井上靜の気楽な日誌です。気楽にコメントしてください。おたよりも気楽にe-mail:ruhiginoue@excite.co.jpまで


by ruhiginoue

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 トランプが当選して、完全に民間人だけやってきた人は初めてだと話題になっている。政治家ではなかったが官僚だったことならあるという人ならいたが、そうした公務員だったことを除いて、政治家の経験がなくていきなり大統領になった人は、アイゼンハワー以来久しぶりだ。

 このところアメリカの大統領は、前は議員か知事か副大統領だったという人が続いていた。知事の前は議員もしていたというように複数の経験がある人もいる。

 まず、敗れたヒラリーは議員だったし、前大統領のオバマも元議員だった。その前のブッシュジュニアはテキサス州の知事、その前のクリントン夫はアンカーソ州の知事だった。その前のブッシュファーザーは前の大統領の副大統領だったし、その前のレーガンはカリフォルニア州の知事だった。その前のカーターはジョージア州の知事だったし、その前のフォードは副大統領だったのがニクソンの辞任で代役になったし、ニクソンも前は副大統領だった。その前のジョンソンは暗殺された大統領の副大統領だったので代役になり、その仕事をこなした実績で選挙に出て当選しており、暗殺されたケネディは大統領の前に議員をしていた。その前のアイゼンハワーがいきなり大統領であった。

 このアイゼンハワー大統領は元軍人で、マッカーサーの代わりのような人だった。日本でも有名なマッカーサーは、退役したあと政界入りを希望し候補にして欲しいと共和党に打診していたが、朝鮮戦争の失態で政治的才覚に難があるとされた。
 それで、アイゼンハワーはもともと政治に関心がなく、政治家になりたいと思っていないだけでななく選挙で投票したこともない人だったが、それがむしろよく、軍の指揮官として組織を仕切る統率力があることに加えて庶民的で親しみやすい人柄ということで、軍は大統領に推したということだった。

 そんなアイゼンハワー大統領が退任の演説で軍産複合体の危険を警告したというのは皮肉だと言われている。
 さて、トランプが大統領になって、どうなるだろうか。軍事関連株価が上がって自分もいっぱい持っているからと嬉しそうにしている公私混同の恥知らずな某国の防衛大臣の女性もいるが。

 


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by ruhiginoue | 2016-11-10 16:00 | 芸能 | Comments(2)
 アメリカ大統領選挙に日本から注目が集まってることで、「日本人は自分の国の選挙にもこれくらい関心をもつべきなのに」と嘆くツイートを見かけたが、日本はどの政党が政権に就いても、誰が総理大臣になっても、アメリカの言いなりでなければ辞めさせられるのだから、自国よりアメリカに関心を持つのは当然のことだ。

 そのアメリカ大統領選挙の結果は、日本なら、橋下徹なんかではとんでもないことになってしまうから、こっちの女性のほうに投票しよう、と言われたけど、それが稲田朋美だったので、もっと嫌だった、というような感じだ。

 このトランプの勝利見込みという段階で、カナダに移住の問い合わせが殺到したっていうのはブッシュjrの時と同じだが、それがオバマになって戦争しなくなると期待したら裏切られ、ノーベル平和賞の選者たちもガッカリし、なんでそうなっちゃったのかというと国務長官のヒラリーが戦争をけしかけていたからだ。
 これでは庶民もリベラルも彼女に投票したくないのが当然だろう。

 ところで、マスコミや調査会社の分析と予想は大ハズレだった。
 これについて、日本人は勝馬に乗ろうとする性質があり、優勢なほうに投票する傾向があると言われるので、マスコミが選挙の予想をすると、優勢だと騒ぐほうを勝たせようとしていて、そうしろと外部から工作もあるのではと言われるが、アメリカ人は逆で、不利な方を応援してやろうと考えあえて投票する人がいるから、米メディアの選挙予想が外れているのはもともとトランプの後押しだったのかもしれないと推測することも可能だ。
 ただし、それはあくまで穿った見方で、ほんとうにハズレすなわち米メディアが日本メディアと同様ダメになっているという印象のほうが強い。

 あと、「有名な芸能人たちがヒラリーを応援したのに、なぜ」というツイートを見かけたが、それだけヒラリーがダメということだし、あと石原プロが総出で応援して当選とかいう日本の方が不健全なのだ。



