井上靜の気楽な日誌です。気楽にコメントしてください。おたよりも気楽にe-mail:ruhiginoue@excite.co.jpまで


by ruhiginoue

カテゴリ:映画( 205 )

 宮崎駿監督がまた長編を作ると言いアニメーター募集している。これはよい経験になるから応募したらと言うアニメーターがいて、おそらく宮崎作品を足掛かりにした庵野秀明のようになれるかもしれないということだろうが、しかしヒット作を出してもお金で泥仕合をしているし、それより低賃金労働なんて団結してボイコットを呼びかけるべきではないかと言う業界人もいる。

 たしかに条件が悪すぎる。そして良質なアニメ映画は世界各地で製作されていて、日本製は低賃金労働により安いから世界各地で買われているだけ。なのに世界中で愛される日本アニメとか世界に誇る文化とか言っている人がいて呆れさせられる。
 そんな日本よりは、外国の製作現場がよほど良いらしいことは賃金など数字で判ると言われているが、かつて宮崎駿などを虜にしたソビエト連邦のアニメ製作現場はどうだったのだろうか。日本よりは良かっただろうが、政治的な背景ばかり語られる。

 その点、先日話題にした『森は生きている』は原作に封建制度批判があった。女王がワガママばかり言うのは両親を早く亡くして寂しいうえ跡を継いで即位し権力者になってしまったからだが、こういう視点はディズニーの作品にはない。それでもシンデレラや白雪姫のころとは変わってアナ王女がしょうもない王子をぶっ飛ばしたりはするようになった。
 それにしても、総理は辞書に載っていると言ったけど載ってないので閣議決定してしまうなんでのは、マツユキ草がないうちは新年ではない、今日は1月1日ではなく12月32日、というワガママな女王陛下と同じで、日本は封建時代に逆戻りしたようだ。

f0133526_20350112.jpg


 また、安倍総理は家計氏と「逆らうこと莫(な)し」の親しい間柄「莫逆の友」だと書いた草稿の「莫逆」を「ばくぎゃく」ではなく「ばくしん」と読み違えたらしいが、どうやったらそう読めるのだろうか。かつて新選組をSFにした『バクシンガー』というアニメがあったのを思い出してしまった。

f0133526_20342215.jpg


 そんな自民党に媚びうる人たちがマスコミにはいっぱいで、芸能人にも目立つが、特にひどいのが寿司食ったりしている人たち。志賀直哉の『小僧の神様』じゃあるまいしと思っていたら、今度は総理が三浦瑠璃と会食したそうだ。曽野綾子や櫻井よしこが歳をとりすぎたので次の餌付けということだろう。
 しかし、先日の読売新聞に掲載された「識者」の意見で「国際政治学者」という肩書で三浦瑠璃が載っていたのを読んだある同級生が笑っていた。ヒデエ内容だということだ。これが識者とか国際政治学者とか、最大発行部数の新聞から呼ばれるのかと。
 また、「三浦瑠璃ってラリルレロみたいな名前だな」と言って替え歌を作っていた。

 ♪パーパー瑠璃はー、御用学者ー、自民の為ならエンヤトットドッコイショ、ラリホー、ラリホー、ラリルレロン

 そういえば、ディズニーよりハンナバーバーラのアニメのほうが子供には親しまれてきた。これはオリジナルより吹き替えとか主題歌が良かったからだろう。



人気ブログランキングへ1日1クリック投票をお願いします
[PR]
by ruhiginoue | 2017-05-29 20:38 | 映画 | Comments(7)
 安倍総理とカミさんら自民党内閣の連中がやってることは育ちのせいでワガママというのが見て取れるが、まるで『森は生きている』でワガママな女王様が12月にマツユキ草が欲しいと言い出し家来も国民も振り回されてるようなものだ。

 特に、辞書に載っていると言うけど実際には載っていないなら閣議決定するなんざ「マツユキ草がないうちは新年ではない。明日は12月32日」と女王様が言っているのと同じだろう。 

