コメントの他に、表示されている著書をクリックしてその感想をアマゾンのレビューに投稿してくださることも歓迎です。おたよりはこちらへruhiginoue@excite.co.jp


by ruhiginoue

<   2016年 04月 ( 30 )   > この月の画像一覧

 誘拐事件で逮捕された男の卒業を千葉大学が取り消すというので批判を浴びている。
 まだ逮捕された段階であるから、推定無罪の原則があるし、有罪になるとしても裁判で何が出て来てどんなことになるのか不明であり、意外なことになることも珍しくない。
 また、罪を償って更生し、働いて稼いで被害者に賠償するなら、学歴はあったほうが良い。

 それに、そもそも大学で勉強したことは無関係であるが、大学の名声に傷がつかないように、卒業生ではないことにしたいのだろうか。そんなことをしてもいまさら手遅れである。
 そういうことなら、東大法学部なんて取り消さないといけない卒業生でいっぱいだ。医学部もそうだ。慶応は医学部と経済学部がそうだ。他にも挙げていたらきりがない。

 ところが、音楽大学では犯罪どころかクラシック以外の音楽をやったことで卒業取り消しなんてことが昔はザラだった。例えば歌手の淡谷のり子は東京音楽大学が東京音楽学校か東洋音楽学校と称していた時期の卒業生だが、芸術歌曲やオペラではなく流行歌でヒット曲を出したため学校の権威を傷つけたとして卒業生名簿から名前を抹消された。
 のちに和解というか大学が考え直したというかで、東京音楽大学の要綱などには、卒業生の有名人が母校を訪問したという写真に淡谷のり子が黒柳徹子らと一緒に載っていた。
 ほかでも同様のことがあったようで、作曲家の神津善行は国立音大を出ているが、彼の妻の女優・中村メイ子が言うには、彼は在学中にジャズをやったため退学に追い込まれたそうだし、美輪明宏は似たようなことで校長か理事長と喧嘩になり国立音大付属高校を中途退学したと言っていた。
 
 しかし、音楽学校の話は馬鹿げた話ではあるがいちおうは勉強した内容と関連がある。東大法学部などの取り消すべき卒業生たちもそうだ。
 ところが千葉大と誘拐は無関係だ。関係がないの卒業を取り消しなんてやっていると、そのうち必ず政治的な問題でそういうことになるものだ。危ない話である。

人気ブログランキングへ1日1クリック投票をお願いします
[PR]
by ruhiginoue | 2016-04-10 18:00 | 学術 | Comments(11)
 このあいだ、仕事がらみの人の葬式があった。葬式などで死者に手向けるものを扱うさいは仕草を反対にする風習がある。これは北海道アイヌにもあって、死後の世界では昼夜などすべてがあの世とこの世とで反対になっているから、ということだ。

 そのため、例えばヤカンは注ぎ口から水を入れる。このため中身が沸騰していて蓋を取ると火傷の恐れがある場合は注ぎ口から水をつぎ足すということに対して、風習から忌む人がいる一方でそれは不合理であると否定する人がいる。

 この風習は、ヤカンに関しては、いわゆる笛吹ケトルといわれるヤカンの普及により、広い注ぎ口から注水することが当たり前になったこともあり、火傷や落として熱湯が飛散する事故を防止するほうが優先ということになって久しい。
 それでも最初は、笛吹ケトルがテレビで宣伝されると、注ぎ口から反対に注水する場面に、とんでもないことだという年配者からの猛反発があって、八十年代の前半に新聞の投書欄をにぎわせたこともある。

 そうして風習がとうに廃れたあと、まだこだわる人もいて、例えばヤーサンは修羅場を生きているという意識からシキタリにはうるさい。
 それで、前に話題にとりあげたことがあるオカマ系の知人が、バイト先で大変なことになってしまった。彼は、お冷を注ぐさい並べたタンブラーに端から注いでいたけれど、反対側の端に手を移動させず逆手にして注いだ。他意はなく、ただ彼のオカマ仕草だったが、これを見ていた客のヤーサンは、そうして注いだお冷を出されたので激怒したのだった。死ねという皮肉の意味になるということだからだ。

 この話をのちに共通の知人に聞いたときは笑いそうになったけど、巻き込まれた同僚は、謝ってもらうために上役を呼びに行く羽目になるなど大迷惑だったと怒っていたので、笑うわけにはいかなかった。
 それにしても、そうした風習が合理化で廃れる一方まだ生きている社会があるということに、色々と考えさせられた話であった。


