井上靜の気楽な日誌です。気楽にコメントしてください。おたよりも気楽にe-mail:ruhig@outlook.jpまで


by ruhiginoue
 アメリカンフットボールの試合で、日大の選手が対戦相手である関学大の選手に反則により重症を負わせたうえ、そのあとも反則を繰り返したため退場処分となったが、このさい日大のチームでは監督などから叱責するわけでもなく平然としていたので、関学大から日大に抗議したという報道があった。
 そして、この危険行為は単に反則というだけでなく故意の危険行為にしか見えないと、競技に詳しい人たちから指摘され、実は監督の指示だったという証言があった。 

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 ところが、問題になった直後は日大チームの監督が自分の責任と言っていたはずなのに、騒ぎが大きくなると日大は「反則を意図的に指示したことはない」とし、危険タックルが「監督指示」だったことを真っ向否定した。監督は「壊してこい」と言っていたとの証言もあるが、しかし監督は、あくまで選手が意味を取り違えたのだと抗弁した。
 これではまるで最近の政治家みたいだから、この話題を話すと、最近の日本全体の風潮かと呆れて言う人が多い。
 もともと、暴力団だって「でかいことしろ」などと言い「殺せ」とは言わないし、安倍晋三や中川昭一だってNHKに押しかけても「番組を改変しろ」とは言わなかったから、「反則しなさい」と監督が選手に指示するわけがない。

 かつて日大のアメフトチーム「フェニックス」は名門だった。赤いユニフォームがかっこよくて、少年たちの憧れだった。アメフトは高校でやる人が少ないので、大学で初心者として入部する人が今もいる。かくいう自分もかつて同級生と、大学ではアメフトやりたいねと言っていた。あの映画になったルディみたいに、下手でもいいからと。

 また有名なのが東大のチーム「ウォーリアーズ」で、昔から東大は野球が弱いけどアメフトは強いと言われていた。そして東大の中の落ちこぼれと言われる学生が多く、官僚などにならず社会に出てから変わった目立ち方をする人がいた。例えば、主将をしていた人には、映画監督の長谷川和彦、ニュース23に出ていた元TBSの杉尾現議員がいる。

 その後、大学で実際にアメフト部に入った人から、もうフェニックスよりウォーリアーズの方がずっと強くなったと言われた。それどころか、日大フェニックスは長く低迷する。
 これを今の監督は厳しい指導でまた強くしたそうだが、このあたりに無理があって、今回の事件の原因になったとみられている。

 そして、反則の選手が退部し、監督は八月まで自粛、と報じられた。しかし問題は監督であり、やはり辞任することにしたそうだ。だだし、彼を選んだOB会にも責任がある。直接の当事者だけ処分ではトカゲの尻尾切りであるから、そうではなく、いったん廃部にするべきだという意見がある。
 それで思い出すのが国士舘大学である。バンカラ大学とか右翼大学とか言われ、いろいろと事件や騒動が起きていたので、その改革のため、早稲田大学の総長として強硬な姿勢で辣腕をふるった西原氏を招いた。受験勉強もよくしたバンカラ大学で、学費値上げでうるさい学生たちと直接対峙した西原学長は、国士舘大学に赴任すると、剣道部だったはずだが、とにかく武道系の部で暴力沙汰があったら即座に廃部としてしまった。そして推薦入学だった者は退学した。
 これくらいやらないと、日大のアメフト部も改善しないだろう。


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# by ruhiginoue | 2018-05-21 06:22 | 体操 | Trackback | Comments(0)
 今、光州事件を扱った韓国映画が話題だが、かつては軍の蛮行を描くなど不可能だったのが次第に可能となった時期、だから、そんなに古くはないが、もう昔の作品となった韓国映画に、主人公が故郷へ帰るさい、朝鮮戦争当時に起きた軍による住民虐殺を回想する場面があった。
 その故郷とは離島のため、情報が届かないから戦争の情勢が不明で、島民たちは不安を感じていた。そこへ北朝鮮軍が上陸して、戦争は北が勝ったから従えと言う。これに積極的に応じた一部の島民のこびへつらう様子は憎たらしいので、みんな反感を抱くが、軍に従っている者に文句を言うと後が怖いので黙っている。しかし主人公の教師は我慢できずに抗議してしまう。

