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by ruhiginoue

<   2015年 08月 ( 38 )   > この月の画像一覧

 デレビドラマの金八先生のモデルといわれる三上満さんがガンのため83歳で亡くなったそうだ。
 この三上さんは、かつて都知事選挙で石原や舛添といった候補らに対抗して共産党が担ぎ出したことで話題になったが、もとは金八先生のような下町の中学の名物教師だった。定年退職してからは、三十年間の教員体験をもとに少年非行対策など教育関係の著書を何冊も出したので「教育評論家」と呼ばれた。
 この著書を、脚本家の小山内美恵子が『3年B組金八先生』の作劇をするさい参考とにして、中にはほとんど頂戴してしまったこともあり、だから三上さんは金八先生のモデルの一人だと小山内さんが言っていた。

 三上満さんは「みかみ みつる」だが「みかみ まん」という通称で、これを略して「みかまん」というあだ名となり、下町の中学校で生徒から「みかまんさん」と呼ばれていたそうだ。ちょうど金八先生が「きんぱっつあん」と呼ばれていたように。
 温和な性格だが熱血漢でもある三上さんは、生徒から人気があったようで、知事選挙のときも「三上先生か、あの人は熱心だったな」とか「ミカマンさんには世話になった」とか、卒業生など地元出身の人たちが言っていた。
 そして引退してからも非行問題などで相談に乗ってたということだった。

 いっぽうで労働運動家であった三上さんは、日教組を批判して別の組合を作るなどの活動で、中心的な役割を果たした。それで共産党から都知事選挙に担ぎ出されると、都の教育環境改善を訴え、「都庁ピカピカ校舎ボロボロ」と鈴木都政を批判していた。

 ドラマの金八先生は、演じる武田鉄矢が中退した大学を卒業した設定にしていて、これがセリフにも反映していたが、モデルの三上満さんは東大出だった。彼の訃報を共産党の機関誌しんぶん赤旗が大きく取り上げ、二十代のとき入党してからずっと党籍をもっていたと報じている。
 こうした優等生の左翼は落ちこぼれに冷淡な傾向があるけれど、三上さんは違った。それは、下町の中学校の教師になり、ドラマに描かれている桜中学校の背景にある貧富の差などを、政治的に左寄りであるため、社会の矛盾として批判的に見ていたからだ。

 それで三上さんは、非行に走る子供や、親に受験勉強ばかりさせられノイローゼになる子供などを、社会の歪みの犠牲者として捉えていた。だから問題児を排除の対象にしてはならぬと説き、少年非行問題に熱心に取り組む下町の中学校の名物教師となったのだった。
 そこからドラマが作られ、金八先生の「腐ったミカンを箱から放り出せという発想ではダメだ」というセリフになったりしたわけだ。

 そして都知事選挙の時にも、訃報のときも、金八先生のモデルということが驚かれたり強調されたりしたけれど、それというのも、ドラマが人気が出たさい、よく、学校の教師が「あんなのはドラマだけだ」「あんな先生はいない」と言い、これを生徒たちは不熱心な教師の言い訳と受け止め反発する、ということが、よくあったからだ。このことは、放送が始まって人気が出はじめたあたりから、テレビでも取り上げられていた。
 だから、モデルの存在が驚かれたわけだ。

 また、金八先生にふんして当たり役になった武田鉄矢が、自分は金八先生のようにリベラルではないと釈明していたけれど、これを、ドラマの中で金八先生が平和憲法の意義を説いたり、高校に進学しないで就職する生徒の一人が自衛隊に入ることを金八先生が思いとどまらせたりしたことと結びつける人も多いが、これはシリーズの後の方になってからのことで、あくまで作者の主張や問題提起だった。

 むしろ金八先生の本当のリベラルさは、非行対策への姿勢であり、これがモデルの三上さんの反映であった。つまり、自衛隊に入ることを快く思わないだけなら左よりの人には珍しくないが、左よりであるから問題児を排除せずに根気よく取り組むというのは、いわゆるレアケースであったはずだ。
 それで三上満さんは注目されたのだろう。

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by ruhiginoue | 2015-08-23 16:20 | 社会 | Comments(2)
 日本共産党の板橋区議会議員で、同党の議員団幹事も務めた松崎いたる議員が、議会での発言およびブログなどSNSでの発言が原因で、板橋区の元職員から名誉毀損で訴えられ、この裁判の弁論が始まった。

