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by ruhiginoue

カテゴリ:映画( 199 )

 保守派イデオローグの司馬遼太郎でさえ、自分の体験から軍隊とは軍隊自体を守るものであって国民ではないという趣旨を述べていたが、このことは国も堂々と言っていた。あの「恵庭事件」で、自衛隊は国民の一人一人を守るものではない、と。

 だから今また日本政府は、核攻撃を受けたら『アトミックカフェ』のようにしてそれぞれ対応しろと言う。それでいて、「国民を守る」と言う安倍総理だが、その気がないというより攻撃なんか受けないと思っているのだろう。
 それで芸能人を集めて夫人と一緒に花見をしたりと呑気なものだし、防衛大臣は外遊に行くということで、また派手なリゾート服を旅行カバンに詰め込んでいることだろう。
 この一方で、危機的なのに愛国主義学園の問題なんて構っていられないというのだから白々しい話題逸らしだが、そんな大根芝居でも受ける人には受けるということだ。

 かつて、これはもう昭和の末期のことになるが、テレビに学生が大勢出ている中に制服姿の防衛大の学生もいて、色々と指摘はあるが自分の場合はそれでも国民を守る使命感をもっていて純粋な気持ちだと言ったら、同席していた映画監督の長谷川和彦(『太陽を盗んだ男』など)が、それは無理な話だと指摘した。
 そもそも生物は自身を守る能力しかなく、他者を助けることは不可能だ。それでも助けようとするなら自らの命と引き換えになる。だから助けられるのは一人くらいがせいぜいだ。そうなると多くの場合それは自分の子供だけになる。
 こう指摘したうえで長谷川和彦は、だから危機があれば自分も自らを守るだけになるか、自分が身代わりになり自分の子供を助ける。そして女房は見捨てるか見殺しにする。
 こう言って笑わせてもいたが、この指摘は現実にそうだろう。

 また、このとき自民党の国会議員もいて、国のために働くとか戦うとかいう教育をすればよい、すべきだ、とか言うので長谷川和彦は、政治は宴会の幹事と同じで、決まった予算で上手に場を設定すればよく、あとは参加者たちで盛り上げるものだが、そこへ幹事が無理して盛り上げようとすればシラケると指摘し、この点で自民党政府はうまくやってきたのに、なぜシラケさせようとするのかと批判したのだった。

 これらは今になって現実が証明している。国民を守ると言いながら個人で対応しろと広報する政府、踊らせている側も踊っている側も無理している愛国、みごとにシラケている。
 このシラケという言葉を長谷川和彦が言ったかまでは記憶が定かではないが、ようするにそういう趣旨だったし、今の現実はそのとおりになっているということだ。



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by ruhiginoue | 2017-04-27 17:56 | 映画 | Comments(0)
 このところデタラメの垂れ流しが悪化の一途の『産経』だが、今度はアニメ映画『宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟』に登場する宇宙人のガトランティス帝国を「野蛮な中韓のメタファー(隠喩)」などと書いており、ファンからは「中韓とは何ら関係ない」「牽強付会が強引すぎる」「制作陣に失礼だ」と批判を浴びている。
 おそらくこう書けば喜ぶオタクネトウヨが一定いるので、そのウケを狙ったのだろう。
 
 しかし、すでに指摘があるように、「ガトランティス」は39年前の1978年に劇場公開された映画『さらば宇宙戦艦ヤマト』に登場した敵方で、この当時は今のような「中韓」ヘイトの流行はなく、「ガトランティス」は明確にアメリカがモデルであり、そのビルが林立する要塞都市はニューヨークの摩天楼を意識したデザインとなっていて、そこから出撃する宇宙艦隊を指揮するのは「バルゼー提督」といい、これは実際の戦艦大和を撃沈した戦闘の指揮をとったアメリカ軍のハルゼー提督をもじったネーミングである。