 ところが、その北朝鮮軍とは変装した韓国軍だった。芝居をして住民を試し、北朝鮮に積極的に従う者を見つけ、見せしめに公開銃殺すると言い出したから、従っていた島民は仰天し、命乞いをする。
 この無様な様子を見て、他の島民たちはザマアミロだったが、しかし騙すとはやり方が汚いと思う住民もいて、主人公も軍に命懸けで抗議する。こびへつらうのを批判していたが、しかしそれは非力な庶民が保身のため醜い行動に出たのであるから、なにも殺すことないじゃないか、と。
 しかし聞き入れられない、という苦い思い出だった。

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 これと同じで、ネトウヨたちが煽動されて弁護士会に懲戒請求したのは愚かだが、既に述べたとおり弁護士会の対応にはもともと問題があったのだから、その会員である弁護士が迷惑したからと扇動者より先ず煽られた請求者たちを訴えると威嚇し和解金を取る行為も実に醜いのだ。
 だから、ネトウヨたちをけしからんと言っている人でも、訴えるという弁護士たちの対応を批判しているのだ。

 もう一つ問題がある。本件では事実無根の請求だったのだからデマを鵜呑みにした方が悪いというけれど、では事実なのでちゃんとした請求した場合には弁護士から逆に訴えられることがないと保障されているだろうか。
 それが確実にあるのなら、本件の場合は仕方ない自業自得だと言ってもいい。

 しかし、今はスラップ訴訟というのが横行している。これは、大企業など力をもつ者が、都合の悪い相手に対して威嚇するのを目的に、勝敗を度外視して訴訟を起こすことだ。
 もともと顧問弁護士がいて料金は経費として所得控除されている者が個人を訴えれば、個人は対抗して弁護士を雇うために着手金などを支払わないといけないので、大変な負担となる。
 これと同じように、弁護士は自ら訴訟を提起できるし、仲間の弁護士もいるから、懲戒請求者に対して、勝訴できなくても訴えるだけで報復できてしまう。
 また、懲戒請求された弁護士がいつも権力や大資本の側についていた場合はどうなるか。もともと、権力や大資本に媚びる「ヒラメ」の裁判官が偏向し、普通ならとうてい勝訴できないはずなのに勝訴させるという例は、過去にたくさんある。
 だから、懲戒請求者を逆に弁護士が訴えること自体、非常に危険な前例となるのだ。

 なのに、これを弱者の味方のはずの弁護士が自分を憐れんで(その弁護士らのTwitterでの自己憐憫は大げさだし情けない)正当化し、逆の立場の政治家タレント弁護士が(どうせ過去のルサンチマンとはいえ)批判しているから、実に滑稽である。



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# by ruhiginoue | 2018-05-20 06:21 | 司法 | Trackback | Comments(0)
 ささきりょう弁護士(Twitterの平仮名)が、自分の関与していないことで、誤解した人たちから懲戒請求されたと言っていた。この誤解した人たちとは、ネット上の風説を未確認で鵜呑みにした人が多いようだ。
 このマヌケな人たちのため大量の懲戒請求が東京弁護士会に寄せられ、ただ無関係だと反論すればすむものだが数が多いため手間がかかり迷惑したと、そう同弁護士は主張して、懲戒請求した人たちを訴えると言っている。
 
 これに対して、弁護士だから特に認められている自治の場で起きたことなのに、マヌケとはいえ無知が原因の一般市民を弁護士が攻撃するという行為に疑問や批判が起きていることは、すでに述べた。

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 また、そもそも弁護士会が懲戒制度に対して適切な広報をしているかも問題である。かつて、あの橋下徹弁護士がテレビで視聴者に誤解をさせる発言をして後に謝罪していたが、こういうことがあったのだから、弁護士会としても相当の対応をしなければ、公的な存在として一般に対して開かれた制度を運営する義務と責任を果たしていないことになる。