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by ruhiginoue | 2016-11-09 17:18 | 国際 | Comments(6)
 ちょっとした田中角栄のリバイバルブームだが、彼が失脚したのはアメリカの陰謀だということでも盛り上がっているようだ。これはアメリカに対する反感を表す材料として田中角栄が使われているということであろう。

 ところで、そもそも田中角栄もと総理大臣が何かと人気なのは、自民党の総理大臣としては特異であったというだけでなく、他の政党や連立内閣の総理大臣まで含めて比較しても超個性的だったからだろう。

 だいたい日本の保守政治家には、各地の名士で祖先は地主というような一族が目立ち、そんな人たちが自民党の有力者にもよくいて、そこから総理大臣を何人も出してきた。これとは出自の異なる田中角栄は、田舎からの成り上がり者であると同時に、農村など地方の論理から国中を作り変えようという野心を持っていた。

 こうした田中角栄の発想と実行力は、国土と国民生活の破壊を伴う急進的なものであったから、その壮大さは実に迷惑なものでもあった。だから田中角栄という政治家は、地方を拠り所としていても保守ではなかった。
 また彼が地盤としていた地域は、保守的である地方にしては野党の国会議員も他の地方に比して多く、当時の旧社会党の革新系とか左派とか言われる政治家を同じ地元から何人も当選させていて、地方から変革を望む人たちが多いことが判る。

 つまり、田中角栄という政治家は、保守ではなく、革新より急進的で、地方とか田舎とか農村とかいうものに寄り添う革命家だった。
 これは、しいていえば毛沢東と同じだ。だから中国共産党の政治家たちは、日本の政治家の中で田中角栄には特別な親近感を持っていた。自分らの親玉と同じだからだ。

 あの時の情勢で日中国交正常化なんて、よく実現できたものだと言われた。その後も、あの時に世話になったという挨拶をしに、中国の要人は訪日すると必ず、もう総理大臣ではなくなった田中角栄を訪ねたものだった。高齢の人たちは古い表現で「シナのエラい人たちは、日本に来ると、総理大臣より天皇陛下より田中角栄さんに会いに来るんだね。よほど尊敬しているんだね」と言っていたものだ。

 そして今、中国では「毛沢東は今思うとすごい政治家だったなあ」「しかし、彼のせいで色々あったから、それを忘れて賛美しては誤るよ」という話題になるが、同じように日本では田中角栄ということだ。

 そして、中国では背景にナショナリズムがあるが、日本の場合は反米感情がある。
 


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by ruhiginoue | 2016-11-08 15:24 | 政治 | Comments(0)

床屋は11月に空いている

 先日、髪を切りに行った店が、やけに空いていた。
 この店では「タイムサービス」で割引料金をやっていて、その率が良いから、割引の時間にはいつも混雑する。一時間以上も待たされることがある。
 ところが、その時間なのに空いていたのだ。客は何人か来ていたが、数分しか待たなかった。
 
 これについて店の人が言うには、十一月は空く傾向があるそうだ。多くの人が、年末年始を意識し、その時まで持つようにしようとし、また、十二月の後半になってしまっても駆け込み客で混雑するから、それで十一月には少し遅らせて来店しようと考えるということのようだ。

 ということなので、年末年始を意識しないで良い人は、十一月に髪を切るなどすれば店が空いて待たされずに丁寧にやってもらえるだろう。

 ところが、昔うちの父は、年末年始まで持つタイミングで床屋に行っていたから必要がない時に、また床屋へ行けと言うことがあった。身だしなみとは無関係で、いかにも散髪したばかりにしろということだった。
 そんな必要はないと言っても絶対に聞き入れず、どうしても床屋に行って散髪したばかりに見えるような頭にしろと怒気をこめて言うのだった。

 そう言うのは親戚を訪ねることがある時だったが、しかし礼儀のためとか無精な印象がしないようにとか言うのならともかく、小ざっぱりしていてもダメで、散髪したばかりに見えることが肝要なのだ。
 これは見栄を張っていたのだった。頻繁に散髪していることこそ、まともな生活をしている証拠になると思っているのだ。

 これは育ちの貧しさが原因だった。うちの父は子供の頃に親戚や親戚付き合いしている人のところへ行くと、よく、よそ様の家に行くさいはもっと身だしなみに気を使いなさい、みたいなことを言われて散髪代を渡されて近所の床屋に行かされ、つり銭は小遣いにしなさいと言われたとのことだ。
 これは、親には床屋代を浮かせて、子供には小遣いを与えるという意味だった。貧乏だったから、周囲で配慮してくれたのだ。
 
