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by ruhiginoue
 最近、分断国家と呼ばれた国についての本を読んで感じたが、ベトナムとドイツは共通していても朝鮮半島は違うということだ。ベトナムの南北は北が南を併合して統一したが、もともと南は傀儡政権だったので国としての体裁だけだったし、ドイツの東西は西が東を併合して統一したが、もともと東は連合国の分割占領が統一されたことから取り残された地域が後から国の体裁を整えたものだった。
 これらとは違い、朝鮮半島はもともと二つの国として成立しているので、片方が優勢となったり逆転したりということはあったけれど、どちらか片方があまり国ではないというベトナムとドイツの分断とは明らかにことなっていて、だから朝鮮半島にはまだ二国が存在しているのだろう。

 ところで、その二国の略称は、南が「大韓民国」で、北が「朝鮮民主主義人民共和国」であり、略称として「韓国」と「北朝鮮」というのが最もポピュラーだ。
 しかし日本が「北朝鮮」と言ったことに対し同国の外交官が「ジャパン」を「ジャップ」というように省略することで蔑称にしていると非難したことがある。ただ同国の人は略して言う場合だいたい「朝鮮」か「共和国」である。日本側は地域を言っただけだと反論したけれど、たしかに蔑称ならもっと省略して「北鮮」と「南鮮」と言う。
 これは英語では「ノースコリア」と「サウスコリア」だから、「北朝鮮」「南朝鮮」と書くこともあり、「高麗」ともいうが語源であり、この言い方を嫌う人もいるそうだ。
 どちらにしても国ではなく地域を言うだけである。

 だから、米国を近隣国と区別して北アメリカ大陸にあって「アメリカ」を国名に付けている連邦ということで「北米合州国」というのと同じように、自称の「大」と「民主主義人民」を取り、南が「韓民族の国」という意味の国名にしているから「南韓民国」、北は「朝鮮半島の国」という意味の国名なので「北朝鮮共和国」というのが外国から呼ぶさいには正確であり、この略称を「韓国」と「朝鮮国」にするのが適切ではないかと思うのだが、どうだろうか。



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# by ruhiginoue | 2017-06-26 16:36 | 国際 | Comments(2)
 矢口洪一元最高裁長官は「22歳で裁判官になれるって、やはりおかしい。大学出て司法研修所に1年行っただけで,世間のことがわかるわけがない」と発言し、40歳以上の社会経験のある人から裁判官を選ぶべきであると主張しているが、そんなことが最高裁長官までやってようやくわかったことなのかという疑問というか呆れというかの声があり、また、外国の例を見ると弁護士として働いた経験のある人が裁判官になるのだが、日本では裁判官もキャリア制度で、辞めてから弁護士になる「法曹逆一元化」だから、世間知らずの裁判官が荒唐無稽な事実認定をするなどの問題を、とっくに指摘されてきた。
 それに、裁判官は専門知識があればよいから、一般常識は裁判員が受け持ち、これを拡充するべきという意見もある。専門知識があればいいわけではないが、社会経験があればいいわけでもなく、例えば大阪では校長先生を社会経験のある人から登用させたら滅茶苦茶になり、しょせん「維新」の連中が関わっていたからだという批判がいっぱいである。

 そういえば、映画『評決』に描かれる裁判で、主人公の弁護士に反感をもつ裁判官が不公正な訴訟指揮をするけれど、この裁判官は「私だって弁護士の経験がある」と言う。これに主人公が「それは腐敗した連中相手の交渉役じゃないか。今も相変わらずだ」と詰め寄るけど、これに日本では輪をかけようになるだろう。法曹一元化をしたところで、辞め判・辞め検に代わって、政治家や大企業の顧問弁護士から転じた裁判官が幅を利かせるようになることは火を見るより明らかだ。