 ところが、それ以上に不可解なのは、本件における東京弁護士会の対応である。
 もともと、懲戒請求があると東京弁護士会は請求者を呼び出して詳しい事情を聴取していたのに、それをしなくなった。これは、ちょうど橋下徹弁護士のことがあった後くらいからである。さらにインターネットで焚き付けられた人も加わるようになったからだろう。要するに、もとも懲戒請求の数が増えているうえ、そこに安易なものも多くなったからだ。
 そこで、東京弁護士会は、とくに会員が多いこともあって忙しいからと、請求者から詳しく聴取することをやめてしまい、時には対象の弁護士にまわさず勝手に返信を出してしまうようになった。もちろん、弁護士の言い分をきかずに懲戒するとはせず、懲戒しないというものばかりである。

 ここで東京弁護士会は、弁護士に抗弁させると弁護士がウッカリ請求者のフェイントひっかかることがあり、これをネタに別件の懲戒請求をされたり、訴訟を提起されたりすることがあるので、勝手に具体的な内容に踏み込まず握りつぶしてしまえばいいということを学んでしまい、実施するようになったのだ。
 また、懲戒請求が増加しているのは、安易なものが多くなっただけでなく、弁護士の不祥事も多くなっているからなのに、それに対しても弁護士会が誠意をもって対応しなくなった。

 そして、弁護士会が勝手に請求者に返答をしてしまうさい、請求内容に踏み込まないだけでなく、請求者に罵声を浴びせるようになった。
 これにより東京弁護士会が何度も訴えられている。多くの裁判官が同業者であり天下り先でもある弁護士会をかばう中で、少数の良心的な裁判官として評判の人が担当すると、東京弁護士会の対応に問題があったことを判示していた。
 つまり、それくらい東京弁護士会の懲戒請求に対する対応は悪辣となっているのだ。

 そして、このような悪辣な態度を東京弁護士会がとるのは、そのさい被調査人が権力側に付いて仕事している弁護士の場合なのだ。
 そこから考えると、どうして嫌がらせとしか思えない大量の懲戒請求に対して、東京弁護士会は、よくやるように弁護士に回さず勝手に返答して、内容に踏み込まず罵声を浴びせる、ということをしなかったのか疑問だが、これはおそらく弁護士が逆に権力に対し批判的だったからではないかと考えるしかない。
 その、ささきりょう弁護士は、労働問題に熱心で、今では内閣が強行採決しようとしている「タダ働き法案」に猛反対している。そんな弁護士だからと、東京弁護士会は権力に媚びて嫌がらせに同調したのではないか。

 そして、同弁護士とその仲間の弁護士たちも、立場の弱さから弁護士会を問題にできず、騙され乗せられた請求者たちに矛先を向けるしかないのではないか。実は弁護士はがんじがらめで自由に仕事できないと言われて久しいが、それが弁護士自治の場である懲戒制度で、特に浮彫となったのだろう。
 


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# by ruhiginoue | 2018-05-19 07:02 | 司法 | Trackback | Comments(0)
 大量の懲戒請求で、焚き付けた者より先ず煽られた無知な個人を訴えることは、弁護士自治の見地から問題が多いという指摘が色々と出ている。
 あの橋下徹弁護士も、大量の懲戒請求という方法をポピュラーにした張本人であることは別にして、本件では、弁護士会の対応をまず問題にすべきなのに、素人の請求者に訴えると脅して和解を迫り金を取るのは弁護士の品位を汚すと批判している。
 この橋下徹弁護士には、他の人たちと連名だが懲戒請求したことがあり、このため彼は処分を受けているが、それとは別問題である。この部分に限っては賛成である。

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 ここで東京弁護士会はいちおう被害者であるが、損害を不合理に拡大させてはならない義務(損害軽減義務)があるはずだ。
 そもそも、まったく同じ内容の懲戒請求が来たら、弁護士会から請求者たちに連絡し、併合すると告知して、これを了承するか、あるいは拒否して取り下げるか、先ず確認して一件にまとめ、そのうえで被調査人となる弁護士に回せば、その弁護士が大量請求で無駄な手間暇をとられる「損害」など初めから発生しなかったはずだ。

 また、懲戒請求は一般人に開かれた制度である。そうである以上、受理することによって相手方に住所氏名が伝わること、嘘は論外だが、誤解であったとしても不注意すぎる場合(ただし判例では弁護士より一般人は注意義務が厳しくない)は、不当な請求として損害賠償の恐れがあること、などの告知も必要である。
 どんな専門家にも、相手に対して要件の告知義務がある。そうでなければ、みなが安心できるようにそもそも専門資格がある、という趣旨に反するからだ。この点で、弁護士会は懲戒請求についても、この義務を果たしているだろうか。それがないのに、無知な人が誤ったからと専門家から訴訟するものなのか。

