていてやっている処世術だろう。今の大統領や総理を批判してはいても、結局は体制側に付いているのだということを示しておかないと、マスコミに干されてしまうと恐れているのだ。
 
 しかもトランプはマスコミ批判をしているから、それを批判することはマスコミで商売している芸人たちにとっての処世術となる。なので、こうした芸能人たちの発言は、権力者を批判する勇気あるものとはまったく違う。
 あのときのトランプによるマスコミ批判は、続けてこう言っている。
 「私は反論出来るから、まだいい。世の中にはメディアによる不誠実な報道によって人生を狂わされた人たちだって大勢いるんだ」
 この発言を芸能人が批判してもマスコミから干されはしない。
 しかし「たしかに冤罪事件などでは、しばしば記者クラブ垂れ流しの犯人視報道が人権侵害をしていて、権力のある政治家と違い一般人は深刻な被害を受けている」などと発言したら、その芸能人はマスコミに干されるだろう。

 つまり、トランプ批判している芸能人は、一時的に権力者を批判するカッコだけで、ほんとうの意味では権力を批判せず、権力と慣れ合うマスコミにおもねって、商売しているのだ。

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by ruhiginoue | 2017-01-20 15:19 | 映画 | Comments(0)

大島渚の命日と思い出

 1月15日は映画監督・大島渚(1932-2013)の命日だった。

 彼が病に倒れてから久しぶりに公の場に表れたのは2008年の日本映画監督協会創立七十周年祝賀会だった。この時の大島渚は、車椅子に乗って小山明子に付き添われていた。
 これに参加して雑誌に記事を書いたが、むしろ実行委員をしていた杉井ギサブロー監督のほうに熱心に話しかけていた。アニメの世界ではたいへん偉い人だから仕方ない。
 この話は前にした。

 ところで、大島渚は「初めから解らないのはあたり前で、初めから解るならこんな映画を作る気は全然ないし、初めは解らなくても映画の最後になって初めて解る、そういう映画をオレは作りたいんだ」と言っていた。
 これに対して「アメリカの観客は最初の15分で解らないとガッカリする」と言ってロバートレッドフォードは知り合いが原作者である『戦場のメリークリスマス』出演を断ったのだった。
 この話は、よくハリウッド映画のパターンについて語るさいに引き合いに出されている。

 また、大島渚は「普通、俳優さんが演技力と思っているものは、まあ、邪魔ですよ」と言っていたけれど、もともと「意余って力足らず」くらいが良く、あまりに上手な役者は好きではないと彼は述べていた。
 それで、『戦場のメリークリスマス』の当時、大島渚はブロードウェイで『エレファントマン』観たらデビッドボウイの演技がすごく上手くて、これでは上手すぎるんじゃないかとむしろ心配になったらしい。

 あと、大島渚は日韓問題に拘りがあり、『戦場のメリークリスマス』でビートたけし軍曹にいたぶられる朝鮮人軍属の話は原作にない脚色だった。この役をキャロルの中で唯一在日の家系であることを公言して運動もしているジョニー大倉が熱演したのだった。
 ほかにも『帰ってヨッパライ』で主演のクールセイダーズの『イムジン川』がキーワードになっていたし、『ユンボギの日記』や『忘れられた皇軍』などドキュメンタリー映画もあった。

 そして小松川事件を基にした『絞首刑』に主演し『少年』でも在日男性を演じた俳優は、今では出版社の経営をしている。
 ここは和多田進氏の社会派ジャーナリズムが主体の会社だった。実はかなり昔のことだが、この出版社が従業員募集していたので面接に行ったことがあり、編集が希望だったが欲しいのは営業ということでダメだった。
 そしてしばらくしたら同社は全体的には変わっていないが、そこへ日韓問題とか『チャングム』とかの本が目立つようになっているから驚いたものだった。


