田原俊彦の僕はビッグ発言とビートたけし
2012年 06月 17日
再々婚を発表した松田聖子を、田原俊彦がブログでユーモアも交えながら祝福している。この二人は同じ80年に売れ出したアイドル歌手で、当時はCM共演もしていたし、一緒に歌ったこともある。並ぶと見た感じはお似合いだが、その歌唱力の極端な差でずっこけた人も多かった。
同じく80年に売れ出した芸能人の一人に、ビートたけしがいる。彼はアイドル歌手ではなくお笑い芸人であり、下積みの時期があったので年齢もずっと上だが、一躍知られるようになったのは同じ年であった。
このビートたけしが、田原俊彦をバッシングしていたことは、ほとんど忘れられている。ビートたけしは、田原俊彦が記者会見で「僕はビッグ」という発言により思い上がっていると叩かれた当時、スポーツ紙上で「トシチャンでーす、なんて、つい先日まで言っていたアイドル風情が生意気だ」と攻撃していた。
この田原発言は話題になり、彼は当時売れっ子だったCM出演が激減してしまった。そして仕事から干されかけていることをネタに、いわゆる自虐ギャグのCMをするなどしながら、地道に復帰してきた。そして後に彼は、あの発言は不用意であったと反省しているが、本意とは異なって受け止められてしまい遺憾であるとも言っている。
あとで冷静に考えれば、あの発言は問題になっても仕方ないが、それにしてもマスコミの叩き方は少々ヒステリックであった。これは、田原俊彦が記者会見に最初から喧嘩腰で臨み、しかも芸能記者たちに「貴方達が嫌いだ」とまで言って毒づいており、そのうえでの発言だったから、派手に叩かれたと言える。
どうして、彼がそんな態度だったのか。会見の趣旨は、彼に娘が生まれたということだった。そして、これは私生活のことなので記者会見する必要もないことだが、なのに追いかけられてしまうから仕方なく、不愉快でもそれだけ自分が大物ということなのだろう、という話の流れだった。
だから、後に彼が、あの発言はあくまで皮肉だったというのは、決して後から言い訳したのではなく、実際にそうだったと考えられる。
では、どうして彼はきちんとした意思の表明をせずに、喧嘩腰で不機嫌さ丸出しになってしまったのかが疑問だ。芸能人は騒がれてナンボの商売であり、注目されなければ、それはそれで困るだろうし、自らの印象を損ねたらいけないくらいのことは、わかっているはずだ。
これについて彼は、対応の失敗をしてしまったという認識はあるようだが、あの当時としては、山梨に住む彼の母や姉のところに取材が押しかけてたいへん迷惑だったので、つい感情的になってしまったということだった。
それなら、かつて週刊誌の発行元に抗議に押しかけ暴力沙汰を起こし逮捕され傷害罪で有罪となったビートたけし※も、家族にまで週刊誌の記者が取材に来て迷惑だったからと法廷で言い訳していたが、どうして彼は田原を擁護せずに芸能マスコミと一緒になって叩いたのだろうか。
まず考えられることは、田原発言の意味を咀嚼せずに、たけしは非難した。また、たけしは妻子ある身で未成年者に手を出していたことを追及されたことを焦ったのが本当のところなので、弁解は後付けでしかないと指摘されている。
それらもあるだろうが、やはり、集団で一人を叩いているのを見ると、集団のほうに迎合して一緒になって一人を叩くという性癖が原因だろう。実際に彼の発言はことごとく、その趣旨は権勢に媚び弱いもの虐めである。そうやって悦に入る。また、それが受けてしまう。
ただ、あの80年に、田原俊彦が『哀愁でいと』を、松田聖子が『青い珊瑚礁』をヒットさせてスターダムに登った一方で、ビートたけしは交通標語をパロディにした「赤信号、みんなで渡れば怖くない」のギャグで大受けしていたが、これは日本人の集団性を皮肉っていて、善悪や是非より周囲に合わせがちな危険性を警告する意味もあったのだが、それをたけしは自ら否定してしまった。
これは、たけしの人間性にも起因しているのだろうが、それだけではなく、世情がそうさせているのだろう。そうすると受ける。だから、これはたけし個人の問題ではない。世の中全体が病巣となっている。