 ところで、この『森は生きている』はアニメ映画になっているが、宮崎駿が影響されたという『雪の女王』と同様に、この当時のソビエトアニメはすごい。

人気ブログランキングへ1日1クリック投票をお願いします
[PR]
by ruhiginoue | 2017-05-27 18:50 | 映画 | Comments(1)
 台湾が、アジアで初の同性婚合法化へと踏み出したとの報道。
「嬉しくて泣いている」と、結婚できる人たちは言っているそうだ。

 これで思い出したのは『ウエディングバンケット』という90年代の映画。アメリカが舞台だけど米国人男性をパートナーにする台湾男性が主人公の台湾とアメリカ合作映画だった。
 そんな映画が製作されるくらいだから意識も進んでいたのだろうか、と思ってしまった。ほかにも色々と社会の中に事情があるはずだろうが。

 ところで、この映画が面白いと紹介したら観たという知人たちのうち、印象的だった感想が二つある。
 
 その一つは、劇中で主人公が同性愛であることを親に隠すため婚約者のふりを頼む女性について。これでも女性かというくらいガサツで、主人公のパートナーの男性のほうが家事はできるし神経は細やかだ。
 これを観て、その知人は「この女のガサツさ、俺の妹とソックリだ」と言った。その妹は知っているが、たしかにひどい。

 もう一つは、観て面白かったけどラブシーンが少ないので物足りないと言った男性。この男性は上野の映画館にかかっているものが好きだと言う。そこは「ハッテンバ」と言われ男性同士の出会いの場として有名だが、そこに行くのだから鑑賞だけが目的ではあるまい。

 それはともかく、台湾が変わったことの反映だから良かったのではないか。政治も、かつて台湾の国会は強行採決と乱闘が名物だったが、だいぶ良くなったらしい。日本のほうが遅れていると言えるかもしれない。


f0133526_19570503.jpg



[PR]
by ruhiginoue | 2017-05-26 20:13 | 映画 | Comments(2)
 デビッドリンチが監督引退を表明したそうだ。彼の映画はみんな映画館で観たけど『デューン砂の惑星』だけ退屈だった。これはベストセラーの映画化だけど雇われ監督だったからだろう。

 引退表明といえばアランドロンも引退を表明したそうだ。二枚目(これはほんらい歌舞伎の言葉だが)の代表みたいに言われ、日本ではかつて喩え話に使われていた。(この場合は「例え」か)
 七十年代の後半、スナック菓子の宣伝で水谷豊が「あなたのライバルは」と訊かれ「アランドロンかなー」と惚けて言うCМが話題になったことがあるし、歌謡曲では榊原郁恵が「アランドロンとアルパチーノを足したより貴方がいい」という意味の題と内容の歌を唄っていた。
 この一方でドリフターズの番組でピンクレディーが唄う主題の中に「ドロンに痺れるお兄さん、遅れた人だと言われるよ。二枚目なんかじゃモテないよ。個性の時代なのを知らないのか」とのくだりがあり、人気絶頂を過ぎていることが歌詞に反映していた。

 さらに後、アランドロンの代表作とも言われる『太陽がいっぱい』についてルネクレマン監督は、アランドロンを起用したわけをインタビューで訊かれると「映画会社が、これから売り出すから使えと言ったからだ」という答え。よくあることではあるが、つづけて「それでも真面目にやれば文句ないが、役作りや演技がいいかげんで、海にロケに行けば遊んでばかりいて撮影に支障を来すくらい日焼けしやがって…」などと頭にきた思い出ばかり話していた。

 そんなアランドロンだけでなく、二枚目だけとバカというのはよくある話で、アメリカにも「バカプリオ」と言われる人などがいる。
 そしてドロンはモテるから、かなり歳になってから年下の女性と結婚したり、子供が複数いるけど母親は別とか、いろいろあって、そういう人が解りもしない政治の話をすれば安易に国士を気取るものだが、ドロンはよく「私は右翼だ」と言って、それらしい発言をしては薄っぺらだった。
 これとよく比較されたのがイヴモンタンで、モンタンは左翼っぽかったが父親がパルチザンだった影響で素養があったから、ことさら言わなくても中身があったということらしい。