 この時の体験から、親戚らに対して散髪したばかりというのを見せ、うちでは子供にいつもキチンとさせているという演出をしていた。そうすることで見栄を張っているつもりだったのだ。効果がほとんど無い自己満足で、誰も評価してくれない。家族としては実に迷惑なことだったが、それ以上に情けない気持ちだった。可哀想という気がせず、愚かしさに嫌悪感がした。
 しかし、やはり可哀想なことだ。貧しかったから愚かな言動を大真面目に行うようになってしまったのだから。

 そして、散髪なんかで見栄を張ったつもりでいながら、収入の乏しさに加えて酒や風俗で散財したため子供が進学するなんて無理だということになり、学校の教師からも近所の人たちからも呆れられ、または嘲笑され、見かねた親戚が息子を引き取って高校さらに大学と進学させた、なんてことになってしまったけれど、それについては何も恥ずかしいと思っておらず、義務教育は中学までだから何が悪いのだと本気で言っていた。小学校に行ったことがあるというだけだったから、当然といえば当然だった。貧困なうえ不真面目だったわけだが、貧困だったから真面目にやる気も起きなかったらしい。

 これもやはり貧乏が原因で常識が備わらなくなったということだが、同じような話を色々と聞くから、いまどき貧困なんてという人もいるけれど、それはいくら過去の話であっても、二十世紀とか昭和のことであっても、その悪影響は二十一世紀とか平成になっても及ぶということだ。
 つまり、昔のことだから今は違うということにはならず、昔から今までは連結しているのだ。それはさらにこの先へと続いていくだろう。
 


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by ruhiginoue | 2016-11-06 17:27 | 雑感 | Comments(0)
 TPPを無理矢理というのは、親子二代で傀儡のアウンサンスーチーに援助することや、親子二代で傀儡となることを拒否した政権のシリアには外国から武器を持ち込み内戦をおこさせ潰そうとしていることなどと、まったく同根なのだが、こういうことをマスコミは報道しないどころか平気で嘘を垂れ流しつづけている。

 そして特に田舎の人にとっては、自分が近所で直接見たこと以外の社会の出来事は、NHKで映ったことがすべてである。
 だから、先日、安倍総理が強行採決なんて考えてもいないと言いながら、TPPで強行採決をしたから、とんでもないことであるはずだけれど、しかし、この様子をNHKが放送せずに採決されたとしか報じなかったので、NHKに映ったことがすべてである田舎の人たちは、自民党は安倍総理が明言したとおり強行採決なんて行われず、政府が正しいからその通りに国会で決まったと思うのだ。

 このような田舎の人たちの「NHKがすべて」は、デビッドクローネンバーグ監督の映画『ビデオドローム』の域に入っている。
 「人は現実を見て認識する以上、人にとっては見たことが現実になる。ゆえにテレビで見たことも現実と認識するから、テレビに映ることが現実になる。したがってテレビこそ現実なのだ」というメディア学の教祖オブリビアン教授の劇中セリフは、まさにNHKが社会のすべてだと思っている田舎の人たちのことだ。

 こういうことは、地方に住んでいる人ではなくても、マスメディアを鵜呑みにしている人とか、スマホなどは持っていてもテレビや新聞と同じ情報源のサイトに依存していて他はゲームしかやってない人とか、あと出身地や居住場所よりも年配の人にありがちな傾向であるとか、そういう指摘があって、これももっともではある。

 ただ、例えば埼玉の山奥から来た同級生などは、大学の時も社会人になっても、飲み会などで盛り上がっている時にまで「NHKのニュースの時間だ」と言い出し、独りで勝手に見ればと言われると「みんな話をやめて一緒に見るんだ」と目を吊り上げ語気を強める。
 ここまで言動には出さなくても、これと同じように、NHKによってみんな同時に同じ認識を持ち同じ考え方にならなければならない、という強迫観念を持つ人が田舎には多い。

 もともとこうだから、安倍総理がマスコミ関係者を買収も同然にして、特にNHKには懇意の人たちを経営者に据える不正をして批判されたけど、それは、やり得になるからだ。



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by ruhiginoue | 2016-11-06 12:10 | 政治 | Comments(0)
 日本共産党の松崎いたる板橋区議が、裁判に訴えられていることで所属政党から呼び出されて質問され、このことに同区議が公然と不満を言い、それに対して他の党員から批判や不快感の表明があった、ということは既にここでも触れている。

