井上靜の気楽な日誌です。気楽にコメントしてください。おたよりも気楽にe-mail:ruhiginoue@excite.co.jpまで


by ruhiginoue

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 イスラム国が、独自の通過を発行し、これを金貨にすると報道されている。こうすることでドル支配を切り崩す発想は、もともとリビアでカダフィーが提案した事だった。ディナ金貨で石油を決済し、北アフリカで出る石油と、南アフリカで出る鉱物、中央アフリカの野生動物など観光資源、これらの富を共有しようとした。
 だから、かつてはサングラスに軍服で強面だったカダフィーは、カラフルなアフリカの民族衣装を着て、国際会議やマスメディアの前に出るようになった。
 
 しかし、アフリカに比べて欧米は金の保有が人口比で低い。これではまるで、『007』の「ゴールドフィンガー」が目論んだこととと同じようになってしまう。すると突然リビアで反乱が起きてNATOが軍事介入し、カダフィーは殺された。だから、背景に陰謀があると言われたものだが、少なくともロシアと中国がシリアへの軍事介入に拒否権発動したのも、リビアの前例があったからで、今もシリアの難民が問題になっているが、これで困っている欧米としては自分で撒いた種である。

 この、金で独立というのは、井上ひさしの小説『吉里吉里人』にも描かれた図式である。『ひよっこりひょうたん島』のモデルになった小島のある港町・吉里吉里が、金本位制をよりどころに日本から分離独立しようとする。それで吉里吉里の便所にある便器がことごとく純金で出来ていて上から色を塗っていた。
 この、ドル支配からの脱却と金本位制の復活は、小さな勢力が独立して大国に立ち向かう手段として、昔から考えられていたことだ。これをイスラム圏が実行し始めたということだ。

 だから、井上ひさしが生きていたら、何か言っただろうに、タバコばかり吸って肺がんで早死にしてしまった。残念である。イスラムでは戒律で酒も禁止である。だから、アメリカやオーストラリアの先住民のように、ヨーロッパ人から酒でたぶらかされて侵略されることはなかった。日本のアイヌとか、ダムや原発の建設地となった田舎の人たちも、熊襲や八岐大蛇と同様に酒を飲まされてだまし討ちのようにされた。
 
 ということで、これからは預金の一部を金にして、酒とタバコはやめるということにしたほうがいいのではと思う。


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by ruhiginoue | 2015-09-08 19:41 | 国際 | Comments(7)
 朝日新聞を、戦時中の軍への協力を反省して辞めたと大見得をきり、ミニコミ紙を発行していた「むの・たけじ」を、反共主義者で小沢一郎シンパの田中龍作らが最近になって持ち上げている。「むの・たけじ」は最近では小沢一郎を応援しているからだろう。
 しかし、この「むの・たけじ」には昔から如何わしいという評判がいっぱいだった。そのうち、すでに1973年、朝日新聞の記者だった本多勝一は、先輩記者の小和田次郎との対談のなかで、大手新聞社を辞めミニコミを発行することについて、次のように述べていた。

本多 じゃ、やめてどうすりゃいいのか、教えて下さいと申したいね。この「知れた限界」に。
小和田 むの・たけじみたいにやれというわけか。
本多 あれはあれで、有意義がどうかは別として一つの道だったと思いますよ。しかし私もまたああすることが本当に有意義だろうか。私はそうは思わない。本当にいいと思ったらやるけどね。今のところ私は強い疑問を抱いている。それに「むの・たけじ」という人物そのものが実は大変な虚像を持ったインチキだってことが次第にわかってきた。
 本多勝一『事実とは何か』朝日文庫152ページ。