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 ところで、この映画『評決』は、少年時代に新宿の映画館で観たが、この当時よく一緒に映画を観に行った同級生は、興味が無いと言った。彼は、その前の時期に公開された洋画で話題になった『黄昏』『レッズ』『炎のランナー』などのアカデミー賞作品にもまったく興味がなく、当時の公開で観に行ったのは『ET』『遊星からの物体X』『ランボー』などで、アクションとSFの他はアニメしか観ない人だった。「だからお前はガキなんだ。彼女もできないんだ」と声に出さずに呟いたが、大人になっても同じだったから、趣味の問題だったのだろう。
 しかしこの当時、まさか将来自分で医療裁判をやるとは想像もできなかった。SFが現実になることより想像できなかった。

 ただ、『評決』を観た当時、結末に呆気に取られて理解できなかった。『12人の怒れる男』をテレビで見て面白かったので、同じ監督が陪審員をテーマにした映画を撮ったということで興味をもって観ることにした。ところが、『12人』で陪審員たちは、被告人の人種がマイノリティである偏見を排し証拠と証言について論理的に検証して無罪の評決をする過程がスリリングだったのに、『評決』では決定的な証言を裁判官が否定したのに対し陪審員たちは原告の訴えを相当と認めるので、呆気にとられたのだった。

 これと同じ印象をもった人は日本には多かったようだ。あのときポールニューマンふんする弁護士は、最終弁論で陪審員たちに「あなたたちが法であり、正義を実行する稀な機会です」と訴えるだけだから、まるで、情調に訴えたから逆転勝ちしたと誤解してしまいそうだ。実際にそう思ってしまった人たちが大勢いて、ネット上にもそういう意見がいっぱいある。

 しかし、情調に訴えて勝てるなら、『12人』を否定することになる。この被告人はマイノリティだが、これで思い出す米映画は『アラバマ物語』である。グレゴリーペックがアカデミー賞の熱演をした弁護士は、人種差別がもっとも強い時期の南部で、周囲の偏見にも関わらず黒人の被告人を熱心に弁護するが、白人ばかりの陪審員たちは有罪にしてしまう。法廷ではどう見てみても彼の勝ちだったし、白人女性が暴行を受けて負傷したのは父親のDVとしか考えられないのだが。しかも、それを傍聴人たちの前で暴かれて恥をさらした父親から主人公は逆恨みされてしまう。

 このように、『評決』の陪審員たちは証拠と論より情緒に流されたのだろうか。もちろん違う。
 よく映画を観ていると、裁判官が証言を排除しろと言ったのは、証人が証言を裏付ける物的証拠としてカルテのコピーを取っていたが、コピーは改ざんできるので証拠採用しなかった判例があるからだった。
 これに主人公は異議を申し立てて例外を求める。裁判官は異議を考慮するとしか言わず事実上の無視なのだが、これに陪審員が合わせないといけないのではない。また、物的証拠がなくても証言が内容的に周囲の客観的事実と符合していれば信用できるし、そもそもどうしてコピーを取っていたのかというと、その証言をした看護師は事故があった時に担当医の圧力でカルテの改ざんをさせられ、後から問題になるかもしれないと思ったからで、なにも無いのにコピーを取っておこうとするわけがない。
 しかも、専門的見地からは、そのような事故がなんの原因もなく起きるとは考えられず、そうなると、予想外の出来事だったという弁解は責任逃れのために言っているとしか思えなかった、という前提がある。
 さらに、看護師の女性の名を聴いた途端に、被告席の医師らは驚き一瞬狼狽していたし、その看護師は証言しながら、職を追われたことを涙ぐんで話した。これらの様子を陪審員たちは目撃している。これに対して、いくら判例を盾にして証言を排除しようとしても、無駄であろう。
 だから主人公の補佐をしている先輩の弁護士は「証言の効果は変わらないよ」と言うのだ。