 その呼び出しのさい、同区議にとっても良い機会だから、所属政党に事情を説明して理解を求めればよいはずだが、そうならなかったようだ。
 そもそも同区議が裁判に訴えられたのは、まず原告は党の関係者に頼んで同区議を紹介してもらい面談して誤解を解こうとしたのに聞く耳持たなかったからだ。それどころか同区議は、内容はほとんど変わらず言葉のボルテージだけエスカレートさせた。そして訴えられ被告となったのだ。

 おそらく同区議はコミュニケーション能力に難がある人なのだろう。もともと同区議はSNSで質問をされると、よく、正しいか否かという以前に的外れな返答をする人であった。この時はネット上でのことだから齟齬もあるだろうと思っていた。ところが同区議は面談してもダメで、しかも所属政党の組織が相手であっても上手くいかないということになる。

 この件で、共産党員の方々が問題にしていることは、同区議の主張に対する賛否とは別であり、中には前から賛同していると言う人もいて、ただし、やるにしても節度というものが必要であり、しかも党の看板を背負った議員がその肩書で活動するには品位を保たないといけない、ということだった。

 ところが、松崎いたる議員は、区の対応を問題にする中で特定の個人を名指し非難したうえで口汚く罵った。
 これについて同議員は、他にも同じ趣旨を言っている人たちがいるのに自分だけ訴えられたと強調し、不当な訴えであると主張している。
 しかし趣旨は同じでも、あのときの同議員の発言は、他の人たちは訴えられていないのに同議員だけ訴えられた、というのも当然の言葉づかいだった。

 それゆえ、党の看板を背負った議員ともあろう者が、その公務の中で口汚い罵りをして訴えられたのだから、党の看板を傷つける恐れがあり、だから党としては心配になって当然だろう。

 その、批判に名を借りて罵声を浴びせた同議員の行為が名誉毀損に該当するかの法的問題は裁判に判断が委ねられることだが、それとは別に、訴えられた原因からして節度と品位に欠けるとなれば、今後、仮に裁判では違法性なしとされて勝訴できても、選挙には影響してしまう。
 だから、共産党でも他の政党でも、こういうことは危惧するものだろう。

 なのに、党外から無関係の野次馬が口を出して同党を攻撃し、しかも左巻健男という人に至っては、よく共産党や宮本顕治が悪口で言われる「査問」を行ったと非難したのだから、そんな制度は共産党に無いと党員たちが怒って当然だし、傍から見ていても相変わらず無責任な発言をする人だと感じるのだ。




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by ruhiginoue | 2016-11-05 11:55 | 政治 | Comments(0)
 アイドル集団からの卒業と芸能界引退を発表した橋本奈々未は、メンバーの中でもとくに人気があったのだが別の道に行くことにしたということで、また、そもそも芸能活動を始めたのは家庭が貧困だったからで、芸能で稼ぎ弟の分まで学費ができたのでやめることにしたと述べたため、大きな話題になった。
 なぜなら、貧困家庭と学費は深刻な問題になっているから、美談ですませてはいけないということだ。

 これと同じように、うちが貧乏だったから芸能で稼いで弟を進学させたのは、歌手の森進一が弟を医学部に行かせたと言われている。それで、森進一は自分が苦労しているからチャリティーに熱心だったが、もっと金をと言ってプロダクションと揉めて干されそうになったことも有名だ。


 もともと、芸で稼ごうという人にはよく家庭の貧困があって、これは昔から言うまでもない常識だろう。

 それで学費を稼ぐため芸ということもあるし、逆に学歴はあてにならないから芸能という場合もある。例えば歌手の安室奈美恵は、芸能活動のため学校を欠席しがちになったことで教師から卒業できなくなってもいいのかと脅されると、自分は母子家庭だから芸能人になって稼ぎ苦労している母親に楽をさせてやりたいという意思を伝えたうえ、卒業証書をもらっても、それでご飯が食べられるようになるわけではないと指摘したそうだ。


 こういう問題は人それぞれで、家庭の経済状態も学歴の必要性も事情が色々と異なるものだ。

 そして、それでも幸いだったことは、家族が仲良かったことだろう。貧困な家庭の多くは親兄弟姉妹が不仲で助け合いにもならないのだから。これは、貧困が原因で不仲になることもあれば、不仲が原因で貧困になる場合もあり、鶏と卵とどっちが先かという喩話に該当することだ。


