井上靜の気楽な日誌です。気楽にコメントしてください。おたよりも気楽にe-mail:ruhiginoue@excite.co.jpまで


by ruhiginoue

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 宇多田ヒカルが2年前、「国民の生活が第一」という党名について、ついに政党まで「キラキラネーム」だと言い、まさにそうだと話題になった。
 しかし、それが「生活の党と山本太郎となかまたち」になるとは、まさか思なかっただろう。

 また、落語の「ジュゲムジュゲム」は笑わせるためだから本当に名付けはしないし、「東京三菱UFJ銀行」とか「太陽神戸三井銀行」も似たようなものだが、これは名前に笑いの要素がないし、資本が合併する場合は集まること自体に意味が有るから、政党とは違う。

 だから問題は政策だ。政党助成金が欲しいその他の事情から頭数を揃えたいとしても、正式に政党として集まるなら政策の一致や擦り合わせがあったのか。

 過日死去した、エール大学の世界的に著名な政治学者ロバート・ダール教授も著書で指摘していた。多くの場合、有権者は選挙の投票のさい、候補者をどんな人かほとんど知らないから、政党の政策なら大体わかるので、個人よりも政党で判断する、と。

 なので、「みんなの党」と名乗ったり、「生活の党」の後継が選挙によっては別個に活動するとか言うのは、政党として本来は許されないことだ。
 ところが、これを知らない人たちがいて、前に川田龍平議員がみんなの党に入ったことについて、選挙で支援してくれた人たちとは相容れない政党に入ることは有権者への裏切りだと指摘したところ、そんなことは関係ないと擁護する人たちがいた。結局、同議員は同党にたまりかねてしまったし、解党のお粗末である。

 これだから、山本太郎議員も似たような末路ではないかと言われるのだし、そもそも、「みんなの党」とか「生活の党と山本太郎・・・」などの政党は、政党としてあってはならない形なのだ。

 


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by ruhiginoue | 2015-01-05 12:56 | 政治 | Comments(2)
 桑田佳祐が政府を皮肉ったともとれる歌を紅白歌合戦で披露したと話題だが、その一方で「永遠の0」なんて映画に主題歌を提供してるじゃないかという人がいる。まあこれは商売だからしょうがない。

 例えば、さだまさし。彼は「二百三高地」にも「ひめゆりの塔」にも主題歌を提供している。右と言われたり左と言われたり、両方の批判を受けたと自分で言っていたが、これは、自分はウケをとるのに長けていると自慢しているようにも思えた。それ以外にも彼は、暗い歌と笑わせる歌の両方でウケている。
 もともと芸人とはそういうものだ。

 個人的には、かつて重傷を負わされた加害医師がサザンオールスターズのコピーバンドまでするほどの大ファンだったため、桑田佳祐には何の恨みもないのだけど、連想してしまうから歌を聴きたくない。
 だから、年末は紅白よりバイロイト音楽祭だが、イスラエルフィルでワーグナーを演奏しようとしたズビン・メータを張り倒したユダヤ人客の気持ちは、よく理解できてしまう。

 その治療のため東大病院など複数の病院に通っていた当時、医療費が莫大になったため公費助成を受けていた。このさい書類を受け取る窓口の担当者と、証明の診断書を書いた複数の大学病院の医師が、「防衛医大、ひどいな」と言っていたのだが、書類を受け付けた役所の人から「これで医療費はなんとかなるから、家賃の滞納だけはするな。最悪の場合は、恥を忍んで生活保護を受けてでも、ホームレスにだけはなるな」と警告された。
 
 ホームレスは施設に行くことを警戒する。何をされるかわからないからだ。特に病気の人はそうだ。ホームレスには、健康を害して働けなくなった人が珍しくない。それを大学病院は歓迎する。人体実験ができるから。身寄りがなければ訴えられない。新薬の治験から解剖までやりたい放題できる現実がある。

