井上靜の気楽な日誌です。気楽にコメントしてください。おたよりも気楽にe-mail:ruhiginoue@excite.co.jpまで


by ruhiginoue

カテゴリ:映画( 201 )

 米ハリウッドの人気俳優たちが、「私は生き抜く」と歌う動画がネットに掲載され、トランプ次期米大統領に対する抵抗のメッセージだと話題になっている(正確には、一部のマスコミが騒いでいる )が、ハリウッド映画が面白くなくなったと映画ファンから言われて久しく、もう生きなくて結構というほどだ。
 そして「赤狩り」を告発した広瀬隆の著書『億万長者はハリウッドを殺す』は、トランプ大統領の出現によって別の意味で現実になりそうだ。

 ところで、トランプ大統領就任に合わせたアンチのデモ行進が企画され、東京と大阪でもアメリカ民主党日本支部の後押しで開催されると報じられているが、有名芸能人を指して「セレブ」たちが参加すると謳っているけど、そういうものに対する反発がトランプ現象を生んだという自覚はないのだろうか。
 だいたい、昨年のアメリカ大統領選では、マドンナらがヒラリークリントンを応援する姿が大きく報じられたが、逆効果だったとしか思えない。こうしたマスコミの姿勢にも、トンデモと言われるトランプを勝たせた一因があるはずだが、その自覚がないようで、だからメリルストリープの中身が無い発言を大したものであるかのように伝えている。

 そして日本でも、普段は進歩的な姿勢で見識を発揮している芸能人が、トランプを批判するメリルストリープに便乗している。なぜかと疑問を呈する人たちもいるが、それはおそらく解っていてやっている処世術だろう。今の大統領や総理を批判してはいても、結局は体制側に付いているのだということを示しておかないと、マスコミに干されてしまうと恐れているのだ。
 
 しかもトランプはマスコミ批判をしているから、それを批判することはマスコミで商売している芸人たちにとっての処世術となる。なので、こうした芸能人たちの発言は、権力者を批判する勇気あるものとはまったく違う。
 あのときのトランプによるマスコミ批判は、続けてこう言っている。
 「私は反論出来るから、まだいい。世の中にはメディアによる不誠実な報道によって人生を狂わされた人たちだって大勢いるんだ」
 この発言を芸能人が批判してもマスコミから干されはしない。
 しかし「たしかに冤罪事件などでは、しばしば記者クラブ垂れ流しの犯人視報道が人権侵害をしていて、権力のある政治家と違い一般人は深刻な被害を受けている」などと発言したら、その芸能人はマスコミに干されるだろう。

 つまり、トランプ批判している芸能人は、一時的に権力者を批判するカッコだけで、ほんとうの意味では権力を批判せず、権力と慣れ合うマスコミにおもねって、商売しているのだ。

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by ruhiginoue | 2017-01-20 15:19 | 映画 | Comments(0)

大島渚の命日と思い出

 1月15日は映画監督・大島渚(1932-2013)の命日だった。

 彼が病に倒れてから久しぶりに公の場に表れたのは2008年の日本映画監督協会創立七十周年祝賀会だった。この時の大島渚は、車椅子に乗って小山明子に付き添われていた。
 これに参加して雑誌に記事を書いたが、むしろ実行委員をしていた杉井ギサブロー監督のほうに熱心に話しかけていた。アニメの世界ではたいへん偉い人だから仕方ない。
 この話は前にした。

 ところで、大島渚は「初めから解らないのはあたり前で、初めから解るならこんな映画を作る気は全然ないし、初めは解らなくても映画の最後になって初めて解る、そういう映画をオレは作りたいんだ」と言っていた。
 これに対して「アメリカの観客は最初の15分で解らないとガッカリする」と言ってロバートレッドフォードは知り合いが原作者である『戦場のメリークリスマス』出演を断ったのだった。
 この話は、よくハリウッド映画のパターンについて語るさいに引き合いに出されている。

 また、大島渚は「普通、俳優さんが演技力と思っているものは、まあ、邪魔ですよ」と言っていたけれど、もともと「意余って力足らず」くらいが良く、あまりに上手な役者は好きではないと彼は述べていた。
 それで、『戦場のメリークリスマス』の当時、大島渚はブロードウェイで『エレファントマン』観たらデビッドボウイの演技がすごく上手くて、これでは上手すぎるんじゃないかとむしろ心配になったらしい。

