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by ruhiginoue

カテゴリ:映画( 186 )

 高畑勲監督の『かぐや姫の物語』は、監督の年齢からすると最後の映画になりそうだということで、監督自身もたいへんな意気込みであったし、スタジオジブリもそんな創設者のためだから採算度外視で製作すると発表していた。
 このため大変な力作となっていて、練りに練られた構想と丁寧な仕上げが観て感じ取れる。高畑勲監督のアニメーション映画の中で、最も良く出来ていて見ごたえがあると言ってもいいだろうし、また、これまでいろいろとあった『竹取物語』の映画で最高だと言うこともできるのではないか。
 少なくとも、沢口靖子のかぐや姫より遥かに傑作だ。もちろん市川崑監督の下で丁寧に作られていて、衣装もセットもしっかりしている。しかし下手なSF解釈と下手な特撮が興覚めだったし、何より訴えかけるものが無かった。
 
 これは監督の責任ではないが、沢口靖子のかぐや姫はテレビでの宣伝のため化粧品会社とタイアップしていたから、顔がまるで現代風のメーキャップなうえ、眉毛をそのままにして額に墨を入れているから滑稽であった。

 これが高畑勲監督のアニメでは、眉毛を抜くのを嫌がるかぐや姫が「汗が目に入る」と言うのに対し、作法係の女性は「高貴な女性は汗をかくことをしない」と言う。
 かぐや姫は、都に来て屋敷に住み綺麗な着物をまとって面白がっていたが、そういう上流階級の生活につきまとう嘘臭さを感じるようになり、それに比べると小さいころに竹藪近くの野山を駆け回っていた生活のほうが本物ではないかと思い巡らせる。そのさいの夢か幻想か不明な非現実というか超現実というかの描写をアニメならではの技法を駆使して表現している。
 
 また、市川崑監督の『竹取物語』は、製作が東宝特撮と同じなので仕方ないとしても、それでこじつけ無理してばかりいるので物語が破綻している。
 最後の月からの迎えが『未知との遭遇』などハリウッド製SF映画の亜流になっているのも失笑だったし、龍を討ちに船で出撃したら大嵐という場面でも、それを特撮で描いて見せては、そんなもの実在しないものだという話と辻褄が合わない。
 それに対し、高畑勲監督のほうはアニメならではの表現により、欲ボケした男の妄想と恐怖としていて見事だった。

 このように、高畑勲監督の『かぐや姫の物語』は、技巧と訴えかけとの融合が成功していた。これは良かった。話のテンポもよくて何度くりかえし観ても飽きない。これはほんとうに良かった。


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by ruhiginoue | 2016-04-23 17:15 | 映画 | Comments(4)
 『日本沈没』の最初の映画化で、東京が大地震に見舞われ大火災が発生し、逃げ場を失った人たちが皇居の周りに集まる場面がある。消化活動をしていた自衛隊のヘリコプターが上空から俯瞰すると、燃えていないのは皇居だけで、そこを取り囲む群衆の外側では倒れたりうずくまったりする人たちがいて、熱風の影響だろうと無線で報告する。

 しかし皇居の門は閉ざされたまま。避難者たちは中に入れてと叫び、せめて子供だけでもと言う女性の懇願も無視され、押し寄せる群衆に対し自衛隊の重火器を使用するよう要請がある。
 これに激怒した総理大臣(丹波哲郎)は、緊急回線を使って宮内庁に電話をかける。「ただちに門を開いて避難者を宮城内に入れてください。これは内閣総理大臣の命令です」

 さて、現実の総理大臣は、このような場合どうするだろうか。
 そんなことを地震があるたびに考えていたら、先日、大地震で大変だというとき週末の渋谷にいたという安倍総理は赤い顔をして出て来たのだった。

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by ruhiginoue | 2016-04-22 17:29 | 映画 | Comments(1)
 安保法制が施行されたが、防衛大で任官拒否者が増えたことと関係があるだろうと指摘されている。これは、危険になったからというより、自国のために命をかけるのではないことのバカらしさによるものだろう。そうでなければ、最初から入学しないはずだ。