 施設に行けば雨風もしのげるし風呂にも入れる。だが、ナチの強制収容所みたいにシャワーではなく毒ガスだった、ということはないけど、心配があるのだ。
 それを知らず、かつて青島知事は、施設に行けばいいじゃないかと言って、新宿の駅から都庁舎までの動く歩道を作るため、邪魔なダンボールハウスを強制的に撤去して不評を買ったのだった。これでは片山さつき議員や公園閉め出し渋谷区長と、大して変わらない。

 そういう現実があり、「まあ、あなたの場合は、弁護士をつけて裁判をしているから、あまり心配はないだろうが」と、かつて役所で言われはしたが、ホームレスも生活保護も避けて、稼ぐためには仕事を選ばないでやってきた。
 ところが、最近では記事を書いた雑誌について「こんな雑誌に書くなんて」と言われて、気にするようになった。

 去年、名誉毀損訴訟で、原告の筆名と戸籍名が同一人である証明を求められ、ちょうど確定申告用に送られてきた原稿料の源泉徴収を提出したのだが、これを法廷で裁判官が見て確認したさい、その雑誌名が出た。
 これについて、被告はかつてその雑誌に売り込もうとして失敗したと言っていたから、傍聴していた人が被告を嗤っていた。しかし、「そんな雑誌に書くなんて」と言った知人もいる。堅めの月刊誌ではあるが、右翼的な傾向である。それに迎合してはいなかったのだが。

 また、それ以外の雑誌についても、大学に務めていた身内からは嫌がられた。身内がそんな雑誌に書いているなんて恥ずかしいとのこと。
 これで思い出したが、清水幾太郎という有名な社会学者は、大学教授を経て評論家として雑誌にも論文を書いていたので、硬い月刊誌から原稿の依頼が来たところ「私は『朝日』と『世界』にしか書きません」と言って断ったそうだ。

 そういう権威主義はともかく、商売というのは芸人と同じだし、物書きセンセイでも例の百田尚樹みたいに売れればいいからなりふりかまわずというのもいかがなものかと思う。
 
 それで、今年は名誉毀損訴訟で溜飲を下げたうえ訴訟費用も取り立てられるし賠償金も入るから、少しゆとりがあるので、今後の身の振り方を考えることにする。

 あと、年を越すと確定申告の書類が送られて来る。これを整理して役所にもって行かないといけない。簡単なことではあるが面倒だ。また、送ってくるのがいつも遅いところがあって困る。


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by ruhiginoue | 2015-01-04 13:35 | 雑感 | Comments(2)

日本国憲法第一条

 「大昔から大衆は、王子様お姫様が大好きだ。おとぎ話でも、王子様お姫様は善良で、悪いのはいつも大臣だ」
 
 これはSF「銀河英雄伝説」のセリフだが、先日20歳になったやんごとなき女性と、どこかの国の総理大臣のことは、おとぎ話ではない。

 また、政府が、対外的には好戦的で、対内的には弱い者いじめ、という露骨な姿勢をとっているが、それを危惧しながら、憲法で規定された象徴から逸脱しないぎりぎりの配慮をしながら、憲法を否定しようとする政治権力を牽制しようとの発言がされているようで、これについて巷で様々な解釈と議論がなされている。

 こんな指摘もすでにあった。
 魯迅 暴君的臣民
 「暴君の治下の臣民は、たいてい暴君よりもっと暴である。暴君の暴政は、たいてい暴君の治下の臣民の欲望を満足させることはできない」
 「暴君の臣民は、暴政が他人の頭上にだけ振るわれるのを願い、それを見物して面白がる。残酷を娯楽とし、他人の苦しみを賞玩し、慰安にする」


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by ruhiginoue | 2015-01-03 12:27 | 社会 | Comments(3)
 お笑い発言で知られる片山さつき議員、日本がいかに豊かであるかという証拠として「ホームレスが糖尿病になる国ですよ」と。
 それよりも、「片山さつきが国会議員になる国ですよ」という問題にするべきだ。
 
 ホームレスが糖尿病になるのは栄養が偏るからだと指摘されていて、だから片山さつき議員は無知だと批判する人もいるが、これは病気について間違えただけだと言える。
 では、糖尿病ではなく痛風など贅沢病と言われるものだったら適切な発言かというと、そうではない。
 