 あと、大島渚は日韓問題に拘りがあり、『戦場のメリークリスマス』でビートたけし軍曹にいたぶられる朝鮮人軍属の話は原作にない脚色だった。この役をキャロルの中で唯一在日の家系であることを公言して運動もしているジョニー大倉が熱演したのだった。
 ほかにも『帰ってヨッパライ』で主演のクールセイダーズの『イムジン川』がキーワードになっていたし、『ユンボギの日記』や『忘れられた皇軍』などドキュメンタリー映画もあった。

 そして小松川事件を基にした『絞首刑』に主演し『少年』でも在日男性を演じた俳優は、今では出版社の経営をしている。
 ここは和多田進氏の社会派ジャーナリズムが主体の会社だった。実はかなり昔のことだが、この出版社が従業員募集していたので面接に行ったことがあり、編集が希望だったが欲しいのは営業ということでダメだった。
 そしてしばらくしたら同社は全体的には変わっていないが、そこへ日韓問題とか『チャングム』とかの本が目立つようになっているから驚いたものだった。


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by ruhiginoue | 2017-01-17 18:02 | 映画 | Comments(0)
 ゴールデングローブ授賞式で非難されたのが面白くないからと、トランプ次期アメリカ合州国大統領は、そのメリル ストリープを「過大評価された女優だ」こき下ろしたそうだが、そのように政治的な問題よりずっと前から、メリル ストリープって何であんなに高く評価されているのか不可解だった。
 もちろん、その出演作のほとんどが趣味に合っていなかったということもあるが、その芸も特筆すべきというほどだと感じなかった。しょせん趣味の問題だろうが。

 このメリル ストリープとロバート デ ニーロは、どちらも今はトランプを非難しているが、どちらもかつて『ディアハンター』なんていう映画に出ていた。アカデミー賞作品だが、アメリカ兵がやっていた虐殺を北ベトナム兵がやっているように描くトンデモ映画だった。

 一方、ベトナム戦争映画『地獄の黙示録』の主演者マーチン シーンは、息子が主演したベトナム戦争映画『プラトーン』の監督オリバー ストーンが続けて作った『ウォール街』で共演もしているが、この時の役と同じように反権力の気骨を示すことが目立つ。
 そして、戦争反対や公害企業に抗議のデモや座り込みに参加し何度も逮捕されているし、反対運動で銃撃されそうな人に付き添い、芸能人と一緒ならテレビに映るということで、自分も危険にさらしながら身体を張って守ったことがある。
 このようなことが続いたので、マーチン シーンは役を降板させられそうになったこともあった。

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 それとは大違いのメリル ストリープは、受賞式の場で綺麗な言葉で反対勢力に沿いながら安全に批判してみせ賛辞を受けた。そんな器用な人は尊敬しない。
 そうした器用な人に便乗し、彼女はエライねえと言うことで自分も何か意味のあることをしたような態度の人たちもいる。特に醜いのがそうした日本の芸能人たちである。トランプという億万長者が政治権力まで手にした人だからと擦り寄るのも、セレブのスターがリベラルそうにしているからと便乗するのも、まったく同じことだ。
 どちらも、自分の意見が持てないとか発言する勇気が無いとか、主体性がないことでは同じなのだから。



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by ruhiginoue | 2017-01-12 11:34 | 映画 | Comments(0)
 初詣に行ったら不気味だったと話題になっている。
 その、神社の改憲署名よびかけは、日本会議の存在が注目されたことに加え櫻井よし子のポスターが不気味すぎるということだった。『シャイニング』や『バットマン』でジャック ニコルソンが笑っている顔と酷似していたからだ。

 そういうことが特にあったけれど、もともと神社庁は傘下の各神社に「祝日には国旗をあげましょう」と法制化前から呼びかけるポスターを貼らせるなどしてきた。「宗教に政治を持ち込むな」と言いたいところだが、戦前の役所としての神社庁に戻り国教になりたいという邪心がある。
 これは創価学会も同じで、国教になって他の宗教は無くしてしまうのが目標だと公言していた。だから、ここからできた公明党が自民党と組んでいることで「もし、このまま続けば」(ハインライン)、宗教対立する可能性がある。