 そして今回の大統領選挙でもやはりドロンはルペンを支持していた。 
 しかし、当選したマクロンも大同小異ではないか。それでこき下ろすならルペンのほうがやりやすかった。前はサルコジ大統領を猿乞食と言っていたが、次はルンペン大統領と言いたいところだった。ところが今度はマカロンを連想する。これだと人によっては美味しそうに感じる。前に銀座の専門店で買って食べたときはそんな美味しいとは思わなかったが。

 ところが、そんなマクロン大統領について、24歳年上の女性と結婚しているとかくだらない話ばかりマスコミは騒いで、政治がちゃんと語られていない。
 前にミッテラン大統領は、妻との間以外に子供がいて「隠し子」と報じられたが、それについてテレビのインタビューで「ええ、娘がいます。だから?」それで終わり。今度の大統領もそうだ。年上で教師だった人と結婚しているというけど、だから何なのか。政策とは全然関係がない。

 これだからドロンのことばかり言えない。マクロンはルペンほど右派ではないが、戦争をしかける恐れはむしろ強い。トランプよりヒラリーが危ないと言われたように。こういう話をしないで私生活の話ばかりしてウケると思っているマスコミは、市民をバカにしている。

f0133526_17405121.jpg



[PR]
by ruhiginoue | 2017-05-11 17:42 | 映画 | Comments(4)
 小学館の子供向け歴史漫画が、日本の首相からマッカーサーに提案した憲法の戦争放棄を、改訂版で逆にマッカーサーの提案に改変しており、見事に歴史修正主義を発揮していたことは周知のとおりである。これは中曾根康弘が作詞した『憲法改正の歌』にも歌われており、そうした政治的意図を受けてのことだろう。
 もちろん嘘はいけないが、誤解している人もいるだろう。日本国憲法は全部アメリカ側が作って日本は英文を和訳しただけだという勝手な思い込みがあって、NHKから学校の社会科の教師までが何の根拠もなく本気で言っていたくらいだから。
 ところが、今年はNHKが正しいドキュメンタリーを作っていたので話題になっている。その前から、個人的には『マッカーサー』という映画にその場面が描かれていたから、最初は映画のほうが史実と違うようになっているのかと疑い、調べたら映画が正しかった。

f0133526_14503252.jpg

 この77年に日本で公開された映画『マッカーサー』では、グレゴリーペックが軍服を着てサングラスをかけてコーンパイプ咥えて出てきて「アイ シャル リターン」とか「オールド ソルジャー ネバー ダイ」と言っていた。
 この直前、グレゴリーペックはリンカーン大統領の役を演じたらどうかと提案されたが「リンカーンは56歳のとき暗殺されていて、その年齢を私は過ぎているから早いほうが良いけど、納得のいく脚本に出会っていない」と言っていた。
 のちにテレビでグレゴリーペックはリンカーンに扮するが、歴史上の人物にふんすることについて、「いくら実在の人物でもナポレオンやネロは御免だ」と言っていた。
 ところが、そのあと立て続けに実在人物を演じるが、まずマッカーサーに扮すると、徹底的に調べて役作りをしたので外見はソックリだと言われたのだが、このときグレゴリーペックは「マッカーサーについて詳しく知ると、彼を見直す部分が出てきた。その前までは批判的な部分が多かった」と言った。
 よくグレゴリーペックはリベラル派といわれ、ニクソン大統領の「敵になりそうな有名人リスト」に、レナードバーンスタインやジェーンフォンダらと一緒に載っていたそうだが、そんな彼らしい話だった。
 そのあとグレゴリーペックは『ブラジルから来た少年』でヨゼフメンゲレに扮した。グレゴリーペックは親が薬剤師だった影響で医学部に入ったことがあり、俳優になったら知的で誠実な二枚目役が得意で、アカデミー賞の『アラバマ物語』などで弁護士役は何度も演じているが、今度は医師の役しかし実在の悪い人しかもナチスの狂信者だから、彼がこんな悪役をよくやったものだと意外に受け取られた。
 