 とにかく、家族が円満だから、働いて学費を助けたりすることも、苦労しているにしてはまだ明い話になりうるのだ。よく貧困な家では、本人の資質や友達の影響などで向学心をもった者がいて、学費のために働くと、親兄弟姉妹が遊ぶ金をせびってくるものだ。


 これは芸能人だと、昔から、成功した途端に疎遠だった家族が金をせびってきたり、冷淡な親兄弟姉妹が金づるとしか考えなかったり、ということが色々と話題になってきたけれど、芸能のような派手な稼ぎ方ではなく地道に働いてコツコツと学費のために貯めた金を、家族が盗んだり暴力的にふんだくったりもするし、学校に入ればやめさせようとしたり勉強の妨害をしたりで、まともな育ちをした人には耳を疑うような内容である。


 こういう話は、すでに色々な人たちが語っていることだから、それによっていくらでも知ることができるけれど、そんなことがあるのだから、貧困でも円満な家庭というのは幸いなのだといえ、その意味でも美談で済ませてはいけないということだ。



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by ruhiginoue | 2016-11-04 11:24 | 芸能 | Comments(0)
 核禁止条約交渉の国連委決議で、賛成多数となったが、核保有国は反対か棄権であった。アメリカなどは反対、中国は棄権。
 ここで日本は反対した。唯一被爆国の日本がなぜ反対するのか。賛成したいところだがアメリカを気にして棄権どころか反対してしまったのだ。

 この一方で、核開発する北朝鮮は賛成した。このため日本は北朝鮮よりダメだと怒っている人もいる。これは日本が北朝鮮より国際的に劣位であるからだ。つまり、アメリカに対して、北朝鮮は休戦しているが、日本は敗戦している。
 このため、あくまで核保有国に対抗して開発や実験をしている北朝鮮は、みんなで持たないようにするのは賛成ということであるが、日本は核攻撃されて屈服したから核保有国に媚びて反対ということだ。

 そのため、国連委決議で日本が反対したことに「米に追随」であると被爆者は怒りの意を表明し、被団協が抗議文を出した。

 ただ、ここで、日本は被爆体験から核廃絶を訴える立場である、というのは、そもそも日本人の精神構造に反している。日本人は「鬼畜米英」と叫んで戦争して、負けたら「ギブーミーチョコレート」という民族である。だから総理大臣が岸から安倍へと至るのだ。
 
 そして、こうした日本の政治が良くないというのが常に少数派であるのは、他でもない日本人の特質によるものなので、ちょっと政治を批判したくらいで日本そのものに反対しているという「反日」だと非難する人たちがいるのも、むしろ当然のことなのだ。
 
 だから、問題の本質は、敗戦による対米追従ではななく、日本人の発想や性格なのだ。



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by ruhiginoue | 2016-11-03 13:08 | 国際 | Comments(8)
 「川内1号機再開、事実上容認する姿勢」という朝日新聞デジタルの見出しを見て、テレビ朝日などでレポーターやコメンテーターとして活躍していた三反園鹿児島県知事に落胆したと言う人たちがいるけれど、その発言をちゃんと読んでみよう。
 
 鹿児島知事定期検査で停止中の九州電力川内原発1号機の運転再開について、鹿児県の三反園訓知事は先月28日の記者会見で「私に稼働させるかさせないかの権限はない」としたうえで「私がどう対応をとろうとも、九電は稼働させていくことになる」と述べ、運転再開を事実上容認する姿勢を示した。
 三反園知事は8~9月に2回、稼働中の川内原発の即時停止と再点検を九電に要請したが拒否されており、12月8日ごろに九電が予定する1号機の運転再開を認めるかどうかが焦点になっている。

 これだと、鹿児島知事としては「事実上容認」ではなく、勝手にやられてしまって、どうすることもできない、ということだ。
 もしも自民・公明が推薦する人が当選していたら、原発の再稼働は(佐賀空港のオスプレイ配置も)強引に推進していたはずだ。それよりは頑張っている。
 なのに「事実上容認する姿勢を示した」ことにしてしまい、これを見出しにしてまでいる。

 つまり、地方自治の限界か否かという問題なのに、そこを追及しないから記事に深みがなく、野党の推した人が首長になってもどうせ同じだと諦めさせようとする印象操作としか考えられない内容に、この『朝日』の報道は堕している。

 そんな記事ではないというなら、知事が要請して拒絶されても、他にとるべき方法があるということでなければならないが、知事からやめろと強制力を伴って言うことはできないのだから、あとは知事の権限を使って合法的に妨害しろとでもいう意味になる。