 そして防衛大では任官拒否した者は卒業式に出られなくなるという。しかしどこの大学でも、卒業式なんて面白くないから出ない人は少なくないから気にしないのではないか。
 防衛大の卒業式といえば最後に制帽を投げることが知られていて、これはアメリカのウエストポイント士官学校の真似だから、それでどうも不自然だという人がいる。

 一方、防衛医大のほうでは学生たちが任意で制帽を投げるそうで、「ウオーッ」と叫びながら投げるが、そのあとみんな自分で拾うのだと卒業生が笑って言っていた。

 ウエストポイント士官学校の制帽投げは映画『愛と青春の旅だち』で知られるが、同じころに、『ランボー』も公開されていた。『愛と青春の旅立ち』と続けて観ると『ランボー』が反戦映画に思える。主題歌も、『愛と青春の旅立ち』は明るい(松崎しげるがカバーしてた)歌なのに対し『ランボー』の主題歌は悲壮である。

 前にカラオケで♪It's a long road~~~と唄ったら、居合わせた若い男から「それ『ロッキー』の主題歌ですね」と言われてしまい「『ランボー』だよ」と教えてやったことがあるけれど、『愛と青春の旅立ち』も知らない人がいるだろう。これはデュエット曲として当時は人気があったのだが。

 『ランボー』の出だしはかなり悲惨だった。
 ランボーが戦友を訪ねると、その家にいた年配の黒人女性が不審そうにするので、住所を書いた紙を見せる。
 「たしかに息子の字だ」
 「彼は」
 「死んだよ」
 「えっ」
 「癌だった」
 「まだ若いのに」
 「きっと化学兵器のせいだよ、軍は認めないけどね」

 そういえば、地下鉄サリン事件からずいぶんと経過して風化してきたと言われていたが、あの当時、防衛医大では「地下鉄サリン事件で被害に遭われた方はご相談ください」と張り紙していた。
 そして慌てて文献を漁って俄かに専門家に仕立て上げられた医師がいる。これを防衛医大の同僚医師は笑っていた。
 しかしテレビではアナウンサーやコメンテーターが「だから冷戦が終わっても自衛隊は必要ですね」とプロパガンダしていた。その一人に日テレの福留アナウンサーがいたのを記憶している。


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by ruhiginoue | 2016-04-05 17:42 | 映画 | Comments(0)
 イタリアの作曲家で映画音楽の巨匠と呼ばれるエンニオ モリコーネがハリウッドで殿堂入りしたそうだ。
 彼はイタリアだけでなくハリウッドなど外国映画にも音楽を書いていて、そのうちには日本の映画もある。例えば『エーゲ海に捧ぐ』では、彼が得意な女声スキャットで「♪ララルー、ララルー」にソロバイオリンが伴奏する。
 これがきっかけでバイオリニストと原作者の縁結びということになったが、池田万寿夫は下積み時代を支えた糟糠の妻を捨ててしまい「有責配偶者」となって裁判で離婚が認められず、三船敏郎とともに「有責配偶者」の双璧となったのだった。
 これはモリコーネの責任ではないが、モリコーネはこの映画を気に入っていたそうで、力作となったらしい。

 この一方、モリコーネは「マカロニウエスタン」とか「スパゲッティウエスタン」といわれるイタリア西部劇や犯罪サスペンス「ジャロー映画」を多く担当している。しかしこうした映画について彼は、仕事でやっていたけれど暴力的だから好きではなかったと言う。
 そういえば、ハリウッド映画音楽の巨匠ジェリー ゴールドスミスも、西部劇や活劇によく音楽を書いているが、初期にアカデミー賞の候補となった『いつか見た青い空』についてインタビューで、とても良い映画だとし「I loved it」「No Killing.No Violenceing」と言っていて、しかしその翌年には『ランボー』の音楽を担当していた。

 こうした巨匠たちの後の世代の作曲家たちは、バジル ボドリスとかマイケルカーメンとか活躍していたのに早死にしている人が目立ち、過日はジェームズ ホーナーが墜落死である。
 そして大活躍のハンス ジンマーの曲は映画音楽というより効果音みたいで、これは作曲家の手法なのか演出のためなのか、どちらにしてもあまり好きになれないのだ。