 これは、この間の都知事選挙でも証明されたと言われている。なのに、最近では朝日新聞まで持ち上げている。後ろ足で砂をかけられたのに。呆れたものである。

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by ruhiginoue | 2015-09-08 19:15 | 社会 | Comments(0)
 ホタル生息には水清くなければならない、とは昔から言われていたことで、矢島稔という有名な昆虫の専門家の著書にもある。この人は日本ホタルの会の会長もしている。様々な著書があるなかには松本零士との共著もあり、昆虫を擬人家した楽しいイラストが載っている。ホタルを例の睫毛の長い女性にしていて、人間がゴミばかりにした環境を嘆き、そこでウジ虫やゴキブリが「我々にとっては住み心地が良いのだが」と言っている。
 この本で、矢島稔は「地球は昆虫惑星」と述べている。それだけ圧倒的な数である。
 同じことを述べているのが、ハワード=エヴァンスで、やはり地球は虫の惑星だと言う。彼はホタルの生息についても興味深いエッセイを書いている。

 こういう著書に小学生のころから接してきたので、昆虫にちょっとした関心はあるけど、板橋区の「潰された」昆虫館とその中心的だった昆虫学者「ホタル博士」とは、考え方がかなり異なるように感じる。
 そのひとつが、環境を人工造成という発想で、これは子供が水槽で昆虫を飼うことから大学等の研究室までやっていることではあるが、目的と手段が逆になっているとしか思えない。
 もちろん、当人には言い分があるのだろうが。

 しかし、このことと、板橋区の共産党区議会議員がその博士に訴えられたことは、話が別である。これは、先述したとおり、こちらは法律の問題から区議の誤りを指摘しただけだ。
 すると、その区議は、その博士を擁護する人たちと、こちらを同一視させるよう印象操作した。こうした、裁判について嘘を言触らしてごまかすという卑劣さを、ここでは問題にしているのだ。
 
 この昆虫館の博士については、専門を逸脱して珍奇な説を唱えたと批判されているが、批判している側が気づかないだけで反論する余地もありそうだ。ただ、この博士には、慎重さに欠けるとか、こじつけっぽい話とか、そういう印象はある。
 しかし、これをあげつらっても、彼が起こした裁判の趣旨とは関係なく、むしろ姑息なイメージダウン戦法とみなされるだけだ。争点と直接関係ないのに周辺をあげつらい貶める共産党区議は、自信がないからそんなことをしてるのかもしれない。これは裁判官の心証が悪く、不利になることがよくある。

 なので、もし自分が原告だったら、「仮に私の言ったことに何か異論や間違いがあったとしても、それを裁判の争点と関係ないのにあげつらい、議員の立場を利用して支持者に同調を呼びかけ焚き付けて攻撃するネットリンチはフェアではなく、違法な自力救済であり、少なくとも訴訟中に行うものとして不穏当であり、これは被告に自信がない証左だ」と法廷で主張するだろう。

 もちろん裁判は弁護士とか裁判官とか政治情勢とか、いろいろ影響する勝負事だから「水物」であり、結果はなんともいえない。しかし、まだ裁判が始まったばかりというところで、汚いやり方を共産党議員が執拗にやったという事実は既に確定している。

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by ruhiginoue | 2015-09-08 18:40 | 学術 | Comments(0)
 前にも説明したことだが、日本共産党の松崎いたる板橋区議は、同じブログサイトを使っていて閲覧したことがあり、コメントしたこともあるから、お互いに何年も前から知っていた。
 この人が、SNSに投稿した内容のため名誉毀損で訴えられたというので、これについて彼がSNSに投稿したことを読み、そのあと実際の裁判の訴状を読んだら話が違うので、驚き呆れた。この人は平気で嘘を書いて発表し、自分が訴えられた事件をごまかしていたのだ。これは昨日ここで説明したとおりだ。

 さらに呆れたことに、この問題について、さらに虚偽の投稿をしていることだ。訴えられた原因はこれであると訴状から一部抜粋して紹介しているが、そのさい、前にさんざん書き散らしていた虚偽の訂正はしなかった。そのうえ、原告に対して、自分の間違いを認めないで潔くないという趣旨の非難をしていた。
 これも裁判とは関係がない虚飾だ。確かに原告は、自分は間違っていないとか、まだ解らないことを調べていて結論が出ていないとか、そういう主張もしている。しかし松崎いたる被告は、原告の間違いを批判したことで訴えられたのではない。原告には悪意があったという意味になる話を執拗に繰り返したから訴えられたのだ。