人気ブログランキングへ1日1クリック投票をお願いします
[PR]
by ruhiginoue | 2016-04-09 17:27 | 雑感 | Comments(0)
 タレントの壇蜜という女性が、平和憲法を支持しながら自衛官募集の広告もやっていることに違和感を憶える人もいるけれど、これは単に仕事だというだけでなく、そもそも矛盾しないものだ。

 例えば作詞家で放送作家だった川内康範は、国士を気取っていたけれど世代的に戦争で苦労した体験から著書などでよく平和を説き、反戦よりもっと否定的だとして「非戦」という言葉を好み、婦人自衛官の歌など自衛隊関係の作詞をしながら平和憲法を変えてはならないと主張していた。

 また、自衛官にも平和憲法を支持する人が多くて驚かされるほどだが、平和憲法の下の自衛隊だから入ったと言う人がいて、これはそのほうが楽だからとか死なないからというのではなく、自衛に徹して侵略はしないようにするため制約が多くてむしろ仕事が大変で危険かもしれないが、それゆえ仕事に誇りが持てるのだという立派なものだ。

 そうではない自衛官ももちろんいるが、全体的にはそういう立派な人が、少なくとも検察官なんかに比べたら圧倒的に多い。
 この検察官というのはすでに色々言われているように、人権に配慮したり法律を守ったりしないといけないから自分たちの仕事がやりにくくなり、それで熱心な検察官は証拠の改ざんや捏造など不正を行ってしまうのだから、好き勝手にやらせないのが悪いのだと開き直っている。
 いい例が、厚生労働省を捜査したさいのディスクデーター改ざんの事件で、その開き直りをしていた。法律違反を取り締まるためには自分たちが法律違反をしてもよいという発想である。
 
 それで、前に自衛隊で不正があったさい、タレント弁護士の大沢という元検察官が、「違法であっても自衛隊はきれいごとではすまされない仕事をしているのだから問題にすべきではない」と擁護していた。
 彼は検察が批判されたときにいつもマスコミでデタラメな擁護をする人として人権擁護団体から批判されてばかりだったが、検察は古巣だからというだけでなく、官全体に対しての発想がそうなのだ。
 この人には一度だけ会ったことがあるけれど、とても感じの良い人だった。しかし検察に居た時にその色に染まってしまったということなのだろう。

 しかし、そんな検察の主流と違って自衛官の多くは、少なくとも今話題にしたような点での高潔さという点に関してはく立派である。だから少なくとも検察と一緒にしたり、その感覚で不正を擁護したりは失礼である。

人気ブログランキングへ1日1クリック投票をお願いします
[PR]
by ruhiginoue | 2016-04-08 17:46 | 社会 | Comments(1)
 原発再稼動の広告に俳優の石坂浩二が出ていて、この種の宣伝は報酬が高いので金に目がくらんだのだろうと言われているが、そうではなく彼本来の体質だろう。
 もともと石坂浩二は、なにより社会的成功という俗物であることが言動に表れている人だった。個人的にそうであるだけでなく、彼はかつて劇団四季を舞台にしたテレビドラマで浅利慶太にふんしていたが、この周辺の人たちの体質が総体的にそうである。
 
 この浅利という元演出家の劇団経営者は、かつては安保反対とか言っていたが、その後は「演劇界は左翼ばかりだから大企業がスポンサーになってくれないのだ」と言い出して政財界にすり寄るようになって、選挙でも自民党の右派を支援してきた。
 これは、例えば中村敦夫が、かつて千田是也と喧嘩したことからリベラルだけど左翼嫌いというのとは違う。新劇の体質とは馴染めないというのではなく、金の問題である。

 そもそも演劇は古代ギリシャの時代から人を啓蒙するものだから、人と社会を洞察するには進歩的とか反体制とか反権力でないと成り立たないので左翼も多いのだが、それでは経営が厳しいので体制とか権力にすりよる人がいて、その代表が浅利慶太だった。
 劇団四季は最初はいかにも新劇ということをしていたが、経営難になってからミュージカル路線となり、確実に受けるから金を出してほしいとスポンサーに向かって言うために、すでに外国で当たったものを内容から演出方法まで模倣した。これをビートたけしが「浅利慶太の猿真似芝居」と皮肉ったのだった。