 これらをちゃんと見て意味を理解できていないと、情緒に訴えたようにしか感じないだろう。
 そして特に肝要なのは、陪審員とは何かということだ。あの裁判官の横暴な態度と個人的感情に基づく偏向した訴訟指揮ぶりは、陪審員たちが直接目撃していて、それに反感も覚えているだろう。だから、官僚の独裁にならないよう市民がチェックするために陪審員がいるということである以上、裁判官の指示を無視して反対の判断をすることは当然である。
 この認識を日本では多くの人がもっていない。陪審員制度が無くなって久しく、今は裁判員制度があるけれど、これも陪審員と違って裁判官を補佐するものでしかない。このため、映画『評決』をちゃんと理解できない日本人が大勢いるのだ。



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# by ruhiginoue | 2017-06-25 16:25 | 映画 | Comments(1)
 あの籠池氏がダミーの札束を見せて話題だが、大金を持ち歩くと危険なのは、今は亡き城南電機の宮地社長が有名であった。安売りするには先ず仕入れを安くするもので、大きな量販店が薄利多売をするにしても先ずは大量に発注し累進リベートで仕入代金を安くするものだが、これに小さな店が対抗するには仕入れるさいに買い叩くしかなく、これにもっとも効果的なのは現金払いしかも即金というわけで、宮地社長は多額の現金を持ち歩いていることを公言し、それを宣伝にしていたが、このためたびたび強盗に遭い、新聞の社会面に記事が載ると「城南電機宮地社長また強盗に襲われる」の見出しだった。

 この累進リベートだが、かつてやっていた仕事で、倉庫からの誤発送で量販店むけの荷物が別の個人経営の店に届いてしまい、引き取りに行ったことがあるのだが、そのとき商品と一緒に入っていた納品書を見た店の主が、単価が極端に違うと苦情を言ってきた。なんでうちには高く売るのかと言うのだ。大量に購入する代わりに値引きするのはよくあるうえ、大量になるほど値引きするだけでなく値引き率も上げるということを知らなかった。
 こういう経営者もいるので、取引価格を秘密にすることもないはずなのに隠さないといけなかった。倉庫の責任者はすみませんの一言で済むと思っていたが、営業に出て外交する者としては迷惑千万だった。 
 そんな思い出がある。だから書店は委託販売なので気苦労がない分だけはありがたい。

 ところで、籠池氏が警戒していたのは強盗ではなく警官の所持品検査だと言う。政治家それも総理大臣のところへ行くとなると警備がある。それに用心していたということだった。
 これを理解できない人も一部にいるだろうが、たしかに心配なことである。
 かつて自分でも、前に官庁街に行ったときのことだが、外国から要人が来日していてその警備で警官から所持品検査された経験があるけど、それが真面目な若い警官だったから心配なかったが、そうでなかったら貴重品を取られてしまい、警察に訴えても身内のことだから取り合ってもらえず、下手をすれば逆に警察を貶めたと逮捕されてしまうこともありうるし、裁判に訴えても証拠が無いとか色々と難癖をつけられてしまうだろう。
 こういうことは過去に実例もあった。だから強盗やスリよりむしろ怖い。

 もちろん、貴重品とか現金を官庁街で持ち歩くことはまずないし、もし持ち歩いていて、さらに不良警官に出くわす、という二重の不運の場合だろうが、籠池氏の場合は総理のところへ現金を持って行くうえ「国策捜査」までされている身の上だから、警戒しなければならなかったのだろう。

籠池氏の札束 に対する画像結果




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# by ruhiginoue | 2017-06-24 19:53 | 社会 | Comments(3)
 動画サイトにピアノを弾いているのを投稿したことがあって、これは観た方もいるが、他に楽器の演奏というと沖縄に行ったとき見様見真似で三線を弾いているのがあり、こちらは投稿していない。一緒にいた観光客がデジカメで録画して後でメールで動画ファイルにして送ってくれた(便利になったなあ)もので、上手くないのだが曲目でウケていたということでくだらないからだ。島倉千代子の『沖縄音頭』とか『ゴジラ対メカゴジラ』の「キングシーサーの歌」とか、そして「変なおじさん」も、まさに変なノリでオリオンビール飲んだ勢いでやっていた。
 これは、本当の蛇の皮が貼ってある「蛇味線」ではない簡素なものが、観光客に向けてご自由に使ってと置いてあるところがあるからだ。