 そもそも『宇宙戦艦ヤマト』の一作目は、軍国主義時代の日本をモデルにした地球が、当時は同盟関係であったナチス・ドイツをモデルにしたガミラス帝国と戦い、続編の『さらば宇宙戦艦ヤマト』では、戦後の復興をする日本をモデルにした地球が、その目標であるアメリカをモデルにしたガトランティス帝国と戦う、というもので、この図式により、内なる敵と戦い自己矛盾を克服するのが『ヤマト』のドラマにあるテーマであった。

 さらに『さらば宇宙戦艦ヤマト』の最後に主人公は、敵に対して体当たり攻撃をする決意を述べて、肉体が消滅したら生命は宇宙と同化するので死ではないと説いた。
 これは「肉体の無と、大生命への帰一とが同時に完全融合して行はれるところの最高の宗教的行事が戦争である」という、『生長の家』の教祖・谷口雅春の言葉と同じだった。

 つまり、この軍国調の基盤にあるものは「反米」なのだが、これは『産経』にとって不都合なものなのだ。右翼活動家の中でも民族派で反米派の野村秋介が、「『産経』なんて右派ではなくアメリカ追従の自民党に媚びているだけだ」と言っていた意味が、ここにも表れているということだ。

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by ruhiginoue | 2017-04-05 20:28 | 映画 | Comments(11)
 もうじき四月なのに冬に戻ったような寒さと雨になるという天気予報に備えていたら、予報が当たった。
 この天候に備えて、陽気がよいうちに洗濯や布団干しをした他、雨の中を買い物に行かなくてもよいように食材を買い込んでおいた。
 そして焼肉をしようとタレの「ジャン」を買った。

 かつてジャンのテレビ宣伝に、先日亡くなった渡瀬恒彦が出ていた。
 子供のナレーションが「海で焼肉をしようと、お父さんが張り切っている」という意味のことを言い、映像では背広姿の渡瀬恒彦が休日の前日の勤めの帰りの様子でスーパーで肉などを選び、主婦たちと一緒に会計に並び、用意したものを自宅でチェックし指さし確認で「ジャン」と言う。
 だけど次の日は雨だった。雨の降る窓の外から、家族で焼肉をしている渡瀬恒彦らの楽しそうな様子が見え「どこで食べても美味しいね」と子供が言う。

 過日、この焼肉のタレの宣伝について、在日系企業の商品であることから民族差別で困難があり、それでも意を決して出演した名優・米倉斉加年のことを述べたが、それから二十年くらい経過したら、米倉斉加年とは異質な俳優である渡瀬恒彦が、あの大人気だった入浴剤の宣伝と同じように出演できるようになったということだ。

 ただ、八十一年の『青春の門』で、渡瀬恒彦は在日の役を演じていた。米倉斉加年がジャンなどモランボンの宣伝に出た直後である。
 そこで彼は金山朱烈という役に扮し、最後に「これからは金朱烈として生きていく」と言う場面がある。ここで穏やかな調子で話すけれど、差別があるわけだから一大決心であるはずだ。
 そのあたりを渡瀬恒彦は素朴だが力強い感じで実に上手く表現しており、活劇の印象が強かった印象が一変したものだった。

 そんなことがあったのを思い出して、雨ならばとジャンを買ったのだった。


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by ruhiginoue | 2017-03-26 18:36 | 映画 | Comments(9)
 病気を苦にしての自殺と思われるキースエマーソンの命日で思い出したが、彼は恐怖映画ファンだと公言し、よく恐怖映画の音楽も作っていて、特に『インフェルノ』の音楽は受賞するなど評価されているけれど、綺麗すぎて作品と合っていないと言う人もいる。
 やはり、ダリオアルジェント監督の映画は、同じプログレ系の音楽でもゴブリンのドロドロした響きが良いとのことだった。