 この件の分類を「政治」と「司法」のどちらにするか迷ったが、いちおう政治としておく。法律より松崎区議の問題だからだ。
 
 松崎区議は、同じブログのサイトを利用していたので、何年も前から互いに知っていた。しかし、この人の政治的な見識に疑問を感じることがあったうえ、その疑問は次第に彼の品格にも及ぶようになった。そうしたら、彼は訴訟の被告となったのだった。

 松崎区議は、元職員がナノ銀と呼ばれる微小な銀を放射性物質の除去に利用できると説いたことに対し、非科学的であると批判したところ、元職員から訴えられたという。
 そして、同じ批判をしている人は他にもいるのに自分だけ訴えられたと言い、また、科学的に正しいかを裁判で争うのは不適切だと主張し、これをツィターなどに投稿している。
 それならば「自分は正しくて、他の人も同じことを言っている」と言うだけでなく、適切で穏当な批判をしたことを説明しなければならない。それを松崎区議はしないのだ。

 そして訴状を読むと、やはり科学的に正しいかどうかという問題ではなかった。この訴状には複数の弁護士名が元職員の代理人として載っていて、そのうち誰の作文かは不明だが、法律用語の羅列ではない判り易い文書だった。だから松崎区議が読んでも理解できないということは考え難い。
 なのに、松崎区議は肝心な部分を出さず、争点ではない科学的な正しさを言ってばかりであった。

 この訴状によれば、やはり被告松崎議員が訴えられた原因は、原告を批判しただけではなく、口汚く罵ったうえ、さらに憶測や連想により被告を貶める事実を公然と摘示したということであった。
 そもそも原告の元職員は、博士号を持つ研究者でもあり、その本業で使用していたナノ銀が、放射性物質の除去に使えるという人の話を聞いた。これは俗によく言われていることで、独自に研究したという人もいる。それで原告も、自分の親が福島県の出身ということもあって興味をもち、自ら実験したところ数値の低下が見られた。なので、詳しいことは不明だが、不可解でもいちおう効果はあるといえ、利用したらよいと提唱した。これに基づきいわゆる実験キットのように商品化した業者もある。
 だから、原告は不可解であることを前提にしながら、なんらかの効果があることが実験の結果に出ていると言っているのだ。これについては賛否双方から色々と推測されている。

 ところが松崎区議は、他の色々な指摘や意見を述べた人たちとは異なり、執拗に「インチキ」「デタラメ」「ニセ科学」「犯罪」など汚い言葉づかいで故意の不正だと非難したうえ、そのような者は本職の研究もきっとインチキであると言い出した。
 これにより同議員は訴えられたのだが、この訴状の中で、「研究とか実験の結果が信用できないというのと、虚偽であると言うのでは大きな差がある」という訴訟外の第三者による指摘が紹介されている。この第三者も指摘するように、研究の信憑性を否定するだけなのとインチキとまで言うのとでは、意味がまるで違ってしまう。
 インチキとは故意に騙そうとしたことであり、ニセ科学のニセとは違うものをそうであるように偽装して見せかけることである。
 だから、「あの人の研究は間違いだ」と言うのは「そう思ったから」でいいけれど、「インチキ」「ニセ」と言うのなら故意に人を欺いたことを立証しなければいけなくなる。これは難しいはずだ。

 そもそも、効果に議論のあるものは、丸山ワクチンや養命酒など色々とあり、手を消毒するアルコールスプレーにしても、ほとんど意味がないという意見もある。歯磨きの色々な商品が謳う効能なども同様だ。
 だから、そんな商品は気休めとかマヤカシであると批判するだけならよいが、犯罪とまで言い、基になる研究が間違いと主張するだけならともかく故意の不正とまで言ってしまったら、それは別の問題になってしまう。

 訴状の通り、実際に松崎区議はそのような発言をしてる。「信じられない」「間違いではないか」などと言う人なら他にも複数いるが、そうではなく松崎区議は「インチキ」であり「カラクリ」があると言っている。そんな言葉を使っていて、それについて記録が残っているのだから物的証拠がある。こうなると、被告松崎区議の一連の言動は、名誉棄損で違法という判決の出る可能性が、相当あると言えるだろう。