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by ruhiginoue | 2016-03-01 17:30 | 映画 | Comments(0)
 ベトナム戦争の「ハンバーガー丘の戦い」は、若い兵士たちが果敢に戦い多大な犠牲を出した虚しく悲惨なものだった。これがきっかけでアメリカが厭戦の雰囲気となり、戦争への批判も強まったといわれる。
 この実話に基づいた映画『ハンバーガーヒル』が作られた。これは、『プラトーン』が大ヒットしてアカデミー賞も受けた後になったので二番煎じのように受け取られ、このことで製作者は『プラトーン』より先に企画していたことを強調していた。
 
 この『ハンバーガーヒル』を映画館で観たが、かなり力を込めた感じはしていたから、完成と公開が後になってしまったというのが本当なら、「先だったらアカデミー賞だったのに」と悔しがる気持ちはわかる。
 
 ところで、この映画の予告編も映画館で観たが、その末尾に前売り券を買うとオマケ付きという告知があり、それが「ハンバーガーヒル特性サバイバル歯磨きセット」というものだったから、客席が爆笑となった。
 この映画はシリアスものであり、その予告編で変なオマケだったから笑ってしまうのも当然であるが、しかしこの八十年代の半ばくらいから、映画の前売り券を買うとオマケ付きと謳うのだけれど、それが映画にひっかけて真面目にやっているつもりが変なことになってしまい可笑しいというものが多くなっていたのだった。

 その最高傑作だったのが「バタリアンの卵」というやつで、映画館で予告編のさい観客たちは抱腹絶倒だった。
 もちろん映画『バタリアン』の前売り券に付いていたもので、バタリアンとは日本の配給会社が付けた題名であって、『エイリアン』のような宇宙生物ではなくゾンビの話だから卵は無い。だから可笑しいという以前に「『バタリアン』の前売り券を買うとバタリアンの卵が付いてくる」なんて言うものだから大笑いだったのだ。

 昔はこういう変なオマケが映画の前売り券に付いてきたのだった。
 

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by ruhiginoue | 2016-02-27 17:12 | 映画 | Comments(2)
 某量販店のテレビ売り場で、『マッドマックス怒りのデスロード』を再生していたから、前に立川の映画館で「爆音上映」を鑑賞したさいのことと比べていたら、店員が話しかけてきた。それで、映画館の音響について言ったら、その店ではホームシアターを特に扱っていないそうで、もっと古くからある量販店とは違い、あくまで家電という範囲だそうだ。
 
 その、ホームシアターを専門に展示している量販店では、メーカーから来た人がいろいろと説明してくれて、やはり詳しいのだが、機器については、仕事でやっている人だし若いから最新のものをよく知っているけれど、映画については、今話題の『スターウォーズ』の最初の作品は知らなかった。77年の映画だから、知らない人もいるようになって当然だろう。

 あのときドルビーステレオが実用化され、宇宙船を仰角で捉えた冒頭の場面で、頭上から轟音が後方から前方に移動し、そこで画面にスターデストロイヤーが現れるのだった。
 この、テレビでは味わえない臨場感に観客は大喜びし、映画館に客が戻った。それでアカデミー賞協会は開発者のレイ ドルビー氏に感謝状を贈った。

 これが今では、映画館ほどではないが、費用を少し奮発すれば自宅でもできるようになった。

 しかし、真空の宇宙空間で音がするわけがなく、あれは音楽と同じだという解釈であるが、松本零士のSFマンガでは、宇宙空間で爆発が起きたさいの轟音は、音ではなく重力波の衝撃によるものであるとし、そんなことをキャプテンハーロックも言っていた。
 これについて子供のころは屁理屈だと思っていたけれど、アインシュタインが予言していた「重力波」はついに観測されたということである。めでたし、めでたし。