 それは可能だという指摘もある。川内原発は県道43号線を封鎖されると機材の搬入が一切できなくなりそうで、海輸や空輸で対抗されることもあるけれど、県知事として県道を封鎖し強く意思表示することをしてみたらどうか。
 かつて、飛鳥田一雄(のちの旧社会党委員長)が横浜市長だった時に、米軍戦車列を人垣で道路封鎖した「村雨橋闘争」があったが、そこまでやってみせる首長が沖縄のこともある今こそまた居てもよいかもしれない。

 しかし、朝日新聞はそういう主張をしてはいないだろう。そこまで書けたら大したものだ。



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by ruhiginoue | 2016-11-02 15:10 | 政治 | Comments(8)
 映画『ガメラ』の一作目(1965年、昭和40年)は、北極圏のエスキモー伝説に巨大な亀が出てくるという設定で、これがずっと後になり90年代に「平成ガメラ」といわれる新作が公開されるので宣伝のためにテレビで放送されたさい、エスキモーは今ではイヌイットと言うと断り書きが表示された。


 これについては、朝日新聞に連載されて好評のうえ単行本がベストセラーになった本多勝一『カナダエスキモー』でも説明されているとおり、エスキモーは米先住民の言葉で「生肉を食う連中」というような意味であり、それを後から来た白人が種族の名前と勘違いしたためにそう呼ばれるようになったわけだから、本当はイヌイットであるし、エスキモーは蔑称である。


 このため、後に先住民などを蔑称で呼ぶべきではないという認識が浸透したので、昔の映画がテレビで放送されるさいも断り書きが表示されたということだ。


 

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 そして『ガメラ』はヒットしたので続編を作ることになり、翌年『ガメラ対バルゴン』(66年)が公開される。ゴジラおよび共演する怪獣は主に恐竜に基づいていているの対し差異を出すため巨大なカメと巨大トカゲが戦うという話にした。


 このためニューギニアから持ち込まれた大トカゲの卵が医療用の赤外線を浴びて急成長する設定になったのだが、ここでニューギニアの人たちを「土人」と呼ぶセリフが何度も出てくる。これはテレビ放送のさい音声が消されるようになり、平成ガメラの公開時に旧作が次々とテレビ放送された当時には、この作品だけ差別的なセリフが多いからと見送られた。


 その後、対応が変わり、差別用語の音声を消すのではなく「現代においては不適切な表現がありますが、当時の時代背景と芸術性とオリジナリティーを尊重し、そのまま放送します」と断り書きが表示されるようになる。



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 こういうことがあるのに、「土人」と警官が言うなんてとんでもないことだが、単に差別用語だからというのは問題の矮小化であり、ここでは植民地扱いされることに抗議する沖縄県民に対して言ったことだから、海外でも報道されているのだ。もしも、アメリカで先住民に、中国でチベット人に、警官が「土人」と言ったら、どうなるか。


 しかし、前に亡くなった水木しげるは、戦争でニューギニアの人たちと親しくなり上官に背いて勝手に仲良くしていて、戦後も繰り返し訪問したから、地元の人を親しみを込めてわざと「土の人」「土人」と言ったから差別にならなかった。


 そういうことだから、機動隊の人たちも組織の上層に背いて弾圧をやめて沖縄の人たちと仲良くなれば、土人と言ってしまったことも解決する。


 よく水木しげるが著書でも描いているようにニューギニアの人たちはみんな楽しくていい人であり、これは本多勝一『極限の民族』で最も面白いと言われる『ニューギニア高地人』でも、滞在した村の族長ヤゲンブラ氏をはじめ名キャラが続々と登場し、その面白さでいつまでも印象に残るため、七味唐辛子のヤゲンボリを見ても連想してしまうようになる。


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 ところで、土人と侮辱するのもアメリカ軍が基地を作るのも植民地だからだが、その破壊し放題を日本の大手マスメディアは昔から批判できない。


 だから例えば朝日新聞は、米軍が派手にサンゴ礁を破壊している実態ではなく、ダイバーがサンゴに落書きしたなんていうつまらない問題を、それも雇ったカメラマンが自作自演していたのに気がつかず、一面にカラーで写真を載せてしまい社長が辞任したことがある。


 そして今もNATO軍記者クラブ幹事も同然だから、沖縄の基地問題でも背景にアメリカがいて日本は傀儡政府であるから、という問題をきちんと批判できないのだ。




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by ruhiginoue | 2016-11-01 15:48 | 社会 | Comments(4)