 その時、舟で離れ小島にいくつか行ったが、その中のある島で、泊まった民宿のレンタサイクルの料金を、島を回って戻ってきて払うさい、時間貸しなので「何時から何時まで、ですね」と言ったら、そこの民宿を切り盛りしている女性が、「いや、何時間だよ」と多く言って、料金を高くした。このときの調子が強硬だった。船着き場との往復を自家用車を運転して送ってくれたりするときは大変に親切な人だが、お金のことになるとやけに押しが強いので、かなり驚いた。

 これについて、その翌々年に沖縄から東京に来た那覇に住む女性に話したら「ああ、あの島の人たちはそうだよ。山賊の子孫だからね」と言った。小島をアジトにしている山賊など昔いたけれど、その一種だということだ。
 それで思い出したのは、本多勝一記者の『アラビア遊牧民』に出てきた挿話だ。アラブ人たちが実に親切で、ベトウイン人たちは慎み深く気高かったが、遊牧民たちが本性を現すと、やはり昔から世界的に知られる砂漠の山賊の気質なのか、ヤラズボッタクリが当たり前という態度を取られたということだ。

 それはともかく、沖縄へ行ったときは観光もしたが社会科見学などもしてきたし、そういう話は既にここで何度もしているから、今日の「沖縄慰霊の日」については、今も変わらない思いである。


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# by ruhiginoue | 2017-06-23 17:53 | 社会 | Comments(5)
 おそらく官邸の陰謀だろうといわれている前川元次官を貶める記事のため、読売新聞に「まるで三流週刊誌のような内容だ」という苦情が寄せられ、怒って購読を中止するという長年の読者までいるということが報じられている。

 ところで、先日は新聞の盛んな英国の事情について触れたが、そのさい読売新聞は英国だとデイリーテレグラフ紙に該当すると述べた。同紙は英国の一般紙でもっとも発行部数が多く、他の一般紙でクオリティペーパー(高級紙)として分類されているザ・タイムズとガーディアンの両紙に比べると娯楽性がやや強く、日本で言うところの三面記事を重視し、論説は保守的だから選挙で保守党に投票する読者が多い、ということだ。

 ここに掲載している画像は英国のアニメ映画『風が吹くとき』(原作は82年、映画は86年の発表)の冒頭の場面だが、実写動画からはじまり、それについて報じる新聞を主人公のジムが読んでいる場面へとつなげて本篇であるアニメになる。
 ここでデビッドボウイの主題歌が流れている。『スノーマン』のアニメ化でデビッドボウイがナレーションを担当しているが、原作者が同じである。

 さて、『風が吹くとき』でジムが読んでいるのがザ・タイムズで、右隣にはデイリーテレグラフがあり、左隣にはファイナンシャルタイムズがある。ファイナンシャルタイムズはその名の通り経済紙で、英語で発行している新聞としては世界一の部数だが、英国以外での発行が多い。
 そして英国で発行部数が最も多いのはザ・サンで、これは大衆紙とかゴシップ紙とか言われていて、品の悪いい記事を売りにしているから日本では東スポのようなものだが、下ネタなど男性むけ記事が多いので、芸能やスキャンダルを好む女性は他の大衆紙を読んだりもする。

 この映画『風が吹くとき』で、ジムは硬い記事を熱心だが少し背伸びしたような感じで読んでいる。彼は労働階級である。この話は同じ作者の他の続編というかスピンオフ作品というかの内容で、前の話でジムは刑務所に入ったことがあり、妻に見送られながら護送されていく最後のほうがむしろ悲しい。