 そのアルジェント作品で特に人気が高いのは『サスペリア』で、これは怖いけれどスタイリッシュであるとして女性にも人気がある。少女漫画に怖い話という分野があり、それと同じだというわけだ。そして少女恐怖漫画雑誌名に「サスペリア」というものまで登場したほどだ。
 そもそもアルジェント監督はマンガ好きを公言していて、色々な作品を読んでいるから日本のマンガもよく読んでいたそうで、『サスペリア』の主役にジェシカハーパーを起用したのは、彼女の顔は目が大きくて日本の少女漫画みたいだからと言っていたと伝えられる。
 
 この『サスペリア』の主人公は、製作会社が輸出を意識してハリウッドスターにという意向だった。それで、主人公はアメリカからヨーロッパにやって来て、イタリア映画だがドイツが舞台でセリフは英語で撮影されている。
 そして、宗教と芸術の関わりは世界中にあるが、舞踊と儀式も関係が深く、中世から続く名門バレエ学校に留学してきた主人公は、そこが魔女の作ったものだと知る、という話である。
 
 そのうえで、その秘密を知ってしまったものたちは口封じに消され、その惨殺される場面が怖い見せ場となっているが、魔力を持っているにしては刃物を持って暗闇から襲ってくるなど、アルジェント監督が得意とする「ジャロー」と呼ばれる犯罪サスペンスと見せ場が同じである。これは、呪いで病気にするなどでは見せ場にならないから仕方ない。
 また、いくつか不可解なことが解決されないで終わるから台本が破綻しているという人の意見がネット上に見受けられるが、現実では何もかも解かることはむしろ少ないのだから、何もかも判明したのではかえって非現実的で作り話だと思ってしまうということで故意にやっているのだ。つまりミケランジェロアントニオーニ監督の真似である。

 それだけでなく、どうも隠された意図があったのではないかという気して、かつて観たときとは解釈が変わってしまった。
 まず、商業主義の要請で主人公をアメリカ人にしているというだけでなく、合理主義と近代科学文明のアメリカから来た主人公が、ヨーロッパの古い伝統を学ぼうとしたけれど対決する図式に気づいた。

 しかも、イタリア映画なのにドイツを舞台にしていて、そこで魔女の手下となっている者たちの中にはルーマニア人の下男とロシア人の家政婦がいる。ルーマニアはドラキュラ伯爵が有名だが、深い森があって妖怪の話が特に豊富な土地柄だから、その程度の意図の設定と言える。
 ところが、ロシア人の家政婦たちは古いロシアの太った女性というステロタイプであり、家政婦たちで話しているときはロシア語で、他では訛った英語を話している。
 そして、最後のほうで主人公は一人だけ取り残され、バレエ学校の他の生徒たちはみんなどこへ行ったのかと主人公から問われてロシア人の家政婦は、ボリショイバレエの公演を見に行ったと言う。主任教師が勉強のためにと行かせたのだが、主人公を独りにして抹殺するつもりだったわけだ。

 ところが、最後の戦いで主人公はたった一人で魔女と対峙して勝つ。そして中世から続いた魔女のバレエ学校は崩壊し炎上する。秘密を知った者たちはみな抹殺されたが、主人公のアメリカ娘は違った。
 このとき、炎上する学校に居なかったので他の生徒たちは難を逃れたが、それは偶然だがボリショイバレエを観劇に出かけていたからだ。これは魔女の召使となっている古いロシアのステロタイプの口から聞いた話であり、この映画の当時の77年はロシア革命で近代化と科学文明を追及し続けたソビエト連邦であり、アメリカのライバルであった。戦争でソ連はドイツをやっつけたし、もともとロシアでバレエは盛んだったが、革命後は国技として力を入れていた。

 そして最後は、魔女とその手下たちが死に中世から続いた学校が爆発炎上し、そこから脱出したアメリカ人の主人公は安堵の笑みを浮かべるが、一瞬のことではなく、ダメ押しのようにまた微笑む。彼女が魔女を退治したのであり、勝利による満面の笑顔であった。

 これだから、『サスペリア』は非常に怖い映画であるのに、観た夜に眠れなくなることがなく、むしろ逆に安心してよく眠れたのだ。
 

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by ruhiginoue | 2017-03-18 14:39 | 映画 | Comments(0)