 そういう問題を指摘したところ、悪辣な中傷を同区議に受けたということも、昨日ここで説明したとおりだ。
 そこに付け加えるなら、学術的な批判と、政治的な糾弾では意味合いが全然違い、学術的には正しいと思われても、それが政治的な吊るし上げと化したら極めて危険だ、という危惧もしている。
 だから、彼の人間性や品格だけでなく、共産党の議員の活動としても問題なのだ。このため、まるで中国の文化大革命で紅衛兵がやったことと同じだと、前に指摘したのだ。

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by ruhiginoue | 2015-09-07 23:59 | 政治 | Comments(0)
 週刊金曜日の『買ってはいけない』がベストセラーとなった時、これはかつて三一書房が発行していた「買ってはいけない◯◎△」というシリーズ例えば『買ってはいけない化粧品』などが先にあったと、三一書房の人が悔しがっていた。
 その後、週刊金曜日の人によると、『買ってはいけない』も続編を出しつづけていたが、次第に売れなくなったそうだ。インターネットでの情報交換で間に合わせる人も増えてきたのだから、同じような内容では飽きられる。
 
 そこで目先を変えたのが「ニセ科学批判」なのだろう。週刊金曜日はマスコミ系、三一書房は新左翼系、だったが、今度は日本共産党系の新日本出版社が本を出して、著者による左巻健男記念講演会まで開催するそうだ。
 ここで、例の松崎いたる日本共産党板橋区議会議員が発言するという。これは出版社にとっても共産党にとっても左巻講師にとっても、ためにならないからやめたほうが良い。
 
 先述したとおり、この松崎いたる区議は、SNSに書いた内容から名誉毀損で訴えられ、現在係争中である。これについて松崎区議は、ニセ科学を批判したら、ニセ科学の信奉者から、そのニセ科学が正しいとして訴えらてしまい不当だという趣旨をSNSに連続して投稿した。
 これは虚偽である。週刊新潮が使う表現だが「共産党の真っ赤な嘘」だ(他の党員の方にはごめんなさい)。前に指摘したとおり、実際の訴状を読むと内容が全然違う。なのに法律問題をわからない自称理科系の連中は、科学的に正しいと思ってうっかり松崎区議を支持してしまっている。

 この訴訟で松崎区議が訴えられた原因は、ニセ科学批判をしたからではなく、そのさい関与した人らを根拠もなく執拗に口汚く誹謗をしたからだ。それを松崎区議は、科学的に正しいのに訴えられ不当だという虚偽を何度もSNSに投稿した。
 そういう次第だから、裁判の結果がどうであろうと、松崎区議は自分が訴えられた原因を欺いていることだけは確実だ。
 だから、科学論争は大いにやればいいけど、裁判について嘘を言触らしてはいけないと指摘した。すると松崎区議は、反論するのではなく、変な人から変な批判をされれたという趣旨を名指しでSNSに書いた。非常に嫌らしかった。この調子では訴えられても当然の人だと納得した。

 ところが、しばらくしたら松崎区議はこれを削除していた。
 こちらが次のように投稿した後のことだった。去年、自分が別の元共産党員(この人は問題を起こして除籍)からSNSに嘘を投稿されたので、名誉棄損で二件本人訴訟、相手は弁護士を雇ったけども、判決はこちらの二連勝。事実であることは東京地裁の記録でわかる。その時の体験から名誉棄損問題について純粋に法律的に指摘をしたのだから、科学論争とは無関係だ、と。
 そうしたら松崎区議は、その自分の投稿を削除したのだった。

 この他にも、松崎区議は自分がニセ科学として批判している話で対立する投稿に対し、こちらの名をあげてわざわざ「仲間ができて良かったね」と投稿するなど、法律問題ではなく科学論争でこちらがニセ科学を支持している人たちの仲間であるように印象操作したのだ。
 
 まったく、松崎いたる区議は問題だ。これは政治とも科学とも法律とも関係がなく、彼の人間性の問題だ。卑怯者とか卑劣漢というべきだろう。
 だから、左巻健男講演は、松崎区議が発言することによって貶められるから、主催者と後援者は考え直したほうが良い。
 また、虚偽を言ったら訴えられるように、聴衆に録音してもらうことになっている。