 だいたい、神社は知っていても「神道」を何と読むか知らないどころか言葉自体を知らない日本人がよくいるのは、伝統的な信仰に基づくものとはかけ離れているからだ。ユダヤ人で敬虔なユダヤ教徒でも、あるいはそうであるからこそ、シオニズムに反対しイスラエルの蛮行を批判する人たちがよくいて、この事情は日本も同じだ。 

 ところで、ある神主が、参拝に来た人たち皆が二礼二拍手一拝するようになったので神社が余計な混雑するようになったと言っていたそうだ。なぜならこの参り方は明治時代に政府が形式化して広めたらしく、もともとはこんな形に拘りはしなかった。
 そもそも、神様ともあろうものが人が決めたものでしかない作法を守らないからと怒るわけがないし、怒るなら他にもっと怒ることがあるはずだ。

 そういえば、あの『禁じられた遊び』の原作では、十字架を取ろうと教会の屋根に上った少年が転落死し、これは神の怒りに触れたのだ、という結末だったけれど、十字架はしょせん偶像だし、戦争の被害者の子供の無邪気な遊びだったのだから、そんなことに神様が怒るわけない、怒るなら戦争する大人にだろう、ということで映画化では結末を変え、あの戦争孤児たちの悲しい場面にしたそうだ。

 つまり、神様が怒っている宗教がいろいろと幅を利かせているということだ。



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by ruhiginoue | 2017-01-06 18:00 | 映画 | Comments(0)
 Twitterで、1月1日生まれの有名人の話をしている人たちと、今からちょうど50年前はたいへんな怪獣ブームだったという話をしている人たちを、見かけた。

 それで思ったのだが、なんで子供に怪獣があんなにウケたかというと怪獣は大人より強いからだろう。政府や大企業の建物がぶっ壊されたり、自衛隊の戦車が踏み潰されて面白いのは、なにも政治的なことではなく、ただ、大人が作ったものが壊されるのは子供にとって痛快だからだう。子供のころは大人の社会から何らかの抑圧を受けているからだ。
 なのに『シンゴジラ』みたいなのが面白いと感じる人は、きっと育ちが違うのだろう。あるいは後に変節したのだろう。

 ところで、国際放映が製作した子供主役のテレビドラマといえば『チャコちゃん・ケンちゃん』だが、この当時、国際放映で演出をしていた山際永三監督は『チャコちゃん』は撮っていたけれど『ケンちゃん』は撮っておらず、それというのもチャコちゃんはやんちゃな女の子だけどケンちゃんは優等生すぎて共感できなかったからだと山際監督は言っていた。
 それで、後に国際放映で『あばれはっちゃく』を撮ったということだが、大人気だったケンちゃんの時期は円谷プロで『帰ってきたウルトラマン』などを撮っていた。

 この『帰ってきたウルトラマン』には、足の不自由な小学生が怪獣の暴れる様子に狂喜し、何もかも壊してしまえと声援を送るエピソードがある。足が不自由なのは傷害ではなく心因性で、社会からひどく疎外されトラウマを受けていた。今でいうPTSDだが、そんな言葉は当時まだなかったので、田口成光の脚本を読んだ山際監督は専門医に訊いて確認したうえで演出したと言う。
 
 そして、この少年を演じたのが『超人バロムワン』『謎の転校生』で知られる高野宏之であった。この、かつての名子役も成人してからは時代劇に髭生やして出たりしているが、彼は1月1日生まれだった。