 ただし、裁判の結果は、勝負事なのでどうなるかは水物というものであるし、原告の元職員のしてきたことに問題が無いとは断言できない。

 そうは言っても、被告松崎区議は、科学的問題を指摘しただけと言いながら実はそうではなく、しかも根拠を欠く憶測や連想を付け加えており、このうえで品性を疑われる罵声を執拗に浴びせていた。
 そこから、原告の本業にまで誹謗を及ばせている。これについて、ネット上でも批判する者がいた。親戚が共産党員でその活動を尊敬しているという人がちゃんと名乗った上で、議員の立場でありながら個人攻撃の弱い者いじめは不適切であり、大資本とか大企業を追及するなら共産党に相応しい仕事だが、小さい相手を糾弾するなんて如何なものかと指摘していた。
 それに、自分が疑惑をもったなら、まずは検証や確認の作業をし、そのうえで問題が判明したら、それに予算を出した役所の責任を追及する、というのが手順だ。
 そうするのではなく、実名を出して個人攻撃したうえインチキの証拠は今集めているところだと書いてしまうのだから、松崎区議は非常識である。

 そのうえ、大資本・大企業が相手でも怯まずに追及するというのではなく、逆に松崎区議は、小さな相手でも容赦しないのが日本共産党のやり方だと述べた。これではまるで中国の文化大革命時代に、プチブルでも走資派の兆しは見逃さないと嘯いて粛清してまわった紅衛兵みたいだ。こんなことを議員が言うのでは、日本共産党は危ない政党だと思われてしまう。だから共産党の支持者や組織内部からも松崎区議への批判や危惧の声があがったのだ。

 それに、原告は裁判にする前、共産党の国会議員に紹介してもらい、自分を非難する松崎区議に説明をして理解を求めたが、松崎区議の公然たる非難は止まらなかったので訴訟にしたということであり、松崎区議は一度や二度口が滑ったとか勢いあまってインチキなどと言ってしまったというレベルではないのだ。
 また、口汚く罵ったことで訴えられたのに、科学的に正しい批判をしたら訴えられたという虚偽をツィッターに書いてもいた。そして議会での発言を議事録で読むと、訴えられたのは名誉毀損だから言葉の問題であると発言している。つまり裁判に関しツイッターで嘘をついたことを認めているのだ。

 これでは、裁判の結果がどうであれ、今の時点でこのような非常識を繰り返して恥じず、訴えられたらその原因を偽ったのだから、これは政治の問題ではなく、松崎いたる板橋区議の人間性の問題である。
 これでは、共産党から手助けしてもらえなくて当然である。松崎区議は、原告が公務員だったとか、ちょっとした有名人であるとか、区の予算が使われた、などとと反論した。しかし、その人は既に別の理由で解雇されており、もう職員ではないのだから、ナノ銀除染は個人的趣味の範疇のことであり、区とは関係がない。そんなことを糾弾するのに議員が血眼になるのは滑稽だし税金泥棒ですらある。これに煩わされるなんて、共産党だって他の党だってごめんだろう。他に重要なことが山積しているのだから。
 なので、共産党が裁判には関知しないというのは当然すぎることで、これに不満をタラタラの松崎区議は間違っているし、バカ丸出しである。

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by ruhiginoue | 2015-08-22 22:42 | 政治 | Comments(4)
 安かろう悪かろうで知られる洋品店が、ナチのマークを付けたものを置いて問題になり撤去したそうだが、ここは昔から変な商品がいっぱい置いてあった。
 最近ではあまりひどいものは見当たらなくなったが、昔はコピーブランドがよく置いてあって、例えばadidosなんて刺繍がしてあり、こんな手間は省いてその分の商品の品質をよくればいいし、品質は良くなくてもいいから、お洒落にもならない却って恥ずかしいことはやめて、使い捨てに徹してしまえばいいのに、と思ったものだ。
 
 ところで、昔少々習った頃の少林寺拳法は、道衣の胸に寺を意味する卍がついてたが、今は「拳」のロゴに変わってる。これは、外国に支部ができたら、ナチのハーケンクロイツに似たマークをつけた集団が武闘訓練やっていて、危ない奴らに見られたからだそうだ。
 このさい、仮に自分は気にしなくても、他人が見て不安や不快になったりしないように配慮すべきということでもあった。これは父の弟子と結婚して跡を継いだ宗道臣の娘の見識だと言われている。