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by ruhiginoue | 2017-01-17 18:02 | 映画 | Comments(0)
 ゴールデングローブ授賞式で非難されたのが面白くないからと、トランプ次期アメリカ合州国大統領は、そのメリル ストリープを「過大評価された女優だ」こき下ろしたそうだが、そのように政治的な問題よりずっと前から、メリル ストリープって何であんなに高く評価されているのか不可解だった。
 もちろん、その出演作のほとんどが趣味に合っていなかったということもあるが、その芸も特筆すべきというほどだと感じなかった。しょせん趣味の問題だろうが。

 このメリル ストリープとロバート デ ニーロは、どちらも今はトランプを非難しているが、どちらもかつて『ディアハンター』なんていう映画に出ていた。アカデミー賞作品だが、アメリカ兵がやっていた虐殺を北ベトナム兵がやっているように描くトンデモ映画だった。

 一方、ベトナム戦争映画『地獄の黙示録』の主演者マーチン シーンは、息子が主演したベトナム戦争映画『プラトーン』の監督オリバー ストーンが続けて作った『ウォール街』で共演もしているが、この時の役と同じように反権力の気骨を示すことが目立つ。
 そして、戦争反対や公害企業に抗議のデモや座り込みに参加し何度も逮捕されているし、反対運動で銃撃されそうな人に付き添い、芸能人と一緒ならテレビに映るということで、自分も危険にさらしながら身体を張って守ったことがある。
 このようなことが続いたので、マーチン シーンは役を降板させられそうになったこともあった。

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 それとは大違いのメリル ストリープは、受賞式の場で綺麗な言葉で反対勢力に沿いながら安全に批判してみせ賛辞を受けた。そんな器用な人は尊敬しない。
 そうした器用な人に便乗し、彼女はエライねえと言うことで自分も何か意味のあることをしたような態度の人たちもいる。特に醜いのがそうした日本の芸能人たちである。トランプという億万長者が政治権力まで手にした人だからと擦り寄るのも、セレブのスターがリベラルそうにしているからと便乗するのも、まったく同じことだ。
 どちらも、自分の意見が持てないとか発言する勇気が無いとか、主体性がないことでは同じなのだから。



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by ruhiginoue | 2017-01-12 11:34 | 映画 | Comments(0)
 初詣に行ったら不気味だったと話題になっている。
 その、神社の改憲署名よびかけは、日本会議の存在が注目されたことに加え櫻井よし子のポスターが不気味すぎるということだった。『シャイニング』や『バットマン』でジャック ニコルソンが笑っている顔と酷似していたからだ。

 そういうことが特にあったけれど、もともと神社庁は傘下の各神社に「祝日には国旗をあげましょう」と法制化前から呼びかけるポスターを貼らせるなどしてきた。「宗教に政治を持ち込むな」と言いたいところだが、戦前の役所としての神社庁に戻り国教になりたいという邪心がある。
 これは創価学会も同じで、国教になって他の宗教は無くしてしまうのが目標だと公言していた。だから、ここからできた公明党が自民党と組んでいることで「もし、このまま続けば」(ハインライン)、宗教対立する可能性がある。

 だいたい、神社は知っていても「神道」を何と読むか知らないどころか言葉自体を知らない日本人がよくいるのは、伝統的な信仰に基づくものとはかけ離れているからだ。ユダヤ人で敬虔なユダヤ教徒でも、あるいはそうであるからこそ、シオニズムに反対しイスラエルの蛮行を批判する人たちがよくいて、この事情は日本も同じだ。 

 ところで、ある神主が、参拝に来た人たち皆が二礼二拍手一拝するようになったので神社が余計な混雑するようになったと言っていたそうだ。なぜならこの参り方は明治時代に政府が形式化して広めたらしく、もともとはこんな形に拘りはしなかった。
 そもそも、神様ともあろうものが人が決めたものでしかない作法を守らないからと怒るわけがないし、怒るなら他にもっと怒ることがあるはずだ。