 この妻ヒルダは、後の会話でゴシップ紙しか読まないと言っている。だから夫のほうが少し博識であることが話す内容からわかる。
 それにしても、ラジオで戦争になりそうだと報じられているのを聴くとヒルダは「またドイツが攻めてくるんですか」と言う。「今度はロシアだよ」とジムが言うと「スターリンさんは感じの良い人だけど。お鬚が」という調子だ。

 そして、核攻撃で汚染が浸透してくると、田舎暮らしの二人は、お上が指示したとおりの荒唐無稽な対策をとり、政府を信じたまま衰弱して死んでゆく。
 この最後を今の日本は笑っていられない。北朝鮮がミサイル発射実験をしたら、標的となる米軍基地の近くでもないところで、従順な田舎の人たちは、雷対策と同じようにしゃがんだり伏せたりして頭を抱えることを、指図されたまま唯々諾々と従ってやっていた。

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# by ruhiginoue | 2017-06-22 15:57 | 映画 | Comments(0)
 先日、ツイートしたその日はフォロワーら数人がリツイートしただけだったのが、次の日になって有田芳生議員にリツイートされたら途端にリツイートが1000以上に増えたので、やはり政治家はフォロワーが多いのだと認識したが、そのあとネトウヨが湧いて「有田憎けりゃリツイートも憎い」と文句を付けられた。そういう意味で政治家ってのは大変である。

 そのツイートは、稲田朋美防衛相の「グッドルッキング」発言についてだった。だから有田議員も関係するツイートで目についたものをいくつかリツイートのしたのだろう。

 シンガポールでの催しに参加した稲田朋美防衛相が、共に壇上に上がったオーストラリアとフランスの国防大臣に目をやり「私たち3人には共通点がある。みんな女性で、同世代。そして、全員がグッドルッキング!」と言い、これに仏豪の両大臣はこわばったような表情をし、会場で取材していた外国人の記者たちが目を見合わせた。

 この発言は、見てくれ良いのが自分も含めてなので、なんと図々しいと言われたが、冗談だったら一緒にされた人たちにも失礼なことである。
 しかし問題なのは、すでに指摘されているとおり、まず「女性を身体的美の観点から評価する男性目線」を自己内面化すなわち精神的に男性隷従している女性ということであり、「オッサンの見る世界」に同化してしまってる女性ということだ。

 このような女性は一般社会にもいるが、それが政治家であり、大臣の立場で国際的な催しに他国の大臣らと一緒の時に、その認識を開陳してしまったわけだ。容姿の美醜が女性の価値ではないという世界の人権常識がないということであり、そんな人が大臣を務めている日本は、よくて後進国、わるければ未開野蛮国とみなされるだろう。

 だいたい、「美人すぎる議員」なんて日本は言ってるので、欧米から日本は男尊女卑で女性は能力より容姿が評価されると蔑まれるのだし、ロシアはあの美人議員が特に日本ではネット上で騒がれたうえ元総理までファンだと言い出すものだから、彼女の写真を日本向けニュースサイトに積極的に掲載してハートマークをクリックさせ「いいね」がたくさんになり、いかにもロシアが支持されているようにプロバガンダするのだ。

 この問題で、十代の時の体験を基にツイートしたのだった。
 かつてアルバイトで、テレビドラマのロケにその他大勢のエキストラをやったことがある。六本木で外人が集まっている店という場面で、日本にいる外国人を集めていたが、人数が少し足りないので混ざって違和感の少ない外見の日本人も出ていたということだ。
 そのとき、北欧の成人女性と会い、ノルウェーから留学していると言っていたが、肌と髪の色が綺麗だと感動して言ったところ、褒めていても失礼になると注意された。人種的特徴だからデリケートなことだし、まず容姿を褒めて能力や人格は褒めないという皮肉に受け取られるからだ。
 