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by ruhiginoue | 2016-02-16 17:25 | 映画 | Comments(0)
 かつて劇映画『戦場のメリークリスマス』がテレビで放送されたのを観たうちの母親は、大島渚が真面目に映画を作ると結構よいと言っていた。
 彼がテレビのワイドショーなどでバカなことをして稼いでいるのは経済的事情があってのことだとしても、とても褒められたものではない。しかし、この映画では主人公のミスターローレンスとビートたけし軍曹のからみなどが良くて、戦争なんてしなくてもよいはずだということがよく伝わってくるという。
 また、隊長役の坂本龍一もキレイだったし、それよりなんと言っても素敵だったのはあの英国軍の捕虜だという。それまでデビッドボウイを知らなかったのだ。
 
 そういうのはうちの母親だけではなく、この『戦メリ』で初めてデビッドボウイを知り、「レッツダンス」しか聴いたことのない俄かファンが「シリアスムーンライトツアー」で来日公演したさいに押しかけてきて、七十年代からのファンとしては不愉快だったと言う人もいた。

 この映画の中で、ローレンスを背負い収容所を脱走しようとしたが見つかってしまうという場面では、奪った小さな銃剣しか持っていないのに、日本刀を持った相手では勝ち目がないとデビッドボウイに指摘された大島渚が、なるほど敵わなくても戦おうとするのは日本人の感覚だと気づき演出を変え、すぐ降参するようにした。
 この、勝てないのに意地や体面で戦う日本人の感覚が、戦争で多くの悲劇となったわけだ。

 ところで、デビッドボウイと同じころ、作曲家で指揮者のピエールブーレーズも亡くなった。
九十一歳だったそうで、デビッドボウイより二十年以上長生きだった。寿命とはずいぶんと個人差があるものだ。


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by ruhiginoue | 2016-02-03 17:33 | 映画 | Comments(2)

受験と学生運動と左翼

 センター入試の前には共通一次試験というのがあって、これは大学の序列化をしてしまったという反省があるけれど、その反省が生かされていないことはセンター入試があるということから明らかだ。
 この共通一次試験のころから学生運動がなくなったという指摘を、大島渚がしていた。因果関係があるかどうかは不明だが、「幸か不幸か」学生運動がなくなったと大島渚は言う。

 それで、大島渚が松竹と喧嘩になって辞めるきっかけとなった映画『日本の夜と霧』を観たら、学生運動がなくなったことは「幸」だったと感じてしまった。それまでとは認識が逆になって、学生運動は悪いものだと思うようになった。大島は自分が京大生だったときに熱心だった学生運動を肯定的に描いていたが、それを観たらろくでもないものだという認識に逆転したのだ。

 この映画の脚本は石堂淑郎で、この映画がきっかけで大島と一緒に啖呵をきって松竹をやめたが、それでテレビのしがない脚本家になってしまい後悔したそうだ。
 この石堂とテレビで組んだ山際永三監督は、『日本の夜と霧』はいただけないと言っていた。『戦場のメリークリスマス』の方が良かったそうだ。運動の質を悪くする共産党員を描いて批判しても効果がない。地道に活動している党員を描いたほうが党への批判になる。
 だから、大島や石堂と政治的には同じ立場だが、この映画はいただけない、ということだった。

 それで、その後にウヨぶったネタのくだらないエッセイを書いている石堂淑郎について質問したら、彼は才能が枯渇して売文業者に成り下がり酒飲んだ勢いで書いているだけだ、というのが山際監督の評価で、それよりもうひとり一緒によく仕事していた市川森一のほうに怒っていて、本業をほったらかしてタレントの真似してワイドショーなんかに出ているし、そのうえ人権侵害発言までしたから、『コメットさん』(旧)のころから組んでいたが絶交したということだった。


