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by ruhiginoue

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 被害者が死刑を望んだので、犯人の犯行動機のとおり死刑にするのも変な感じがする。多くの人が、そう感じているようだ。
 しかし犯行は殺した数が神聖化すると指摘したのだが、警察と検察は、被害者が加害者をどう憎んでいるかなんて無関心で、ただ自分の業務成績に利用したいだけだろう。担当したのが重罪であれば、それだけ凶悪犯罪を解決したことになるのだから。そうでなければ、この種の裁判でいつも、いろいろな被害者の中から「刑を重くして欲しい」という人ばかり抽出して引っ張り出すわけがない。これが公務員の犯罪の場合は、逆に減刑嘆願書を書くよう被害者に強要したりしてきた。
 これも結局は数値が問題であるから、そうなる。死刑執行署名を、吟味もせずに乱発したと批判されて「死神」と皮肉られた鳩山法務大臣だが、一方では、とにかく犯罪者とされた奴らをたくさん死刑にしたとして讃える者がいる。ほんとうの問題は内容であるはずなのだが。池田小学校や秋葉原で刃物を振り回して暴れた男を、社会から疎外された者の代弁者として英雄視する者がいたことと、本質は変わらない。
 だから、被害者と加害者の希望が一致してしまったけれど、仕事で担当している者たちとしては、数値だけが問題だから、矛盾は感じていないはずだ。それにまずは気づかないといけない。

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by ruhiginoue | 2009-05-01 23:49 | 司法 | Comments(1)

殺した数が神聖化する

 茨城県土浦市で昨年3月起きた9人連続殺傷事件の初公判、検察側は冒頭陳述で、「被告は仕事をするのが嫌で、死刑になって死ぬため事件を起こした」と犯行動機を主張したそうだが、だから希望のとおり死刑を求刑するのだろうか。
 また、求刑のとおりの判決など刑が重い場合は「身勝手な犯行」というのが決まり文句だが、「自分が死刑になるためという身勝手な犯行であり情状酌量の余地はない。よって主文のとおり(死刑)」と書くのだろうか。滑稽である。
 ところで、"One murder makes a villain; millions a hero. Numbers sanctify"「一人の殺害は犯罪者を生み、百万の殺害は英雄を生む。数が神聖化する」という有名な言葉がある。チヤップリンの映画『殺人狂時代』のセリフとして有名だが、もとは英国国教会牧師で奴隷制度廃止論者のベイルビー=ポーテューズの言葉で、『墨子』非攻編にも「一人の殺害は犯罪者を生み、百万の殺害は英雄を生む。数が神聖化する」とほぼ同じことが書かれている。
 1995年4月19日に発生し、168名の人命が失われ負傷者も800人におよぶオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件を起こした白人右翼青年ティモシー=マクベイは、もと米軍の優秀な兵士で湾岸戦争の活躍により勲章を受けた英雄だったから全米に衝撃が走ったが、射撃の名手だった彼が戦場で殺したイラク兵の百何十倍の自国民を殺害したので死刑となった。
 では、この件では数が神聖化しなかったかというと、そうではなかった。事件後各種メディアが事件とマクベイについて取り上げ、『タイム』『ニューズウィーク』は彼の顔写真で表紙を飾り、何週間も連続して彼について特集を組んだ。イラク兵をやっつけて勲章を受けたときも、ここまでは注目されなかった。
 やはり数が決め手であるが、その対する尺度によるのだろう。何が罰で、何が賞なのか。そして刑罰を気にせず、あるいは期待して、わざと犯行に及ぶ者もおり、しかも、そのような者ほど大きな犯行を志向する。
 つまり善悪を問うことは、そもそも虚しいのだ。だからするべきことは、どれくらいの悪だからどれくらいの罰、という発想を捨てて、起きてしまったことへの対処と今後の防止、を合理的に割り切って考えることだ。


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by ruhiginoue | 2009-05-01 13:59 | 司法 | Comments(0)