 「同じ懲戒請求が大量に来ているが、ほんとうに制度を理解したうえで、自分の名義つまり個人的に責任を持つと、明確に認識してのことですか」と確認をすれば、取り下げた人が多かったはずであることは、訴えると言われて焦る人たちを見れば明らかだ。

 また、その代理人弁護士は、それら懲戒請求は差別意識に基づいたものであるから差別問題だと言う。差別糾弾のためなら何でもありでは朝田善之助と同じではないか。
 それを問題にするなら、弁護士会も問題にすべきだ。もともと弁護士会は、差別について人権救済を求めても相手を恐れると逃げてしまうし、懲戒請求にしても相手が普通の人だとナメた態度で、組織的で威圧的だと萎縮するものだ。
 そして、人権を守るために権力と対峙するから自治が認められているのだけど、弁護士会は逃げる方便にするだけだ。

 しかし、弁護士たちは囲い者である立場の弱さから弁護士会を批判しにくいし、裁判官も辞めたらだいたい弁護士になるから弁護士会は天下り先なので、どんな怠慢や不正があっても断罪しないもの。
 だからといって、その法曹界のだらしなさも原因である法的に無知な人たちを標的にするのは八つ当たりでしかない。

 ところが、その弁護士たちは、自分も一個人として損害を被ったから賠償請求する権利があると言っている。寝言は寝てるときに言うべきだ。本件は弁護士だけに与えられた特権である自治の場で、それゆえ起きたことだ。
 だいたい弁護士も医師も、みんなそうだ。普段は専門家ゆえの特権を享受していて、都合が悪くなると一般市民と言い出す。

 そんなに賠償請求したければ、すでにみんな言っているが、どうして煽動した者をまず追及しないのか。ネット上でのことだから、送信情報開示請求したり、警察がやっているように専門家を雇ったり、そうすれば判明は可能だ。金がかかるけど彼らは費用の寄付を募っていて、それ相当に集まったと言っていた。
 それをしないで、まず騙された無知な一般市民たちを弁護士たちが攻撃している。しかも、弁護士の特権である自治の中で知った個人情報を逆手に取って。
 
 そんな弁護士に味方する人たちはネトウヨやレイシストを懲らしめろと過熱してしまい、懲戒請求した連中と同じ状態に陥っている。こういう愚かさに右も左もないということだ。
 しかし、ネトウヨや差別と闘っているとか橋下徹から非難されたとか、そんな猿芝居に騙される人ばかりではない。よく見ると社会的見地からも法的見地からもおかしなことだらけと気づく人も多い。

 つまり、しょせん彼奴らも日本の弁護士だ。


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# by ruhiginoue | 2018-05-18 09:14 | 司法 | Trackback | Comments(5)

札束の帯封は何のためか

 札束をまとめる帯封には金融機関の印があるけれど、これは金の出どころが善良なのを証明するものらしい。だから、マネーロンダリングのため高額な買い物で使用するなどの犯罪と関わらないように、信用ある金融機関の印が帯封にある札束でなければ支払いの受け取りを断わられることがある。
 また、札を一枚でも抜けば緩んでしまうので判るし、機械で束ねるのだから、最初から枚数を故意に不正にしない限り、数え間違いなどは無いに近いと言える。
 したがって、銀行員でさえも、窓口以外では数えずに受渡しするそうだ。

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 しかし、絶対に大丈夫というわけではなく、あの漫画『ナニワ金融道』では、相手が金策で焦っていると見透かして札束から一枚ぬいて自分らの昼飯代に使ってしまい、渡したらやはり客は数えもせず大急ぎで支払いに向かい、後で文句を言われないかと心配する主人公に上司は「受領証を受け取っているんやで」と平然と言う。
 また、この作者も、帯封なんて信用しては危ないと言っていたことがある。