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by ruhiginoue | 2015-09-06 21:04 | 政治 | Comments(5)
 田中角栄総理大臣は、「日本列島改造なんてダメだと言うなら、もっといい案を出しなさい」と演説した。これは「対案を出せ」のパイオニアだろう。それが通用するのは、少しでもやったほうがいいことに対して批判があった場合だ。やらない方が良い、やらない方がまだマシ、の場合には、成り立たない。
 実際に、「日本列島改造」による日本の環境破壊は酷いものだったし、良いことはまるで無かった。

 この当時、田中内閣は国民年金制度を確立させたが、この当時から、いずれ破綻すると指摘され「国営ネズミ講」(無限連鎖講)だと皮肉られた。そんなもの払わないという人がいて、『ナニワ金融道』の青木雄二も、国営ネズミ講に協力したくないから払っていないと言っていた。
 また、保守派の評論家の高坂正堯は、年金制度が破綻しそうな原因について、田中角栄総理が高度経済成長の余波で経済成長と人口増加が右肩上がりであることを前提にした制度を作ったことから、いずれ破綻すると指摘していた。

 それでも、年金は将来の自分のためというより今すぐ働けなくなりそうな人のためだと思って払う人が多かった。もちろん年金のほんらいの趣旨は将来の自分のためのもので、だから福祉のためには消費税を充てることにしたはずだ。
 このため、ちょうど「平成」になった当時、先ず税金の無駄遣いを無くすという方針だったのに、高齢化社会になるから福祉にどうしても必要なんだと言い出して自民党は強行採決した。
 ところが、消費税で増えた税収は大企業の減税に使われ、福祉はどんどん貧弱になっている。
 
 それらが露呈する前に、すでに年金は不信を持たれていた。消費税の翌々年に「ソ連の崩壊」があり、この影響が大きかった。遅れていたロシアが超大国になるまでたくさん働いた人たちが、これからは見返りに年金というところで、軍拡のしわ寄せと原発事故により国が壊れた。
 これと同じことに日本もならない保証はないという程度のことは、当時から言われはしたが、まだ「まさか」という気持ちが強かったはずだ。ところが、だんだんと同じようなヤバイ感じになってきた。

 これだから、「アベノミクス」で年金を株価操作に使っていること以前に、不信がられているのだ。つまり、年金制度の破綻というだけでなく、国が崩壊するのではないかという危惧である。だから、外国に逃げようと考えている人たちが増えているのだ。


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by ruhiginoue | 2015-09-05 22:07 | 政治 | Comments(2)
 イタリアの医師チェーザレ=ロンブローゾは、処刑されたり刑務所に入れられたりしている囚人を詳しく調査したところ、共通する身体的特徴がみられるので、犯罪者は産まれ付きの原因があると結論し、有名な「生来犯罪人説」を発表した。
 これは発表と同時に多くの批判がなされた。その身体的特徴を有している者がいるかどうかは、犯罪者とそうではない人たちとで大きな差があるわけでなく、またその特徴とは差別を受けている人種や民族に多くみられるから、失業などが原因で犯罪に手を染める人が比較的多い現実がある。
 つまり、ロンブローゾは医学者として純粋に科学的な見地から研究をしてはいたが、そこから得たデーターだけを見て結論づけてしまうという失敗を仕出かしたうえ、自分の専門に閉じこもり社会的な要素に無知だった、というわけだ。
 だから、すでにロンブローゾの説は否定されたうえ、後に「疑似科学」と評価されている。

 これとソックリなのが、大阪大学の菊池誠教授だ。この人はニセ科学批判に熱心だが、やはり自分の狭い了見から勝手な憶測をして、それを科学的だと強弁している。これは周知のことで、多くの指摘がある。
 その「ツッコマレ」たうちの一つが、「科学的になれば差別はなくなる」というデタラメ発言だ。現実社会で差別の原因は何かという常識を知る者なら、このようヒキコモリーオタク発想はしない。
 あのハンセン病国倍訴訟も、医学の進歩により無用であることが明らかとなっているにもかかわらず隔離政策が続いたので訴訟になり、国の責任を司法も認めた。
 だから、世間知らずの専門バカというべき発想をすると、結局は「ミイラ取りがミイラになる」ように疑似科学に手を染めるのである。