鈴木清順監督死去

 鈴木清順監督が93歳で死去したとのこと。

 その難解な作風に怒った映画会社の重役が独断で解雇したため問題になったことがあり、そういうことがあったためか、鈴木清順監督は円谷プロの作品にも関与していた。俳優としての出演もよくしていたが、その中で円谷英二にふんしたこともあった。
 円谷プロの作品には、政治的も含めて色々な事情から干された人が関与したものが少なくなく、このため前衛的だったり社会派だったりと深みがあって面白かったものだ。
 その中に『怪奇劇場アンバランス』があり、これに鈴木清順監督は参加していたが、そのさい別の挿話を担当した山際永三監督は、その市川森一脚本で唐十郎が主演し子供時代は名子役の高野浩之という話が、他の人から難解だと言われていたうえ鈴木清順監督にまで解らないと言われてしまい困ったそうだ。

 監督だけど俳優もする人としてジョンヒューストンとかフランソワトリフォーがいるけれど、鈴木清順監督はよく他の監督の作品に俳優として出演していた。そして逆にというか鈴木清順監督の作品『夢二』には悪役で長谷川和彦監督が出ていた。武久夢二に扮する沢田研二とは『太陽を盗んだ男』では監督と主演だったが、それが共演者になったのだった。
 その前には『ツゴイネルワイゼン』が話題だったが、こうした前衛芸術的な作品の前には日活で活劇を主に撮っていて、また『肉体の門』『河内カルメン』『けんかえれじい』は名高く、アニメでは『ルパン三世』に関与していた。

 『けんかえれじい』のヒロイン役は後に大橋巨泉と結婚したことで話題となったが、彼の死について医師の対応に問題があったことを語っていたことは、先に述べた通りである。

 この『けんかえれじい』には原作にも脚本にも無い脚色がしてあり、特に印象的だったのは北一輝と遭遇して主人公が影響される場面だった。喧嘩ばかりして放校された主人公は、転校先の校長がバンカラ型だったから理解されたりもする。
 このように主人公は政治に関心があるわけではないけど心情右翼というところで、公開当時は学生運動が盛んで、大学生から熱烈な支持があったという。
 ここで鈴木清順監督は、喧嘩だろうと学生運動だろうと若くて元気なんだから当たり前という姿勢で描いていた。
 ところが、弟のNHKアナウンサー鈴木健二は、著書で学生運動を批判しつづけ、それは、まじめに勉強しないでケシカランという単純なものだった。

 こんなに兄弟で違うのは意外だが、鈴木健二の大ベストセラー『気くばりのすすめ』がテレビで取り上げられたとき、かつて鈴木健二は、職場の後輩と暴力団組長の愛人が恋に落ちたとき、追って来たヤクザたちを相手に懸命な説得をして分かってもらったという武勇伝を語り、その再現ドラマ(鈴木健二の役はケンちゃんに引っかけて宮脇康之、組長は所ジョージ)が放送され、自慢話にスタジオ内は辟易ぎみだったがケチはつけられないので我慢していたが、そのときゲストで出演していた鈴木清順監督は、司会者から「お兄さん、どうですか。弟さん偉いですよね」と言われると恍けた調子で「親分が良くて、良かったですねえ」と言ったものだからスタジオ内が爆笑となった。
 
 そんな、色々なことを思い出した。


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by ruhiginoue | 2017-02-24 15:08 | 映画 | Comments(0)

『沈黙』と三浦朱門の死

 映画化で話題になっている『沈黙』の原作者である遠藤周作はキリスト教徒で、その縁から三浦朱門と親しくしており、信仰だけでなく政治的にも一緒になって右翼同人誌を発行してたりする人だったので実際に右曲がりの言動があったけれど、映画化と作者は違うことがある。