 そういえば、あの『禁じられた遊び』の原作では、十字架を取ろうと教会の屋根に上った少年が転落死し、これは神の怒りに触れたのだ、という結末だったけれど、十字架はしょせん偶像だし、戦争の被害者の子供の無邪気な遊びだったのだから、そんなことに神様が怒るわけない、怒るなら戦争する大人にだろう、ということで映画化では結末を変え、あの戦争孤児たちの悲しい場面にしたそうだ。

 つまり、神様が怒っている宗教がいろいろと幅を利かせているということだ。



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by ruhiginoue | 2017-01-06 18:00 | 映画 | Comments(0)
 Twitterで、1月1日生まれの有名人の話をしている人たちと、今からちょうど50年前はたいへんな怪獣ブームだったという話をしている人たちを、見かけた。

 それで思ったのだが、なんで子供に怪獣があんなにウケたかというと怪獣は大人より強いからだろう。政府や大企業の建物がぶっ壊されたり、自衛隊の戦車が踏み潰されて面白いのは、なにも政治的なことではなく、ただ、大人が作ったものが壊されるのは子供にとって痛快だからだう。子供のころは大人の社会から何らかの抑圧を受けているからだ。
 なのに『シンゴジラ』みたいなのが面白いと感じる人は、きっと育ちが違うのだろう。あるいは後に変節したのだろう。

 ところで、国際放映が製作した子供主役のテレビドラマといえば『チャコちゃん・ケンちゃん』だが、この当時、国際放映で演出をしていた山際永三監督は『チャコちゃん』は撮っていたけれど『ケンちゃん』は撮っておらず、それというのもチャコちゃんはやんちゃな女の子だけどケンちゃんは優等生すぎて共感できなかったからだと山際監督は言っていた。
 それで、後に国際放映で『あばれはっちゃく』を撮ったということだが、大人気だったケンちゃんの時期は円谷プロで『帰ってきたウルトラマン』などを撮っていた。

 この『帰ってきたウルトラマン』には、足の不自由な小学生が怪獣の暴れる様子に狂喜し、何もかも壊してしまえと声援を送るエピソードがある。足が不自由なのは傷害ではなく心因性で、社会からひどく疎外されトラウマを受けていた。今でいうPTSDだが、そんな言葉は当時まだなかったので、田口成光の脚本を読んだ山際監督は専門医に訊いて確認したうえで演出したと言う。
 
 そして、この少年を演じたのが『超人バロムワン』『謎の転校生』で知られる高野宏之であった。この、かつての名子役も成人してからは時代劇に髭生やして出たりしているが、彼は1月1日生まれだった。



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by ruhiginoue | 2017-01-01 03:45 | 映画 | Comments(2)
 『帰ってきたウルトラマン』で、主人公が小学生のころ最も仲良しだった同級生と再会する話があり、その回想場面で「花・太陽・雨」という歌が流れる。
 これは、監督の山際永三氏が思いつき、よく組んでいた脚本家の市川森一氏を通じて萩原健一氏に使用承諾を得たそうだ。当時、市川氏が萩原氏と同じマンションの別の階に住んでいたので顔見知りだったから頼めたとのこと。
 この話は、その同級生が新しい生命の研究をしてついに大発明をしたのだが、それは怪獣と化してしまうという筋。
 その同級生は、小学校のころから成績が良かった秀才で、スポーツが得意だった主人公とは個性は違ったが、なぜか小学生の時に気が合った。
 そして偶然再会すると、同級生は危ない研究に没頭していた。父親から、いくら優等生でも生物学なんて金にならないことに夢中になるなんてバカと言われたことが悔しかったから、派手な成果のあるものを追求したのだった。
 
 この話を思い出したのは、「もんじゅはわが子」「失敗していない」という元所長の発言が報じられたからだ。よくSFで怪獣を作ってしまった科学者が言うセリフと同じだから。そして、この『帰ってきたウルトラマン』のような状態なのだろう。
 ついにSFに現実が追いついたか。


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by ruhiginoue | 2016-12-29 12:09 | 映画 | Comments(6)