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by ruhiginoue | 2016-01-28 17:22 | 映画 | Comments(2)
 『スターウォーズ』の新作が話題になっているので思い出したことがある。
 学校の英語の授業で担当の女性の教師がwarをワァーというように発音したので、『スターウォーズ』の印象があったからウォーではないかと言った。すると先生はどちらでもよいと言う。ワァーともウォーともつかない発音だから、ということだ。
 ところが、同じ学校の他の英語担当の男性の教師は、違うと言う。明らかにウォーの方が近い。ワァーだと訛っているような感じだと言う。
 これを同じクラスの同級生に話したら、ウォーだと言った。なぜなら、ワァーだと言う女性の教師は東北大卒で、ウォーだと言う男性の教師は東京大卒だから、東大の言うことを信用すべきだと言った。これはギャグめいているが、さらに別のICU卒の女性の英語担当教師はウォーだと言ったので、ウォーが近いと思うことにした。

 あと『スターウォーズ』の他に、ボーイジョージが歌っているのを聴いたらウォーが近いと思った。ただ、彼(彼女?)が戦争ハンタイと歌うのがヘンタイに聴こえてしまうと言う人もいたので、訛りもあるだろう。
 後に『コマンド―』で、アーノルドシュワルツェネッガーが娘のロック雑誌を見て「これじゃガールジョージだ」と言う場面があり、このとき「ドイツに駐屯していたとき、東側ではロックが退廃的とされていた」と言うけれど、これはオーストリア出身のシュワルツェネッガーに訛りがあるためドイツに駐屯していた設定にしたらしい。
 さらに後に『ヘドウィック』という映画ができて、本当にこういう事情があるのか、と思ったものだ。

 また、『オーメン』のアカデミー賞の音楽で、この合唱はなんと言っているのかと、英語の教師に訊いたら、これは英語ではないと指摘し、イタリア語ではないかと言う。しかし音楽の教師はすぐにラテン語だと断言した。黙示録の予言という怖い映画なので宗教音楽に基づいているということだ。
 しかしこの音楽の先生も他の映画で勘違い発言をしていて、音楽史の授業でストラビンスキーの『春の祭典』についてレコードをかけながら、発表当時は前衛的で賛否両論だったという話をしているさい、『スターウォーズ』の音楽みたいだと言うので、それをいうなら『ジョーズ』でしょうと突っ込まれていた。作曲者は同じだから、それで勘違いしたのだろう。

 ところで『スターウォーズ』の劇中のセリフに「THX1138」という言葉が出てきて、これは地点を言っているのだが、ジョージルーカスの前作が『THX1138』という題名で、これは主人公のことだ。すべての人間が番号で管理されている未来の話。
 そういえば先日、役所から「マイナンバーのお知らせ」という封書が来た。SF映画に近づいているということか。


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by ruhiginoue | 2015-12-09 17:21 | 映画 | Comments(4)

脚本家の発想

 去年、高倉健の訃報のさい、その主演作『野生の証明』を、最初に観た時は理解できなくて、何年も後に見直して理解できたことがある、という話をした。主に政治的背景のことだった。
 それだけではなく、例えば高倉健が帰宅したら薬師丸ひろ子がテーブルに伏して泣いている場面。

 「どうしたんだ頼子」
 「だって・・・お父さんの誕生日だからケーキを買ってきたけど、落としちゃったの」
 テーブルの上にケーキの箱があり、ふたを取って見るとケーキが潰れている。「おとうさん おたんじょうび おめでとう」という文字が、かろうじて読める。
 そのときケーキの欠片が手についたので舐める。
 「美味しいよ。さあ食べよう。もう泣かないで」
 
 物語と何も関係がない日常生活なのに、なんでこんな場面をわざわざ作るのか、最初に観た時は解らなかった。
 でも、DVDで見直したら、このような場面があるから、最後の悲劇が盛り上がるのだと、当たり前のこととして受け取った。脚本を書いた高田宏治は腕が立つので、特に工夫したつもりもなく自然と発想が湧いてきたのではないかとも思う。

 ところでDVDレンタルの店は、だいたい出演者で分類しているが、店によって『野性の証明』は、『網走番外地』などと一緒に置いてあったり、『セーラー服と機関銃』などと一緒に置いてあったりする。しかし、監督別ということはあっても、脚本家別ということはまずない。そういうモノカキ的な興味を持つ人が少ないからだろう。


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by ruhiginoue | 2015-10-29 23:58 | 映画 | Comments(1)