 この映画のマーチンスコセッシ監督は前に『最後の誘惑』という映画を撮っていて、デビッドボウイがピラト総督の役で最後に出て来るなど異色の出演者で話題となったが、それと同時に、福音書に基づいた話なのに勝手な脚色がされているという宗教界からの批判があった。
 そして今度の『沈黙』も独特な解釈だという指摘がある。スコセッシ監督は自身がカトリック教徒だとし、だから『最後の誘惑』の脚色も善意だと言っていた。

 なので、また映画化と原作者とで違うということが言えるが、ただ、遠藤周作は三浦朱門と親しかったけれど、そんなに露骨な発言は無かった。三浦朱門は文化庁長官として民間入閣した在任中に、女性を強姦する体力がない男性は失格だと雑誌上で説いたため、下品な表現と女性蔑視の発想が問題になったが、この他にも、外国の危険な所に自衛隊を派遣して自衛官の身に何かあったら改憲のために利用する犠牲にしようと発言するなど、政治性より人間性を疑われる発言が目立った。

 こうした三浦朱門の発言は夫婦お揃いだということは周知のとおりで、しかし曾野綾子のほうは人種隔離政策推進発言で国際的に顰蹙を買うなど、妻のほうが夫よりやや凶悪さのスケールが大きかった。
 これについては、それよりずっと前から指摘があり、例えば筒井康隆の『文学部唯野教授』(岩波書店)で、三浦朱門は小説が売れなくなり、曽野綾子が売れているから妻のおかげで知名度を保っているという意味の記述をされていた。
 そして死んだらやはり「作家」「妻は曽野綾子」と新聞の見出しになった。

 三浦朱門は認知症で介護が大変だったらしい。だから曾野綾子が「老人は適当な時に死ぬ義務がある」と書いて、これは暴言だという批判とともに、あれは自分が夫のために苦労しているという意味ではないかと指摘されていた。
 そうかもしれない。だから、やっと解放されたということで安堵し悦んでいるのではないか。そうでないと、もしも他人に対してあんな心無い言葉を吐いたとしたら、それこそ人非人である。よほど苦労して、つい言ってしまっったと善解しておくべきかしれない。



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by ruhiginoue | 2017-02-05 17:10 | 映画 | Comments(8)
 先月のことになるが、出版関係の新年会に列席したら、知り合いの雑誌社長から新しく入った女性の記者を紹介された。若い新人ということで、契約記者だが正社員ではなく、社員として正規に登用されることを目指していると言う。

 こうした女性の雑誌記者は、どこの雑誌でもしばらくしたらいなくなってしまうことが多いというのが経験則である。それだけ正規の身にまで昇格するのは狭き門ということだ。
 
 この時、あの映画『プラダを着た悪魔』のことが話題に出た。やりての女性編集長にはモデルがいるけれど、ふんしているメリルストリープに迫力も魅力もなかった。
 また、語り部役のアンハサウェイもいまいちだった。キャットウーマンはカッコよかったが出産のあと太ってしまったというのはともかく、女性むけ雑誌で新人が苦労しているという姿を演じきれていなかった。
 あれでは女性誌のやり手編集長の下でしごかれる新人女性編集者というより、大女優の付き人をしている女優志望という芸能内幕もの例えば日本の映画なら少し前に亡くなった夏樹静子原作の『Wの悲劇』みたいな感じである。
 そんな話になった。

 ところで、いまちょうど大手マスコミが提灯記事を金で売買していたことが発覚して問題になっているが、もともと提灯記事かどうかの判断基準は存在しないので金銭授受の有無が問題になる。
 これについて、かつて美容外科の提灯記事という問題を書いた(注)さい、内容的に実質は広告なのに記事の形となっているものが多い女性雑誌に問い合わせたところ、そこの女性の副編集長は、金銭授受をきっぱりと否定していた。
 ただし、美容外科とかエステは直接の金銭が報酬とは限らず、女性の編集者でも記者でも、提灯記事の見返りは無料で何かやってもらったりするから、例えばノースリーブでバンザイして見せろという話になるのだ。