 それに、かつて他の金融機関から引き出した印つき帯封の札束を別の金融機関に渡したことがあるけれど、その女性行員は目の前で封を切って数え確認した。キッチリ固く結束されていても、確認は必要ということだ。
 ところが、ある銀行で、受け取った札束を数えようとしたら、そこの女性行員は「なにか?」と文句がある表情と口調で言った。だから、いちおう確認すると言ったのだが、「一本」で間違いないと意固地な感じで言われた。

 これについて、その銀行に昔務めていた男性に訊いてみたところ、受け取ったらすぐに数えて確認するのは普通のことだと言った。また、ほかの銀行の女性行員に訊いても、自分が札束を受け取った場合に帯封に印があっても必ず数えるのだから、渡したさいお客様が数えるのも当たり前で、その銀行の行員だって受け取った場合は数えるはずなのに、自分だけ信用しろというのは失礼ではないかと言った。
 まったくその通りだ。

 それで、その銀行は解約することにした。そうしたら、少し残っているポイントを残高に足して渡すから、再来店してくれと言いだした。それ相当のポイントならともかく、交通費と手間暇を考慮したら赤字である。だから失効でよいと言った。
 この銀行は、だいたい行員がダメだと感じた。これを先の元従業員に言ったら、正直もともと将来性が不安で、その前に定年でよかったと思うのだそうだ。


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# by ruhiginoue | 2018-05-18 05:56 | 経済 | Trackback | Comments(2)
 ネトウヨども「一網打尽」と期待する人がいる、懲戒請求を「返り討ち」の訴訟だが、これは無邪気にはしゃげない。
 まず、組織的な差別主義者の嫌がらせ工作が逆手に取られたら、これに対抗して次は権力が裁判所に働きかけて正当化の判決をさせたり、さらに逆手にとって正当な懲戒請求した者が逆に訴えられるようになり、それに裁判所が味方したり、警察が介入したりするはずだ。
 そのとき弁護士たちはどう動くか。自分のことだけで終わりにしないだろうか。

 また、一般的な罪は法律や倫理に明白な違反をしているものだが、これとは違って懲戒請求それ自体は合法な制度なので、請求した人のうち、不当だと思っていなければあくまで闘うつもりの人がいるだろうし、不当だと思っていてもなんとかうまく逃げられると思っている人もいるはずだ。
 だから、請求した人のうち、和解を申し出る人がいる一方で、そうしない人もいる。


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 それに、「懲戒請求のさいネットを参考にはしたが、自分なりに調べ確認もしたうえでのことだから、無責任な匿名に煽動されたのではない。その弁護士にかかる事実が無くても、有るような言動が見られたのだ」という安倍総理が菅元総理に勝訴したのと同じ理屈を使えば、裁判官によっては勝訴できそうだ。
 だから、煽動されて懲戒請求した連中を訴えた側の弁護士らが、和解を求めてきた者が何人いたとか、そうしない者たちは何考えてるんだとか、少々しつこいくらいアピールしているのは、敗訴するかもしれないことを解っているからだろう。

 おそらく訴訟になったら、愚かなネトウヨとはいえ中には、それなりの弁護士をつける者だっているだろう。そして、担当する裁判官が権力に媚びて人権派を憎み偏向している奴だったら、どんなに頑張っても敗訴させられる。
 これを危惧するから、和解を強調しているはずだ。

 この大量懲戒請求訴訟は、非常に危ない。
 しかも、裁判だって同じ内容や関連があれば併合するのだから、そういう対応を弁護士会がしていない事務的な不備または怠慢がそもそも原因であり、それを逆に訴えて各個撃破してやると息巻く弁護士たちの対応も、懲戒制度の趣旨や意義から不適切である。なのにネトウヨを一網打尽とはしゃいでいる連中は単純すぎる。

 この件で訴えた「人権派」弁護士たちは、公的存在である弁護士会の責任を、自分の私権とすり替えて損害賠償請求訴訟とし、個人を訴え、権力から距離をおくための弁護士自治において発生した問題なのに、公権力に解決を求めた。これは反社会的である。
 だいたい、弁護士ともあろう者たちが複数人がかりで、煽動した主犯の送信情報を開示請求したり専門家を雇って突き止めたりして訴えるのではなく、アジにのせられたマヌケたちをまず訴えるというのが気に入らない。