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by ruhiginoue | 2017-01-01 03:45 | 映画 | Comments(2)
 『帰ってきたウルトラマン』で、主人公が小学生のころ最も仲良しだった同級生と再会する話があり、その回想場面で「花・太陽・雨」という歌が流れる。
 これは、監督の山際永三氏が思いつき、よく組んでいた脚本家の市川森一氏を通じて萩原健一氏に使用承諾を得たそうだ。当時、市川氏が萩原氏と同じマンションの別の階に住んでいたので顔見知りだったから頼めたとのこと。
 この話は、その同級生が新しい生命の研究をしてついに大発明をしたのだが、それは怪獣と化してしまうという筋。
 その同級生は、小学校のころから成績が良かった秀才で、スポーツが得意だった主人公とは個性は違ったが、なぜか小学生の時に気が合った。
 そして偶然再会すると、同級生は危ない研究に没頭していた。父親から、いくら優等生でも生物学なんて金にならないことに夢中になるなんてバカと言われたことが悔しかったから、派手な成果のあるものを追求したのだった。
 
 この話を思い出したのは、「もんじゅはわが子」「失敗していない」という元所長の発言が報じられたからだ。よくSFで怪獣を作ってしまった科学者が言うセリフと同じだから。そして、この『帰ってきたウルトラマン』のような状態なのだろう。
 ついにSFに現実が追いついたか。


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by ruhiginoue | 2016-12-29 12:09 | 映画 | Comments(6)
 今年は歌手の訃報がやけに多いけれど、そこへキャリーフィッシャーの訃報も。
 キャリーフィッシャーは女優として知られているけれども、父がポップス歌手のエディーフィッシャー、母がミュージカル女優のデビーレイノルズだから、親の影響で子供のころから母親と一緒に舞台に立ち唄っていた。日本でいえば松田聖子と神田沙也加のように。

 その後、英国留学して演劇を学ぶと俳優に転じ、とくに『スターウォーズ』のレイア姫役は映画のメガヒットのため有名で、現役で活躍を続けていた母親が「レイア姫のママ」といわれるほどだった。『スターウォーズ』が初めて観た映画という人の世代ではそうだろう。日本で松田聖子のことを小さい子供は「アナ王女のお母さん」と思っているのと同じだ。

 その後、キャリーフィッシャーが出演した映画では『ブルースブラザーズ』や『メイフィールドの怪人』が有名だが、ウディアレンの『ハンナとその姉妹』では歌の得意な役で出ていて、オーディションで歌う場面もあった。
 また、エッセーやシナリオで活躍し文才も発揮するマルチタレントだった。特に自伝では精神を病んだことなどを率直に語ったり、父がエリザベステイラーと不倫したことについて赤裸々に語りベストセラーになっていた。


 私生活では歌手のポールサイモンと夫婦だった時期があり、ユダヤ教の結婚式を挙げたので、ボブディランらと同様に彼もユダヤ系だったかと日本でも知られた。

 ところが、また新作の『スターウォーズ』撮影終了後に心臓発作を起こして入院中のロサンぜルスにある病院で死去し、共演していたマークハミルやハリソンフォードも驚いていると報じられた。

 かつて『スターウォーズ』のスタッフは、日本で吹き替え上映されたのを観て、このほうがレイア姫の声が良いと言っていた。キャリーの声の芝居は良くないと言って。彼女の声は響きに特徴があって、やはり地声からして歌手のものという感じだった。
 日本語吹き替えは色々な女優がやっていたが、多くの人に記憶されているのは三作通して吹き替えていた島本須美だろう。あの当時はクラリスとナウシカでお姫様の声優といえば島本須美だったから。 
 
 余談だが世代の違いといえば、ホームシアター売り場でドルビーサラウンドについて、77年公開の最初の『スターウォーズ』で、その威力が初めて知られるようになったという話をしたら、若い店員が、そのころからだったのかーと言っていた。
 さらに前の世代の話になると、映画を観たことない人でもどこかで聴いたことがあるほど有名だが、これは「レイア姫のママ」デビーレイノルズが歌っている。




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by ruhiginoue | 2016-12-28 20:49 | 映画 | Comments(2)
 クリスマス映画の定番といえば『素晴らしき哉、人生』だが、これは日本での人気はどうなのだろうか。他にも題名を挙げる人の多い映画は色々とあるが、『戦場のメリークリスマス』という人もいて、これは出演しているデビッド ボウイの死去などもあって、また放送されている。
 