 ちなみに開祖である宗道臣は、中国で会得した拳法を日本に持ち込み、インドから中国にヨガをもたらした達磨の教えを汲むということで少林寺拳法と名付け、戦後間もなくアメリカ軍に武闘訓練と思われないように、宗教の一種で天理教のように踊っているということにしていたらしい。

 だから少林拳と少林寺拳法は別物なのだが、これを知らない人もいる。自分も知らなくて、同級生が「♪火を噴く赤心少林拳」と歌っているから、その歌は何だと訊ねたら、『仮面ライダースーパーワン』のエンディングに流れる主題歌だと言われた。それでテレビで見たら習ったのと違うし、武術指導という表示に「北派少林拳」とあるので、なんだろうかと思った。
 
 中国拳法には北派と南派があり、これが『北斗の拳』にも影響しているが、少林寺拳法とは義和拳ということだった。だから、『北京の55日』で知られる義和団事件について、宗道臣は「暴動ではなく愛国者による抵抗運動だ」と言っていたわけだ。
 かつて82年の歴史教科書問題では、「三一独立運動」を文部省の指示で「暴動」と記述したことに韓国が怒って抗議してきた。
 
 というわけで、外国からすると言い分があるし、誤解をうけないように、また他人を不快・不安がらせたりしない配慮もするものだから、冗談のつもりであってもハーケンクロイツなんて駄目ということだろう。

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by ruhiginoue | 2015-08-22 20:56 | 社会 | Comments(3)

花火が二カ所で 

 多摩川の花火大会が、一度に二カ所で開催された。

 こちらは離れている。
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 こちらは近い。電線が少々邪魔臭いが。
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by ruhiginoue | 2015-08-22 20:14 | 雑感 | Comments(2)
 『きけ わだつみのこえ』を読むと、今の安倍政権が学問に介入しているのは、戦時中とソックリであることがわかる。しかも、歴史や哲学は役立たずだから廃止しろとは、『シンドラーのリスト』に出て来る強制収容所の話とまったく同じだ。

 そんなとき、商売でくだらないコメントを時勢に迎合して吐く人が、また言っていた。
 「人文知は、趣味として生き残ればいい」東浩紀さん:朝日新聞デジタル
 この東浩紀と言う人の不見識はこれに限ったことじゃなくて、全体的にこの人はおかしい。

 大体、学問か趣味か、どこで線引きするのだろう。自分のことを思い出すと、高校の理科は、特に地学なんか、SFや恐竜の話を読みまくっていたため、小学校の頃から知っていることばかりで、全く授業聞いてなくても教科書を読まなくても試験はほとんど満点だった。

 そもそも理科系こそ趣味だろう。大学や大学院でやっている内容を知ったら、ガキの頃に夢中になっていた『学研の科学』とか『子供の科学』の延長だったので呆気にとられた。
 ただ、こうした雑誌に掲載されている広告の高価な商品に、手が出る人と出ない人とで差がつく。今は昔とちがって天体望遠鏡や顕微鏡もだいぶ安くなったけれど、大学に行ってまでやらないのは、理科系は金がかかるからか、他にやりたいこと、やらなければならないこと、があるかの、どっちかだろう。


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by ruhiginoue | 2015-08-21 15:56 | 学術 | Comments(7)
 志村けんの「だいじょうぶだぁ」という番組名の由来は、加藤茶と一緒にやっていた番組での風刺コント「新興宗教だいじょうぶだぁ教」だった。悩み事を抱える人に、とにかく大丈夫だと暗示をかけて、これが好評で信者が急増する。
 実際に、「ライフスペース」というカルト団体の事件があった。「グル高橋」と名乗る教祖が、入信すれば不治の病も治ると宣伝し、入信したけど亡くなってしまった人については死んでいないと強弁した上で「これは定説です」と繰り返した記者会見が話題になった。

 これを思い出したのは、原発事故の問題のためだ。事故から一年も経たないうちから「勉強不足で、まさか今だにチェルノブイリでは...なんて、同じように思っている人はいないと思いますが...」と前置きされ、チェルノブイリとは比較にならないくらい軽微なものだから心配いらないという話になり、質問も出来ない、という「放射線勉強会」が、いわき市であったと、それを信用せずに避難した人が言っていた。
 このような話は、「次第にわかってきた」などと言ってるけれども、それよりずっと前の、まだ何もわからないはずの時から、同じことを言われているものだ。
 実際に、いわき市はまだ検査体制も整っていない2011年4月9日に農作物の安全宣言を出している。