 これは、わかっている人には説明するまでもないことだが、まず「あなたは美しい」ではなく「あなたの肌と髪の色」なら、美容などの話題の中で必然的に出てきたという場合でもなければ、人種の問題に抵触してしまう。東洋人などが黒髪を美しいと言われてもそうだし、アフリカ系の身体的特徴についても、あのカルピスのマドラーが見られなくなったように、悪気がなくて可愛いということだったとしても、人種的身体的特徴をことさら言うものではないとうのが、いまや世界的常識だろう。

 そして、容姿を褒めることは、芸能人に対してすら悪意の場合がある。歌舞伎で、下手な役者だとヒットしないから食あたりしない野菜に喩えて「大根」と呼び、だが美男子なら客を呼べるので主役に次ぐ「二枚目」の看板に載せるから「大根だが二枚目」というけど、逆に容姿端麗でもっているだけで歌や演技など芸がダメだという意味になる場合もある。
 まして、芸人と違い容姿は全く無関係の仕事だと、褒める意味があるのは能力と誠実さだけである。なのに「グッドルッキング」と言った人がいて、それがなんと呆れたことに大臣なのだ。

 だから、いま話題の「日本会議」など復古主義の勢力が自民党を中心に幅を利かせていることも問題になるのであり、服の物は良いけど着こなしが悪いダテメガネの防衛相だけの問題では済まないのだ。

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 どんなに「グッドルッキング」でも、面と向かって仕事の話の時には言うものではないだろう。



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# by ruhiginoue | 2017-06-21 16:01 | 政治 | Comments(4)
 あのテレビの人気ドラマ『3年B組金八先生』の第二期、イジメに遭って医師の診療を受けることになってしまった生徒がいて、集団で取り囲まれて逃げられなかったと証言するのだが、これに対してイジメた側の生徒は、無抵抗で言いなりになっていたのが悪いと開き直ったので、卑劣だと言って怒る生徒と、拒否できなかった方も情けないと言う生徒と、どう考えていいかわからないと言う生徒と、反応は割れ、そこで金八先生は、とりあえず「やめろ」とか「やめて」とか言う練習をしようと言い、なぜなら大声で叫べば相手も驚いてやめるかもしれないし、もちろんその保障はないが、少なくとも拒否したのにやったと言って後で問題にできる、ということで、いざというときにすくんで声が出ないことがないように、みんなで教室で叫ぶ、という話があった。

 よく、冷笑系といわれる人が、デモや集会で政治は変えられないと言うが、それですぐに変わると信じている人はほとんどいないはずで、粘り強く根気強く続けることで影響が現れてくることは実証がたくさんあるから、まず、変えられないというのが明らかに間違いであり、それを知らない人が短絡的な見方をして錯覚しているということになり、また、異議や抗議の声をあげて行動もしたことでその影響があるかもしれず、その期待は見込みが薄くても、後でそれらの異議や抗議を無視したり圧殺したりしたことを問題にできて、反対されなかったからやったという弁解ができなくなる。

 そういうことなので、デモでも集会でもどんどん行くべきだし、よく退屈なこともあるけど、それはあくまで盛り上がらないからで、このところの国会前のものは、仕事で疲れているのに駆けつける人たちがいたのであり、もちろん危機感もあるが、それでも盛り上がらないなら参加しないはずで、盛り上がっていて今後の糧になるということが、社会的にも自分個人的にもそうであるとわかっているから、そうしたのだ。




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# by ruhiginoue | 2017-06-20 16:14 | 政治 | Comments(0)
 今日の東京新聞にスポーツライターの署名記事が掲載されていて興味深く読んだ。そこで問題になっているのは体育館の床の手入れだった。体育館の床が破損しているため競技中に負傷する人が少なくないという。
 この床の破損は扱いが不適切であるためで、床に折り畳み椅子を置くならシートを敷くべきという指摘とともに、よく清掃の仕方に問題があるとのこと。例えばモップで水拭きなどするため木が湿るのと乾燥とを繰り返すために痛んでしまうのだが、このことを認識していないことが多く、これにより破損した床による負傷者が出て、滑り込みのようになった時に何針も縫う重症を負い、稀には内蔵に達する傷となることもあるそうだ。