 この話をしたら、その新人の女性記者は、雑誌に正規登用してもらえるかという問題とともに、儲かっている女性雑誌で働いている人たちの一部のように魂を売ることになるのかどうかという、二重の意味で先行きを心配していた。

 (注)『華麗なる美容外科の恐怖』に収録の雑誌記事のこと。



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by ruhiginoue | 2017-02-01 16:05 | 映画 | Comments(0)
 米ハリウッドの人気俳優たちが、「私は生き抜く」と歌う動画がネットに掲載され、トランプ次期米大統領に対する抵抗のメッセージだと話題になっている(正確には、一部のマスコミが騒いでいる )が、ハリウッド映画が面白くなくなったと映画ファンから言われて久しく、もう生きなくて結構というほどだ。
 そして「赤狩り」を告発した広瀬隆の著書『億万長者はハリウッドを殺す』は、トランプ大統領の出現によって別の意味で現実になりそうだ。

 ところで、トランプ大統領就任に合わせたアンチのデモ行進が企画され、東京と大阪でもアメリカ民主党日本支部の後押しで開催されると報じられているが、有名芸能人を指して「セレブ」たちが参加すると謳っているけど、そういうものに対する反発がトランプ現象を生んだという自覚はないのだろうか。
 だいたい、昨年のアメリカ大統領選では、マドンナらがヒラリークリントンを応援する姿が大きく報じられたが、逆効果だったとしか思えない。こうしたマスコミの姿勢にも、トンデモと言われるトランプを勝たせた一因があるはずだが、その自覚がないようで、だからメリルストリープの中身が無い発言を大したものであるかのように伝えている。

 そして日本でも、普段は進歩的な姿勢で見識を発揮している芸能人が、トランプを批判するメリルストリープに便乗している。なぜかと疑問を呈する人たちもいるが、それはおそらく解っていてやっている処世術だろう。今の大統領や総理を批判してはいても、結局は体制側に付いているのだということを示しておかないと、マスコミに干されてしまうと恐れているのだ。
 
 しかもトランプはマスコミ批判をしているから、それを批判することはマスコミで商売している芸人たちにとっての処世術となる。なので、こうした芸能人たちの発言は、権力者を批判する勇気あるものとはまったく違う。
 あのときのトランプによるマスコミ批判は、続けてこう言っている。
 「私は反論出来るから、まだいい。世の中にはメディアによる不誠実な報道によって人生を狂わされた人たちだって大勢いるんだ」
 この発言を芸能人が批判してもマスコミから干されはしない。
 しかし「たしかに冤罪事件などでは、しばしば記者クラブ垂れ流しの犯人視報道が人権侵害をしていて、権力のある政治家と違い一般人は深刻な被害を受けている」などと発言したら、その芸能人はマスコミに干されるだろう。

 つまり、トランプ批判している芸能人は、一時的に権力者を批判するカッコだけで、ほんとうの意味では権力を批判せず、権力と慣れ合うマスコミにおもねって、商売しているのだ。

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by ruhiginoue | 2017-01-20 15:19 | 映画 | Comments(0)

大島渚の命日と思い出

 1月15日は映画監督・大島渚(1932-2013)の命日だった。

 彼が病に倒れてから久しぶりに公の場に表れたのは2008年の日本映画監督協会創立七十周年祝賀会だった。この時の大島渚は、車椅子に乗って小山明子に付き添われていた。
 これに参加して雑誌に記事を書いたが、むしろ実行委員をしていた杉井ギサブロー監督のほうに熱心に話しかけていた。アニメの世界ではたいへん偉い人だから仕方ない。
 この話は前にした。

 ところで、大島渚は「初めから解らないのはあたり前で、初めから解るならこんな映画を作る気は全然ないし、初めは解らなくても映画の最後になって初めて解る、そういう映画をオレは作りたいんだ」と言っていた。
 これに対して「アメリカの観客は最初の15分で解らないとガッカリする」と言ってロバートレッドフォードは知り合いが原作者である『戦場のメリークリスマス』出演を断ったのだった。
 この話は、よくハリウッド映画のパターンについて語るさいに引き合いに出されている。