 他にも、こういうヒキコモリーオタク発想をする人が「専門家」と称する人たちには多い。当たり前のことだろうが。
 
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by ruhiginoue | 2015-09-04 22:26 | 学術 | Comments(3)

ニセ科学と共産党

 先日、ニセ科学批判という名の商売について問題を語ったところ、そうした金儲けだけが問題なのではなく、ちょっと科学的に疑問というだけで片っ端からイチャモンをつける人が発生するようになるから問題だという指摘を受けた。

 これで思い起こすのは中国でのことだ。魯迅は作家になる前は医学を志したが、この動機は、呪術のような漢方薬を売る者が中国には大勢いて、このせいで命を落とす者が多かったからだ。
 それで、近代医学を学ぶため、中国より先に近代西欧文明を取り入れていた日本に留学した。この当時のことを書いた『藤野先生』という短編がある。
 たしかに、如何わしい薬もどきが横行しており、これに対抗するのには近代西欧文明が有効であった。ただ、西欧文明の難点も判明し、過信は危険であること、また後に東洋医学に対する検証が行われ、明らかに変なものは否定しながら、そうでないものは見直されるようにもなった。

 ところが、近代化の熱が一時的に上がった当時は、古いものをとにかく否定することが正義であるというようになった。これは日本も含めた世界各地であったが、特に中国では文化大革命時代に狂信的な域に達し、各地でヒステリックな粛清となって様々な悲劇が起きた。
 ここで重要なことは、魯迅が近代医学を学ぼうとした動機のとおり、否定されなければならない如何わしいものはたしかにあったけれど、だからといって片っ端から烙印を押して粛清してまわることが適切ではないということだ。

 だいたい、この薬は有効か、害はないか、という問題や、温暖化と石油業界と原子力業界という問題など、こうした今の問題についても、真っ向から対立する意見があって、考え方の違いだけでなく背景にいる業界の利益が影響している。
 だから、個別によく見て判断する必要があるはずだが、それをある尺度を勝手に決めて、それに合わないと「ニセ科学」だと粛清しようとする動きがある。これは、大きなスポンサーが付いているほど、当然ながら声が大きくなる。だから注意が必要だ。

 もう一つ注意が必要なのは、正しいと思えば何をしても良いという錯覚にいたることだ。これにいたると、自らに誤りがあったとわかっても引っ込みがつかなくなるにいたるし、仮に相手に何らかの非があったとしても、それを批判する範囲を超えてしまえば人権侵害にいたる。
 これは、今「ニセ科学」批判に熱心な日本共産党の一部にも言える。それが正しいか疑問であることもあるし、所により正しいとしても、それを口実に人権侵害をしている人たちが一部にいるのだ。ある人は自分を相対的に持ち上げるために他人をこき下ろしているし、ある人は攻撃性を発揮することで悦に入っている。これが政治性を帯びているから、まるで中国の文化大革命時代を思い起こさせる。
 
 その中で最悪にいたるのが、例の訴えられた共産党の板橋区議である。絶対に正しいと自信をもつにいたるのは結構だが、人権侵害にまでいたる言動は許されない。なのに科学的には正しいから訴えられて不当であるという虚偽を喚き続けている。
 喩えば、日本共産党が信奉する「科学的社会主義」を「ニセ科学」と言う人は多い。そして、共産主義は間違っていて、これはソ連崩壊や中国の天安門事件と資本主義化によって完全に証明されていると言う人も多い。こう考えている人のほうが、おそらく日本では多数派だろう。
 だから、共産党に投票してはいけないと言う自由ならあるし、共産党員は全員が間違った考えをしていると言う自由もある。
 しかし、共産党は悪意をもって活動し、赤旗など機関誌を売りつけて商売しているから、やっていることは犯罪だとまで言うにいたるなら、共産党員ほぼ全員が怒るだろう。
 こういう「共産党はニセ科学がよりどころ」と言う人たちは実際にいて、その数もかなり多いだろう。しかし、政治的な見地から意見として述べるならともかく、特定人を名指しして執拗にやるにいたるなら、しかもそこに勝手な憶測や決めつけが付け加えられるにいたるなら、人権侵害も甚だしいという話にいたる。それが共産党の板橋区議員である。