 ところで、その監督の大島渚は「徹子の部屋」に出たさい『戦場のメリークリスマス』に話が及び、映画に俳優として出演したのはコメディしか経験のないビートたけし扮する軍曹が最初は不安だったが役にはまったと言った。 
 あれは勝新太郎や緒方拳も候補になっていたが、決まらないでいるうちに時間が無くなり、いわゆる見切り発車のようにしてビートたけし起用となったらしい。そして、風貌は合っているけど喜劇ではないから雰囲気が合うだろうかと疑問だったということのようだ。
 
 この話に黒柳徹子が「あの役は普段のたけしさんと違って悪い人でしたよね。あれ以来よく悪い人の役をやるようになりましたね」と言った。
 すると大島は「ああ、大久保清とかね。そして本当に悪い人になっちゃったね」
 これは週刊誌の取材に文句を言いに行って暴力沙汰となり逮捕されてしまった「フライデー事件」を皮肉っているのだった。

 このビートたけし扮する軍曹が、映画の最後に「メリークリスマス、ミスターローレンス」と照れながら言うと、カンヌ映画祭では観客たちがみんな立ちあがり拍手したそうだ。
 だが、あれは、ついに理解し合えたという意味ではなく、戦争で日本が物質文明だけでなく精神文化でも敗北して英語とキリスト教をモノマネしたのが痛快だったからだという指摘もある。
 しかも、これはヨーロッパの観客が勝手にそう解釈したのではなく、もともとこの映画はそういう描き方をしていて、だから、戦犯として囚われた元軍曹が英国軍の将校に向ける笑顔は、親しみというより卑屈さであり、そうとしか見えないというわけだ。

 これまで『戦メリ』は、もちろん同性愛の映画だとも言われた。最初は原作者と親しいロバート レッドフォードを紹介されたがハリウッド映画と違い過ぎるとして断られ、そして大島渚はテレビのCМに出ているのを見てデビッド ボウイに持ち掛けたら興味をもってもらえたと言うことだった。
 これは時期からすると宝焼酎「純」の宣伝「ロックでわればジンロックジャパン」だろうが、こうした偶然だったとはいえ、原作者の意図とは異なる同性愛の要素を強調するキャスティングになったし、しかも、監督がこだわってきた日韓問題を組み入れるため原作には無い朝鮮人軍属の話を脚色しているものの、それは同性愛行為で処刑されるという役であった。

 しかし、テーマの中心は戦争であり、戦争の原因を異文化への無理解による衝突とし、和解を模索する話だという解釈が日本では一般的であるが、実は日本が西欧に完敗して当然という話であり、そもそも大島渚は新左翼を自認してきたが、そんな日本の左翼に多い西洋崇拝者に彼も漏れず、特にフランス好きを自称し、そのうえ日本は嫌いだとテレビで明言したことがある。
 なら、『戦場のメリークリスマス』は「反日映画」ということになる。さて、どんなもんだろうか。



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by ruhiginoue | 2016-12-25 22:23 | 映画 | Comments(1)
 今日は、長い間に渡り忘れられたようになっていた映画が、福島第一原発事故の後にDVDになったという話。
 この『悪魔が最後にやって来る』は『オーメン』を意識した内容で、製作と監督が『エクソシスト』を意識した『夢魔』と同じである。だから同じ人たちがホラー映画の二大ヒット作のエピゴーネンとかパチモンを作ったと言われたものだった。

 ところが、『夢魔』は『エクソシスト』の真似であったが、『悪魔が最後にやって来る』は『オーメン』の真似ではなく続編に使えるネタを先取りしたような内容で、続編『オーメン2』より先に製作された。

 そのうえ、悪魔の化身の壁画を女性ジャーナリストが主人公に教えるとか、悪魔の分身の謎を解いた者が電話で主人公に知らせようとしたが機械の誤作動で室内に閉じ込められたうえ逃げようとして密室内で機械に胴体を挟まれて死ぬとか、『オーメン2』と共通するものがあり、本家の方が影響されたのではないかと思えるほどだ。

 さらに、悪魔の申し子が成長してイケメンの経営者になって権力にも接近し、世界を破滅に導く陰謀をその事業の中で実行しようとするところなど、『悪魔が最後にやって来る』が先にやってしまったため、第三作『オーメン最後の闘争』でダミアンはやることがなくなってしまい、大きなことをせず暗殺ばかりしているかのようだ。