 これについて、よく知らないけど元新聞社に勤めていたらしい烏賀陽弘道という人が、著書の要約をツィターに掲載していたので、以下のように引用する。引用なので編集は加えていない。

1)政府や福島県とその系列の学者がよく使うレトリック「低線量・長期被曝の健康への影響は科学的に証明されてない」は「影響がないと科学的に証明されている」とはまったく似て非なるものです。「影響があるとも、ないとも証明されていない」としか言っていません。
2)この混同しやすいレトリックを意図的に使っていること自体が非常に欺瞞的で不誠実なのです。
3)故郷への帰還を願うフクシマの人々にすれば、「低線量・長期被曝の健康への影響は『ない』と科学的に証明されている」と誤解する、あるいは「どっちかわからない場合は、影響はないと科学的に証明されていると解釈したい」というバイアスがかかっています。それを利用している。
4)なにしろ万人単位の住民のうえに放射性物質がランダムにばらまかれたという現実そのものが人類史上3回(イギリスのウインズケール事故を含めると4回)しかないので、実測データはほとんどない。しかも発ガンの潜伏期は30年に及ぶのに、スリーマイル島原発事故は36年前です。結論がない。
5)スリーマイル島原発事故の疫学調査データを一次資料で読むと、がんや心臓疾患の患者数は増えている時期が5年続き、次の5年で減り、次の5年で増えたりする。そして男女、居住地、生活習慣で増減が変化します。それを疫学者は「統計学の定義で全体を貫く関連性は見つからなかった」と結論した。
6)スリーマイル島原発事故に限らず、ほかの低線量長期被曝でも「統計学の定義で全体を貫く関連性」が見つかることはまれです。当然でしょう。全年齢、全時代、男女、全居住区、全生活習慣を貫くような増加があったら、それは「全員が病気になった」ということなのです。
7)ですから「全体を貫くような統計学上の関連性の定義に合致するような事実はなかった」というのは(やや雑駁ですが)「全員が病気にはならなかった」と言っているにすぎません。これはウソではありませんが、数百〜数千ページの一次データを一行で結論づけるには、こうとしか言いようがないのです。
8)こうした「全員が病気にはならなかった」(=被曝と病気の増加は統計学の定義に合致する証拠が見つからなかった)にすぎない結論を、日本政府・福島県とその系列の学者たちはつまみ食いして「低線量・長期被曝と健康被害の関係は科学的に証明されていない」という表現に言い換えています。
9)しかも、日本政府・福島県とその系列学者のいう「低線量・長期被曝の健康への影響は科学的に証明されていない」というレトリックは、万一健康被害が出て訴訟や刑事告発になっても「いやいや、健康被害が『ない』とは言っていません」と言い逃れができるようになっている

 以上、引用。

 これについては、自分の医療過誤の被害および訴訟の体験からから実感している。専門家が大丈夫だと言っても、それはあくまで彼らの尺度や都合である。後から問題が起きて、それにより前に言ったことの間違いがわかっても、あの当時の科学(医学)の水準では正しいと思われていた。だから我々に責任は無い。そう開き直るのだ。
 これはまさに、万能の言い逃れ術である。だから、逆にと言うか、専門家と称する人が間違いないと言えば言うほど危ないのだ。それがその時点で[は]確かであればあるほど、後から責任逃れしやすいのだから。
 それをわかっていて、わざと言うのが「専門家」である。そうやって合法的に人を傷つけたり見下したりすることで倒錯した優越感に浸る者が、大学などで「先生」と呼ばれている人には、非常に多い。

 比べてみるといい。
 烏賀陽弘道 被曝の影響など、これまでなかった話なのでわからないから、大事をとって子供や妊婦は避難し、何もなければめでたし、でいいんだ。
 菊地誠 被爆の被害なんてあるわけないのに、被害が出て欲しい人いるんだよ、被害なんてないほうがいいのに。
 以上は大意で、また、どちらも普段の言動に好感を持てない人だが、それでもどちらが健全な発想であるか。

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by ruhiginoue | 2015-08-21 15:16 | 学術 | Comments(0)
 ニセ科学とは、科学に見せかけただけで科学ではないものだった。錬金術とかオカルトを、科学的に実在が説明できる、というようなものだったはずだ。

