三木稔さん死去
2011年 12月 08日
作曲家の三木稔さんが亡くなった。81歳だった。
家が近所なので、二度ほど他の人たちと一緒の場でだが、会ったことがある。八の字に下がった眉毛でいつもニコニコしている人だった。
近所といえば三木さんは作曲家の松村禎三さんと自宅がとても近いうえ、師匠が同じ(池内友次郎と伊福部昭)ということもあり、とても仲良しだったから、数年前に松村さんが病気で亡くなったときは、とても悲しそうだった。
その当時の三木さんはとても元気だったけれど、しかし癌が発見されていて、完成に時間がかかるオペラの作曲を急いでいた。「日本のプッチーニ」と言われるほどオペラを作っていて、日本の題材を用いていながらヨーロッパなどでも理解されていた。
また、純邦楽の分野でも日本の代表的な存在で、民族楽器ばかりの合奏「オーケストラアジア」を結成して演奏活動をしたり、和楽器を使用した曲では、演奏会用の曲もあれば、映画音楽もあり、特に大島渚監督『愛のコリーダ』は有名。
また、阿波の出身なので、師匠にオマージュを捧げる曲として、こんな曲も作っていた。茶目っ気のある人柄で、そのためなおさら残念である。ご冥福をお祈りいたします。
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家が近所なので、二度ほど他の人たちと一緒の場でだが、会ったことがある。八の字に下がった眉毛でいつもニコニコしている人だった。
近所といえば三木さんは作曲家の松村禎三さんと自宅がとても近いうえ、師匠が同じ(池内友次郎と伊福部昭)ということもあり、とても仲良しだったから、数年前に松村さんが病気で亡くなったときは、とても悲しそうだった。
その当時の三木さんはとても元気だったけれど、しかし癌が発見されていて、完成に時間がかかるオペラの作曲を急いでいた。「日本のプッチーニ」と言われるほどオペラを作っていて、日本の題材を用いていながらヨーロッパなどでも理解されていた。
また、純邦楽の分野でも日本の代表的な存在で、民族楽器ばかりの合奏「オーケストラアジア」を結成して演奏活動をしたり、和楽器を使用した曲では、演奏会用の曲もあれば、映画音楽もあり、特に大島渚監督『愛のコリーダ』は有名。
また、阿波の出身なので、師匠にオマージュを捧げる曲として、こんな曲も作っていた。茶目っ気のある人柄で、そのためなおさら残念である。ご冥福をお祈りいたします。
by ruhiginoue
| 2011-12-08 20:20
| 音楽