 このリベラル派のグレゴリーペックが批判的だったけどよく知ったら見直したというマッカーサーについて、よく言われるのは日本の民主化とくに女性差別撤廃に貢献した部分だ。アメリカでも、そこまではよかったが、そのあとがダメで、特に朝鮮戦争の「仁川上陸」が無茶苦茶な作戦だったので余計な犠牲者が出たと言われている。
 これを美化した映画もあった。統一教会系のワンウエイプロ製作『インチョン/仁川』で、この映画の話は前にしたとおりなので以下省略。 
 ただ、安倍内閣は、この映画と同じ水準である。



[PR]
by ruhiginoue | 2017-05-03 14:53 | 映画 | Comments(8)
 最近公開された北朝鮮軍の演習の映像を見ると、かつての東宝特撮映画の円谷英二が演出した場面みたいで、音楽を『地球防衛軍』に差し替えたらピッタリだが、北朝鮮製の軍歌は伊福部昭の音楽と雰囲気が似ていることがよくある。これは戦意を煽りながら民族性を強調しているからだろう。

 こうした特撮映画で自衛隊が出てくる場面の伊福部昭の音楽はストラヴィンスキーやムソルグスキーにそっくりだが、これは北海道出身だからだろう。北朝鮮も地理からロシアの影響がある。
 あと北朝鮮の怪獣映画『プルガサリ』でプルガサリの中に入って演じていたのはゴジラ役者の薩摩剣八郎だが、ストーリは大魔神であった。彼がその時のことを綴った『ゴジラの見た北朝鮮』という本が面白かった。

 ところで北朝鮮の放送を聴くと、受信状態が良くないので音質は悪いが、音楽は実に面白い。韓国も同様。朝鮮半島は昔から音楽が盛んで、日本の伝統的音楽は大変な影響を受けている。日本的と言われる音楽の多くが実は渡来したものに基づいていて、例えば日本人の苦手な三拍子など朝鮮半島ではむしろ主流だ。日本の民謡もそれに倣っている。 
 あと興味深いのは、北朝鮮の放送では時々トピックや音楽の合間に意味不明の数字を読み上げることだ。おそらく工作員に伝える暗号だろうと昔から言われている。だから公安や自衛隊情報隊の皆さんは解読のため聴いているはず。日本人でもっとも熱心に聴いていて、音楽にも親しんでいるだろう。

 さて、映像を編集するソフトの扱いを練習しているのだが、それでまず音楽を被せる作業をやってみた。

 





[PR]
by ruhiginoue | 2017-05-02 17:35 | 映画 | Comments(3)
 スチーブンキングの小説『ファイアースターター』が、再映画化されるそうだ。
 この前の映画化は84年だったが、小説を読んだ人たちは内容の改ざんに驚きあきれたものだった。小説で描かれた内容をうまく映像で表現できないとか予算の都合でお寒いとか、そういうことならよくあることだが、この『ファイアースターター』の映画化である邦題『炎の少女チャーリー』は、その改変の仕方がひどかったのだ。

 例えば、映画では主人公の父親が政府機関に追われて救いを求める手紙を出すと雇われた殺し屋が郵便局員を殺害して手紙を奪ってしまうのだが、原作の小説では政府機関の職員が権力を笠に着て郵便局員から手紙をひったくり開封してしまうのだ。それも、自分は政府の者だと堂々と名乗って。
 「令状はあるのか」と郵便局員か問うと「そんなもの要らない」と高圧的な態度。「それではだめだ。政府の仕事でも、裁判所に申請して令状を取らないといけない。通信の秘密は憲法で保障された国民の権利であり…」
 「うるさい。我々には憲法なんて関係ない。痛い目に遭いたくなければ黙れ」
 これに郵便局員は、相手は国家権力が背広を着て立っていると感じた。そして、自分の父親は戦争で国のために戦ったが、それは自由と権利を守る国のためで、こんな横暴は許せないと悔しがる。地元の議員に相談しようと思うが、果たしてそれで力になるだろうかと不安でもある。