 それでも浅利慶太は処世術として確信犯なのだが、そこへ表面的な華やかさだけにひきつけられる人が勝ち馬に乗ろうとして寄ってくる。こういう人たちは演劇で人間の本質に迫ろうという奥深さなど野暮だとしか思っていない。
 ある演出家が、幸福そうにしろと指示すると人を見下したような顔をする役者が増えてしまったと世相を嘆いているが、劇団そのものがそれを事業にしてしまったのだ。

 これは、報道の仕事がしたいのではなくマスコミに就職したいという人たちと似ている。ブン屋とかルポ屋などのジャーナリストではなくマスコミ人になりたいのと同じで、芸人とか役者ではなくタレントとかスターになりたいだけ。
 そうしているうちに、マスコミはスポンサーから金を引き出すこと自体が目的と化してしまい、広告だけ目当てのやくざ者がやっている総会屋雑誌に限りなく近づいてゆくものだが、演劇とか映画も似たようなことがある。

 そして、前に実際に劇団四季に属している人と話したら、まったく思っていたとおりだった。だから、石坂浩二も単に金に目がくらんだのではない、と思うわけだ。

人気ブログランキングへ1日1クリック投票をお願いします
[PR]
by ruhiginoue | 2016-04-07 17:32 | 芸能 | Comments(1)
 東京大学が推薦入試をはじめたのは、学生に多様性をもたらそうということだそうだが、そんなことより先にすることがあるはずだ。東大生は、男子が多く、首都圏在住の者が多く、一部の有名進学校を出た者が多い、ということで、これでは偏り過ぎというわけだが、この原因をつきめていくと金だ。

 だいたい、学費の安い国公立大学に入りたければ金をかけないと入学試験に受からないうえ、入ったあとも金がかかるという現状は無茶苦茶だ。入るのに競争があり、それに勝つには金をかけるほど有利だから金持ちの子供ばかり入り、なのに学費が安いとか一部の有名進学校を出た人ばかりだと嘆いても意味がない。

 前に森本哲郎氏がテレビで言っていたが、大学に入って勉強したい人は全員入れるべきで、入学試験は無くし、その代わり高校の卒業資格を厳しくするのが筋だと言っていた。これも一理あるだろう。

 また、国公立大学は学費を無料にし、その代わり親が年収一千万円以上なんて人は入学不可ということにして、金のある人は私大に行き、私大の学費は今の平均の五倍くらい、ということにすれば、金次第の入試が切り崩されるし、貧乏な人は国公立大学に行けばよくて、金持ちばかり私大に入れば資金が豊富になり設備も充実のうえ学費値上げ反対とかいわれなくていい。

 なんでそうしないのかと考えてみると、学歴社会であると同時に学歴は金次第ということにすれば特権階級を維持できるということかと思ったが、そこまで悪知恵を働かせるほど日本の社会は洗練れていなくて、ただ配慮がなくていい加減というだけのようでもある。

人気ブログランキングへ1日1クリック投票をお願いします
[PR]
by ruhiginoue | 2016-04-06 17:44 | 社会 | Comments(1)
 安保法制が施行されたが、防衛大で任官拒否者が増えたことと関係があるだろうと指摘されている。これは、危険になったからというより、自国のために命をかけるのではないことのバカらしさによるものだろう。そうでなければ、最初から入学しないはずだ。

 そして防衛大では任官拒否した者は卒業式に出られなくなるという。しかしどこの大学でも、卒業式なんて面白くないから出ない人は少なくないから気にしないのではないか。
 防衛大の卒業式といえば最後に制帽を投げることが知られていて、これはアメリカのウエストポイント士官学校の真似だから、それでどうも不自然だという人がいる。

 一方、防衛医大のほうでは学生たちが任意で制帽を投げるそうで、「ウオーッ」と叫びながら投げるが、そのあとみんな自分で拾うのだと卒業生が笑って言っていた。

 ウエストポイント士官学校の制帽投げは映画『愛と青春の旅だち』で知られるが、同じころに、『ランボー』も公開されていた。『愛と青春の旅立ち』と続けて観ると『ランボー』が反戦映画に思える。主題歌も、『愛と青春の旅立ち』は明るい(松崎しげるがカバーしてた)歌なのに対し『ランボー』の主題歌は悲壮である。