 浮浪者が高級料理店の残飯をあさっているためグルメになっているという図式は、映画やマンガに描かれている。黒澤明の「どですかでん」、伊丹十三の「たんぽぽ」、漫画「美味しんぼ」などがすぐ思い浮かぶ。

 これは、滑稽にも、庶民には手が届かない高級料理をなぜか浮浪者が知っているということだ。高級料理の食べ残しが多く、また残飯あさりをするをする人がいからだ。
 つまり、高級料理を食べ残せる人たちと、高級料理には無縁な人と、住む家も無く残飯をあさる人が、いるというわけだ。

 そんな社会の不平等と理不尽を、滑稽な図式として映画やマンガは描いているのだが、それを片山さつき議員は、国が豊かなのだと勘違いしてるようだ。
 この方が糖尿病について誤った認識をもっていることよりよほど問題だろうう。

  
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by ruhiginoue | 2015-01-02 13:21 | 政治 | Comments(1)
 昨年は新宿ミラノ座の最後で終わってしまったので、人気だった作品をふりかえる話から今年は始めよう。

 印象的だったのがディズニー製作アニメーション映画のヒット作「アナと雪の女王」だった。

 ディズニーのアニメでは、白雪姫も眠り姫もシンデレラも、王子様に見初められて結婚し、お城に嫁いでメデタシである。
 ところが宮崎駿監督の映画だと、ナウシカ姫も、もののけ姫も、自然と格闘するように生きている。デビュー作のクラリス姫は、幽閉されていた城から、権力に追われる犯罪者ルパン三世によって解放されメデタシである。

 ディズニーは常に権力にすりより、戦時中にプロパガンダ映画を作った(ここで日本もさんざん悪く描かれた)褒美として提供された土地にディズニーランドを作ったし、スタジオの労働運動つぶしの陰険さも有名だった。

 反対に宮崎駿は、東映動画の労使紛争で組合活動に熱心だったし、そこで高畑勲と意気投合したというのだから、その姿勢は反権力である。

 後にスタジオジブリを創立するこの二人は、二十代のとき一緒に「太陽の王子ホルスの大冒険」を作るが、ここではアイヌの集落をモデルにした村を襲う氷の悪魔との戦いを描いていて、宮崎駿が最も好きな作品という「雪の女王」を意識している。
 
 「雪の女王」は、ソ連映画の絶頂期の作品なので今観ても驚嘆する技術だ。またスターリン政権下での急速で強引な近代化により人情味が失われた社会を風刺している。それらが「ホルス」に影響している。
 
 ところで「アナと雪の女王」は、アンデルセンの童話を意識はしているが、ほとんどオリジナルの物語であり、「雪の女王」と付くのも邦題だけだ。原題は「凍れる者」とでも訳すれば意味が近いだろう。

 この映画には、また王子様が出て来るが、これはヒロインにとって運命の人ではなく、実は庶民の男性がそうだった。ここが過去のディズニー作品とは違う。もっとも、王子はもともと王位継承順位が低すぎたから不純なことを考えたのだったが。
 
 また、アクションをちりばめたり緩急を付けながらクライマックスにもっていく作劇はハリウッドの相変わらずのパターンである。
 ただ、もともと力作ではあるし、世界各地に輸出され売れてもいたが、特に日本で大受けし大ヒットとなったのは、日本語吹き替え版の異様なほどのテンションの高さによるものだ。

 この「アナと雪の女王」に比べると、宮崎駿監督最後の長編という「風立ちぬ」はテンションが低い。同監督の映画としては例外的に「・・・の」という題名ではなく、これは堀辰雄の作品から取ったと明示されている。同じくオマージュを捧げた題名には松田聖子のヒット曲「風たちぬ」がある。

 「アナと雪の女王」に比べて「風立ちぬ」が生彩を欠いていた一番の原因は、主演の声優だろう。神田沙也加の「これで親の七光り返上」と褒めそやされた好演に対し、庵野秀明のド素人ぶりはひど過ぎた。


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by ruhiginoue | 2015-01-01 13:01 | 映画 | Comments(10)