 また、最後に映画では、主人公チャーリーがたまたま出会って親切にしてもらった農場の老夫妻が、そこへ押しかけてきた政府の諜報機関の横暴に怒り、マスコミに訴えようとチャーリーを連れてニューヨークタイムズ社を訪れ、これで大丈夫という結末。
 しかし原作では、政府の者だと言えばよいという態度で令状なしに当たり前のように不法侵入してきたことを目の当たりにした老夫妻は、これではどこでも手が回っているだろうと察し、マスコミに取り上げてもらい世論に訴えようとしても圧力がかかって報道はしてもらえないかもしれず、政府の機関ならとうにお見通しだろうから、ニューヨークタイムズ社へ行ったらそこのロビーで待ち伏せされているかもしれないと危惧する。
 この老夫婦の会話を聞いたチャーリーは、迷惑をかけないようにと置手紙を書き独りで出ていく。そして、訴えを聞いてくれるところはないかと悩み、図書館を訪ねて司書なら教えてくれるかもしれないと質問する。この質問に司書は困惑する。
 「ほんとうの報道をするところはどこですか?独立したマスコミはありますか?政府の紐付きではないところは」

 このように、小説で作者が突き付けている問題が、映画化では気が抜けたようになっていたのだ。これをリメイクしたら、どうなるのだろうか。




f0133526_18035772.jpg


[PR]
by ruhiginoue | 2017-04-30 18:04 | 映画 | Comments(12)
 保守派イデオローグの司馬遼太郎でさえ、自分の体験から軍隊とは軍隊自体を守るものであって国民ではないという趣旨を述べていたが、このことは国も堂々と言っていた。あの「恵庭事件」で、自衛隊は国民の一人一人を守るものではない、と。

 だから今また日本政府は、核攻撃を受けたら『アトミックカフェ』のようにしてそれぞれ対応しろと言う。それでいて、「国民を守る」と言う安倍総理だが、その気がないというより攻撃なんか受けないと思っているのだろう。
 それで芸能人を集めて夫人と一緒に花見をしたりと呑気なものだし、防衛大臣は外遊に行くということで、また派手なリゾート服を旅行カバンに詰め込んでいることだろう。
 この一方で、危機的なのに愛国主義学園の問題なんて構っていられないというのだから白々しい話題逸らしだが、そんな大根芝居でも受ける人には受けるということだ。

 かつて、これはもう昭和の末期のことになるが、テレビに学生が大勢出ている中に制服姿の防衛大の学生もいて、色々と指摘はあるが自分の場合はそれでも国民を守る使命感をもっていて純粋な気持ちだと言ったら、同席していた映画監督の長谷川和彦(『太陽を盗んだ男』など)が、それは無理な話だと指摘した。
 そもそも生物は自身を守る能力しかなく、他者を助けることは不可能だ。それでも助けようとするなら自らの命と引き換えになる。だから助けられるのは一人くらいがせいぜいだ。そうなると多くの場合それは自分の子供だけになる。
 こう指摘したうえで長谷川和彦は、だから危機があれば自分も自らを守るだけになるか、自分が身代わりになり自分の子供を助ける。そして女房は見捨てるか見殺しにする。
 こう言って笑わせてもいたが、この指摘は現実にそうだろう。

 また、このとき自民党の国会議員もいて、国のために働くとか戦うとかいう教育をすればよい、すべきだ、とか言うので長谷川和彦は、政治は宴会の幹事と同じで、決まった予算で上手に場を設定すればよく、あとは参加者たちで盛り上げるものだが、そこへ幹事が無理して盛り上げようとすればシラケると指摘し、この点で自民党政府はうまくやってきたのに、なぜシラケさせようとするのかと批判したのだった。

 これらは今になって現実が証明している。国民を守ると言いながら個人で対応しろと広報する政府、踊らせている側も踊っている側も無理している愛国、みごとにシラケている。
 このシラケという言葉を長谷川和彦が言ったかまでは記憶が定かではないが、ようするにそういう趣旨だったし、今の現実はそのとおりになっているということだ。



人気ブログランキングへ1日1クリック投票をお願いします
[PR]
by ruhiginoue | 2017-04-27 17:56 | 映画 | Comments(0)
 このところデタラメの垂れ流しが悪化の一途の『産経』だが、今度はアニメ映画『宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟』に登場する宇宙人のガトランティス帝国を「野蛮な中韓のメタファー(隠喩)」などと書いており、ファンからは「中韓とは何ら関係ない」「牽強付会が強引すぎる」「制作陣に失礼だ」と批判を浴びている。
 おそらくこう書けば喜ぶオタクネトウヨが一定いるので、そのウケを狙ったのだろう。
 