 しかし、もうルビコン川を渡ってしまった。賽の目はどう出るだろうか。悪く出ると断言しておく。


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# by ruhiginoue | 2018-05-17 09:04 | 司法 | Trackback | Comments(0)
 もう三年くらい経過しているが、その当時に勤務していた不動産屋から、また働いてくれないかという話をされた。副業なので非常勤だったが、それでもいいからと言う。
 なんでかは察しがつく。こき使われるから辞めてしまう人ばかりなのだろう。契約書を作るなどデスクワークのはずだっが、いつの間にか営業もしなければならなくなる。これがたいへんなのだ。

 ところで、営業とかセールスとかいう職種は、正社員ではなく請負で会社を渡り歩いている人がいる。出版社や雑誌社では、正社員だと思っていたらいなくなった人が他の会社の仕事をしていて、もともと請負だったと後から知った、なんてこともあった。
 とにかく、営業職は大変である。長く歩き回るし、夏でもネクタイ締めて、御洒落すぎてはだめとか、服装には要注意で、銀行が特にそうだけど髪型も堅苦しいほうがいいとか面倒くさい。これは取材でも、行先によって気を付けないといけないが、営業は事情が異なる。
 ちなみに夏の営業では、これからビールだから酒屋への営業が大変である。近所の小さな酒屋に大手酒造会社の女性が来て平身低頭だったのを見たことがある。これを何件も続けるのだ。

 そういうことで、営業は専門の人がやるほうがいいのだが、給料を払っている側としては暇があると損した気になるようで、ちょっと勤務中に隙間が長くなると営業に行けという管理職がいるものだ。
 それで、技術者が少しの暇で外回りさせられたのを見たことがあるけれど、職人で人当たりが苦手そうだったから気の毒である。また、言わずと知れた乳酸菌飲料の業者が事務所などに来るけど、ヤンママがやる仕事を事務系ふうのおじさんが照れくさそうに来たことがある。

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 ようするに営業とかセールスに必要なのは対人スキルというやつだが、しかし人を動かすのでも人に分け入るのでもないから神経がすり減ってしまう。
 そういうのが平気だという人もいて、その人に言わせると、室内で机に向かっているほうがよほど苦痛だそうだ。
 とにかく、よほど気持ちの切り替えが上手なら別だが、他の仕事をしながら同時にやると精神的に負担となる。そのうえ、人が足りないからと、ついでにあれもこれもでは、まさにこき使われている状態である。

 だからみんな辞めてしまうのだが、これに気付かない経営者または管理職だと、そんなこと考えもしないのだろう。荷物の宅配業者の人手不足も、今はネット販売も請けて忙しすぎるからだというけれど、もとは経営難のため職人的な運転手に愛想笑いまで仕事のうちとなる営業もやらせて乗り切っていて、これが心身ともにキツイ原因ではないだろうか。


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# by ruhiginoue | 2018-05-16 16:56 | 経済 | Trackback | Comments(2)
 加藤寛治衆院議員(自民党)が「必ず3人以上の子供を産み育てていただきたい」「子供産まねば人様の税金で老人ホーム」と発言し、これは女性を侮辱しているのではないか、などと問題になったが、野田聖子総務相も批判し「そういうことを言ったから子どもが増えるということでは決してない」と指摘した。
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 たしかに、ただ加藤議員のように言えばいいのなら、そもそも政治家はいらない。

 これで思い出すのが、かつて右翼活動家の赤尾敏もと代議士が、国旗掲揚と国家斉唱を強制する自民党など政治家の姿勢を批判していたことだ。彼は右翼だし、実際に日の丸と君が代が大好きで、反対する者はケシカランと言っているのに、なぜ批判したのか。
 それはまず、権力が強制することには慎重さが求められ、必要最低限の場合に限られるという原則は尊重すべきという趣旨だった。
 さらに、政治家の仕事ではないという指摘だった。政治家の仕事は、国民に国旗を掲げ国歌を唄えと命令することではなく、国民が国旗を掲げて国歌を唄いたくなる国にすることだ。なのに政治家が仕事サボってはダメだというわけだ。