※ビートたけしの週刊誌フライデー暴行事件について
同じく80年に売れ出した芸能人の一人に、ビートたけしがいる。彼はアイドル歌手ではなくお笑い芸人であり、下積みの時期があったので年齢もずっと上だが、一躍知られるようになったのは同じ年であった。
このビートたけしが、田原俊彦をバッシングしていたことは、ほとんど忘れられている。ビートたけしは、田原俊彦が記者会見で「僕はビッグ」という発言により思い上がっていると叩かれた当時、スポーツ紙上で「トシチャンでーす、なんて、つい先日まで言っていたアイドル風情が生意気だ」と攻撃していた。
この田原発言は話題になり、彼は当時売れっ子だったCM出演が激減してしまった。そして仕事から干されかけていることをネタに、いわゆる自虐ギャグのCMをするなどしながら、地道に復帰してきた。そして後に彼は、あの発言は不用意であったと反省しているが、本意とは異なって受け止められてしまい遺憾であるとも言っている。
あとで冷静に考えれば、あの発言は問題になっても仕方ないが、それにしてもマスコミの叩き方は少々ヒステリックであった。これは、田原俊彦が記者会見に最初から喧嘩腰で臨み、しかも芸能記者たちに「貴方達が嫌いだ」とまで言って毒づいており、そのうえでの発言だったから、派手に叩かれたと言える。
どうして、彼がそんな態度だったのか。会見の趣旨は、彼に娘が生まれたということだった。そして、これは私生活のことなので記者会見する必要もないことだが、なのに追いかけられてしまうから仕方なく、不愉快でもそれだけ自分が大物ということなのだろう、という話の流れだった。
だから、後に彼が、あの発言はあくまで皮肉だったというのは、決して後から言い訳したのではなく、実際にそうだったと考えられる。
では、どうして彼はきちんとした意思の表明をせずに、喧嘩腰で不機嫌さ丸出しになってしまったのかが疑問だ。芸能人は騒がれてナンボの商売であり、注目されなければ、それはそれで困るだろうし、自らの印象を損ねたらいけないくらいのことは、わかっているはずだ。
これについて彼は、対応の失敗をしてしまったという認識はあるようだが、あの当時としては、山梨に住む彼の母や姉のところに取材が押しかけてたいへん迷惑だったので、つい感情的になってしまったということだった。
それなら、かつて週刊誌の発行元に抗議に押しかけ暴力沙汰を起こし逮捕され傷害罪で有罪となったビートたけし※も、家族にまで週刊誌の記者が取材に来て迷惑だったからと法廷で言い訳していたが、どうして彼は田原を擁護せずに芸能マスコミと一緒になって叩いたのだろうか。
まず考えられることは、田原発言の意味を咀嚼せずに、たけしは非難した。また、たけしは妻子ある身で未成年者に手を出していたことを追及されたことを焦ったのが本当のところなので、弁解は後付けでしかないと指摘されている。
それらもあるだろうが、やはり、集団で一人を叩いているのを見ると、集団のほうに迎合して一緒になって一人を叩くという性癖が原因だろう。実際に彼の発言はことごとく、その趣旨は権勢に媚び弱いもの虐めである。そうやって悦に入る。また、それが受けてしまう。
ただ、あの80年に、田原俊彦が『哀愁でいと』を、松田聖子が『青い珊瑚礁』をヒットさせてスターダムに登った一方で、ビートたけしは交通標語をパロディにした「赤信号、みんなで渡れば怖くない」のギャグで大受けしていたが、これは日本人の集団性を皮肉っていて、善悪や是非より周囲に合わせがちな危険性を警告する意味もあったのだが、それをたけしは自ら否定してしまった。
これは、たけしの人間性にも起因しているのだろうが、それだけではなく、世情がそうさせているのだろう。そうすると受ける。だから、これはたけし個人の問題ではない。世の中全体が病巣となっている。
※ビートたけしの週刊誌フライデー暴行事件について
by ruhiginoue
| 2012-06-17 22:38
| 芸能