 前にカラオケで♪It's a long road~~~と唄ったら、居合わせた若い男から「それ『ロッキー』の主題歌ですね」と言われてしまい「『ランボー』だよ」と教えてやったことがあるけれど、『愛と青春の旅立ち』も知らない人がいるだろう。これはデュエット曲として当時は人気があったのだが。

 『ランボー』の出だしはかなり悲惨だった。
 ランボーが戦友を訪ねると、その家にいた年配の黒人女性が不審そうにするので、住所を書いた紙を見せる。
 「たしかに息子の字だ」
 「彼は」
 「死んだよ」
 「えっ」
 「癌だった」
 「まだ若いのに」
 「きっと化学兵器のせいだよ、軍は認めないけどね」

 そういえば、地下鉄サリン事件からずいぶんと経過して風化してきたと言われていたが、あの当時、防衛医大では「地下鉄サリン事件で被害に遭われた方はご相談ください」と張り紙していた。
 そして慌てて文献を漁って俄かに専門家に仕立て上げられた医師がいる。これを防衛医大の同僚医師は笑っていた。
 しかしテレビではアナウンサーやコメンテーターが「だから冷戦が終わっても自衛隊は必要ですね」とプロパガンダしていた。その一人に日テレの福留アナウンサーがいたのを記憶している。


人気ブログランキングへ1日1クリック投票をお願いします
[PR]
by ruhiginoue | 2016-04-05 17:42 | 映画 | Comments(0)
 乙武洋匡のセックス・スキャンダルのため、自民党は彼を選挙の候補に擁立することをやめることにしたらしい。努力家の身障者という虚構が崩壊したということで、つまり、もともと政策や理念ではなかったということだ。

 彼の場合は、前に話題に出したとおり重度の障害者であることを利用して『金閣寺』のようなことであったらしいが、彼のような世渡り上手の類とは違う、可哀想な愚か者である重度の身障者を知っていて、その人と比べると嫌らしさも様々だと感じる。

 裁判を題材にした映画『それでもボクはやってない』に、傍聴を趣味とする人が出てきて、それがまさに悪趣味で、性犯罪の裁判ばかり傍聴しては面白がっている。そんな男から主人公は揶揄されて怒ってしまい、相手にするなと弁護士から注意される。

 このような傍聴マニアには色々な人がいて、例えば、鬱病で働けなくなって生活保護を受けている女性が、暇にまかせて裁判の傍聴をし、被告人が若い男だからおしゃれして行くと言うなど真面目なものではない。

 それと似たようなものだが、前に問題にしていた「国賠ネットワーク」の集会にもよく出て来る重度の身障者の男性は、全身の動きと言葉が不自由で、一見は社会派の関心があるようにしているが実は被告人とか被害者など気の毒な立場の人たちを見物して自分を慰めていた。そして例の極左過激派たちの尻馬に乗って嫌がらせをしている。
 彼は普段は全身の動きとともに言葉も大変に不自由だが、嫌らしい言葉になると途端に流暢となる。顔面を歪ませながら下品な言葉を発し、なぜか自分は世界一のイケメンだと自画自賛する。もう六十歳で皺だらけの顔と白髪頭であるのだが。

 その年齢と風貌にも関わらず、そんなに自信があるなら、嫌らしいことをしなければいいのに。そういう人は知的障害がある場合が多いそうだが、知的と性格は別だ。知的障害の有無とは無関係に、性格が良い人と悪い人とがいるものだ。
 それを知らない人が多いから選挙に担ぎ出そうということになる。障害者であるかどうかは関係がない。そういうことに拘り特別視するのは、むしろ無理解と差別というべきだ。

人気ブログランキングへ1日1クリック投票をお願いします
[PR]
by ruhiginoue | 2016-04-04 17:29 | 社会 | Comments(0)
 今、「日本会議」で話題となっているその母体ともいうべき宗教「生長の家」だが、國學院大學の入学式のとき正門前で機関誌を新入生に配布していたのを思い出した。
 その学生サークルが任意でやっていることだったが、大学には仏教やキリスト教のサークルもあるけれど大学としては神道でないと非公認だから、生長の家は大学当局の特別扱いで活動していた。
 
 ところで生長の家の教祖である谷口雅春を、右翼活動家の赤尾敏は著書で批判していた。信者は病気が治るとか現世利益の追求だし、講演では「信者なら原爆が落ちても大丈夫」などと非現実的な話をしていたし、疑問を感じたということだった。