 また、大島渚は「普通、俳優さんが演技力と思っているものは、まあ、邪魔ですよ」と言っていたけれど、もともと「意余って力足らず」くらいが良く、あまりに上手な役者は好きではないと彼は述べていた。
 それで、『戦場のメリークリスマス』の当時、大島渚はブロードウェイで『エレファントマン』観たらデビッドボウイの演技がすごく上手くて、これでは上手すぎるんじゃないかとむしろ心配になったらしい。

 あと、大島渚は日韓問題に拘りがあり、『戦場のメリークリスマス』でビートたけし軍曹にいたぶられる朝鮮人軍属の話は原作にない脚色だった。この役をキャロルの中で唯一在日の家系であることを公言して運動もしているジョニー大倉が熱演したのだった。
 ほかにも『帰ってヨッパライ』で主演のクールセイダーズの『イムジン川』がキーワードになっていたし、『ユンボギの日記』や『忘れられた皇軍』などドキュメンタリー映画もあった。

 そして小松川事件を基にした『絞首刑』に主演し『少年』でも在日男性を演じた俳優は、今では出版社の経営をしている。
 ここは和多田進氏の社会派ジャーナリズムが主体の会社だった。実はかなり昔のことだが、この出版社が従業員募集していたので面接に行ったことがあり、編集が希望だったが欲しいのは営業ということでダメだった。
 そしてしばらくしたら同社は全体的には変わっていないが、そこへ日韓問題とか『チャングム』とかの本が目立つようになっているから驚いたものだった。


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by ruhiginoue | 2017-01-17 18:02 | 映画 | Comments(0)
 ゴールデングローブ授賞式で非難されたのが面白くないからと、トランプ次期アメリカ合州国大統領は、そのメリル ストリープを「過大評価された女優だ」こき下ろしたそうだが、そのように政治的な問題よりずっと前から、メリル ストリープって何であんなに高く評価されているのか不可解だった。
 もちろん、その出演作のほとんどが趣味に合っていなかったということもあるが、その芸も特筆すべきというほどだと感じなかった。しょせん趣味の問題だろうが。

 このメリル ストリープとロバート デ ニーロは、どちらも今はトランプを非難しているが、どちらもかつて『ディアハンター』なんていう映画に出ていた。アカデミー賞作品だが、アメリカ兵がやっていた虐殺を北ベトナム兵がやっているように描くトンデモ映画だった。

 一方、ベトナム戦争映画『地獄の黙示録』の主演者マーチン シーンは、息子が主演したベトナム戦争映画『プラトーン』の監督オリバー ストーンが続けて作った『ウォール街』で共演もしているが、この時の役と同じように反権力の気骨を示すことが目立つ。
 そして、戦争反対や公害企業に抗議のデモや座り込みに参加し何度も逮捕されているし、反対運動で銃撃されそうな人に付き添い、芸能人と一緒ならテレビに映るということで、自分も危険にさらしながら身体を張って守ったことがある。
 このようなことが続いたので、マーチン シーンは役を降板させられそうになったこともあった。

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 それとは大違いのメリル ストリープは、受賞式の場で綺麗な言葉で反対勢力に沿いながら安全に批判してみせ賛辞を受けた。そんな器用な人は尊敬しない。
 そうした器用な人に便乗し、彼女はエライねえと言うことで自分も何か意味のあることをしたような態度の人たちもいる。特に醜いのがそうした日本の芸能人たちである。トランプという億万長者が政治権力まで手にした人だからと擦り寄るのも、セレブのスターがリベラルそうにしているからと便乗するのも、まったく同じことだ。
 どちらも、自分の意見が持てないとか発言する勇気が無いとか、主体性がないことでは同じなのだから。



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by ruhiginoue | 2017-01-12 11:34 | 映画 | Comments(0)