 それと同じことだ。子供を産める安心な社会にする責務が政治家にはあるのに、その仕事を怠けて国民に命令している加藤議員。こういう政治家が他にも自民党にいて、同様の発言が飛び出しては問題になってきた。
 まず自分の仕事をしろと言いたくなるが、しかも加藤議員は子供が六人いるけれど孫は八人だそうで、十人も少ない。よそ様に言う前に自分の子供たちに言わないとダメじゃないか。でも、それを命令されたら可哀想である。



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# by ruhiginoue | 2018-05-15 17:57 | 政治 | Trackback | Comments(2)

 最近また、上から目線の横柄な口をきく似た者同士の生意気な爺さんたちがマスコミに出ていた。他でもない小沢一郎と戸塚宏である。

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 こいつらに共通しているのは、その考え方をどう評価するかという以前に、それを実践するとなると必ず失敗することだ。しかも禍根を残してばかりであることも同じである。
 これは一度や二度ではなく反復しているのだから、その考え方が間違っていることを現実が証明しているか、その実践する能力が伴っていないか、これらのどちらかまたは両方ということだ。

 そして、こんどこそ成功させると意気込んでみても、過去の失敗を反省せずまさにバカの一つ覚えであるから、結局は無駄な努力となる。というより努力の水準ではない。
 
 ようするに、小沢一郎と戸塚宏は指導者の器ではないのだ。

 その自覚が当人に無いから、自分が社会に害毒を垂れ流していると気づかないのはもちろんのこと、無能な自分が無様で惨めとも感じない。自分は正しいどころか自分こそ正しいと思い込んでいて、更に同じことをしようとする。そして懲りずにまた、というわけである。
 どちらも、親の七光りだったり、ちょっとした実績だったり、その程度のことをマスコミがもてはやし、そこへ便乗したりチヤホヤしたりの輩が寄って来て取り巻き、それで思い上がってしまったというのが実態だろう。

 そんなのを支持したり持ち上げたりしたりの連中がいて、中身が無いのに威勢だけよいことが共通している。
 また、現実を見ていないから、事実を踏まえずに、あるいは無視して、ものを言う。これだから威勢だけはよくする必要があるということだろう。
 このような取り巻きたちの存在が、妨害してもいる。当人が自家撞着に気づくことを。

 まったく公害である。


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# by ruhiginoue | 2018-05-14 17:09 | 社会 | Trackback | Comments(2)
 安倍内閣の下で不祥事が相次いで、マスコミが調べて発表する支持率も低下しているが、それでも十代と二十代では、まだ支持する者が多く、それと重なるように、不祥事があっても悪いことだと思っていない者が多い。
 これについて、友達だから贔屓して当たり前だと思っている人が若い人ほど多いからだろうという意見が目立つ。それとこれとは別だとか、ケジメがないとだめだとか、そういうことを理解できない人が若い人に多く、やはり社会経験が浅いとか乏しいからだろう、というわけだ。

 しかし、子供のころはわからなくても大人になればわかるようになるのだろうか。そう思いがちではあるが。それは、かつての友情が社会に出て揉まれたり擦られたりしているうちに、通用しなくなることがよくあるからだ。
 また、子供のころは利権も思想信条も社会的立場も無かったので、純粋に人間として付き合い仲良くできたのに、大人になったらそうはいかなくなるとも、よく言われる。
 だから、子供のころは友達だから特別だと考えていられるが、それを大人になって社会に出てもまだやってしまう人は、立場や責任をわかっていないのだ、という図式に考えるのだろう。
 けれど、どうだろうか。

 というのは、自分の経験の記憶からも、いろいろな人たちの体験談からも、子供のころ「友達だから」という発想は、ほとんどして無かったからだ。
 そして、よく思い出して検証してみれば、子供だって、友情によって特別ということではなく、やはり力関係が影響してのことで、これに対して子供だったから非力で抵抗できなかっただけである。
 そして、大人になって社会に出たら、親の庇護も無くなったし、自分の力で進んで行くのだから、なのに子供のように非力で無抵抗でいたら人生が挫けて御終いとなってしまう、という認識をしたり自覚をしたりする。それが若い人は未だできない。

 つまり、社会と政治・経済の不正に若い人たちほど寛容なのは、甘いからではなく非力だからであり、その自らが抱える現実と未だ向き合えてないため、というべきだ。

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# by ruhiginoue | 2018-05-13 13:03 | 政治 | Trackback | Comments(7)