 また、学生時代に親しくしていた歯学生が、生長の家から勝手に分離した団体「白光」に熱心で、よくみかける「世界人類が平和でありますように」を信奉していた。
 後に「幸福の科学」の大川隆法という教祖はイタコ芸で勝手に谷口雅春の霊媒として、分派のようなことをした五井昌久という人は地獄に堕ちていると言っていたそうだ。
 まったく新興宗教というのは何でもありということだ。

 それでいて、政治的な話は多様性がなくて紋切り型ばかりである。
 國學院大學の神道文化学部は最近流行りのキラキラネーム学部の影響によるものみたいだが、もともとは文学部の中に神道学科があった。
 ここでは復古主義を説いて戦後の価値観に敵意を抱きながら話に具体性が乏しい傾向だった。その影響か、日本会議の主張もこじ付けの改憲論に終始し、まるで「郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのも、みんな憲法のせいなのよ」という調子である。

 しかし、先日「巫女さんのくせに」と女性に差別発言した男がいて問題になったが、國學院大學を出て神社で巫女をしていたが今では市議会議員という知り合いがいて、大学では同じ先生についていたのだが、大学では異端なその先生の影響なのか政治的な発想は進歩的とか左派で、日本共産党に所属している。そんな人もいる。
 だから、宗教の学校を出て宗教家になりかけたけど今では共産党の政治家ということだから「スターリンと同じですね」と言ったら彼女はムッとしていた。

 だいたいスターリン主義というのは宗教家になりかけていたスターリンがキリスト教の異端査問や魔女狩りの発想を共産主義の組織論に持ち込んだことが原因だから、宗教が政治に介入すると危ないのだ。
 それをいったらすでに公明党が政権に入っているが、防衛医大の医師に創価学会員がいて、集会に来たら楽しいよと言われ、なぜなら「山本リンダがくるよ」には参った思い出がある。

 しかし、この調子ではロバートAハインラインの『動乱2100』である。宗教が政治に紛れ込まれては危ない。



人気ブログランキングへ1日1クリック投票をお願いします
[PR]
by ruhiginoue | 2016-04-03 17:31 | 社会 | Comments(1)
 前回、三浦和義氏が最終学歴を法政大学卒業と言っていたことについて、卒業生名簿に載っていないから学歴詐称だと非難した愚かな一部マスコミの話をしたが、そもそも卒業生名簿に載っていないことを確認するのは大変すぎる。

 何年にどこの学部を卒業したということまで判明しているならともかく、漠然とどこの大学というだけでは、コンピューターのデータベースで検索するならともかく、名簿を閲覧することが出来たとしても、おおまかな目星をつけた年度を数年にわたりすべての学部を見ることは大変な労苦と時間を費やさないと無理であるし、そもそも名簿の閲覧は個人情報とかプライバシーの問題から相手かまわずやらせないし、掲載すらしないということもある。

 それなのに、相手をひっかけようとしてわざと言うならともかく、学部も年度も不明なのに名簿に載っていないという人は、どういうつもりだろうか。

 前に、「おたくのご主人は早稲田大学を出たと言っていたけれど、うちの主人も早稲田だけど卒業生名簿におたくのご主人は載っていなかったわ」と言って喧嘩した人たちの話を聞いたが、どちらも嘘ではないかと思った。普通はどこの学部を出たのか、何年度の卒業か、という話から嘘がバレるもので、学部も年度もわからず名簿を調べたなんて話は変だからだ。とくに早稲田大学は大きな大学で学部の数も学生も多い。
 それに、この主婦らは近所のよく知っている人たちだが、どちらもツイートのネタ架空アカウントの「佃お母さん」と「山本お母さん」みたいな関係だから、トンデモなやり取りが多いのだ。

 これと似たような人が、前にネットの名誉棄損で裁判に訴えた親子で共産党員の精神異常者だった。妄想を書いたり暴力をふるったりで何人もの人たちから民事と刑事で訴えられてきたが、そのたびに母親から弁護士費用や賠償金を出してもらっていた。そして今では夜逃げ状態である。
 この四十歳に近いのに母親から金を出してもらってばかりの精神異常者の息子は、中卒だから知らなくても当然かもしれないが、やはり見たこともない卒業生名簿に載っていないから学歴詐称だという中傷をネット上で書きまくっていた。
 