 しかし、すでに指摘があるように、「ガトランティス」は39年前の1978年に劇場公開された映画『さらば宇宙戦艦ヤマト』に登場した敵方で、この当時は今のような「中韓」ヘイトの流行はなく、「ガトランティス」は明確にアメリカがモデルであり、そのビルが林立する要塞都市はニューヨークの摩天楼を意識したデザインとなっていて、そこから出撃する宇宙艦隊を指揮するのは「バルゼー提督」といい、これは実際の戦艦大和を撃沈した戦闘の指揮をとったアメリカ軍のハルゼー提督をもじったネーミングである。

 そもそも『宇宙戦艦ヤマト』の一作目は、軍国主義時代の日本をモデルにした地球が、当時は同盟関係であったナチス・ドイツをモデルにしたガミラス帝国と戦い、続編の『さらば宇宙戦艦ヤマト』では、戦後の復興をする日本をモデルにした地球が、その目標であるアメリカをモデルにしたガトランティス帝国と戦う、というもので、この図式により、内なる敵と戦い自己矛盾を克服するのが『ヤマト』のドラマにあるテーマであった。

 さらに『さらば宇宙戦艦ヤマト』の最後に主人公は、敵に対して体当たり攻撃をする決意を述べて、肉体が消滅したら生命は宇宙と同化するので死ではないと説いた。
 これは「肉体の無と、大生命への帰一とが同時に完全融合して行はれるところの最高の宗教的行事が戦争である」という、『生長の家』の教祖・谷口雅春の言葉と同じだった。

 つまり、この軍国調の基盤にあるものは「反米」なのだが、これは『産経』にとって不都合なものなのだ。右翼活動家の中でも民族派で反米派の野村秋介が、「『産経』なんて右派ではなくアメリカ追従の自民党に媚びているだけだ」と言っていた意味が、ここにも表れているということだ。

f0133526_05082749.jpg




[PR]
by ruhiginoue | 2017-04-05 20:28 | 映画 | Comments(11)
 もうじき四月なのに冬に戻ったような寒さと雨になるという天気予報に備えていたら、予報が当たった。
 この天候に備えて、陽気がよいうちに洗濯や布団干しをした他、雨の中を買い物に行かなくてもよいように食材を買い込んでおいた。
 そして焼肉をしようとタレの「ジャン」を買った。

 かつてジャンのテレビ宣伝に、先日亡くなった渡瀬恒彦が出ていた。
 子供のナレーションが「海で焼肉をしようと、お父さんが張り切っている」という意味のことを言い、映像では背広姿の渡瀬恒彦が休日の前日の勤めの帰りの様子でスーパーで肉などを選び、主婦たちと一緒に会計に並び、用意したものを自宅でチェックし指さし確認で「ジャン」と言う。
 だけど次の日は雨だった。雨の降る窓の外から、家族で焼肉をしている渡瀬恒彦らの楽しそうな様子が見え「どこで食べても美味しいね」と子供が言う。

 過日、この焼肉のタレの宣伝について、在日系企業の商品であることから民族差別で困難があり、それでも意を決して出演した名優・米倉斉加年のことを述べたが、それから二十年くらい経過したら、米倉斉加年とは異質な俳優である渡瀬恒彦が、あの大人気だった入浴剤の宣伝と同じように出演できるようになったということだ。

 ただ、八十一年の『青春の門』で、渡瀬恒彦は在日の役を演じていた。米倉斉加年がジャンなどモランボンの宣伝に出た直後である。
 そこで彼は金山朱烈という役に扮し、最後に「これからは金朱烈として生きていく」と言う場面がある。ここで穏やかな調子で話すけれど、差別があるわけだから一大決心であるはずだ。
 そのあたりを渡瀬恒彦は素朴だが力強い感じで実に上手く表現しており、活劇の印象が強かった印象が一変したものだった。

 そんなことがあったのを思い出して、雨ならばとジャンを買ったのだった。


f0133526_14302631.jpg




[PR]
by ruhiginoue | 2017-03-26 18:36 | 映画 | Comments(9)