 その大きな陰謀というのが、黙示録の怪物といわれる七つの頭を持った悪魔の獣を思わせる七基から成る巨大原子炉の建設であった。黙示録の怪物が火を吐いて世界を炎上させるように、七基の原子炉は爆発したら連鎖反応で地球を焼き尽くす。
 最初、建設会社を経営している主人公は、エネルギー危機に対応するためと言って乗り気だったが、跡取り息子の推進する計画がまるで黙示録であると神父などから警告され、息子は本当に自分の子供なのかと疑い、計画をやめさせようとする。

 しかし、計画に疑問を抱いたり反対したりする者たちは次々と不可解な惨死を遂げる。主人公は、反核団体や環境保護団体が叫ぶ建設反対のシプレヒコールを、最初はウザいと思っていたが、次第に不安になってくる。

 こちらのほうが『オーメン』の完結よりはるかに面白い。もちろん、製作したのがマカロニウエスタンのイタリアだから、やはりエピゴーネンとかパチモンとかの映画ではある。
 そんなものに、よくカーク ダグラスが出演したものだと言われたが、彼はこの当時『フューリー』というオカルトがかったスパイアクションにも出演していた。
 そして、息子のマイケル ダグラスは『チャイナシンドローム』で真面目な原発を告発していたが、もっと大スターの父カーク ダグラスがオカルトで原発批判していたというのも面白い。

 また、イタリア映画音楽の巨匠エンニオ モリコーネの音楽も素晴らしい職人技である。『エクソシスト2』とともに、彼のホラースコアの傑作だ。




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by ruhiginoue | 2016-12-01 19:00 | 映画 | Comments(0)
 漫画家の江川達也が、ヒットしている映画『君の名は。』を、受けるのは解るがプロから見ると軽くて面白くないとテレビで発言したことにより誤解されている。
 この発言のため、最近はヒット作が無いくせにと非難する人たちがいて、それとともに江川氏が最近ではタレントの真似ばかりしていて本業の漫画が劣化しているという指摘もされた。

 たしかに江川氏は『タモリ倶楽部』などテレビ出演してコメントでウケをとっているが、その一方では、漫画の連載が好評でも中途半端でやめてしまったことが何度かあり、また、見るからに絵が手抜きっぽくなっているとして評判がよくない。
 このため、晩年の赤塚不二夫のようになっているのではないかと疑われているわけだ。

 そして、かつて江川氏は自作の漫画が実写とアニメの両方で映画化テレビ化してヒットしていたのに、最近ではそれがなく、それでいてヒット作にケチをつけているから、自分でヒット作ができないくせにと言われたり、その作品を知らない人からは、テレビでコメントしている江川氏とは何のプロなのかと皮肉ではなく本気で言われたりするわけだ。

 しかし、それは関係がないことだ。あくまで江川氏は、『君の名は。』がヒットしていることに理解はできるが、それはウケるように考えて作られているからで、そのことが自分のように漫画と映画に関わってきた経験のある者なら判るとしたうえで、そんな「プロ」の立場としては、ウケ狙いばかりしている志の低さに好感を持てないし、その軽さゆえ儲かっていることが面白くないと言ってるのだから。

 もちろん、商業作品なのだから利益を出さなければいけない。特に費用が莫大になる映画では、その責任が重いと言える。だからといって、ウケることばかりでは、作家など無用である。それでウディ アレン監督主演の映画にも、失明した監督が映画を撮ってしまう話があって、これはウケるパターンが決まり切っているハリウッド映画に対する皮肉であった。
 
 そして、アニメ界の大ベテランで大御所の杉井ギサブロー監督が「映画はエンターテイメントなのだからヒットしないと意味がない。しかし、ヒットしそうにないものをヒットさせたいよね」という言葉が示すように、いくらウケる方法には熟知していても、それだけではクリエーターとして足りないということだ。

 そういう意味で江川氏が発言したことは明らかである。舌足らずではあったかもしれないが、彼が本業においてはいかがなものかという状態であることとは関係がなく、クリエーターとしては普遍的な問題なのである。





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by ruhiginoue | 2016-10-14 20:55 | 映画 | Comments(8)