 この、床の手入れについては、高校のころに苦い思い出がある。体育館に椅子を置く場合はシートをしていたが、問題は教室であった。濡れたモップで拭くために床が傷んでしまう。
 また、定期的に日常より丁寧に掃除する時は、箒で掃いた後に取り切れない細かい塵を硬く絞った雑巾でふき取り、ほんのわずかに湿るがすぐ乾燥するので、そうしたら木製の床のためのワックスを塗って伸ばしてから乾拭きして磨き艶出しするものなのに、そうではなく濡れたモップでいい加減にこすったあと材質に合わないワックスをぶちまけるようにするから、艶が出ないどころか汚れと混ざって染み込んでしまい、掃除すればするほど汚くなってしまう。
 それで、この学校の教室は床が汚いのかと、最初に見て感じた原因を納得した。だから担任教師に申し入れたのだが「何も言わずに従え」だった。その時は、言いなりにさせることしか頭にないファシストの一種かと思ったが、どうも違うようで、掃除の方法が間違っているという意味を全く理解できないというのが正しそうだった。

 これは同じクラスの同級生が裏付けることを言った。この担任が前にいた学校はすごい田舎にあり、これが現代なのかとビックリするような山奥だという。
 この同級生はそこに住んでいたことがあるから知っている。学校はワックスなんて想像を絶する建物で、もしもワックスをかけようとしたら床の隙間から雨漏りみたいに滴り落ちるそうだ。
 そういうところから赴任してきた教師がこの高校には多いので、知らないということだ。そんな教師に指摘してもチンプンカンプンに決まっているから、生徒が良かれと思って助言しても難癖をつけたくらいにしか思えない。そういうことだった。

 そして、その田舎に行ったことがあるけど、実際にそうだった。そして何年か前に、そこがテレビの報道番組で映った。老人だけの世帯の家が火事になり住んでいた老夫婦が焼死したという事件だったが、焼けた家とともに周囲が映ったら、昔と変わっていない。これでは仕方なかったと納得はしたが、そういうところから教師が来てもらっては実に迷惑なことだとも思った。



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# by ruhiginoue | 2017-06-19 19:39 | 体操 | Comments(3)

朝日新聞の人選誤り

 これは朝日新聞に限ったことではないが、両論併記することも含めて多様な意見を紹介すること自体は結構だが、そうすることが公正な報道かというと話は違うだろう。立ち位置をハッキリさせないマスコミなど意味がない。

 ここで最近の朝日新聞が問題なのは、三浦瑠璃を紙面に登場させていることだ。三浦は櫻井よしこ等と違い、雇ったとか拾ったとかではなく、最初から自民党が論文を受賞させたり留学させたりで御用学者として育てたとのことだ。なるほど、それで養殖ハマチのように脂ぎっているというわけだ。そして与えられてきた餌には抗生物質タップリみたいな状態だったのだろう。
 それを登場させることで、いちおう政府側の言い分を支持する人の意見を紹介したつもりなのだろうか。

 それなら毎日新聞が岡本行夫の話を掲載するなど、他所もやっているが、三浦の発言は御用学者としての立場すらもわきまえず嫌らしい発言をするので顰蹙を買っている。
 ここで三浦は、わざと自らの立場を曖昧にして「どっちの意見もわかるし尊重するけど、どっちも問題あるってこともわかってる自分ってアッタマいいー」みたいな価値相対主義的逃げの姿勢をとることで言質に保険をかけていると指摘されていて、これに怒ったのが小林よしのり「自分だけクールで他の者がヒステリックだと言いたいなら、また『高見猿』だ。高みに上って人を馬鹿にしてるつもりだが、ケツが真っ赤なのが笑えるんだよ」

 だから、こんな三浦を紙面に登場させるのは最後にしてほしいと読者の要望が朝日新聞に寄せられている。朝日新聞の読者うちで特に問題意識の強い人は、だいたい三浦が出てくることを不快に感じるているはずだ。わざわざ不快になるために金を払う莫迦がいるかと言っている人がいたけど、まったくその通りだろう。