 ところが、その意味は歪められている。例えば、ツイートで問題発言というかデタラメな誹謗をした自民党の武藤貴也議員を、ニセ科学に親和性のある人だと非難する人がいたけれど、それは、保健福祉政策で彼がよりどころにしていたのが珍説であり「ニセ科学」と言って批判する人がいる、ということでしかなかった。

 ということは、武藤議員がよりどころとする説を批判する人が「ニセ科学」と主張しただけ。そして、これは科学的に誤りだという指摘だから、言葉の使い方が不適切だ。まず、このことだけでも「ニセ科学」と親和性があるという非難は間違いだ。

 また、武藤議員は、たまたま読んだ文とか見聞きした話を鵜呑みにし、その内容について何も検証せず受け売りしていたということで、これはもちろん良くないが、あくまで彼のいい加減さの問題であって、このことからも、ニセ科学と親和性があるという非難は間違いだ。

 つまり、二重に、ニセ科学と親和性があるという非難は間違いであり、武藤議員を批判するなら、議員として政策にかかわる発言は慎重になるべきだというものでなければならない。

 あと、ニセ科学批判をしている人の中には、「この人はニセ科学に騙されている」と批判したり「ニセ科学を信じてはいけない」と叫ぶけれど、そう自分が言っている内容も、誰かが「ニセ科学」だと批判している内容の受け売りである場合が多い。
 そして上記のように自分がニセ科学の意味を知らないから、ニセ科学の意味を間違えてレッテル貼りしている人を無批判に受け売りする。
 
 ほんとうは、自分の頭で考えて、そのさい反対意見や異論異説と照らし合わせた結論を言わなければならない。そうでなければ「ミイラ取りがミイラになる」ということわざのとおりである。
 そもそも、ニセ科学に騙される人は、ニセ科学批判の間違いやトリックにも騙されるものだ。騙されてしまう理由が同じだから当然である。

 だいたい、ニセ科学批判をしてる連中がほとんど信用できないのは、手前が偽アカデミズムの世界に身を置いているくせに、しかも世界的にみればまだまだ程度が低い日本のものなのに、それをこけおどしに利用しながら他人を見下すようにするからだ。
 こういう人の言うことは先ず間違いだ、自信がないから権威者ぶったり虎の威を借る狐のように振る舞う。

 それに、ニセ科学批判をしている理科系を自称する連中の言動は、体育会系のイジメに似ている。自分らがやっている狭い枠の中にはめ込んで、これ以外は正しくないとか他は駄目だとやる。
 これは部外者に対して、ボクシング部ならリングに上がれとか、野球部なら千本ノック受けろとか、相撲でいうところの「自分の土俵」から降りずに他人をあげようとするのと同じだ。
 こんなのは競技とは関係が無いし、決闘どころか喧嘩の水準ですらない。

 これで滑稽なのが、このあいだ呆れて困った共産党の議員で、ただニセ科学批判を鵜呑みにして受け売りしているだけなのに、唯物的弁証法だと平気で言ってしまう。科学的事実とか数値でさえ、その取捨選択で主観が入るという常識すらわきまえていないし、そもそも共産党の信奉する「科学的社会主義」こそニセ科学の最たるものだと長年にわたり言われて来たことは、どうなのか。


  
 
  

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by ruhiginoue | 2015-08-19 19:25 | 社会 | Comments(9)
 今発売中の月刊誌『紙爆』における鈴木邦男氏と青木理氏の講演については先日紹介した通りだが、ここで鈴木邦男氏が自らの政治運動体験から語っていることが興味深い。

 鈴木氏も、昔は、左翼は全部敵で、みんな日本から出て行けばよくて、自分らが中心になって右翼的価値観を広めれば国が良くなると単純に信じた。けれど、運動するうちに、右翼で政治的には共感できるが人間的には尊敬できない人、逆に左翼で思想的には共感できないが人として立派な人がいると気づいたそうだ。
 これは種類の異なる運動から観ても気づくことだ。
 例えば人権擁護運動をしてる中で、進歩的でそれらしいことを言ってるけれども人間的には最低だと言う奴がいる。
 そういうのは、よく見たら進歩的ではなく極左で、赤軍派だったとか中核派だったとかで、なるほどと思ったものだし、また、そんな極左の連中はだめだと言う共産党の中にも、人間的にダメなのがいる。
 そして、右翼とか自民党とかいうのが信じられないほど、上品とか紳士的とかいう人に意外性を感じる。