 その被害に遭ったうちの一人として笑ってしまったのは、そもそも名簿を無関係の人が簡単に見ることはできないし、見たとしても任意のものだから全員が載っているとは限らないし、結婚や離婚や養子などで姓が変わっていることもあるし、そうしたことは常識なのに知らないということだ。
 これは、おそらくヒッカケのつもりでよくなされていることを無知なゆえ真に受けたということではないか。

 さて、この一方でほんとうに名簿を見て電話をかけてきた人がいて、知らない人だが選挙に立候補するから同じ大学なのでよろしくというのだから呆れてしまった。この話は次に続く。



人気ブログランキングへ1日1クリック投票をお願いします
[PR]
by ruhiginoue | 2016-04-02 17:30 | 社会 | Comments(0)
 カフカの小説に出てくるヨーゼフKみたいな名前の人が経歴詐称したとか騒がれているが、こういうことがあるたびにデタラメだとすぐわかる話をする人がいるのはなぜだろうか。

 前に、三浦和義という人が法政大学卒と自称していたことで、一部のマスコミから学歴詐称ではないかと言われた。卒業生名簿に載っていないということだった。これに三浦氏は、自分は起業する一方で通信制で卒業したのだと言った。商売とは関係なく、趣味で日本文学を勉強したかったから文学部だとも言っていた。ただし、これがほんとうかどうか不明だ。
 しかし、そもそも三浦氏は商業を営む人であり、芸能人と親戚なうえ自身も映画に出演するなどしているから芸能人的に週刊誌やワイドショーに騒がれたというだけだ。学歴なんて無関係である。

 手前味噌だが、拙書『朝日新聞の逆襲』には三浦氏から聞いた話が出てくる。雑誌の発行についてで、『噂の真相』の岡留という人とともに、本多勝一氏が朝日新聞社から定年退職したあとに発行した雑誌のことにも触れている。三浦氏は両者とも親しかったのだ。

 その本多勝一氏が学歴詐称して朝日新聞に入ったと言っている人がいた。京都大学を卒業していないのに騙して入社したという話をもっともらしくしている。
 これについて当人も著書で述べているが、まず薬剤師の免許を取得するのに必要だったから千葉大学の薬学部を卒業し、これは家業の都合だったから不本意で、そのあと本当にやりたかった生物学の勉強をするため京都大学に入ったということだった。

 このさい外国を巡った紀行文が注目されて朝日新聞から声がかかり記者になった。大学に二か所行ったので新入社員の年齢制限にひっかかりそうだったから、在学中に入社してしまい卒業しなかったが、一見すると京大を出て朝日新聞に入ったようなので、後に著書の裏付けにもそう記載されていたのではないか。
 
 これも、ほんとうのことは確認できないが、もともと本の裏付けはよく出版社や編集者が経歴を記載してしまうものだし、朝日新聞社は大学中退では幹部記者の候補として採用しないが、すでに他の国立大学を卒業しているから問題ない。
 これが逆だったら問題になるだろう。薬剤師は薬学部を卒業しないと免許を取得できないのだから、他の大学を卒業していても薬学部でないなら駄目だ。

 あるいは、記載されたものによって生年が一年違うことが一部にあるので、歳を鯖読みした可能性もある。中途ではなく新入社の年齢制限にひっかからないようにしたので、食い違わないようにと、ほんとうは卒業したのをしていないことにする辻褄合わせだった、ということだ。

 どうであれ何も問題がないのだが、もともとこれを騒いだのは例の堤曉という人だから、個人的な悪意ということだろう。この人は文芸春秋社を経てWILLという総会屋雑誌も同然といわれるところに行った。朝日新聞に敵意を抱き、朝日新聞の悪口がライフワークだそうだ。
 そして自分は東大法学部卒だと無意味なことを言っていたりする。東大出て大手の新聞かテレビ局ではなく雑誌社というのは、うまくいった就職とは言い難い。そのルサンチマンにより暗い情熱を燃やしているのだろう。みっともない態度だ。そんなのがいなくなった文春は今じゃ絶好調である。

 しかし、そもそも学歴詐称というのは意味がない非難である場合が多いだけでなく、事実関係がわからないことが多い。それについては次回にする。
 

人気ブログランキングへ1日1クリック投票をお願いします

[PR]
by ruhiginoue | 2016-04-01 17:30 | 社会 | Comments(0)