 しかし、こうした見え透いた処世術は三浦瑠璃に限らない。三浦のように嫌味ではないが池上彰も同じだ。なんでそんな奴らに紙面を提供するのか。
 かつて池上がコラム掲載を拒否されたとき、30人を超えるの朝日新聞の記者がツイッターで異議を唱えたという話を「日本報道検証機構代表」元産経新聞記者の弁護士という楊井人文なる人物が悪名高いヤフーニュースで騒いでいたが、つまり権力に媚びた池上彰に、これまた権力を恐れて勇気のない朝日新聞記者たちが擦り寄っただけだった。
 そして池上は、続けて週刊誌上で週刊誌も含めた他のマスコミも「罪なき者が石を投げよ」と聖書の言葉を引用して批判した。これはカッコつけて見せることが三浦より年季が入っているぶん上手ということに過ぎなかった。

 だから朝日新聞は無理して両論併記したり姑息な処世術を使う人をやめるべきだ。『通販生活』を見習って「原発まっぴらごめん戦争まっぴらごめんが左翼だと言うなら左翼で結構です。そういう話が好きじゃない方は申し訳ありません、今までご購読ありがとうございました」と毅然として言えばいい。そのほうが、勧誘する人もやりやすいだろう。



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# by ruhiginoue | 2017-06-18 15:21 | 社会 | Comments(0)
 今話題の人である前川喜平氏は麻布高校から東京大学と進んだ学歴で、親戚になる中曾根もと文部大臣が述べるところによると、近所だから麻布に進学したそうだ。
 また、映画監督・山際永三氏も麻布高校卒で、やはり近所だから行ったということだった。前川氏より二十歳も年上の山際氏の当時は進学校とか受験校とかいう観念も特に無かったらしい。山際氏は大学は慶応でテニス部だった、というからいかにもお坊ちゃまという感じだが、白樺派の志賀直哉とは親戚である。
 そして、そんな家系の人にしては左寄りな言動をすると周囲で言われているけれど、ルキノビスコンティ監督も貴族の出だが左寄りであった。ただ、山際氏は「言いたいことは我慢しないで言うべき」とか「仕事は妥協しない」とか、そういう主義である。だから政治的にどうこういう以前のことだろう。
 そして前川氏も、学校では優等生でエリートコースを進み、堅物で仕事の鬼だったと中曾根氏も書いていた。そういう意味では山際氏と同じだろう。仕事とか政治とかでは全く違うが。

 さらに、やはり東大進学が多い開成高校を出た人が、麻布高校を出た人のほうが率直にものを言うような気がすると言っていた。
 これについては昔「開成高校生殺人事件」があったとき、この裁判をすべて傍聴した朝日新聞の本多勝一記者が書いた記事を『子供たちの復讐』という本にまとめているが、ここで親に殺害された開成高校の同級生に話を訊いたら、どちらも猛烈受験校の私立校で家庭も富裕な人や意識の高い親を持つ生徒が比較的多いけれど、場所が下町の開成と違い山の手の麻布なのに、生徒会の交流などで会うと「今の政権はダメだ」とか平然と語る人が麻布高校生にいるので意外だったと開成高校生が言っている場面が出てくる。

 今はどうなっているか現役生と話したことがないので不明だが、社会人では、東大出でエリートっぽい人や慶応出で育ちがよさそうな人で、しかし「言うべきことは言う」の人がいると、高校は開成より麻布が多いような気がすると自分でも思う。何百人も会ったわけではないが。
 ただ、いわゆる下町根性のために出世亡者と化して保身が優先ということがあるのではないかという気がするので、同じ東大出でも高校が麻布と開成で違って感じるのかもしれない。



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# by ruhiginoue | 2017-06-17 19:19 | 社会 | Comments(2)