 こういうとき、どこを観察すればいいのか。これが一概に言えない。

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by ruhiginoue | 2015-08-16 19:31 | 社会 | Comments(4)
 終戦記念日に合わせて『火垂るの墓』が、また放送された。そのたびに話題になるのは戦争のことを皆が考えるからだが、かつて東北の親戚は観てびっくりしていた。

 なぜなら、『火垂るの墓』では、主人公の少年が母親の着物を持って物々交換を頼みに行ったら、こんな安物では駄目だと農家のおばさんに罵倒され追い返されたり、飢えて畑の作物を僅かにくすねたのを農家のおじさんに見つかり容赦なく執拗に殴られたりするからだ。

 これとは違い、東北の農家では、戦争の混乱により都会から食料を求めて来た人がいると、できるだけ食料を分けてあげようとし、検問で没収されないように隠し持つあの手この手を指南までしたと言う。
 また、東京から東北へ米を求めに行った体験談でも、少なくとも関西とか近畿とか呼ばれる地方の体験談ほどひどい対応を農家にされたという話は聞かない。

 同じ高畑勲監督の作品のひとつに『じゃりんこチエ』がある。この映画の主人公は小学生だが、父親の経営するホルモン焼き店をきりもりしている。なぜなら父親が仕事をほったらかして博打をしに行くからで、これに愛想を尽かした妻は家出し、仕方なく娘が働いている。
 そして、たちの悪い客が代金を誤魔化そうとすると、チエは床に落ちている串を見咎めて喧嘩になる。
 子供が働いている姿に同情して、代金とは別にチップをあげて「これは親に渡さないで君が使いなさい」と言うのではなく、そこに付け込み料金をちょろまかそうとする客。
 大阪の人間は何を考えてるのかと唖然とさせられる。

 これについて大阪の出身者に言わせると『じゃりン子チエ』の舞台は通天閣の麓で、あのあたりは柄が悪く、よく大阪出身の女性は子供の頃に親から、あの辺に行ってはいけないと注意されていたと言う。

 とにかく、そうした地域によるものの考え方とか文化を考えないと、戦争とかTPPとかも、うまく議論できないのではないか。

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by ruhiginoue | 2015-08-15 19:23 | 社会 | Comments(15)
 安保法制に賛成ではなく反対デモに反感を抱く人とか、原発賛成じゃなく反・反原発という人がいるけど、ここ数年の8月15日は、自称保守団体の連中が、閣僚の靖国神社参拝に抗議する人たちに対し罵声を浴びせるためだけに靖国神社で現地集合現地解散し、罵声だけで参拝はしないで帰っちゃうそうだ。

 それとは違い、靖国神社にこだわって参拝する政治家がいるのはなぜか。ウケ狙いでやっている人もいて、例えば石原慎太郎など、そうとしか見えないパフォーマンスをしているけれど、そうではなく本気で熱心に参拝している人たちには、日本古来の伝統だからどうしても、という人たちも少なくないし、実際にそうした信仰がある。

 たとえば、日本人の精神風土のドロドロした部分を題材とした横溝正史の小説で特に人気がある『八つ墓村』は、騙し討で惨殺した落武者らの祟りを恐れた村人たちが、村の守り神と祀りなだめた、というところから始まる話だが、このように、自分で殺しておいて、あとから祟りを恐れ神と祀る信仰が日本にある。

 実は靖国神社も元は同じ発想だった。戦争で死に追いやっておいて、祟らないように祀り英雄とおだてた。だから、無謀な戦争によって敗北したら兵は犬死にであり、勝ってもいないのに英雄だと持ち上げるのでは辻褄が合わないようだが、しかし日本古来の特異な信仰によれば、犬死にさせてしまったから、祟らないで欲しくて英雄だと持ち上げるというのは、不可解ではない。
 
 これを神社庁が隠蔽しようと國學院大学に圧力をかけたことがある。80年代の半ばに、靖国神社の成り立ちを指摘したうえで政治的な利用は英霊への冒涜ではないかと批判した神道学者に対し、国家護持運動の妨げになるとクレームをつけたため、不当な介入として問題になったのだった。



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by ruhiginoue | 2015-08-15 15:37 | 政治 | Comments(9)