 つまり、批判の精神は結構だが、レッテル貼りで粛清したり、人身攻撃や人権侵害は駄目だ、ということだ。これを考慮しなければ、何のための批判かわからなくなるのだから。


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by ruhiginoue | 2015-09-03 23:18 | 政治 | Comments(2)
 かつて野坂昭如のオカルト番組批判に賛同して一緒に抗議していた大槻義彦教授は、すっかりタレント化してテレビのCMにまで出る始末だった。手当たり次第に科学的根拠が無いという決まり文句で、それ自体がギャグの様相を呈していた。
 そもそも、野坂昭如がテレビ番組に怒ったのは、戦争の犠牲になった子供の霊を呼び出して喋らせるという不謹慎な内容だったからだ。実際に「霊能者」宜保愛子がアンネ=フランクの霊を呼び出したとして話した内容がいいかげんで、戦争体験のある者としては誰だって我慢ならなかったからだ。

 これと似たようなことは、幸福の科学の大川隆法が勝手なことをしまっくていて、そこに政治性があって人身攻撃までするから批判されている。そうした反社会性を帯びたものでなければ、死者の霊と話ができるという人の話は面白いし、それだけなら問題ではないと野坂昭如も言っていたように、目くじらを立てなくてもいい場合が多いだろう。

 しかし、大槻教授はタレント化するに従い「片っ端から非科学的」がエスカレートし、まるで差別糾弾が「言葉狩り」に転嫁していくのと酷似していた。
 それとは違い真面目だと謳われていたのが安斎育郎教授であるが、その著書について内容が可笑しいという話を東大でされた体験を前に医療裁判の話で紹介したとおり、自分の守備範囲でないというだけで否定するなど、かなり問題のある言動をしている。
 そして、やはりテレビに出てタレントふうのパフォーマンスもしていたが、なにより「知的資源の無駄遣い」という言葉を使い、先輩風を吹かせるというか権威者ぶるというか、ちょっとした好奇心まで頭ごなしに否定する姿勢に疑問を感じざるを得なかった。わかりきったことだといわれていても一応は疑ってみる姿勢は科学に限らず必要だし、自ら探求したうえで間違いだと判ったのであれば、成果はなくてもその過程に意味があるはずだ。

 さらに左巻健男とか菊池誠といった人たちが騒ぎ始めたが、この人たちについては、ここで改めて言わなくても既に色々な人が色々と言っている。

 そして、何をもってホンモノか、ニセとは何か、という定義も定まっていないのに「ニセ科学」と喚く滑稽な風潮が見受けられるようになった。ここには自分の尺度に合わないことにとりあえず否定の烙印を押しているだけの単純さが目立つ。

 しかし単純であることには意味がある。素人むけに本などを売ろうとするから、これに合せなければならない。
 また、ニセ科学批判本を買わされてしまう人は、もともと科学の本を読まない人だろう。なぜなら、そもそも科学の本を読んで自分の頭で考え何が正しいかと判断するのであれば、ニセ科学批判の本は要らないのだから。
 しかも、もともと科学に疎い人は、その批判が正当であるかの判断ができない。そうなると単純化され煽り説得するようにされたら、鵜呑みにしてしまう。これでは、ニセ科学に騙されるのと構造が一緒である。

 もちろん、正しい知識と判断は必要だけど、ことさらニセ科学と騒ぎ、あなたは騙されると脅すようにして本を売りつけるは一種のコンプレックス商法だ。科学的な間違いを話す人を擁護してもいけないが、無知の劣等感を植え付けてそこにつけ込み丸め込む手口にひっかかり買わされるのでは、バカにされながらカモにされるということだ。
 つまり、ニセ科学批判の本は、もともと知識や判断力がある人にとっては無用であり、逆の人にとってはむしろ有害であるとさえ言えるものだ。


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by ruhiginoue | 2015-09-01 20:27 | 学術 | Comments(2)